範宙遊泳『われらの血がしょうたい』山本卓卓インタビュー
インタビュー
2015.12.3
【撮影:斉藤翔平】
人間の引き算をしていって、最後に何が残るのか確かめたい。
やまもとすぐる――山梨県出身。現実と物語の境界をみつめ、その行き来によりそれらの所在位置を問い直す。
生と死、感覚と言葉、集団社会、家族、など物語のクリエイションはその都度興味を持った対象からスタートし、より遠くを目指し普遍的な「問い」へアクセスしてゆく。2012年には、一人の俳優に焦点を当て、生い立ちから掘り下げて作品化するソロプロジェクト「ドキュントメント」を始動。近年は文字・映像・影など2次元の要素と、3次元の俳優を組み合わせた演出が2.5次元演劇と評判を呼び、国内にとどまらず、海外公演も積極的に行っている。『幼女X』でBangkok Theatre Festival 2014 Best Original Script(最優秀脚本賞)とBest Play(最優秀作品賞)を受賞。『うまれてないからまだしねない』で第59回岸田國士戯曲賞最終候補ノミネート。公益財団法人セゾン文化財団2015年度ジュニアフェロー。
複数の異なるベクトルを
同じ舞台上に存在させたい
── 7月の終わりに雑誌のロングインタビュー(音楽と人「BEST STAGE」10月号)をさせていただいた時、そのコーナーに登場した人が自筆で書く「演劇があなたに及ぼした大きな影響」という質問に「やっぱり目の前にいる人には血が流れている」と書いていらっしゃいましたよね。
「ああ、書きましたね」
── あれは今回の『われらの血がしょうたい』のテーマと繋がっていると思うんですが、間違いないですか。
「間違いないです」
── ということは、短くない時間をかけて山本さんの中で温めてきたもの、ずっと気になっていたことをいよいよ形にする。
「そうです」
── その「やっぱり目の前にいる人には血が流れている」という言葉をもう少しほぐしていただくと……。
「以前から人間の引き算みたいなことに興味があって。引き算というのは、例えば、人間ー(ひく)声、人間ー(ひく)肉体、人間ー(ひく)情報とか。稽古場では分解や分離とも呼んだりもしていますけど、そういうことにすごく興味があるんです。いろんなものを引いていって、最後に何が残るか確かめたい」
── 引き算するというのはつまり、何が人間を人間足らしめているのか、ということですよね。人間の定義の問い直しというか。
「そうです。それを考えたいんですね。僕にもわかっていないし、まだ答えが出ていないから」
── ずっとあったその興味を、このタイミングで作品にしようと思ったのには何か理由があるのでしょうか?
「引っ越したからかもしれません、可視化されたきっかけとしては。妻のおばあちゃんがひとりで暮らしていたマンションに、おばあちゃんが亡くなって僕らが住むことになったんです。最初はそれにすごく違和感を感じたんですよね。なんで俺はここにいるのか、いていいのかと。だってその家の中にはたくさんの思い出が詰まっていて、妻や妻の家族は関係があるけど、僕には一切ないわけで。そういうところから、家やマンション、土地とか区画についていろいろ考えるようになっていったんです。
マンションを買うって、空中を買っている感じが僕は拭えなくて。家を買うって本来は、土地を買う、地面を買うことじゃないですか。ある区画からある区画までは俺のものと。でもマンションは、ここ(宙)の一部を買うことなんじゃないかなと思ったんですね。で、僕が住むことになったマンションは図書館も入っていたりして、その中だけで結構、事足りる。それと、いろんな人が住んでいるんだけど、お互いにあまり顔はわからない。これはもう、インターネットじゃないかと思ったんです。
あと、血流ですね。例えば家を血管のようなものだと考えて、そこに血球達が通過して、それが生きていくことにつながるみたいな」
── それが実際の作品に反映されると、どんなストーリーに?
「ある人が行方不明になって、その人はどうやら海の彼方に消えたらしいんだけれども、後日、情報となって現れるという展開です。情報にもいろいろありますけど、この話でその人は、家に設置された家電製品の人工知能のような形で現れます。しかもそれはSiriみたいに世界中に分散される機能で、だからそれを使っている人は誰も、自分がひとりの行方不明になった人と接しているとは気付かない。そして家に付属しているから、それを使う人達は次々と引っ越していくんです。そうすると、かつて人だった人工知能に、前に住んでいたのはこういう人だったという歴史が積み上がっていく……。その先は観ていただければ」
── 空間が固定されていて、肉体を持った人間はそこを横移動で出入りする。人工知能の記憶は縦に積み重なっていく。人工知能のデータは三次元的に広がっていく。種類の違ういくつかの運動がひとつの舞台上にある、そんなイメージですか?
