<先月の1本>『EBUNE大阪・西成漂着』 文:渋革まろん
先月の1本
2022.11.30
良い舞台は終わったあとに始まる。強く長く記憶されることが、その作品を良作に成長させていく。けれども人間の記憶は、記録しないと薄れてしまう。「おもしろかった」や「受け入れられない」の瞬間沸騰を超えた思考と言葉を残すため、多くの舞台と接する書き手達に、前の月に観た中から特に書き残しておきたい1作を選んでもらった。
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EBUNEという劇場──《ポスト劇場文化》をめぐる断章3
1.上演の遍在と《ポスト劇場文化》における劇場
さて、私が担当する「先月の1本」では、パフォーマティブな諸実践をめぐっていまどんなことが行われているかをレビュー/レポートしてきた。
前々回からはやや角度を変えて、現行の劇場文化の枠に収まりきらない諸上演を《ポスト劇場文化》のパラダイムにあるものとして捉え直してみてはどうかという提案をしてきた。今回もその流れの続きで、8月27日〜10月31日に大阪の「西成」で開催された『EBUNE大阪・西成漂流』のレビュー&レポートをお届けする。
レビューの内容に入る前に、これまでの振り返りも兼ねてこの節では《ポスト劇場文化》のパラダイムに関する、暫定的な整理をしておきたい(レビューに興味のある方は2節から、レポートに興味のある方は3節から読んでいただければと思う)。
《ポスト劇場文化》というコンセプトの目的は、諸ジャンルのアーティストが関与する、劇場の外で営まれている多種多様な芸術実践を上演の視点から読み直すことだった。
前々回の「先月の1本」では、演劇・美術・映画・ダンス・詩・映像などの諸メディアやジャンルにたずさわるアーティストが、劇場の外で、劇場的な想像力の圏域では考えられないような雑多な上演を展開していることを指摘した。
“雑多な上演”にはたとえば、ツアーパフォーマンス、サイトスペシフィックパフォーマンス、参加型パフォーマンス、レクチャーパフォーマンス、ハプニング、ストリートライブ、サイファー、アートプロジェクト、ワークショップ、と名付けられる多種多様な上演形態が含まれる。また、そのような上演形態と積極的にコミットするアーティストたちは、それぞれの専門的な技術を交渉・協働させることで即興的な上演の場を生起させるメディア横断的なアートイベントにもかなり「普通」に──実験的にではなく──取り組んでいる。
上演形態の多様化と並行して、かつてはアナログな置きチラシ・折込チラシで劇場に集約されていた公演情報が、ソーシャルネットワークのタイムラインに拡散し、上演と観客の関係が以前より明らかに流動的で偶発的になったことも《ポスト劇場文化》を画する重要な契機のひとつに数えられる。
ここ10年の流れを振り返るならば、わたしたちは開催日時・ステイトメント・公演の評判・演出家や俳優のキャラクター・ハラスメントの有無に至るまで上演に関わる情報を得るための主要な手段として、ツイッターを中心にしたSNSの情報環境に深く依存するようになった。「フォロワー」つながりでタイムラインに流れてきた情報から、上演が行われる場所にたまたまアクセスするなんてことはもはやそれほど珍しい現象でもないだろう。
結果的に、SNSはそれぞれのイベントを結節点にした暫定的なグループ──たとえばFacebookのイベントページ──を結実させる上演のインフラとして機能するようになっている。いまや上演の場所は、非-場所的な情報ネットワークの流れのなかにはいりこみ、異なる文脈・関心に基づいた多数のコミュニケーションを一時的に接続する=出会わせる場所(イベント)として、あらゆる地点、あらゆるコミュニティに遍在していると言えるだろう(そうしたイベントの具体例は前々回の冒頭部分に列挙しているので参照してほしい)。
《ポスト劇場文化》の移行をしるしづける歴史的・社会的要因を詳細に検討する余裕も能力もないのだが、いずれにしても、上演形態の多様化、情報が流通する主要メディアの交代(チラシ→SNS)、上演が生まれる場所の遍在は、かつて特定の場所(劇場)と強固に結びついていた上演が、次第にその場所(劇場)とのつながりを失いつつあることを示している。
