【特集『もしもし、こちら弱いい派 ─かそけき声を聴くために─』】
コトリ会議『おみかんの明かり』山本正典インタビュー
特集
2021.07.21
『もしもし、こちら弱いい派 ─かそけき声を聴くために─』特集
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■「強い」「速い」「大きい」「合理的」という価値感から遠く離れて、
要注目の才能達は、弱さの肯定から世界を見つめる(徳永京子)
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コトリ会議「あ、カッコンの竹」(2017)
関西に拠点をおきながら、ここ数年は仙台、金沢、福岡、東京などをめぐるツアー公演をおこなうコトリ会議。2007年に結成して以来、恐竜や、ギリシャの神々や、しゃべる動物や、宇宙人などを登場させながら、そこにいる人間達を描いてきた。年々、舞台上の照明は暗くなり、俳優の声は小さくなるが、そのかそけき明かりも音もしっかりと放たれ続けている。
作・演出の山本正典に話を聞くと、明るい笑顔で「“弱い”ではあるけど、“弱いい”なのかな?」と、弱さと強さについて語ってくれた。
人間を描きたいから「宇宙人」が登場する
── コトリ会議は2007年結成ですね。もともと演劇を作りたいわけではなかったんですよね?
山本 演劇を観たこともなかったんですが、大学の時に友達と「なんかやりたいね」とたまたま演劇の稽古場見学にいったら、その場で入団することになり……いつの間にか舞台に立っていました(笑)そんななかすごく影響を受けたのが、作家の鈴江俊郎さん。鈴江さんの作品に出演させて頂いた時に、僕は「きちんと活躍できてるな」と思っていたんですけど、鈴江さんから「お前は何も一生懸命じゃない」「余裕があるのが気に食わない」と言われて。稽古中にいきなり鈴江さんが「上から岩が落ちてくる」と言い出したんですよ。「死にたくないなら受け止めるよな?」と言うので、台詞を言いながらとにかく必死に岩を受け止めるという演技をしていたら「よしそれだ!」と。わけがわからなかったんですけど、その後にいろんな作品に出てみてもあの時ほどの充実感は得られないなと思うようになっちゃったんです。だから今でも、僕は役者に「台詞をうまく喋らなくていい、ただ一生懸命やってくれれば」と求めるようになっていますね。
── 山本さんに戯曲を書くことをすすめたのも鈴江さんなんですよね。
山本 そうなんです。後で聞いたら、誰にでもすすめてたらしいんですけど(笑)僕は「じゃあ書いてみよう!役者の修行になるし」とやる気になって書き始めました。
── 最初の頃に書かれていたものはどんな作品だったんですか?
山本 今みたいに宇宙人は出てこなかったですが、巨人や恐竜や神様が出てきたり、 鳥や犬や猫が喋ったりはしていました。人間以外の存在が出てくるのは、苦肉の策なんです(笑)僕の文体は、日常会話を繰り返していてもそんなに面白くならない。僕自身は、日常会話から普遍的な人間の本質や問題を浮き彫りにする作家さんにすごく憧れているんですけど、そこまでたどり着けなくて……。じゃあどうしたら登場人物の面白さを浮かび上がらせられるかなと考えて、日常の中に日常ではない異物を放り込むことで、登場人物たちの本質のようなものを浮き彫りにしようとしています。
── 5~6年前から宇宙人がよく登場するようになりますね。劇団を14年続けてきて、なにか変化などあったんでしょうか?
山本 駆け抜けてきたので、劇団も作風もあまり変わってない気はするんです。ただ、宇宙人がよく登場するようになったのは、便利だから(笑)宇宙人と聞いただけで、人間より高度な文明がこの世に存在することがわかり、僕たちはちっぽけなんだと思い知らせてくれる。
── 宇宙人は出てきますが、基本的には家族やバイト先の人など身近な存在が描かれていますよね。
山本 やっぱり等身大の人を描きたい。自分と同じ人間なのに、自分とは明らかに違う価値観を持っていることが浮き彫りになる時に「同じ人間なのになんでこんなに違うんだろう?」とハッとする瞬間が見たいんです。
コトリ会議「あたたたかな北上」(2016)
劇場の暗がりからうまれる『おみかんの明かり』の正体は……
── 次の『おみかんの明かり』は、真夜中の山奥で、ひとりの女性が湖のほとりにおみかんサイズの明かりを見つける……という話だそうですね。
山本 そのつもりですが、ちょっと書き換えるかもしれないです。すでに何作品も生まれては消えてを繰り返しているので……。そもそも僕は、本番中でも脚本を書き換えるんですよ。上演を重ねるうちに僕の人生も進んでいくので、「書いた時はこう思ったけど、今の自分は違う」と思うと書き換えずにはいられない。その時々に僕が感じていることや考えてることが反映されるますし、お客様と作品を共有していると客観的になって気づかされされることはありますね。
── タイトルの『おみかんの明かり』はどうやって決まったんですか?
