KAATキッズ・プログラム2019『二分間の冒険』山本卓卓 インタビュー
インタビュー
2019.08.14
年々注目度が上昇しているKAATのキッズ・プログラム。キッズと冠が付いてはいるが、演劇好きの大人が観ても、また、ふだん演劇に馴染みのない人が観ても、新鮮な発見や意外な興奮を得られると、クチコミで人気が高まっている。その理由は、集結した気鋭のクリエイターが、子供という通常の観客とはまったく違う相手に向き合うことで、普段とは異なるアイデアや表現を探っていくからだろう。これまでイキウメの前川知大、チェルフィッチュの岡田利規らが素晴らしい作品をつくってきたこのシリーズで、今年、白羽の矢が立ったのは範宙遊泳の山本卓卓。長年に渡って子供に人気のファンタジー小説をどう料理するのか聞いた。
── 『二分間の冒険』は、KAATから「この作品を」という指定で山本さんのところにオファーが来たのでしょうか?
山本 そうです。映像を使ってこの作品を舞台化できないかと。「映像と言えば」というところで(壁に映した文字や画像を俳優と有機的に絡める演出で注目を集めた自分が)、候補に入ったんだと思います
── それに対して山本さんはすぐにイエスだったのか、それとも、ある程度慎重に考えてのイエスだったのか、どちらでしょう?
山本 それはもう二つ返事です。KAATには何回もお世話になっていますけど、KAATの人達が考えていることならぜひという感じで。
── 原作の『二分間の冒険』、山本さんはご存知でした?
山本 全然、知らなかったです。読んでみて、演劇化が難しいとは思いませんでしたけど、それなりに長い話なので、この長さをどうやって演劇的に見せていけばいいのかを考えました。心理描写がすごく多いんですよ。
── 対象は小学校高学年だと思いますが、児童文学の中でもボリューミーな作品ですね。
山本 登場人物の心理描写を詳細に描こうとしているところには共感を持ちました。僕、絵本は結構、読んでいるんですけど、児童文学はまったく読んで来なかった人間で、なぜか児童文学は登場人物の気持ちを省略して話が進むような先入観があったんです(笑)。でもこの本は、その時々の心理描写とか、恋愛模様とかがわりと詳細に書いてあって新鮮でした。逆に、子供が読んだらどう感じるんだろうとは思いましたが。
── どれくらいの年齢の子供に観に来てほしいといった話はKAATの方とされましたか?
山本 高学年以降だろうね、という話はしました、主人公が小6ですし。それより下の子達は、お母さんやお父さんと来て「あれはどういうことなんだろう?」と会話をしてくれるのが理想的だとみんなで話しています。もちろん、普通の大人のお客さんにもたくさん来てほしい。というのは、子供に合わせてつくっている気持ちは全くないんです。今回、出演者の中に小6、小6、中3と本当の子供がいるんですけど、彼らを全く子供扱いしていませんし。
── 演出のボキャブラリーも変えていないということですか?
山本 そうです。もちろん彼らを大人だとは思っていませんけど、人間として接している感覚で、言葉遣いや話題を変に柔らかくしてはいません。それは最初に決めたんですよね、「じゃあ、◯◯ちゃん、ここはこうしてね」という言い方は絶対にやめようと。それは僕自身が子供の頃、大人からそういう接し方をされるとすごく嫌だったからなんですけど。この間はデカルトの話をしたし、マルクス兄弟の話題も出しました。彼らには「わかんなくてもいいから、とりあえず僕はポンポン投げるね」と言ってあるんです。LINEのグループをみんなで共有していて、僕がおもしろいと思っているもの、今回の作品で彼らのヒントになりそうなものを書いて送っています。カフカの『変身』とか聞いたこともないでしょうけど「興味があったらググッてみて」と。
── 子供向けの演劇は、主人公が子供でも大人の俳優が演じるケースがほとんどだと思いますが、山本さんは今回どういう意図でそのキャスティングを?