確かに、劇場は観客と上演がより良く出会うためのメディアとして社会に埋め込まれているはずのものだ。建築物としての劇場は、商業演劇であれば非日常的で特別な体験(エンターテイメント)の提供、公共劇場であれば民主主義の理念としての自由で平等な社会の実現という消費者や市民との約束に永続性を与えるための物質的な基盤を提供する。けれども、社会的な制度としての劇場が、上演を実現するための基盤的な場所であることの必然性・必要性はますます薄まりつつあり、その流れは不可逆的なものだと少なくとも私は感じている。
つまるところ、劇場という物質的なインフラによって支えられてきた上演は、いまではアーティスト諸個人が自由に情報発信できるソーシャルネットワークの非物質化されたインフラに支えられ、理念の共有や首尾一貫した持続性を求める感覚の後退とともに、かつてないほど流動的で不確かなものになりつつある。こうしてますます上演の場所が脱中心化されていき、劇場の外で偶発的に組織される刹那的な現象として(当たり前に)受容されるようになる状況を、私は《ポスト劇場文化》と呼んでみたわけだ。
このように、《ポスト劇場文化》の観点は、劇場の外部で組織される流動的で断片化された上演の諸相に光を当てる。しかし、それは同時に《ポスト劇場》の上演から劇場のシステムの問い直しを試みることでもある。
すなわち、劇場から切り離されて、さまざまな諸関係を一時的に取りまとめる触媒や現象としてあらゆる場所に遍在するようになった「上演」の側から、もういちど、劇場のシステムについて考えてみるとどうなるか。どのような劇場が構想されうるのか。私の関心はここにあり、そして「EBUNE」に集結した「何だか分からんパワー」にこそ、《ポスト劇場文化》における劇場の可能性が具現化しているのではないかと私は考えてみたいのである。
2.現実に貫入する「EBUNE」の「虚実皮膜」
「いにしえの歴史をたどり、現代を生きる私たちの生を重ね合わせた未知の物語を紡ぐため、動き出した「EBUNE」。 生命の方角・東へと漂着を繰り返し、ついにここ大阪・西成にたどり着く。」[★1]
兎にも角にも、何かが起こっている気配だけはあった。実際、毎日何かが起こっているようだった。Facebookで流れてくるそれの情報はあまりにも膨大で、過剰で、雑駁で、何がどうなっているのか、展覧会なのか、イベントなのか、パフォーマンスなのか、音楽ライブなのか、ミーティングなのか、演劇祭なのか、映画祭なのか、まちあるきツアーなのか、誰がイベントを統括し、誰が関与して、どこが会場になっているのか、さっぱりわからなかったが、尋常ならざる事件の気配だけはKOURYOUのタイムラインに流れる「何だか分からんパワー」から伝わってきた。
現代美術家のKOURYOUが「船長」になって舵を取る「EBUNE」主催の『EBUNE大阪・西成漂流』が、8月27日から10月31日にかけて、大阪の「西成」で開かれた。“喫茶店ぽいなにか”と自称される「EARTH」、元・宿泊施設の「マンション三友」を活用したレンタルスペース「3Uアジール」、若者・インバウンド向けにリノベーションされたデザイナーズホテル「DOYANEN HOTELS BAKURO」という3つのスペースにまたがり展開した「EBUNE」は、この土地の風俗・歴史・宗教的な想像力、多種多様なコミュニティ、アートスペース、コレクティブ、そしてアーティスト、人々の巻き込みと巻き込まれが錯綜し、流転し、連鎖する無数の関わり合いのうちに、“何”であるとも形容し難い出来事のフォルムを生み出していたのだ。あまりにも膨大な情報量のすべてを網羅することはできないが、まずはおおまかに「EBUNE」がどういうプロジェクトであるのかを辿っていこう[★2]。
「EBUNE」は、瀬戸内国際芸術祭2019の会場のひとつである女木島で公開された作品「家船」を端緒に発足したKOURYOU主宰のアートプロジェクトである。瀬戸内海のリサーチを進めていたKOURYOUは、東アジア一帯で漁業をしながら船に住んで生活していた「漂海民」が「家船(えぶね)」と呼ばれていたことを知り、そこからいわば偽史的な想像力を駆使して、古民家全体を、古代から現代までの時間の痕跡が折り畳まれた「家船」の廃墟として作品にした。
