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<先月の1本>青木淳研究室展覧会『HAPPY TURN』 文:植村朔也

先月の1本

2022.12.28


良い舞台は終わったあとに始まる。強く長く記憶されることが、その作品を良作に成長させていく。けれども人間の記憶は、記録しないと薄れてしまう。「おもしろかった」や「受け入れられない」の瞬間沸騰を超えた思考と言葉を残すため、多くの舞台と接する書き手達に、前の月に観た中から特に書き残しておきたい1作を選んでもらった。

***

決定ルールを乗りこなす


1. 機能主義の問題系、あるいは時間の魔術について

 建築における機能主義の問題は、演劇における観客の問題におおむね翻訳できる。
 機能主義とは特定の目的を果たすようにそこから逆算して設計を行うことを言う。ここで、その目的とは誰のものかが問われなくてはならない。前もって建築の機能を特定することは、建築が奉仕する対象者を事前に設定することでもある。この対象者からあらかじめ排除されてしまった人々にとって、建築とは無用のデカブツにすぎない。すべての人の欲望や利害を満たす、万人に向けた機能主義建築はユートピアにすぎず、存在しない。利用者の利害や欲望は常に建築を裏切る。しかし、裏切られまいとしてなんの用も果たさない建築を建てるわけにもいかない。
 機能が満たされれば建築の美しさも同時に保証されるという機能美のテーゼはこの点で誤っている。機能美をいう建築は、しばしば美術館に飾られた民藝品のように滑稽で粗野な代物になる。滑稽なだけならまだよいが、建築は常に空間を占拠して、人々のふるまいを制約する。竣工に至るまで莫大な時間とカネと労働力を費やす 。そして建てたが最後、それを維持しなくてはならない。つまり、存在しない方がよかった建築というものが存在する。この点で建築に開き直りは許されない。利用者に裏切られる未来を宣告されながら、なお建築家はどこまでもこの利用者の複数性に向き合う使命を帯びている。建築家にせよ作家にせよ、どれだけ批評的に仕事を遂行しようとしても、けっして批評しきることのできないものが少なくとも一つある。それは受け手のポジションである。受け手はいつ、どこにいる誰なのか、その自己批評の不可能性こそが批評の可能性でもある。
 演劇作家もまた観客の期待にあらかじめ応える必要性がある。建築にせよ舞台にせよ、その場の質は、受け手の存在を抜きに生み出されることはない。客席が生み出す場の空気を離れたところに舞台の成功はない。受け手の欲望や期待から目を背けることはその時点でひとつの抽象になる。一方で、受け手のよろこびを最初から囲い込もうという企みは常に失敗を運命づけられている。(非)意図主義や解釈の多義性、水平性がいわれるときにしばしば見落とされているのは、演劇にとって根源的なこの時間的ディレンマである。演劇がファシズムを回避すべき美学的な理由は、それが時間というものに向き合わない安易な道だからである。
 もっとも、建築と演劇を素直に比較しきることはできない。演劇はたいていの場合建築ほどにはカネも時間も労力もかからない。それになんといっても演劇は劇場の中に居場所を定めてくれているのでかさばらないし、すぐ消滅する。つまりほとんど邪魔にならない。演劇作家が建築家ほど深刻に受け手のもたらすディレンマに直面することは少ないだろう。それだけに、演劇には市場原理の淘汰作用や批評家の評言にさらされる必然性がある[*1]。

 わたしは建築家青木淳のテクストをもっぱらパフォーマンスの理論書として参照してきた。
 その代表作『原っぱと遊園地――建築にとってその場の質とは何か』(王国社) は、まず「セゾンアートプログラム・アートイング東京二〇〇一」に足を運んだ経験から話を切り出している。この展覧会が会場に選んだ牛込原町小学校はすでに廃校となっていたが、青木にとってそれは同日に訪れた横浜美術館よりもはるかによい「美術館」だったという。

この小学校はいい加減な思い付きで構成された建築ではない。その逆に、非常に明快な筋が隅々まで一貫して作られている。それを、機能主義の硬直、あるいは、本来は輻輳し不定形な求められる状況のうち、たまたま定量化できることだけを無批判に対象とすることが常識化したことの結果、と貶すのは簡単だけれど、しかし、だからこそ、その筋の通し方は確たるものなのだ。(pp. 9-10)

