<先月の1本>新国立劇場『アンチポデス』文:徳永京子
先月の1本
2022.05.31
良い舞台は終わったあとに始まる。強く長く記憶されることが、その作品を良作に成長させていく。けれども人間の記憶は、記録しないと薄れてしまう。「おもしろかった」や「受け入れられない」の瞬間沸騰を超えた思考と言葉を残すため、多くの舞台と接する書き手達に、前の月に観た中から特に書き残しておきたい1作を選んでもらった。
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舞台に登場しない人物が物語を動かす、という物語。
新国立劇場はシーズンごとにテーマを設けていて、小川絵梨子が芸術監督に就任して4年目の今シーズンに掲げられたのは「声 議論, 正論, 極論, 批判, 対話…の物語」(以下、「シリーズ声」)。『アンチポデス』はその第1弾で、小川自身が演出を手掛けた。作者のアニー・ベイカーは’81年生まれ、大学在学中の’08年にオフ・ブロードウェイで戯曲が上演され、翌年の『サークル・ミラー・トランスフォーメーション』、さらにその翌年の『ジ・エイリアンズ』がどちらもニューヨーク市批評家協会賞とオビー賞最優秀アメリカ新作戯曲部門賞を受賞するなど、20代のうちから才能が高く評価され、そのままずっとアメリカの現代演劇界のトップを走り続けている。日本では、ピュリツァー賞を獲った代表作『フリック』がやはり新国立劇場で、’16年に上演されたが、演出はマキノノゾミで、私はこれを観ていない。『アンチポデス』は’17年にアメリカで初演され、小川のインタビュー(*1)によると、事件らしい事件が起きない展開に観客の半分が途中で帰ったという。日本では今回が初演で、翻訳は気鋭の翻訳家、小田島創志が担当した。
この原稿を書いている時点で「シリーズ声」は第2弾『ロビー・ヒーロー』まで上演済みで、2作には大きな共通点がある。おそらくそれを意識して選び、シリーズとして並べたと予想するのだが、登場人物がとにかくよく喋る。紛うことなき会話劇で、どちらも浅い話が多い。たとえばアーサー・ミラーの戯曲の言葉も日常的ではあるが、流れ去ることなく舞台上に存在し続けるような重みがあり、観客はそこに目を凝らし、平易な言葉の裏でつながっていく意味を読み解く。けれども『アンチポデス』も『ロビー・ヒーロー』も、登場人物の口から出る言葉は俗っぽく、観客はすぐに吹き飛ばされそうな軽い言葉の山から意味を探さなければならない。
特に、2時間弱の上演時間のほとんどが何らかのエンターテインメント作品のためのブレインストーミング(以下、ブレスト)に費やされる『アンチポデス』は、ブレストのルールである「相手の意見を否定しない」「議論を深めるのではなく多くアイデアを出す」「そのために話をしやすい雰囲気づくりを心がける」を前提にしているため、人物同士の会話は時間の経過に比してなかなか深まらない。言うまでもなくそれは、ベイカーの狙いなのだろう。
場所はかなり大きな、都心から離れたオフィスビルの会議室で、あるプロジェクトのために集められたチームのブレストが行われている。登場するのは9人で、内訳は、カジュアルな服装とユーモアで成功者としてのゆとりを放出しているリーダーのサンディ(白井晃)、サンディと仕事をした経験を持つデイヴ(伊達暁)とダニーM(斉藤直樹)、初めてこの仕事に関わることになったアダム(亀田佳明)、ジョッシュ(草彅智文)、もうひとりのダニーM(チョウ ヨンホ)、プロジェクトメンバー唯一の女性であるエレノア(高田聖子)、書記のブライアン(八頭司悠友)、以上のブレストメンバーとは別に、食事の手配や事務的な手続きなどの世話をし、上層部からの連絡をつなぐ事務員のサラ(加藤梨里香)がいるが、彼女は基本的に会議室にはいない。