KOURYOUのインタビューを読むと、瀬戸芸の「家船」には、20人前後の作家・島民が参加したようだ[★3]。私も2019年の瀬戸芸で本作を見ているが、それぞれのアイデアや仕事が創発的に関わり合う共同制作の形式で進められたという「家船」は、作品の署名性(どれが誰の作品なのか)を定めがたい、まさに無名の“誰か”の廃物的な痕跡が絡まり合う不定形の混沌を作り出していた。
海上安全の神様である住吉三神や日本の民間信仰に対する関心、偽史的な想像力、共同制作の手法などは引き継ぎつつ、その後は「家船」ならぬ「EBUNE」が西から東へ航海していく、という世界観をもとにしたアートプロジェクトが始動する。このプロジェクトの目論見をKOURYOUは次のように説明している。
「『EBUNE』の試みは、巡回展覧会でも人類学的リサーチワークでもない。各地で自立し営まれるアートコミュニティと協同し、多様な表現者達による集団制作によって、土地に眠る歴史と現代に生きる私たちの生を重ね合わせた未知の「漂着」を顕在化させるものである。」[★4]
「家船」は国家の庇護を離れて海上生活を営んでいた難民を指す、文献に残された史実であるが、「EBUNE」はそこから発想される、謎めいた寓意を孕んだフィクションである。物語の設定上、「EBUNE」は長い眠りから目覚め、各地への漂着を繰り返しながら、土地の歴史や仲間のあり方を学習して成長していく(船型の)生命組織体であるとされ、漂着から生まれた物語は「EBUNE」のウェブサイトに「REPLAY」として連載方式でアーカイブされていく。
こうして漂流を始めた「EBUNE」は福岡県箱崎(2020年8月15日/非公開)、佐賀県有田(2021年5月15日)、兵庫県淡路島(2021年10月24日)に漂着し、2022年8月には「EARTH」と「合体」。3階建てのビルであるEARTHを主な展示会場とした『EBUNE大阪・西成漂流』が開かれることになった。
「EBUNE」による展覧会は、企画展・キュレーション展にありがちな、展示を組織するキュレーターのコンセプトにしたがって作品が配置される、一方通行の空間構成を採っていない。それよりはむしろ、「EBUNE」の寓話を構成する諸要素としてEARTHや作品の環境を取り込み、なおかつEARTHや参加作家によって「EBUNE」の寓話が読み替えられていく双方向的な関係性において、「EBUNE」に内包されたさまざまな可能性が現実に立ち現れていく創発的な上演空間を作り出している。
そこで現実と虚構の環境は重なり合い、二重化する。「ここから決死の航海に出航する!」というダンボールの張り紙が張られ、アーティストによる「土産物」まで販売されているEARTH1階の喫茶店スペースは「船着き場」、その奥にあるキッチン入口は「乗船口」と呼ばれ、訪問した来場者は1500円の「乗船料」を賽銭箱に入れ、簡素な鳥居を潜り、突き当りの扉から「EBUNE」という“船らしきもの”に乗り込むことになるのである。
さらに、船中にあたる2階と3階と通路の階段では、もともとの生活空間に混入するかたちで、多数の作家のオブジェ、映像、テキストなどで編成されたインスタレーションを展開。屋上では床面に突き刺さった「船」の後尾を見ることができる。つまり、どこからか流れ着いた「EBUNE」がEARTHのビルに突き刺さり、その場を一時的に侵食している状態にある、というわけだ。
こうして「家船」の寓話的な物語は現実空間に貫入し、演劇的な「虚実皮膜」を発生させる。「虚実皮膜」とは、『EBUNE大阪・西成漂流』のキーフレーズのひとつにもなっている言葉で、芸術的な真実は虚構と事実のあいだにあるという考え方を指している。
だから誤解してほしくないのは、この展覧会が「家船」のファンタジー(虚構)を現実に再現した参加型のアトラクションではないということだ。「EBUNE」のフィクションとEARTHの生活空間は絶えずせめぎあい、喫茶店と船着き場、キッチンと乗船口、日々の暮らしが営まれる和洋室と「家船」、そのどちらとも言えない「虚実皮膜」の上演空間を出来させるのだ。そこで現実と虚構が浸透して重なり合う上演空間に足を踏み入れた来場者もまた、日常の自己と物語の自己(船員)のあいだの振れ幅のなかで、「EBUNE」を体験することになる。