青木が牛込原町小学校をほめたたえるのは、教育というひとつの目的のために非常に明快で一貫した筋がそこに張り巡らされていた ためである。しかし、こうした一本化は青木の言うように「機能主義の硬直」をも同時に意味する。この場合で言えば、最大公約数的に想定された小学生像、あるいは教師像へ向けて空間は一本化されていたはずである。そんな空間がなぜ展示鑑賞者をも迎え入れるのだろうか。しかし牛込原町小学校は廃墟であった。

いつしか、その学校が、廃校になり、子供たちが消え、荷物が片づけられ、張り紙が剥がされ、什器備品が運び出される。すると、その自然性、つまり、人にそれをどう感じさせようかという視点をもたない、明快な決定ルールの遂行が際立ってくる。それは、なにものでもない、しかし、確かに人の手によってつくられた環境になる。そうして、ぼくには、この瞬間が、人間にとって最良の環境なのではないか、と思われるのである。(p. 10)

つまり、廃墟化してもともとの機能を喪失した建築物は「人にそれをどう感じさせようかという視点をもたない、明快な決定ルールの遂行」だけを際立たせる。これは「原っぱ」のように人為的なコントロールを超えた「自然性」の環境であって、そこでなにをするかは定められていないのだが、それはなにもない空間ではなく、明快な筋をもってもいて、多様な行為のとっかかりとなる[*2]。こうして、原っぱ同然に廃墟化した建築物が、機能主義のディレンマへのひとつの解決として提示される。もちろん完全ではないにせよ、廃墟化は利用者の複数性を調停する。機能を特定することなしに利用者にさまざまなふるまいをアフォードする開かれた空間がここに用意されたというわけだ。
 しかし、建築家は建築が廃墟になるのを待つわけにはいかない。したがって、あらかじめ廃墟として建築を建てるにはどうすればよいのかという、時間的魔術がここで問われる。そこで持ち出されてくるのが「決定ルールのオーバードライブ」理論である。
 まず青木は、機能主義にまつわるまた別のディレンマを問いかける。

機能をひとつの物理的空間の構成に置き換えようとするとき、その方法はほとんど無限にある。その中からどれを選んだらよいのだろう。ぼくたち設計者の多くは、それを「好み」というような恣意的な選択でなく、何らかの確かな根拠をもった決定ルールにしたがって選択しようとする。〔…〕その決定ルールを運用すると、求められる機能が自動的にすっぽり嵌まってくるような、そんな魔法のような決定ルールは、機能の問題よりも上の次元にしか発見できない。〔…〕それは、それを運転することで、構成を含むカタチを生み出すものであって、それはモノではなくて、目に見ることはできないアルゴリズムとかコンピュータのアプリケーション・プログラムのようなものである。(pp. 70-71)

このような「決定ルール」は自律化されて厳格に運用されることでここまで見てきた機能主義の時間的アポリアにも答えを提出する。

人間は不変のものではない。人によって違うし、時間と共に変化する。基本的に、はかなく不定形の対象だ。だから、目標を不変のものとして客観化し、抽象的に議論を進めることは、最初から本来的にできない。だから、この決定のルールでうまく目標をとらえられるかどうか(実はできないわけだけど)、ぼくたちはいつも確信がもてない。〔…〕そもそも、人間は抽象的な論理に回収され得ない。それなのに、まるで回収されたような見せかけをする。〔…〕そしてその一方で、それが回収され得ないことをそのまま受け入れる立場がある。だからこそ敢えて徹底的に抽象的で形式的なルールでモノをつくろうとする。そうすることで、それが人間にようやく釣り合うようになるかもしれない、というふうに思いながら。人間がはかなく不定形であればあるほど、「倫理的」な意味合いにおいて、逆に決定ルールは非人間的といってもよいほどの完全さを備えている必要があるのではないか。(pp. 79-80)