プロジェクトの目的や、チームを稼働させているのがどんな組織か、具体的なことは最後まで明かされないが、何らかのエンターテインメント作品の原作となる物語を共同でつくっていることは最初から示唆される。8人が伝説の怪物や神話上の生き物の名前を競うように挙げるシーンから始まるからだ。どこか芝居がかった真剣さで行われるそのやり取りは、彼らが自分たちを“いい年をして子供心を発揮することが許される”=クリエイティブな人種の集まりだと自覚していることを感じさせる。さらにサンディの挨拶から伺える予算的、時間的余裕は、あまたあるクリエイティブな現場の中でもかなり恵まれたもの(私はディズニーのアニメを制作している人たち──実際はまったく知らないけれど──がイメージとして浮かんだ)で、そこに身を置くことが許された彼らの選民意識ははじめからチラついて、つまり、鼻持ちならない。
実際、この作品の一番外側にあるものは、21世紀のアメリカの、第一線のクリエイターが集まった場のはずなのに、男尊女卑や人種差別の意識が当然のようにはびこり、偉い人は自分が決めたルールを守らなくても良く、文句を言わない相手には報酬が支払われず、感性の違う人間は出ていかざるを得ないという、自由や平等とは程遠い現実社会への批評だ。
けれども、旧態然とした人権意識に基づく差別/被差別への批評は、複雑な形を取る。仲間と認められる人、認められない人のグルーピングが、その時々で変わるのだ。一番わかりやすいのは、サンディとの距離感に分があるデイヴ&ダニーMとその他の新メンバーだが、プロジェクトメンバー唯一の女性であるエレノアと男性たちの間にある線も太い。また、エレノアとアダムはどうやら上層部の指示でメンバー入りしたらしいのだが、エレノアは女性、アダムは黒人で、会社の中途半端なコンプライアンスへの目配りによって“余計なお荷物”を押し付けられたと考えているらしいサンディ、デイヴ、ダニーMとこのふたりとの間にも見えないラインがあるし、ひとりだけ黒人のアダムと他のメンバーとの隔たりもある。もうひとりのダニーMは他のメンバーのセンスについていけず、途中で自らプロジェクトを降りる。ざっくりと見れば、この会議室で行われていることは、白人の知的職業に就く男性を頂点としたティピカルなドラマで、同様のホモソーシャルな圧のかかった共同作業のトラブルは今日も日本で数え切れないほど起こっている現実だ。
そういう意味では、公演プログラムやさまざまなインタビューで演出の小川が繰り返し言っている「日本人にとっても身近な、あるあるの話」なのだけれど、ただの「あるある」で終わらないのは、エレノアと、舞台には登場しないもうひとりの女性が鍵になる。
エレノアは自分自身を持っている人で、サンディが「唯一のルール」と言ったはずの「作業中は携帯電話を触らない」を彼自身がまったく守らないことに異を唱えるし、サラに「好きなものを頼んでください」と言われたランチで、周りに合わせることをせず「青りんごとアーモンド・バター」という風変わりなオーダーを躊躇なくする。だから孤高の位置付けかと言えばそうではなく、この部屋に来た最初の日は、男性たちに合わせてもいた。早々に煮詰まったメンバーが、停滞を打ち破るためにリアリティの力を借り、かつまた、自分という人間を知ってもらうために話す“本当に自分に起きた体験談”で、あっさり男性たちと同じふるまいをするのだ。男性たちの“とっておきの本当の話”は、すべからく性体験の武勇伝なのだ。そしてエレノアもまた、自分の性体験を盛って話す。
けれども彼女は変わっていく。そのきっかけが、前回のプロジェクトでやはり唯一の女性として参加したアレハンドラの話を聞いたことだ。アレハンドラは、サンディいわく「みんなで物語の構想を練っているのに“明日は日食ですよ”とか“戦争が”とか関係ない話をする」ような足を引っ張る人物で、食べ物の匂いに過剰に反応したりして協調性がなく、休みも多くて戦力にならず、挙げ句の果てに人事部に「職場で脅威を感じている」と告げ口までして行方不明になった、思い出したくもない女性だった。
そのエピソードは、人事部から連絡を受けたサンディが、チームのメンバーを集めて「嫌に感じていることがあるなら、今ここで言ってください」と切り出し、何も答えないアレハンドラを見つめ、「オッケー、誰も何も言わないってことは問題はないってことで、今度何かあったら、人事部じゃなくてまず僕に言ってね」と言ってのけたという、どうしようもない彼のハラスメント体質の証左として使われるのだが、ただパワハラのエピソードを描くためだけにアレハンドラが書かれたはずはない。