ざっと展覧会の概要を辿るだけでも「EBUNE」の構成要素に戯曲と上演と集団(コレクティブ)の要素を見いだせることがわかるだろう。コレクティブ(劇団)の共同制作を通じて、戯曲に内包されたさまざまな上演可能性──逸話、身振り、テクスト、感性、思考、形象など──が上演される、すなわち複数の作家や環境に読み込まれることで「EBUNE」という戯曲に内包されたさまざまな上演可能性──逸話、身振り、テクスト……など──がインスタレーションとして上演される(そしてそこからさらに「EBUNE」の戯曲が改変/生成されていく)といった見方は十分に可能であり、そのこと自体が伝統的な演劇と劇場の制度から脱した《ポスト劇場文化》における「劇場」のありかた──機能的な役割や構造──を想像させる。
そこで特に注目したいのは、上演の遍在可能性に対応する「EBUNE」の未完性だ。未完の生命組織体である「EBUNE」は、EARTHの展覧会だけで完結しない。そこで編成されたインスタレーションのネットワークは、訪問者の動きをハブにして、3UアジールとDOYANEN HOTELS BAKUROを連結するのみならず、展覧会、屋台村、各種ライブイベント、各種トークイベント、「EBUNE」のアーカイブ展、そして「EBUNE」と連携する『路地裏の舞台にようこそ』(一般社団法人アラヤシキ主催)、『セルフ祭』(セルフ祭り実行委員会主催)、『ドラゴン映画祭』(川本貴弘・武田倫和主催)まで縫い合わされていく不安定で複合的な文脈・枠組みのなかで「EBUNE」の経験のフォルムを絶えず新たに組み替え続けながら、SNSの情報空間や「西成」のまちそのものに浸透する多面的な上演の磁場を形成していくのである。
それでは、実際に私が体験した「EBUNE」の「上演」をしばし覗いてみることにしよう。
3.「EBUNE」の上演をレポートする
私が「西成」を訪れたのは、10月14日の夕方ごろ。そこは釜ヶ崎やあいりん地区とも呼ばれる西成区の一角で、日雇い労働者や生活保護受給者の簡易宿泊施設(ドヤ)が集まるドヤ街としても知られている。テレビや雑誌、ネット記事などを通じてネガティブなイメージが流布されてきた場所であり、やや身構えながらも、御堂筋線の動物園前駅で降りて、EBUNEと連携する株式会社どやねん系列のホテルに向かう。割引価格で1泊2500円の格安ホテルだが、そもそもドヤ街の意味もよくわかってなかった私は、それよりもさらに安い宿をいくつも見つけて驚くことになる。
右も左も分からないまま目の前の大通りをひたすら歩く。右手側には新今宮駅から続く阪堺線の高架線が伸びている。「西成」のイメージが頭にあるせいで、向こう側を隔離する壁のように思えてくる。きらびやかな電飾で飾られた「スーパー玉出」の角を曲がると、高架の向こう側は萩之茶屋商店街のアーケード。私の泊まるホテルはこの先だ。
この界隈が、よくメディアで取り上げられる「あいりん地区」に当たるが、この地を初めて訪れる「観光客」の目には、活気に溢れた居酒屋の行列が映る。しかもこれが普通の居酒屋ではない。ガールズバーやスナックに近い雰囲気のカラオケ居酒屋である。
そこかしこに喧騒の花が咲いている。どの店舗からも(私の見た限りでは)バーカウンターに腰掛けるおじさんたちの陽気な歌声が聞こえてくる。
チェックインを済ませて、大通りの反対側、動物園前商店街・飛田本通商店街の方に足を向ける。近隣にはいわゆる「ちょんの間」と呼ばれる料亭が軒を連ねる飛田新地がある。やりてババアが手招きしている。EARTHを探してこちらのほうのアーケードをうろうろしていたら、いつのまにか、カフェっぽいお店に迷い込んで、10人くらいの見知らぬ人たちと夕飯を共にしていた。庭の喫煙スペースで杖をついた男性とタバコを吸う。「それでは、お元気で」と言われて別れた。
その夜は、陸奥賢がツアーガイドを務める「海民の都市・大阪を歩く『住吉大社編』~EBUNEの虚実皮膜を知る~」。EARTHに集まった4人で電車に乗り、住吉大社へ移動。住吉公園・住吉大社の敷地をめぐりながら、松尾芭蕉句碑や汐掛道之記、「遣唐使進発の地」碑などにまつわる逸話を拝聴する。