人間の要求する機能すなわちナカミから逆算してカタチを決定するのではない。むしろ、人間に釣り合うだけの自律したルールの運用が結果的・事後的に人間の必要を満たすのだ。
 そして青木はこのような決定ルールの運用によってつくられた建築の例としてフランク・ゲーリーの「グッゲンハイム美術館ビルバオ」をあげる。それはきわめて特異なカタチが現れてはいるが、「そこにつくり手からの押しつけがましさ、つくり手の意図が感じられない。なるべくしてなった空間、という感じ」(p. 76)の建築である。それというのも、「個人的な心の性向が、機械的で形式的なルールに置換されることで、パッと、つくり手が消えてしまっている」(同)からだ。そうして、人為を超えて自然に生成したかのような、先取りされた廃墟のような建築が残るというわけだ。
 整理しよう。初めから用を特定してしまえば、用の方途を囲い込むこととなり機能主義は貫徹されない。そこで青木が持ち出したのが、事後的に人々の要求にこたえるような決定ルールの「自動運転に身を委ねること」であり、「決定ルールをナカミからもっとはっきりと独立した自律的なものとして、それをオーバードライブさせること」であった(p. 81)。しかし、まだ見ぬ未来の用を予測を経ずして満たすというこのきわめて不可思議な時間的アクロバットは、創造主体のポジションから建築家が一度離脱することによって果たされる。決定ルールが機能から自律することは、建築の生成原理が制作者の思慮を超えて自走することを同時に意味するのだ。
 しかし、ここで放棄された主体はたいてい最後に回帰してくる。決定ルールの生成したカタチが「適切な」ナカミを備えているかどうかは結局特定の主体によって判定される。それに青木にせよゲーリーにせよ、結局評価されているのはその作家性である。この主体の回帰は必ずしもネガティヴな事態とは限らないし、通常必要な手続きでもある。というのも、土地と時間と資本と労働力とを大幅に用いる以上、建築家はその成果物に対して責任を負わざるを得ないからだ。生成したカタチが人々の要求を満たさないからといって決定ルールのせいにするのは無責任だ。オーバードライブする決定ルールに身を委ねながらも、適切なタイミングで主体としての適切なポジションを回復し、判断をすることを、建築自体が要請するということだ。
 翻って、これは演劇作家についても言える。広義の決定ルールのようなものを設定することで自分の存在を括弧に入れて放棄し、出演者の主体性や場の空気感、グルーヴ等に舞台の生成を委ねる制作手法は今日珍しくなくなっている[*4]。こうした制作方法は水平的で民主的という印象が強く、より複数の人々の趣味や期待に応えることができそうに思われる。しかしここには演出家の主体性・権力性・欲望を一度棚上げし、見えづらくする効果が同時に働くことにもなる。
 実のところ、「決定ルールのオーバードライブ」的に作られた舞台もまた青木やゲーリーらと同様に特定の趣味の産物であることを免れない。青木自身、自立した決定ルールに自分が寄せる信頼が「古典主義の美意識」(p. 81)に基づいているだろうと素直に認めているが、そもそも「決定ルールのオーバードライブ」が生成する舞台をよしとする感性自体が特定の趣味によって正当化されるものにすぎない。オーバードライブによる主体の放棄はどこまでも暫定的なものに留まらざるを得ないのだ。そうでなければ、この主体の不在は単なる虚偽となる。なんのための虚偽かが問題である。
 建築に比すれば演劇は受け手のもたらすディレンマに直面することが少ないと先ほど書いた。かさばらないしすぐに消滅する演劇は、たしかに建築ほどには受け手に迷惑をかけないことが多い。一方で、演劇は共同制作者には深刻な影響を及ぼし得る。多くの場合、出演者はごくわずかな賃金のもとで、きわめて長大な時間を拘束されることになる。その上演出家の権力や欲望のえじきになることさえある。舞台に関わり続けることは、多くの俳優にとって低所得労働者として自己を再定義し続けることであり、しかも運の悪い場合にはハラスメントや暴力行為に直面して心身に長期的な障害を抱えることにもなりうるのだ(教育やワークショップにも同型の問題がある)。
 だから昨今の演出家は旧来的なヒエラルキー構造を廃してより平等で民主的なクリエーションを志向するようになっている。制作環境の民主化のために決定ルールが遂行されることがあるのだ。そこでは演出家というポジションが積極的に放棄される。しかし、繰り返しになるが、この放棄されたポジションはある時点で回復されなければならない。なし崩しに回復されるのではなくて、このポジションにともなう責任が自覚的に引き受けられるのでなくてはならない。そうでなければ、実際にはクリエーションの現場に権力性や加害性を残存させておきながら、平等と民主主義の旗のもとに演出家の責任を不問にするような場が用意されかねないのである。
 逆に、民主制や平等性を目的に据えずに、かつこのような主体の放棄を自覚的に方法化してきたような制作集団にとっては、ハラスメント問題の真の困難はここにある。演出家は、回帰してくる主体への期待と信頼から出演者の足場をときに突き崩す。その時点では個人というものが前提されていないわけだから、加害性の尺度をもち込めばそれはもちろん問題行為となる。しかし、演出家からすればその訴えは事前の暗黙の約束にそむくものにほかならない。このように、ハラスメントの問題はある種の演技や演出に構造的なものとして内在しているのだ。だから、この問題は制作の方法的な観点からも不断に再考されなくてはならない。
 青木は「オーバードライブ」という語をルールの徹底的運用の意味で用いていると思われるが、この言葉はそもそも家畜や機械、人などを酷使することを原義としていたのだという。この多義性に注意深くありたい。酒に酩酊して乱暴を働いてしまうようなケースは問題外であるにしても、主体性の積極的な放棄はある種の制作プロセスに織り込まれているのであって、その制作プロセスのオルタナティヴが模索されるのでないなら、自走するルールや構造をどう最終的に着地させるかというところにこそ作家の力量が問われることになる。

