<先月の1本>マームとジプシー『cocoon』 文:山口茜
先月の1本
2022.08.21
良い舞台は終わったあとに始まる。強く長く記憶されることが、その作品を良作に成長させていく。けれども人間の記憶は、記録しないと薄れてしまう。「おもしろかった」や「受け入れられない」の瞬間沸騰を超えた思考と言葉を残すため、多くの舞台と接する書き手達に、前の月に観た中から特に書き残しておきたい1作を選んでもらった。
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「生という凡庸さ」
上演が終わって、観客たちは、自分の拍手で芝居が壊れてしまわないように、静かに、静かに、けれどもとても分厚い拍手を続けた。カーテンコールが3回あって、3回目が終わった後に私は4回目を続けてもよかったのだけれど、どこかで終わりを見つけなくてはならないから、仕方なく手を止めた、でも心の中で拍手は続いていた。でもその拍手は、激しいものではない。良いパフォーマンスをありがとう、ではなかった。生きていこう。という合図を送り合うような感じだった。
舞台ではとにかく、俳優たちが走っていた。小さな島に暮らす女学生たちの「取るにたらない」生活が、最初の50分、走りながら描かれる。登場人物も舞台美術もとにかく繰り返し繰り返し、走馬灯のように流れていく。せわしなくありきたりの毎日。ふと、政治は凡庸でなくてはならない、と岡野八代さんに聞いたことを思い出す。政治は、万人の生活のことをするのだから、凡庸でなくてはいけないのだと。
そうすると戦争というのはおそらく、凡庸でない政治をしようとしたものたちの行いで、無数の死者たちはその結果だろう。どうして人間は、凡庸でないものに憧れ、凡庸さを見下し、人間を人々と呼んでしまうのだろうか。ひとつひとつに目を凝らせばそれらは確かに別のもの同志なのに、どうして十把一絡げに死なせてしまうのか。
さて、ここまでは、舞台が女学校だったので、男性はほとんど出てこなかった。実は出ているのだが、それらは大道具を運ぶ人として現れるだけで、あるいは時々、不意にその辺に突っ立っているという演出もあったりするが、女学生には関係のないものとして描かれていた。それが50分を過ぎたあたりから、女学生を求め脅かす相手としてどんどんその影を増幅させていく、
次の1時間はとにかく、女学生たちが、血や蛆虫や、臭気や友人の死や爆弾の音とともに、次々に運ばれてくる傷ついた兵士たちの手当てをしていくガマのシーンだ。もちろん、まだ10代の、看護や医者の卵でもない彼女たちに、できることなどほとんどない。であるにもかかわらず、彼女たちは生きた兵士から切り取ったばかりの腕を運ばされたり、死んだばかりの人を運ばされたりする。そして時に「運悪く」着弾して死んでしまったりする。見知らぬ男に抱きつかれ犯されそうになったりもする。女学生たちは、不衛生で、屍体だらけの場所で、爆弾と男に怯えながら休む暇もなく働き続け、最後には立ったまま眠る。
ところで本来はまるで地獄のような場であるはずのガマが、舞台美術や小道具、俳優の衣装、照明、そして音楽に寄って、語弊を恐れずいうならばとてつもなく美しい絵となって目に飛び込んでくる。これはとても扱いの難しいところで、下手すれば戦争の美化のようにもなりかねないことかもしれないが、もちろんそうではない。戦争は美化されることなく、私たちが見続けることのできるようなオブラートに包まれ、届けられるのである。演出の藤田貴大さんは、今日マチ子さんの作品の物語を舞台化したのではなく、あの作品における絵のタッチの役割を舞台化したのだと思う。
そうして観客である私は、最初の50分に見た彼女たちの凡庸さが、完全に損なわれてしまう様を見続けてしまう。凡庸であるために身近に感じていた彼女たちが、美しい絵の中で、次々に損なわれていく、これはとても耐え難い。
ついに最後の40分で、女学生たちはガマを追い出され、海に向かって当て所なく走り始めることになる。大人たちの言うことは残酷だ。ここから出ていけ。行き先は自分で決めろ。怪我をした友人は捨てていけ。これまで「国のため」と言う非常に解像度の低い目的に奉仕してきた子供たちが、突如、自由にしろ、と言われる。しかもその自由は、爆弾の降る道を食べ物もないまま行き先もわからず走り続けることを意味する。全く想像に難くないことだが、彼女たちは怪我をして走ることを諦めたり、恐れをなして自決したりし始める。もちろん逃げ続ける意思があったものも、餓死したり着弾したりして、一人、また一人と命を落としていく。
そして最後に、たまたま、偶然、サンという女学生が一人、生き残る。しかし観客である私は、呑気に彼女に自分を重ねたりはしない。その偶然性の中に「凡庸でない」ものを見出したりはしない。なぜなら漫画も含めてこの「cocoon」で描かれていたのは、生き残ったものの語る戦争ではなく、死んだものの語る戦争であるからだ。
上演中、共に走りながら、サンを励まし守り続けてきたマユが、死に際に、自分もまた人を殺したのだと告白する。サンを犯そうとした男を、殺したのだと。それはマユが女学校に転校してきた時に話したエピソードにつながる。爆弾を落とす飛行機の操縦席に、自分が乗っている夢だ。私たちはいつでも簡単に殺されてしまうし、簡単に人を殺してしまう。戦争という大義のもとに。
3時間近くの観劇の感触が、今もまだ、私の中に残っている。オブラートのせいで難なく飲み込んでしまったけれど、あれは確かに、死んだものたちの見ていた景色だった。そして彼女たちを送り出す音楽だった。
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やまぐち・あかね/1977年生まれ。劇作家、演出家。合同会社stamp代表社員。主な演劇作品に、トリコ・A『私の家族』(2016)、『へそで、嗅ぐ』(2021)、サファリ・P『悪童日記』(2016)、『透き間』(2022)、トリコ・A×サファリ・P『PLEASE PLEASE EVERYONE』(2021)など。
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【上演記録】
マームとジプシー『cocoon』
撮影:岡本尚文
2022年7月~9月にかけ、東京・長野・京都・愛知・福岡・沖縄・埼玉・北海道にて上演
原作:今日マチ子(「cocoon」秋田書店)
作・演出:藤田貴大
音楽:原田郁子
出演:
青柳いづみ 菊池明明 小泉まき
大田優希 荻原綾 小石川桃子
佐藤桃子 猿渡遥 須藤日奈子
高田静流 中島有紀乃 仲宗根葵
中村夏子 成田亜佑美
石井亮介 内田健司 尾野島慎太朗
マームとジプシー『cocoon』公式サイトはこちら