現在では視認できないほど遠くなっているが、19世紀の終わり頃まで、住吉大社の目の前に海岸線があり、住吉公園のあたりは出見の浜と呼ばれる潮干狩りの名所で、男と女の出会いの場でもあったとのことだ。
飛鳥〜平安時代には、この住吉の港から遣隋使船・遣唐使船が出港していた。しかし、当時の航海技術では、無事に中国大陸までたどり着くのは難しく、その半分は沈没してしまっていたそうだ。だから、船には住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)を祀る津守の一族が同船し、安全祈願の祈りを捧げていた。女神である海の神様は、イイ男がいると海に引きずり込んでしまうので、彼らは風呂にも入らず、汚い乞食の格好をしていたという。
他にも、住吉三神は、底、中、表の海流をあらわす神様であったという説があるなど、陸奥の口からは実に興味深いおはなしが、次々と飛び出してくる。そのなかでも陸奥が言う「港町のメンタリティ」は、「西成」に漂着したEBUNEのある側面と共鳴する。
いわく、農村部は集落単位の計画経済を基本としているのでよそ者には厳しい排他的な土地柄になる。反対に、古来から海に開かれた港町として栄えてきた大阪や釜ヶ崎のような地域には、他所からの流れ者を受け入れる土壌がある。釜ヶ崎が日雇い労働者の町として発展してきたのも、そうした港町のメンタリティが背景にあるのではないか。
ホテル前の通りでは、深夜を過ぎてもおじさんたちが酒盛り(?)をしている。そのなかの一人がキレて怒号を上げている。まわりの男たちは、「喧嘩すんなや」となだめている。私は駐輪場に置かれたプラスチックの容器に入ったカリカリに口をつける黒茶の猫を写真に収めて部屋に戻る。ダブルベッドを持て余しながら、眠りにつく。
一夜明けて、この日は3Uアジールでアーティストランスペース「FIGYA」のチャッピが企画するイベントに向かう(といっても、この時点で、FIGYAもチャッピも何/誰であるのかわかっていない)。
EARTHから歩いて10分ほどの場所にある3Uアジールでは、『EBUNE 大阪・西成漂着』の会期中の土日、「3U×屋台村」と題して、アーティスト、ショップ、コミュニティ、西成周辺の表現者がそれぞれの露店を出店している。劇団維新派の屋台村をオマージュしているとのことだ。
EARTHの展覧会と同様に、それぞれの露店はきれいに区画整理されているわけではなく、闇市的というか、そういう雑然とした雰囲気を醸し出している。土日の開催日には毎回「屋台村ステージ」が催されているようで、前の週には岩本弘人の「吟遊コトシタン」演奏や、M集会のパフォーマンスが実施されていた。ちなみに、9月16日から25日まで開催された『路地裏の舞台にようこそ』も3Uアジールを主会場としていた。
15時。会場にはすでになにやら緑色の全身タイツを着た人間たちが集まって談笑していた。私にとって唯一の情報源であるKOURYOUのFacebookを見ると、そこにアップされた宣伝画像の「出演」にYuzuru(Zentai Art Project)、チャッピ、杉浦こずえ、よいまつり、kouryouの名前が並んでいる。
Yuzuru MaedaはZentai Art Project を主催するアーティストで、全身タイツの集団パフォーマンスを企画・実施している。今回も、全身タイツを着る参加者を募集し、10人程度が参加することになったようだ。どういう経緯かわからないが、垣井しょうゆ、杉浦こづえ、そしてよいまつりも全身タイツでそれぞれのパフォーマンスを披露した。
まず、最初に垣井しょうゆによるノコギリの演奏。ノコギリの持ち手側の刃を太ももではさみ、木琴のようにばちで叩いたり、ギザギザの横目をバイオリンの弦のようなものでこすると、電子楽器を彷彿とさせるウヨーンという音がうねる。実は、昨日のカフェっぽい場所の夕飯に招かれた時、垣井とはすでに対面していて、「私はノコギリで演奏するんだ」と聞かされながら、なんのこっちゃと思っていたのだが、本当にノコギリで演奏していた。素朴におどろく。