 最後に付け加えるならば、戻ってくるべきポジションを安全に確保しながら、なお決定ルールのオーバードライブに成果物の生成を委ねることはある種の欺瞞である。ポジションはあくまでも外されなければならないのだ。しかし一方で、それは回復が約束されていなくてはならない。これはほとんど魔術的な所業であり、魔術でないなら必ず失敗を含みこむことになる。だからこの世界には批評と魔術とがある。
 時間のアポリアを魔術が超えていくとき、そこで起きているのは民主主義の徹底というよりはむしろ、受け手までもがそれまでのポジションを廃棄するような事態だろう。そうした魔術は人々を強く魅了する。それまでのわたしとは違ったわたしになって、世界が装いを変えてしまうからだが、それは固着すれば全体主義になり、時間は初めから回避されていたかのように魔術の失敗を証し立てる。主体が十全に回帰するなら時間もまた回帰するのだ。これが時間の側がはなつ魔術の残酷である。あるいは、魔術は時間の残酷を承認したところにしかありえない。[*4]

2. 決定ルールを乗りこなす

 会場に着くと展覧会は廃墟になっていた。会場に廃墟が選ばれていたと言いたいのではない。繰り返しになるが、展覧会が廃墟になっていたのだ。

 ここで少し回り道をしたい。ここまでさんざん引用してきた青木の書物は『原っぱと遊園地』という題をもつ。「原っぱ」とはそこで行われることが規定されていない空間のことで、時間の推移に伴う廃墟化や決定ルールのオーバードライブによって実現されるものとされている。対して「遊園地」とはそこでの行為が制約されている空間、人間のふるまいの可能性が限定されてしまっている空間のことで、ディズニーランドをその筆頭とする。わたし自身はディズニーランドのこのような評価に与するものではないが、それはそれとして、すでに比較した廃校化した牛込原町小学校での展示と横浜美術館の展示についていえば、前者が「原っぱ」、後者が「遊園地」であり、それゆえ青木は前者を高く評価したのだった。
 しかし一方で、廃墟を会場に選べば「原っぱ」的な空間が与えられるという主張はいまやいささかナイーヴに響く。廃校や廃ビルを会場に選んだ美術作品や演劇作品は珍しくないが、その一部においては「原っぱ」としての廃墟というよりもむしろ「遊園地」としての廃墟の姿が呈示されているように思われてならないのだ。つまり作品を支えるロマンティックな、言ってしまえばテーマパーク的な意匠としての廃墟だ。そこでは空間の既存の使用規則をキャンセルし新しい多様な行為をみちびくという廃墟の「原っぱ」的な空間特性は無視されてしまっている。たとえば今年5月の「惑星ザムザ」展についてネット上で交わされた議論もその核となっていたのは会場のこの廃墟性の評価だったように思われる。あるいは銭湯の廃墟をリノベーションした北千住BUoYを筆頭に、空間の「原っぱ」的な活用を継続的に試行して見える作家として、飴屋法水の名を挙げておく[*5]。