「はい、いろんなベクトルを同時に存在させます。で、人間のベクトルはこっちだけど、人工知能のベクトルはあっちで、なぜかお客さんのベクトルが人工知能と同じなってしまったりするとおもしろいと考えています」
── 主人公は、見えない人工知能だと言っていいですか?
「どうなんでしょうね(笑)。目指しているところはそこではあります」
── タイトルからは何となく、もう少し人間と人間の話をイメージしていました。
「そうではないです。そこはちょっとこの作品をつくりながら、演劇はずっと人間を描いてきたのに、俺はそれを描いていないなということに気付いてしまって、ショックを受けた点ですけど。でももしかしたら、かなり人間味のある人工知能かもしれません」
── 最初に確認した「やっぱり目の前にいる人には血が流れている」という言葉にもタイトルにも「血」が入っていますが、血の意味するところは?
「血はDNA、情報と捉えています。土地は歴史で、歴史は情報で、情報は血だと。だからめちゃめちゃ意味があります」
── 血が情報だとすると、人工知能の血は混じりますよね。先ほどの話になぞらえれば、今の住人Aと、前の住人B、その前の住民C、その前提には自分が肉体を持って生きていた頃の経験がありますけど、それらが混じって使い勝手が向上される。人工知能のアップデートは“私”という単体が増えていくイメージですね。
「そうです、私の複数化です」
「肉体は死してびっしり書庫に夏」
のポジティブさ
── それは明るいことだと捉えていいのでしょうか?
「僕はすごく明るいイメージで書いています。要するに、肉体の生命とSNS上の生命という考え方があると思ったんですよ。ほら、肉体は死んでもSNSのアカウントは残るじゃないですか、操作して消さない限り。もはや僕らは自分というものが複数ある状況に晒されて生きているわけだから、それを踏まえて明るいことを語る方が、僕はいいと思うんですよ。最初からそれを暗いと言って閉じるんじゃなくて、引き受ける。引き受けて、じゃあどうすりゃいいんだっていうことを考えたい。何て言うか、光を目指して赤ちゃんは生まれてくることを信じたい」
── FBでつながっていると、本人は亡くなったのに誕生日のお知らせが来る現象があって、それを、奇妙だとかグロテスクだとか怖いと受け取る人もいますよね。でも山本さんは、そうは捉えない。
「“肉体は死してびっしり書庫に夏”という寺山修司の俳句があるんですけど、そういうことなんじゃないかな。死んでも書棚にあるよ、僕はっていう、あのポジティブさなんだと思います。死んだってネット上で僕は生き続けているよ、という。でもそれは、何も残したくないという人には悲劇なのか…」
── 死んだあとをどう捉えているかにもよるんでしょうけど。
「死後の世界とよく言いますけど、天国とか地獄という発想は、つまり死んだあとの自分の魂のいる場所を考えて生まれたはずで、人間は基本的にみんな、永遠に生き続けたいと思っているんですよ、肉体は滅んでも。そういう意味で言えば死んだ人は、もし天国があるとすれば、限りなくそこに溜まっていく、今も溜まり続けているんですよ」
【『幼女X』撮影|加藤和也(FAIFAI)】
── ちなみに、輪廻転生は信じていますか?
「全く信じていないんですけど、僕、たぶんあります、前世の記憶が。子供の頃にどこかに家族旅行に行って、ある道路を通った時に、デジャブじゃなくてはっきり“あ、俺はこの道を知っている”と思ったんです。ここを曲がればあれがあって、こっちには何があるというのがわかった瞬間がありました。母親に、俺は絶対ここに来たことがあると言ったんですけど、軽くあしらわれて。でも考えてみたら、遺伝子も自分の複数化ですよね。僕というものを辿っていくと脈々と人がいて、だから僕は複製で、誰かの複数化のひとりなんです」
── このところの山本さんの作品は、9月に再演された『幼女Xの人生で一番楽しい数時間』に代表されるように、かなり明確に“この社会のどうしようもなさ”を扱っていらっしゃいました。『楽しい時間』は特に、「楽しいと言わなければやっていられない」とか「これを楽しいと言わなければならない不幸」という逆説的な意味もあったと思います。とすると、かなり気分が変わってきた?
「引き受けてやる、ということですね。確かに積極的にではないです、しょうがないけど、でもこの時代を引き受けていこうという気持ちになっています。これまで自分は、社会とのフィットしなさをずっと感じて生きてきたけれども、そんなことも言っていられないと思うようになったんです。錯覚でもいいからフィットしていると思い込んで、引き受けてものを書くしかないと思ったってことですかね。まぁ、自分に対して“ぐちぐち言ってんじゃねぇ、この愚図め!”みたいな」
── それはご自分の中から自然と出てきた変化ですか?