そう考える理由は、まず描写が細かい。優れた劇作家は不要な人物を書かないし、文字を割かない。サンディの語るアレハンドラの言動のディテールは、パワハラの犠牲者以上の存在感がある。そしてもうひとつは、話と並行してこの物語の世界では天気が悪くなっているのだが、ある深夜、雷が落ちた時にひとりだけ起きていたエレノアがいきなり「アレハンドラ?」とつぶやくのだ。アレハンドラはその時やってきたのか、あるいは見えない形でずっといたのか、とにかくエレノアに出会う。
最終的にプロジェクトは、サンディが降り、白紙に戻ることが伝えられる。けれどもその場でエレノアは、洪水に遭った実家から持ち出してきた、自分が4歳の時に書いたお話をみんなに読んで聞かせる。いかにも幼い子供が書いた平坦な短いお話は、解体したり、時代を遡り遠い土地に意識を飛ばしてその起源に迫ろうとしたり、無意識の中から引っ張り出そうとしたり、やっきになって物語と格闘した人々に、そして観客に、そのなんでもなさを伝え、でももっと聞きたい、という気持ちを静かに広げていく。
エレノアがもたらしたこの豊かさは、彼女がアレハンドラと接続して生み出し得たものだ。アイデアが煮詰まった時に、セックス絡みのネタではなく、宇宙の話題を持ち出したり、決して他人事ではない戦争について考えることは(少なくとも性体験の話よりずっと)クリエイティブだ。また、アレハンドラとエレノアの活躍に隠れてはいるが、事務員のサラが最後に書記の仕事を任される。クリエイティブではない仕事をテキパキと誠実にこなして彼女に、ようやく椅子が回ってくる。組織にとっては小さいけれど個人にとっては大きな変化が女性にもたらされたのも、アレハンドラやアレハンドラのような女性たちが少しずつ変化を促進してきた結果ではないだろうか。
アレハンドラは、会社を出たあと携帯電話もつながらなくなり、クレジットカードも使った形跡を残さず消えた。『アンチポデス』とは「対蹠地」、つまり「自分のいるところの地球の裏側」のことだという。アレハンドラはそこにいて、物語がマーケティングや権力でつくられそうになると、依り代を探してそれを阻止してくれたらとてもうれしい。
*1 https://natalie.mu/stage/pp/nntt_koe/page/2
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とくなが・きょうこ/演劇ジャーナリスト。朝日新聞首都圏版に月1本のペースで劇評を執筆。演劇専門誌「act guide」で「俳優の中」を連載中。東京芸術劇場企画運営委員として2009年より才能ある若手劇団を紹介する「芸劇eyes」シリーズをスタート。「芸劇eyes」を発展させた「eyes plus」、さらに若い世代をショーケース形式で紹介する「芸劇eyes番外編」などを立案し、劇団のセレクト、ブッキングに携わる企画コーディネーターを務める。せんがわ劇場演劇コンクールアドバイザー。読売演劇大賞選考委員。ローソンチケット演劇サイト『演劇最強論-ing』企画・監修・執筆。著書に『演劇最強論』(藤原ちからと共著)、『我らに光を──さいたまゴールド・シアター 蜷川幸雄と高齢者俳優41人の挑戦』、『「演劇の街」をつくった男 本多一夫と下北沢』。
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【上演記録】
シリーズ「声 議論, 正論, 極論, 批判, 対話…の物語」Vol.1
『アンチポデス』
撮影:宮川舞子
2022年4月14日(木)~24日(日)※一部公演中止あり
新国立劇場・小劇場
作:アニー・ベイカー
翻訳:小田島創志
演出:小川絵梨子
出演:白井 晃、高田聖子、斉藤直樹、伊達 暁、亀田佳明
チョウ ヨンホ、草彅智文、八頭司悠友、加藤梨里香
『アンチポデス』公演サイトはこちら