 青木淳研究室展覧会「HAPPY TURN」の会場には新有楽町ビル内の廃業した理容室が選ばれていた。言ってみれば廃墟であるが、それはここでは象徴的な意味においてしか重要ではない。扉を開けて会場に入ると、その暗い部屋のなかには、台の上に紙が積まれているほかに、作品らしき物体のたぐいは見当たらない。紙に目をやってみると、次のようにある。
「こちらの紙を手に取り、下記の指示を参考にビルのR階へとお越しください。
 ※これより後、あなたは右に曲がってはいけません。」
そして、「旧理容室を出て直進」「十字路を直進」「青いエレベーターに乗り、地下3階へ進む」…と、指示が続く。直進するか左に曲がるかして別会場であるビルのR階をめざすわけだ。
 歩いていくうちに、重要なのは紙にリストアップされた指示よりも、それをたよりに左折のタイミングを選択する自身の判断であることが明らかになる。たとえば、「十字路を直進」した後「青いエレベーターに乗り、地下3階へ進む」には、突き当りを左に曲がって、次の角をまた左折し、次の十字路を直進する必要がある。指示書に書かれているのはあくまで抽象的な指示だから、それを遂行するための直進と左折のタイミングは、青いエレベーターを探すなどして、鑑賞者が自分で判断しなければならないのだ。
 同展は明らかにこの奇妙な規則に基づく移動の経験を対象化している。目的地にたどり着くことよりも、そこに至るまでの歩行の経験それ自体が重視されているのだ。そこでは、なんらかの作品が設置されているのを鑑賞するという展覧会の形式が廃墟化されている。廃墟化と書くとロマンティックな制度批判の香りがするかもしれないが、ここではあくまで青木の言う意味において理解してもらいたい。「HAPPY TURN」展は「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」を銘打っているが、ここで「リノベーション」の名で行われていることは「原っぱ」化の行為に他ならない。右折を禁じられるだけでも空間の通行は途端にゲーム性を帯びて、普段は別段気にせずに通過する行き止まりや曲がり角が、その都度ダイナミックに意識に立ち現れる。ビルは遊び場になるのだ。そしてこの「リノベーション」は、右折禁止の決定ルールによって果たされている。
 とはいえ、ここで決定ルールの意味は明らかに変質している。青木のいう決定ルールのオーバードライブは最初から「原っぱ」であるような空間の形態を産出するための形成原理であった。一方、ここでは決定ルールは「リノベーション」の術として生まれ変わっている。つまり、特定の行動規則に最適化された「遊園地」的空間であるビルの交通路において、目的地へ向けた迅速でスマートな交通という既成の使用企図を一度キャンセルし、そこを「原っぱ」として経験するための術であって、ここで決定ルールは空間の物理的様態を変化させるというよりは空間を経験する鑑賞者の身体に直接に働きかけている。
 その分前節で論じたような決定ルールのオーバードライブが抱えうるリスクは鑑賞者の身にダイレクトに作用する。実際、わたしは別に嫌な気はしなかったが、「HAPPY TURN」展からの1時間程度の帰路の間、「自分はなぜ当たり前にこの道を右折しているのか? なぜ人は右折するなどということを当然視しているのか?」などと身体レベルで思考してしまっていた。左折ばかりを何度も繰り返すうちに、わたしの意図を超えて決定ルールがわたしの身体を操縦し、左折していくかのような錯覚を覚える瞬間もあった。明らかに身体の使い方が書き換えられてしまっている。その分展示主体は決定ルールの遂行について倫理的に責任が問われる。
 そして、「HAPPY TURN」の展示主体はこの責任を引き受けていたように思われる。鑑賞者は、右折禁止のルールのもとでビル内を野放図に歩き回らされたのではなかった。そこには指示書というインストラクションがあり、事前に想定されたルートがあり、その導きを頼りに経験を産出したのである。ルートの各地にはもともとビル内に存在しなかったオブジェクトが、ときに無視されかねないほどささやかに設置され、それを認識する主体の空間経験の変容を手伝う。指示書にある「ビルのR階」というのは、もとの会場のある新有楽町ビルではなくて、その隣にある有楽町ビルの最上階の方だったという意外なオチも用意されている。ビル間の移動のために都市へと足を踏み出すのには快感があった。意外性や驚きに満ちたこの楽しいルートデザインの責任が展示主体に帰せられることは明らかだ[*6]。