その次は、Yuzuruのボイスパフォーマンス。入口すぐわきの「ワールドおさがりセンター西成」の舞台に上がり、スタンドマイク前に立ったYuzuruは、発声練習をするように高音の声を響かせる。それから太もものホルダーにセットしてあった電動ドリルをオーディエンスに向ける。電動ドリルの先端には造花が括り付けられており、電動ドリルを起動するとくるくる回転。そのあいだも、舞台前のスペースでは、緑色の全身タイツを着た数名が、即興的に思い思いの手振り・身振り・ゆるいおどりを展開している。
「アー」という発声はやがて歌詞のある歌に変わっていく。たまたま(全身タイツを着ないかと誘われた際に)KOURYOUから送られてきた歌詞と、当日の私の記録映像をもとに冒頭部分の歌詞を復元してみると、以下のようになる。
「思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ
あの頃のあの感じドキドキが止まらない感じ
みんなが集まって自分も何人も集まって
円を囲んで尊い話をして居るところ
思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ
面白いことがあった時 時の匂いを感じた時
湿った土の中に生命を入れた時の
思っていたより遠くまでよく響く感じ
だんだん忘れて行くよね
みんな分かっていた感じ
先を見越した記憶力のいい感じ
だんだん忘れて行くよね
自分が悪いと思いながら
苦しいことをしていれば救われる気がして」
ときにほとんど単語の意味を聞き取れないほどの早口で、音と音のあいだをなめらかにつないで発語されるYuzuruの歌声は、「思い出せ」と「忘れて行くよね」の振れ幅のなかで、「私」の中の忘却された記憶の想起に意識を向かわせると同時に、それらが実は夢のように実在していなかった過去かもしれないという感覚を呼び起こす。早口で軽やかな高音は、大切だったはずの過去の記憶を思い出そうとすればするほど、すぐさま消え去る現在のうちに横滑りしていき、決して到達できない過去になってしまうことを告げているようだ。
不確かな過去への不安と孤立した現在の空転のなかで確かな意図も目的もなく気まぐれにうごめく緑色のタイツたち。天国なのか地獄なのかわからない光景。
その後は、場所を移動して、杉浦こづえによる掃除機の演奏。掃除機の吸引する音をアンプで増幅しているのか、詳しくはよくわからないが、吸引口の部分を手で抑えたり、柄の部分を曲げたり伸ばしたりすることで、騒音に音色が生まれている。途中からは垣井しょうゆの“のこぎり”やYuzuruの“電動ドリル”も加わり、いっそう楽しくノイジーな場になっていく。
最後は、よいまつりの音楽ライブ。電動ドリルとかのこぎりとか掃除機とかに比べると、もっとも「音楽ライブ」らしいライブである。アイドル味のあるテクノポップな楽曲をキュートに歌い上げる。オーディエンスには日の丸をアレンジして金色のトゲトゲをつけた「国旗」のようなものが配られ、みんなでそれを振って、彼女を応援。全身タイツの上から履いたパンツを脱いで、「パンツない」を連呼する曲が印象的だった。
その日の夕方には、またEARTHに訪問して、じっくりと展示を見て回る。キッチンでタバコを吹かしながら、KOURYOUからいろいろと話を聞く。
港町として発展してきた大阪の西側には、大きく開けた海があり、海の向こうには極楽浄土があるという西方浄土信仰が存在している。そのため、仏教的な観点から、人生の余生を過ごすためにこの地を訪れる人も少なくないのだそうだ。
また、ドヤ街の「西成」は無縁の人も多く、会ったきりで行方知らずになる人もいるとのことで、生死の境目が曖昧になる土地なのだという。死を待つために来る人もいれば、仕事や事業に失敗してここにやってきては、元気を取り戻して帰っていく人もいる。先日の陸奥の話にもあったように、ここは流れ着いた人たちが自然と──しかし恩を着せることなく──助け合うなにかがあるようなのだ。宗教的・文化的に死と再生の循環をイメージさせるこの場所では、ある意味では、生も死も放っておくように受け入れる土壌があるのかもしれない、などと話し込んだ。
4.「EBUNE」を劇場のオルタナティブとして位置づけることは可能か?
