【特集『もしもし、こちら弱いい派 ─かそけき声を聴くために─』】
いいへんじ『薬をもらいにいく薬(序章)』中島梓織インタビュー
特集
2021.07.21
『もしもし、こちら弱いい派 ─かそけき声を聴くために─』特集
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■「強い」「速い」「大きい」「合理的」という価値感から遠く離れて、
要注目の才能達は、弱さの肯定から世界を見つめる(徳永京子)
■いいへんじ 中島梓織インタビュー
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いいへんじ『あなたのくつをはく』(2019)
書かざるをえない。その時に抱えるモヤモヤを言葉にし「それってこういうこと?」「ううん、こういうことなんだけど」と繰り返していくようすは、切実でありながら、どこか可笑しく、可愛らしい。その作風のように稽古場でも、時間をかけてたくさんの対話がおこなわれるという。
2016年11月に結成、2017年6月に旗揚げ。2018年に“弱いい派”と言われるようになった。現在4人のメンバーは、正社員であったり、大学生であったりと、それぞれの生活をしながら『演劇を続けていくこと』を目標に対話を重ねる。今回のショーケースでは『薬をもらいにいく薬(序章)』とし、『薬をもらいにいく薬』という作品の(序章)にあたる部分を上演する。その意図などを、作・演出の中島梓織に聞いた。
答えは出せないかもしれない。それでも、“弱いい派”と呼ばれることへの応答について考える。
今ここにあるモヤモヤの正体を明かすために、演劇をつくる
── 演劇を始めたのは高校の部活だそうですね。どんな出会いでしたか?
中島 「これは何だ!」と衝撃でした。小・中とバスケ部でどちらかというと体育会系だったんですが、自分の中のモヤモヤをこんなふうに形にできる方法があるんだ、と。自分が一人で考えて書いたものを材料に、みんなでああだこうだと話しながら調理する。「あ、こういう人生のほうがいいな」って思ったんですよね(笑)
大学では劇作と演出がやれる小さい団体を作りたくて、1年生の時に演劇サークル同期の松浦みるに「俳優として所属しない?」と声をかけました。2年生で旗揚げをして、早稲田小劇場どらま館で公演したり、シアターグリーン学生芸術祭に出たり、下北ウェーブ2018に選出していただいたりしました。
── 2~3か月に一作の上演ペースでした。その頃ですね、“弱いい派”といわれるようになったのは。
中島 下北ウェーブで上演した『つまり』が作品としてのひとつの転機で、日記みたいに自分のことを赤裸々に書いたんです。自分の周りの人のことも書くことになるので、それは良いパワーにもなったし、時に暴力にもなるなと気づきました。それから自分が見えている世界を演劇作品として他人にどう見せるかを改めて考えて、3か月後に『夏眠』と『過眠』という作品を上演しました。死んじゃった男の子と死なせたくない女の子が出てくる話で、それを観た徳永さんに「いいへんじも“弱いい派”に加わった」と言っていただいたのが最初でしたね。
── 題材としてはずっと自分が見ている世界を描こうとしているんですね。
中島 今モヤモヤしていることの正体を明かすために書かざるをえない、という感覚が大きいです。私は忘れっぽいので、1年前の自分を思い出せないことに漠然とした恐怖感があって。二十歳の時にはこんなに小さなことで悩んでいたのに、歳を取るにつれて社会に順応して平気になってしまうことを、きっと二十歳の自分は嫌だと思うだろう。だから二十歳のうちに二十歳のことは書いて残しておきたいんです。
── 最近では半年に1本ほどに上演ペースを落として一作に時間をかけていますが、演劇に対してなにか変化があったんでしょうか?
中島 私たちの最大の目標は、演劇で食べていくことというわけではなくて、演劇を続けていくことなんです。そのためには心も体も健康じゃないといけない。生活の延長線上に演劇があればいいなと、稽古のペースはゆっくりにしています。今の作品も半年くらい時間をかけています。
いいへんじ『健康観察』(2019)
「序章」を上演するのは、演劇のなかでがいちばん長くて、一番だいじだから
── 『薬をもらいにいく薬(序章)』はどんな作品ですか?
中島 不安障害を抱えている女の子が、旅から帰ってくる恋人を迎えに行きたいけど、「発作が起こったらどうしよう」と不安になってしまって外に出られない、という話です。不安障害の薬をもらうために外に出るための薬が、無いんですね。私も2018年に不安障害の診断を受けているんですが、調子が悪いときは、「どうせわたしは不安障害なんだし」って、自分の欲望を無いことにして、殻に閉じこもっちゃいがちなんですね。
でも冷静になって考えてみれば、それは本人だけの責任じゃなくて、そうさせている環境や社会があるはず。自分を閉じ込めることなく、当事者ではない人と一緒に「外に出るためにはどうしよう?」と対話をするにはどうしたらいいのかな、と考えながら作っています。
── タイトルに(序章)とあります。長編作品の最初30~40分だそうですが、なぜ冒頭だけの上演なんでしょう?