 それにそもそも右折禁止の決定ルールは厳格な遂行を要求しえない。道に迷い、事前に想定されていたのより早く左折したり、逆に左折するべきところを通り過ごしてしまうと言ったことは、「HAPPY TURN」展において頻出するはずである。いや、他の鑑賞者がどのような経験をしたのかはもちろん私の知るところではないのだが、少なくともわたし自身は何度も道を間違えた。その結果、展示主体も意図していない空間に迷い込んで、本来ならすぐ過ぎ去ることができるはずのなんの変哲もない空間に、絶望的な思いで立ち往生するといった事態も発生してくる。同展の空間のリノベーションが経験の変容にかかわる以上、想定された通りのルートを進むゲーム的で知的な快ばかりでなく、むしろ自身の認知や判断の固有性を通じて隘路に迷い込み展示主体の意図を超えてしまう、こうした個別的で身体的な経験もが重視されていたはずだと想定してよいだろう。
 さて、こうしてわたしは展示主体の想定する道を大きく外れ、右折をしないと元のルートに復帰の出来ないような状態に何度か陥った。しかし実はこれは右折禁止の決定ルールにおいても対処可能な事態である。小回りで三回左折すれば右折したのと同じことになるからである。
 目的地到着後に配布されたハンドアウトには、「単に「左に曲がる」だけではたどり着けず、三回左に曲がるという行為を経て結果的に右に曲がらざるを得ない箇所を、”HAPPY TURN”と呼び、この展覧会で注力すべき設計対象とした」とある。想定されたコースでは三回左に曲がる地点が分散されているので、普通に歩いているとHAPPY TURNの結果的な右折に気づかないこともままあるのだが、コース中のこのHAPPY TURNやUターンの存在は、決定ルール内の右折の可能性を鑑賞者に示している。これによって想定されたコースへの復帰がどこからでも可能となる。また、この原理に気づいてしまえば、どのタイミングでも実質的に右折が可能となり、同展のゲーム性は破綻する。
 なお、このHAPPY TURNの各地点には共通のコードとして青いオブジェクトがしつらえられていた。またハンドアウトにたずねれば、「これは、有楽町を観察する中で目に入った、搬入養生、交通標識、業者の車、ビールケース、自動販売機の色といった、日常では背景化されがちな要素から引用している」のだそうだ。こうして、決定ルールの崩壊すれすれの極限的な活用が空間への注意を導き、都市のひごろ周縁化されている色彩を鮮やかに浮かび上がらせることになる。三菱地所株式会社は2023年をめどに有楽町ビルと新有楽町ビルを閉館し、建て替えることを発表している。そして両ビルは同エリアにおける三菱地所の新たな旗艦ビルへと再生されるということなのだが、つまりそれらビル内に残されているのはその土地の利害関係を問題にする主体にとってはすでに用済みの、文字通りの廃墟化を宣告された風景なのであって、そのリノベーションとはまさにこの「用」を問い、幾多もの用にあらためて空間を開くことに他ならなかった。
 話を戻そう。この決定ルールは徹底的に遂行すれば崩壊するのであって、それがすんでのところで免れるのは、展示主体の緻密なデザインと、なるべく裏技を使わずに同展を楽しもうという鑑賞者の自制と気配りによってである。言い換えれば、この決定ルールには主体からの自律の不可能性があらかじめ織り込まれている。そのような周到な配慮に守られなければ成立しえないほどに儚くもろいからこそHAPPY TURNは幸福な右折なのだ。
 ルート設計時に展示主体たちがビル内で重ねただろう歩行のシミュレーションにおいてはおそらく左折の決定ルールのオーバードライブとでもいうべき事態が発生していただろう。しかし、この決定ルールは自走すれば自ら崩れ去る。主体はこの決定ルールを乗りこなす必要があるのだ。目的地の有楽町ビルのR階では、想定ルートが答え合わせのように辿られる動画のほか、ルートや指示書のデザイン案が展示されていたが、それによれば、当初は右折ではなく左折が禁止されていたらしい。この左折禁止のルート案はかなりの時間をかけて入念に構想されていたという印象を受けた。しかし、このルート案では鑑賞者をどうしても駐車場に誘導することになり、車に轢かれる危険に晒すことになる。その責任がとれないので、やむなく右折禁止のルート案が新しくプランニングされるに至ったのだそうである。
 決定ルールの乗りこなしは鑑賞者にも求められる。先ほど、決定ルールがわたしの身体を操縦するかのような感覚について触れた。しかし、同展は目的地に至るまでの道程において、ルールによるこのような身体の乗っ取りと、より楽しいゲームプレイに向けた身体の操作感の回復とを鑑賞者に自然に促していたように思われる。