さて、私は以上のレポートに記した経験すべてをEBUNEという「劇場」で生じた上演なのだと捉えている。つまり、たったの2日間しか滞在しておらず、そのイベントのほとんどを知らず、「西成」に対する多数の勝手なイメージの押しつけがあるかもしれないレポートの、全体としての結論もおぼろげな、偶発的で断片的なエピソードの寄せ集めに過ぎない「私」に中心化された体験の数々の中にしか、《ポスト劇場文化》の「劇場」はないと言ってみたいのだ(といっても、それをどのように評価するかはまた別の話である)。
こうした意味での「劇場」について考えるための補助線として、美術批評家のボリス・グロイスが簡潔に定式化するインスタレーションと劇場の差異を見ておこう。
「(…)インスタレーションの空間と劇場の空間の間には決定的な違いがある。劇場では観客は舞台の外に位置しているが、美術館では観客は舞台の中に入り、スペクタクルの内部に位置することになる。」[★5]
階級や身分差を廃して誰にとっても平等な見る機能を純化させた伝統的なモダニズムの劇場では、観客の場所は劇世界(スペクタクル)の外部にあり、どれほどドラマの筋が通らず、多義的で、意味不明だとしても「わからない舞台」として上演の全体を枠付けることはできた。しかし、インスタレーションの空間に参入する観客は、劇世界(スペクタクル)の外部に自らを位置づけることができない。ここで上演は「わからない舞台」として理解される可能性を失い、観客は社会を代表する一般性の普遍的なポジションを失い、インスタレーションの諸効果に触発される感受体、あるいはひとりひとりの配慮を要請する具体的な当事者になる。この差異はそのまま《ポスト劇場文化》における観客の位置の変化に対応している。
これまで確認してきた通り、ソーシャルネットワークと結びついた《ポスト劇場文化》の枠組みで、劇場の舞台から抜け出した上演は、あらゆる場所に遍在する刹那的な触媒・現象として了解可能になるのだった。グロイスの定式に従うならば、これは《ポスト劇場文化》において上演の場所を定義する基本的な範例が、(上演の外部を持つ)劇場ではなく、(上演の外部を持たない)インスタレーションになることを意味している。
遍在する刹那的な触媒・現象としての上演には、上演の全体性を掌握する外部のポジションが存在しない。友人との死別も、街頭でティッシュを配る手も、高圧的な上司の言動も、風のゆらめきも、彼女と喧嘩別れした朝のコーヒーも、どこでもすぐさまそれは上演になるのだから、上演ではないもの、上演の外部は──原理的に──存在しないのである。観客は歴史的・社会的に規定された空間の境界を失い、原理的にはどこまでも連鎖していく終わりなきインスタレーション=上演の内部に取り込まれ、その内側からたまたま自身の記憶や知識と関係付けられた瞬間瞬間、偶発的な諸断片を手繰り寄せることでしか、上演の意味を編む術を持てなくなる。
別の言い方をすれば、《ポスト劇場文化》において上演を組織する主導権は、舞台からただひとりの観客へ完全に移行し、個々の観客にどれだけ多くの意味やコミュニケーションを結びつけ、関連づけられるかで上演の濃度が判断されることになる(そのため上演と非-上演の違いは曖昧になる)。
だから私は、「EBUNE」に《ポスト劇場文化》における「劇場」のありかたが示されていると考えるのだ。なぜなら「EBUNE」という生命組織体は、展示、屋台村、アーカイブ展、イベント、パフォーマンス、音楽ライブ、ミーティング、演劇祭、映画祭、まちあるきツアー、SNS、そして「西成」のまちそのものと、個々バラバラな観客の相互作用的な関係において上演の形態を柔軟に変化させ、さらにそれを重ね合わせ、多くの意味や情動、コミュニケーションが発生するかもしれない確率的な磁場を形成するからだ。個々の観客の上演を作動させる確率的な磁場をわたしたちは「劇場」と呼ぶことが出来るのではないだろうか。