山本 まず、原作を読んだ時に、これを大人でやるのは寒いと思った。ほとんど直感的なものですけど、大人が子供を演じてます、みたいなことは、この作品ではすごく気持ち悪いなと思いました。
── 大人が演じるには、小6という年齢は微妙かもしれませんね。
山本 はい。でも本当の子供だけで固めるのも何か違うなと感じたんです。それは、この作品の中で「老い」が扱われているから。「偽物の老いと本物の老い」みたいなテーマを描く時に、全員小6ではやはり無理がある。それで、老人的に見える人を入れようと決め、でも老人と小6だけでも偏りがあると感じて、20代前半や30代の人達を散りばめて決めていきました。
── ストーリーは、小6の男の子が、日常の裂け目のような場所にハマって不思議な世界に迷い込み、恋を知り、その世界の理不尽と戦い、成長し、最終的には大事なものを見つけて元の世界に戻ってくるという、冒険譚としては王道の流れです。原作を読んで私が感じたのは、ある意味とても整ったこの話を山本さんがそのままやることはないだろう……ということです。どういう作戦を立てていますか?
山本 原作が書かれたのは、確か80年代なんですが、今回は現代の社会を反映させたいと考えていて、2010年代の感覚で書き換えています。単純に年代で分けていると思われるのは本意ではないんですが、書かれた当時の性差の描かれ方がどうしても僕には合わなかった。男女の関係がステレオタイプで、男の子がひとりで頑張って全部の問題を解決する、みたいな話に読めるところがあるんですよね。そう感じない人もいるんでしょうけど、僕にはそう読めて、そういうふうにしたくないと思ったので。
── ジェンダー問題は、山本さんが範宙遊泳の作品で意識的かつ繊細に扱おうとしているトピックのひとつですよね。
山本 そうです。だからそのあたりはだいぶ原作と違うと思います。恋愛のパートに関してはほとんど原作を引用していますけど、ジェンダー観に関しては僕の考え方が乗っていますね。
── 男女の役割もそうですが、現代と比べた時に老人の描かれ方に違和感がありました。
山本 この作品の中で老いがかなりネガティブなものだというのは、僕も思いました。そこも僕の哲学とは違っていて、幻想だとしても、人は歳を取るほど良くなると信じたいんですよね。だからこそ、本当に年を重ねた人を舞台に出して、生き様の彫刻みたいな姿を観てほしくてキャストを考えたんです。
── お話を伺っていると、かなりオリジナリティのある『二分間の冒険』になりそうですね。
山本 まあ、2010年代に書き換えていますから、その時点でかなり違うと思います。実は携帯電話という強烈な話題を出すんですけど、これはかなり話を現代にしますよね。ただそれは、単純に舞台を現代にするためというより、僕なりの考えがあって出すもので、子供はただ笑うだけかもしれませんけど、大人だったらあるシーンを見てわかってくれる人がいるんじゃないかと思っています。
── 最初に、長さをどうするかというお話がありましたが、その点については?
山本 まず、演劇界には“説明ぜりふアレルギー”みたいなものが今もあると思うんですけど、この作品を説明ぜりふ抜きでつくろうとすると、全く前に進めないんです。それで考えたのは、ここにある説明ぜりふをいかに豊かにおもしろく、観客に見せることができるかで。
── 説明ぜりふを豊かにおもしろくというと?
山本 極力、言葉を削ぎ落として、シンプルに説明するということです。例えば、小説に青についての描写があるとして、それを言わないのではなく、ただ「青」と言う。シェイクスピアの場合は「月がどうで星がどうで、なんてさみしげな青なんだろう」とか──今の例はダサいですけど(笑)長く説明しますよね。でも切り取りに姿勢があれば、詩が乗っていれば、僕は美しいと思うんですよね。そういう言葉なら観客が自由にイメージを肉付けしてくれて、その行為自体に詩があるような気が僕にはするんです。
── もう少し、詩という言葉について説明していただけますか?