「はい。年齢のことが大きいのかな。今年28歳になったんです。ちょっとびっくりしましたよ、“俺、28歳になってる!”って。ずっと20歳のつもりだったのに(笑)」
── 想像するに、1度、暗さの底を打ったのかもしれませんね。
「ああ、それは僕、この間の『楽しい時間』で行き切った感じはしました」
── で、浮上して来た。あの話は、海と人間の男性の結婚披露宴での出来事でしたけど、山本さんも海に深く沈んで、肺がからっぽになったから酸素を求めて自然と体が海上を目指して浮かんで来た感じですか?
「そうです。1度死んだんです、僕は」
── 有名なフリーダイバーのギョーム・ネリーという人がダイビング競技中、肺や血液から酸素がなくなっていく極限状態の中で見た幻覚を再現した映像がネット上で公開されていて、それがなかなかすごいんです。目が光る変な生き物が出てきたり、それこそ海底で結婚式が行なわれていたり、突拍子もないイメージの羅列で……。何が言いたいかというと、断続的でダークなイメージが『楽しい時間』と重なると思ったんです。
「繋がりますね。『楽しい時間』(でやったこと)は、まさに死ぬ時に見るビジョンです」
── でもまた潜りますよね。きっと、ずっと浮かんだままではない(笑)。
「何回も行き来するんでしょうねぇ(笑)」
役者を、役者’に広げていく
── 『われらの〜』の具体的な話に戻りますが、先ほど見せていただいた稽古では、壁に映す映像の画額を合わせたり、デジタルな作業をコツコツとやってらっしゃいましたね。
「今日だけじゃなく、デジタル稽古はかなり長くやっています。今回は舞台上で役者にパソコンを使ってもらうので、全員にレクチャーするところから始めました。というのは役者の領域を、今までとは違うかもしれないところまで広げたいんですね。いわゆる役者としての出番は少ないかもしれないけどやってもらうことがあって。もしかしたらそれは“役者プラス何か”みたいなもので“役者’(やくしゃダッシュ)”みたいな存在になることなのかもしれませんけど」
── 俳優がパソコン操作することの必然性や効果は、観客には伝わりますか?
「はずだと思っていますけどね。要するに、インターネットの話を目の前でしているのに、パソコンの前に座っている人がそこにいなかったらおかしいじゃないかと思ったんです。むしろお客さんに“人工知能だ情報だと言っているけど、お前らアナログにやってんじゃん”と思ってもらえるのは、僕はいい効果だと思っています」
── 俳優の領域をそうやって広げることは、今後も続けていかれますか?
「と思います。というのは、オフィスみたいにしたいんですよ、自分の職場を。職場というか、範宙遊泳を、稽古場を」
── では、山本さんの理想の稽古場を教えてください。
「沈黙が許される現場ということですね。沈黙していたとしても、メンバーそれぞれがそれぞれで考えていて、止まる時間がない。演出家と俳優の関係って、結局、演出家が止まったら俳優も止まるじゃないですか。僕はそれはさせたくないと思っていて。で、それをやろうとすると、俳優が止まらないための演出を演出家が考えることが必要になって、僕からするとそれは本末転倒なんです。だから僕は最初に“僕のつくりやすいようにつくらせてもらいます、すいません”と役者に言うんです」
── 今のところそれは上手くいっていますか?
「上手くいくのがどういうことかがよくわからないですけど、僕の理想型に近づいているとは感じています」
── 映像の使い方が今まで変わりそうですが、美術のたかくらかずきさんが稽古場にいらしたことと関係がありますか?
「毎日来てくれるわけではないんですけど、たかくらちゃんとは今回、がっつり組もうという話を最初にして、とにかく稽古場にたくさん来てほしいと言いました。彼も、創作のモードに入るとこもりがちなんですが、稽古場でそれが出来るようにしてくれないかと頼んで。特に人工知能のことではドラマトゥルクな役割も果たしてくれていて、いろいろ話をしています」
── ところで、人工知能になる人が海の彼方に消えたという設定は、『楽しい時間』と繋がっているのでしょうか?
「イメージは繋がっていますね。ある登場人物が『幼女X』に出てくる人物と同じ名前だったりとか、そういう連鎖は自然と出てくるみたいです」
── それは、別の作品で明るく生き直してほしいとか、あるいは、前の作品を弔うみたいな意識ですか?
「それもあると思います。戯曲を書き終わると、そこにいた人の人生も終わってしまうのは可哀想というか。もうちょっと引き延ばしてあげたい、点を線にしたいという気持ちがどこかにあるんだと思います」
── それにしても興味深いのは、山本さんが生まれ育った山梨県は海がないのに、そこまで海に引っ張られることです。もちろん、東日本大震災が更新した海のイメージが大きいのでしょうが。
「そうですね。それだけではない気がします。……なんでだろう?」
── それこそ前世で、海の近くに住んでいたとか(笑)。
「ふふふ、そうかもしれないです。確か海沿いだった気がする、あの旅行は」
取材・文:徳永京子
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