この意味での、《ポスト劇場文化》の劇場では、かならずしも特定の物理的な場所が必要になるわけではない。それは観客「を」組織するハコではなく、観客「が」、そして観客「に」、多数のコミュニケーションを一時的に連結させるかもしれない「磁場」の隠喩でイメージされる。展示、屋台村、アーカイブ展……などのメディアが複合的にかけあわせられることで、観客のうちに多数の意味・感覚・情動・コミュニケーションを生じさせうる磁場であり、そうした諸関係の磁場を形成する複合的・多面的なフォルムとして劇場のかたちが示されることになる。だからその磁場が消えれば、劇場も消える。逆に言えば、その磁場を持続させるための戦略的な装置として物理的な場所が位置づけられることになる。
私が「EBUNE」に示されていたと考える、上演と劇場の関係を次のようにまとめておこう。まず、「EBUNE」に組織される観客の上演に終わりはない。しかし、「EBUNE」を形成する多面的なフォルムの効力が及ぶ範囲(磁場)によって、個々の観客の上演は暫定的に区切られることになる。たとえば、「EBUNE」の情報を発信するFacebookは上演のメディアだ。しかし、その上演が形成する諸関係のフォルムは、Facebookのフィード形式に規定される。観客に歩かれたり、観客と会議したりはできない。だから、その上演の磁場が持つ効力は限定的なものになるだろう。それに比べて「西成」のまちなかを歩き回った人のうちに生まれる上演の磁場は、より強い効力を持つかもしれない。《ポスト劇場文化》の劇場は、そうした磁場のグラデーションを形成するのである。
《ポスト劇場》の観点は、現在の伝統的な劇場に対するまた別の見方を示すものでもあるだろう。この観点からすると、どこでも良いが、公共的であれ、商業的であれ、劇場が観客に結びつける意味やコミュニケーションの形態は、あまりにも一面的で、貧相なものに思えてくる。もちろん、あえて過剰な情報を遮断する演劇の戦略はありうるし、学校や刑務所や職場で行われるさまざまなアウトリーチ活動にも社会と劇場を結びつける重要な意義が、私が言うまでもなくあるだろう。
しかし、しばしば、上演の場を組織する主体が種々雑多でバラバラなただひとりの観客であること、上演の場が組織される可能性の中心は種々雑多でバラバラなただひとりの観客が担わざるを得ないことが──観客自身においても──忘れられているのではないだろうか? 《ポスト劇場文化》の圏域が徐々に広がりつつある現在、わたしたちはただひとりの観客が持つ意味を考え直す時期に来ているのかもしれない。
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[★1] 『EBUNE大阪・西成漂流』フライヤーから引用。
[★2] 『EBUNE大阪・西成漂着』の詳細なレポートが、月刊美術批評WEBマガジン「レビューとレポート」にアップされているので合わせて参照してほしい。「EBUNE 大阪・西成漂着 撮影訪問記録 ーーEARTH×EBUNEーー」(取材・執筆・撮影:東間嶺)
[★3] KOURYOU「家船」制作インタビュー(聞き手=平間貴大)
[★4]「EBUNE」アーカイブ展(DOYANEN HOTELS BAKURO)の展示資料から引用。
[★5] ボリス・グロイス『流れの中で──インターネット時代のアート──』、河村彩訳、人文書院、2021年、p.27。
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しぶかわ・まろん/批評家。「チェルフィッチュ(ズ)の系譜学」でゲンロン佐々木敦批評再生塾第三期最優秀賞を受賞。最近の論考に「『パフォーマンス・アート』というあいまいな吹き溜まりに寄せて──『STILLLIVE: CONTACTCONTRADICTION』とコロナ渦における身体の試行/思考」、「〈家族〉を夢見るのは誰?──ハラサオリの〈父〉と男装」(「Dance New Air 2020->21」webサイト)、「灯を消すな──劇場の《手前》で、あるいは?」(『悲劇喜劇』2022年03月号)などがある。
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【上演記録】
EBUNE・大阪西成漂着
撮影者:KOURYOU
2022年8月27日~10月31日
EBUNE・大阪西成漂着イベント情報はこちら