中島 理由は3つあって……まず、去年作った『器』という作品と対にしたかったんです。『器』は、私が最初に不安障害と診断されたときに併発していたうつ病を擬人化した「死にたみ」という存在との対話を劇にしました。ただ、今はうつ病のほうは寛解して、不安障害の治療だけを続けているので、正直、「死にたみ」との衝撃の出会いみたいなものは過去のものになってしまったんですね。なので今回は「死にたみ」がもはや日常になってしまったことについて書こうかなと。『器』は90分くらいの作品で夜のシーンが多かったので、同じくらいの長さで昼を描きたいなと思ったんです。
2つめの理由は、芸劇eyesで初めていいへんじを観てくださる方が多いと思うので、ショーケース用に短編を作るより、自己紹介的にふだんやっていることを上演しようと思いました。
3つめは、40分だと”弱さ”について語りきれない。もともと私たちの作品の特徴として(序章)にあたる部分が長いんです。スタート地点でずっと同じところでぐるぐると足踏みしている状況を大事に描いているので、じゃあそこを観ていただこう!と思いました。
── なぜ(序章)にあたる部分に時間がかかるんですか?
中島 私がよく書くのは、一人で「嫌だな」「つらいな」と抱えているモヤモヤを他人に説明しなきゃいけない、というシチュエーションなんです。相手も対話を放棄せずに「じゃあ一緒に解明しようか」とちゃんと耳を傾ける。そういう時間をすごく大事にしています。世の中ではそういう時間がどんどん省略されてしまうから、せめて自分の演劇の中でくらいはカットしたくない。たとえば不安障害であれば、外に出られない人がやっと出られる瞬間よりも、出られるようになるまでの心の変化がドラマチックだなと思うんです。そこを描こうとすると、どうしても時間がかかりますね。
いいへんじ稽古場風景
“弱いい派”と呼ばれることへの戸惑いと、応答
── 今回、『もしもし、こちら弱いい派』のショーケースであることは、作品作りに影響していますか?
中島 “弱いい派”の企画だということは大きいですね。もし「この劇場を使って自由にやっていいよ」と言われていたら、関係ないことをやっていた気がします。基本的には、積極的に自分たちの作風を言語化しないようにしているんです。たぶん変わっていくものだから。それでも、今回の企画に関しては、わたしたちなりに“弱いい派”と言われていることについて考えていくことになると思います。
── “弱いい派”と言われることは、どう感じていますか?
中島 どう振る舞ったらいいかという迷いはあります。「“弱いい派”にいいへんじも加わった」と言われた時に、贅沢貧乏やゆうめいやウンゲツィーファの並びに入るんだ!と驚いたんですよ。みなさんの作品がすごく好きだったからうれしくて。ただ、「私たちって“弱いい派”なんだ。“弱い”って何だろうね」と思いながら、ここまできました。
たしかにスタートラインで足踏みしちゃうことや、「そんなこと気にしなくていいよ」と言われることにこだわることは、相対的に“弱い”とされることかもしれないです。そういう状態を肯定したいという意味では“弱いい派”かもしれません。
でも、社会的に弱い立場であることをいいとは思っていないです。たとえば自分は女性で、精神障害を持っていて、非正規雇用だけど、それを社会的に弱さとされることには緩やかに抵抗していきたい。弱くていいというよりは、そもそもそれは”弱さ”ではないんじゃないか?と思うんです。その人が抱えているものと、社会的な影響は、分けて考えないといけない。考えたいのは、そこにいる人間をフィルターを通して見ずに存在を認めるということです。メンタルヘルスについて扱うにしても、それはあくまでただの題材で、そこに人間はいますぜ、ということを大事にしたいです。
── だからこそ「序章」が大事なんですね。日常生活でも、そこにいる人間をひとりの人としてとらえるためには、相手を知ろうとする丁寧な対話の積み重ねが必要になりますし。
中島 ほんとにそうですね。不安障害にしても作品の中の特異な設定ではなく、一人の人間の背景のひとつでしかない。その人が思っていることや考えていることが大事で、それに耳を傾ける人間にも背景があるということを描こうとすると、すごく時間がかかります。
── 中島さんにとって、演劇を作ることは、そこにいる人に真剣に向き合うという行為に近い、という印象です。
中島 劇作家としての自分はとくにそうですね。演劇はすごく遅いメディアだから、人に真剣に向き合って対話をするには、演劇が一番しっくりくる気がしていて。そうしてじっくりと対話していく戯曲を、演出家としての自分が客観的に面白がりながら作品にしていく感覚です。真剣に話し合ったり、喧嘩している人達のことを「可愛いな」とか「面白いな」とか見ているのも演劇だから。特に今回は、本人たちはめちゃくちゃ真剣なんだけど笑っちゃう、みたいな作品になると思います。
取材・文:河野桃子