 わたしは有楽町ビルのR階から帰る時、どこまで右折禁止の決定ルールを貫けるか試してみることにした。エレベーターに乗り、一階に降りて外へ出る。ここまでは右折はいらない。そのまま左回りになんとなく建物の外周を進んで、横断歩道を渡り新有楽町ビルの外周に移って、また左折する。すると、東京メトロの見慣れた青い看板が日比谷駅の存在をお知らせしている。日比谷駅にも左折で入ることができる。これはすごい! 元の意味とは違うにせよ、これがHAPPY TURNでなくてなんだろう。このまま左折で世界のどこまでも歩いて行けそうだ! と思ったわたしを待ち構えていたのは地下へと続く右回りの階段である。階段では三回左折小回りの裏技も危なっかしくて使えない。おとなしく右回りに下る。やはり右折禁止の歩行空間はていねいに構築された一つの理想郷だったのだと知った。
 さて、決定ルールのリセットがわたしの身体を都市から切り離す駅という交通空間で果たされたのはなんとも象徴的に思われるのだけれど、はたしてこの経験は事前にデザインされていただろうか。そうだとしたらちょっと人間離れした計画性だと感じる一方で、そんな気もするわたしもいるのである。

[*1]公的助成金制度が作家の延命を手伝うに伴い、市場原理や批評のなかだちの必要性が衰微してしまったことについては内野儀「J演劇をマッピング/ザッピングする」、あるいはそれを受けたわたしの「「Re:小劇場系」の逆襲、あるいは、「公的助成金演劇」を笑え」を参照のこと。
本文中で触れた「他者の時間と労力を使役することへの責任感」の重みが今日強まっているのは、もしかしたらこのことからも説明できるかもしれない。市場や批評が機能不全に陥るとき、共同制作者が最も身近な他者としてその存在感を増して作品のかたちを変えていくのだとしたら、それ自体は悪いことではない。
[*2]ピーター・ブルックの本の題になっている「なにもない空間」という表現は舞台芸術が論じられる際にしばしば用いられる。しかし、実のところ「なにもない空間」はミース・ファンデル・ローエの「ユニバーサル・スペース」や原広司の言う「均質空間」と同様、容易に管理が可能である。その空間では一見あらゆる行為が許容されているかのように見えもするのだが、その均質で普遍的な見えとは裏腹に、そこでのふるまいは強く制限されている。それが劇場という空間が一般に持つ制約である。後段の議論に登場する語を用いるならば、劇場とはきまって「遊園地」的な空間なのだ。逆に、この「遊園地」を「原っぱ」へと再編して「なにもない空間」の嘘を暴くふるまいにこそパフォーマンスの可能性がある。
[*3]なお、以下での議論は、演出の主体性を括弧入れする方法論をとる作家についてであれば、決定ルールのオーバードライブに拠っておらずともおおむね妥当する。
[*4]1節目の全体の議論の骨子は、『Anyway 方法の諸問題』所収の座談会「<Anyway >を終えて」において、浅田彰、磯崎新、岡崎乾二郎らがレム・コールハースについて交わした議論を参考としている。
[*5] 事前に本稿を共有した知人のN氏から、飴屋が80年代における三上晴子との協働(大崎の廃工場(かれらのアトリエ)で上演された「バリカーデ」など)やそれに先立つ東京グランギニョル期から現在に至るまで継続的に都市の中のユーズドな建築環境へのアプローチを行なってきた作家であったとの指摘があった。
また、同じく氏に紹介された、2010年のフェスティバル/トーキョーでの『わたしのすがた』について星野太がその経験をつづった以下の短評は、本稿の内容全体に照らしても参考になる。
https://www.10plus1.jp/monthly/2011/01/issue1.php#507
[*6]大岩雄典はTwitter上で「HAPPY TURN」展のもつ抑圧的な構造について言及している。そこでは展示主体が発する曖昧な言明を全面的に信頼することが鑑賞経験において前提されていることでもたらされる暴力性が問題にされている。


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うえむら・さくや/批評家。1998年12月22日、千葉県生まれ。東京はるかに主宰。スペースノットブランク保存記録。東京大学大学院表象文化論コース修士課程所属。過去の上演作品に『ぷろうざ』がある。


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【展示記録】
「HAPPY TURN」
画像画像
クレジット

2022年11月19日(土)~27日(日)
東京都千代田区有楽町1丁目12-1 新有楽町ビルB1F 旧理容室
出展者(青木研修士1年):月ヶ瀬かれん、仲野耕介、見崎翔栄
担当教員:青木 淳(東京藝術大学大学院 教授)、笹田侑志(同大学院 教育研究助手)

「HAPPY TURN」イベント情報ページはこちら

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