山本 最初はただシンプルに「この劇場空間で見たいものはなんだろう?」を思い浮かべた時に、小さなぽつっとしたサス(ステージ上から照らす照明)が、手のひらに乗るおみかんぐらいの大きさで舞台の中央についていたらそれだけで僕は10分でも20分でも見ていられるなと思い、タイトルを決めたんです。シアターイーストは憧れの劇場だったので、見学した時にすっと降りてくるイメージをすごく大事にしました。
でも考えてみると、おみかんみたいな明かりひとつがついている状況って日常にはない。じゃあ人間には到底計り知ることのできない宇宙の遺物のようなものがあって、宇宙の秘密みたいなものを司っている設定にしようとしたんですけど、お客様にどうお伝えすればいいかすごく悩んで何作品も生まれては消えました。最近になってやっと、おみかんの明かりというのはきっと僕にもわからないんだろうなと割り切れるようになりました(笑)。
── 明かり、というのは山本さんは強く意識されているのでしょうか? コトリ会議の作品はいつも舞台上が暗く、俳優の声も大きくはないので、暗がりのなかで光や音が空間を揺らすような印象を受けることがあります。
山本 意識しているのとは少し違いますが、僕は、何もない劇場の暗がりがすごく好きなんです。怖いもの見たさというか、「何もないひと隅に何かが蠢いているんじゃないか?」とハッとさせられる瞬間に惹かれる。「お化けのようなものがいるんじゃないか?きっといるだろう!」とワクワクします。自分の作品だとそう思える瞬間はあまりないけど、憧れているので、いつもすごく暗い明かりになってしまう。そしてお客様に「役者さんの顔が見えないじゃないか」というご意見をいただいたりしています(笑)。
── 宇宙や劇場のすみの暗がりが好きなのは、想像力や好奇心への刺激に惹かれていたりするんでしょうか?
山本 刺激はありますね!演劇は映画と違って、その場で空間を共有することで言葉で表せないような五感への刺激を楽しんでいるところがあるので、好きなんです。もちろん単純に、汗も涙も涎も流しながら一生懸命頑張っている役者さんを観るとすごく嬉しいから、演劇が好きだというのもあります。そこにその人が立っていて、その人と共有していることが演劇のダイナミズムだし、奇跡みたいな感覚ですね。
コトリ会議稽古場風景
みんな、誰かにとって“強い”し“弱い”という繋がりで作品ができている
── 今回、芸劇eyesで“弱いい派”に参加することについてはどういう思いでしょう?
山本 “弱い”とか“弱いい”ってなんだろう?と考えてみたんですけど、「弱いからいい」とか「弱くていい」というのはちょっと嫌だなと。別の言葉に直したいんです。それは徳永さんも狙っている所だと思っているので。
ただ、ある日ふと「去年のコロナ禍では東京公演が中止になってしまったのに、今回、劇場を提供していただけるのは幸せだな。やりたいことをやるのがいいよな」と思ったので、“弱いい派”はあまり意識しない作品になるかもしれないですし、それでいいとも思っています。
── コトリ会議さんの作品そのものに“弱さ”というものが関連していると思いますか?
山本 僕は日常生活のなかで、弱いか強いかと言われたら「どっちかというと弱いな、自分」と思うことが結構あるんです。そう思うことで自分を納得させたり、逃げたりして、楽をしているところもある。「自分って弱いな」と思うことは、自分が誰かに圧力をかけてしまっていることに想像力が至らなくなる。人は被害者でもあり加害者でもあるはずなのに、自分が被害者であることの方を簡単に想像できてしまうと思うんです。言ってしまえば、みんな弱い。そんなところから作品を作っているとは思います。とくに僕の作品の登場人物たちはみんなへなちょこなところがあるので。弱い、とはちょっと違うけど。
『セミの空の空』という作品で、人間に蝉(セミ)が取り憑いた異形体が出てきて「蝉も人間の上位個体だ」と言うんですが、その蝉もさらに上がいることを知っている。どっちが強いとか弱いとかではなく、みんなが誰かにとっては強いし弱い、という繋がりで作品ができているなと思います。
取材・文:河野桃子