山本 そうですね……。例えば今回の話では、かなり時間の省略をします。その時間の省略も、均等に時間をかいつまんでいくのではなくて、時間の進み方が急に早くゆっくりになったりする。その時に僕は、短くした箇所に五七七な意味合いを込めているつもりではあるんです。伝わりますか?
── 舞台上における五七七というのは、照明や美術や映像に変換することとは違いますか?
山本 今は、映像と俳優の体の共存の中で省略を見せる方向で考えています。それによってお客さんに、ちゃんと体験した感覚を持ってもらうことが大事かなと。と同時に、僕はこれまで、あまり小道具や大道具は使わず、想像力ありきのところでやっていたんですけど、今回はわりと具体的なものを出しているんですね。つまり、冒険なので荷物を持たなきゃいけない。お芝居なのでいくらでも嘘がつけるんですけど、荷物の中に冒険に必要なものはちゃんと入れたいんです。登場人物たちが舞台上で体験していることをひとつずつ見せたい。演劇の中で移動を表現するのはすごく難しいじゃないですか、劇場は箱だから。だからこそ移動してる、冒険してる、経過してることを体験させていかなきゃいけないってなったんですね、舞台上の俳優達に。それによって省略が生まれると考えています。
── 観客に、登場人物の身体的な実感を渡すことが省略になるということですね。では、今回のオファーの肝である映像とは、どういうふうにコラボを?
山本 ひらのさんはイラストレーターの中でも、森を描くことに長けている人だと思っていて、冒険というキーワードにもぴったりな人だと思っていました。だからベースは何も心配なかったので、具体的にこうしましょうという話より、お互いのセンスの確認から始めました。「僕はこれが好きで、あれも好きで」というところから入って、割と遠くない気がしました。
── 映像がずっと流れているのではなくて、ポイントポイントでひらのさんのアニメーションが出てくる?
山本 そうです。
── それと音楽担当に、マリンバ奏者の加藤訓子さんのお名前を見つけて驚きました。加藤さんはミニマル・ミュージックの世界的権威であるスティーブ・ライヒ公認の優れた演奏家ですね。
山本 まず僕が、この作品でライヒを使いたいと考えました。ライヒは普段から聞いていて、この作品に合うんじゃないかと思ったんですね。理由は、木琴や鉄琴って学校で鳴る音を連想させる気がして。それと、ミニマル音楽がきっとこの芝居に合うと思っていたら、加藤さんのお名前が上がり、ライブに行って一発で「ぜひ」とお願いしました。
── 曲はオリジナルで?
山本 オリジナルです。
── ただ、ミニマリズムは循環で、冒険の移動とはニュアンスが違うのではありませんか?
山本 いや、それが加藤さんの音楽ってめちゃくちゃ移動なんですよ。確かにミニマリズム=循環なんですけど、加藤さんの音楽によって“移動感”が出ます。で、最終的には元いた場所に戻ってくるという円環が表現されていて、この人って本当にすごいなとは思いましたね。
── ひらのさん、加藤さんというラインナップは大人にとっても強力だし、子供時代にこの人たちのクリエイションに触れられるのはうらやましいです。さて最後に、山本さんのホームである範宙遊泳のことについてひとつだけ聞かせてください。一昨年の大橋一輝さん、去年の田中美希恵さんに続いて、今年は旗揚げ以来のメンバーだった熊川ふみさんが退団されました。おそらく山本さんの創作へのスタンスにも影響があると思うのですが、その点はいかがですか?
山本 その影響はすごくあります。ただ、少し前は別れというものをネガティブに捉えていたんですけど、最近はポジティブになっています。何と言えばいいかな。とにかくそれで全部終わるわけじゃないというか。ロロの三浦(直之)くんのように同じメンバーと長くいる人にも憧れますけど、別れをエネルギーに代えていこうと考えるようになって、今はすごく前向きな気持ちです。
インタビュー・文/徳永京子
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