<先月の1本>トラジャル・ハレル『ダンサー・オブ・ザ・イヤー』 文:私道かぴ
先月の1本
2022.08.21
良い舞台は終わったあとに始まる。強く長く記憶されることが、その作品を良作に成長させていく。けれども人間の記憶は、記録しないと薄れてしまう。「おもしろかった」や「受け入れられない」の瞬間沸騰を超えた思考と言葉を残すため、多くの舞台と接する書き手達に、前の月に観た中から特に書き残しておきたい1作を選んでもらった。
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‟本気”の投げキスが意味するもの
わかったか?と聞かれると、正直よくわからない。何が好かったのか?と聞かれても、即答できる自信がない。
でも、私は何度も作中のシーンを頭の中に再生し、鑑賞し直し、ある光景に毎回心を射抜かれている。それは、舞台の上にたった一人で立つダンサーが、観客の一人ひとりに力強い視線を投げかけた、この作品の最後のシーンだ。
『ダンサー・オブ・ザ・イヤー』は、観客が出入りする扉の前でスタンバイしたダンサーのハレル自身が、舞台へ登るところから始まる。
舞台上に建てられた壁の向こうに姿を消し、十分な時間をかけて衣装に着替えたのち再び姿を現した彼は、セットのパソコンを自ら操作して音楽をかける。一音目が鳴ると同時に、驚くほどスムーズに踊りは開始された。
曲にあわせて緩やかに身体を左右に揺らすのが主な動作だった。そこに、手の動きと、時折可憐で時折苦しそうな表情が乗ってくる。舞台全体を使うでもなく、テクニックを駆使した身体を見せるでもなく、曲が流れるようにダンスも目の前で流れていった。その様子を見ながら、正直混乱していた。ひとつの曲が終わり、新しい曲を流す度にダンサーの表情は歪んでいく。汗が滲み、声が漏れる。彼の感情が高ぶっているのがわかった。しかし、その気持ちの盛り上がりについて行けなかった。なぜそんなに苦しそうなのか。わかりたいのに、わからない。もどかしかった。何かヒントが欲しくて、じっと踊りを見つめる。動作は至ってシンプルだ。片手ずつ顔の前にふわりと上げては降ろす。その繰り返しは「さよなら」という挨拶にも、何かに異議申し立てをしているようにも見えた。両手が同時に上がると、降参しているように見えた。見え方は都度繰り出される手の角度、表情によって変わった。その時、なぜかふと「今この地球上に、全く同じタイミングで同じ角度で手を上げている人がいるのではないか」と思った。そこでやっと、ハレルのダンス制作に、モデルのポージングを参照した「ヴォ―ギング」という手法が使われていることを思い出す。誰かがかつて行った動作。それが今まさにダンスの中に浮かんでは消えているのだと感じた。
踊りが次々と終わっていき、観客の受け取り方も徐々に定まって来たかと思われた終盤のことだった。彼は突然、客席に話し掛け始めた。
「これから踊るのは、とても好きな曲のひとつです。ただとても難しく、最後まで踊り切れるかわかりません。でも、全力を尽くすことを約束します」
最初は英語で、次に客席にいたドラマトゥルグのサラ・ヤンセンによって日本語に訳されたこの一言に、観客の表情はほころんだ。それまで客席内に漂っていた「何かを享受しなければ」という固い空気がやわらかくなっていく。演者が舞台上から客席に語り掛ける動作には、「場を和ませて作品に親しみやすさを持たせる」効果がある。その方法をうまく使っているのだと思った。しかし、踊りを見ているうちにその考えは消えた。
踊りの中で、彼は観客の中から一人を定め、ゆっくりとキスを投げた。キスを届ける前、ハレルは相手の目をじっと見つめた。それは、見つめられた観客が「ダンサーは今、自分一人を見ている」と認識するのに十分な時間を用いた、贅沢なパフォーマンスだった。
その突飛でチャーミングな動作に、客席から笑いが起きる。しかし、彼がキスを飛ばす人物が一人、二人と増えていくにつれ、徐々に笑い声は聞こえなくなっていった。その表情が、真剣そのものだったからだ。彼は、場を和ませようとしているわけでも、笑いを起こそうとしているわけでもないようだった。観客を捉える目はどこまでもまっすぐだった。「観客」という群衆の中から一人を引っ張り出し、視線を交わし、キスを送ることで、自分と関係を結んでいた。唇に添えた手をゆっくりと向けることもあれば、両手でハートを作って送ることもあった。愛を送られた観客は、気まずそうにすることもなく、うんうんと静かに頷いた。それを見届けて、彼は次の観客とまた同じように関係を結んでいく。
なんだこれは、と思った。
今目の前で行われているのは端的に言えば投げキスで、ダンスではないように思われた。しかし、観客と一対一で真剣に心を通わせようとしている姿は、どこかダンサーが一心不乱に踊っている時と近いものを感じさせた。そこではたと気づく。もしかしたら、キスを投げている彼は、先程まで踊っていたすべての動作の持ち主を引き受けたままなのではないか。ダンサーは身体の中にかつてあった誰かの動作を秘めたまま、私たちと関係を結んでいるのではないか。
結局、会場にいる観客全員にキスを送る前に、曲が終わった。先の言葉を用いるとするなら「最後まで踊り切れなかった踊り」ということになるのだろう。しかし、踊り切れなかった踊りの後、会場は割れんばかりの大きな拍手に包まれた。
私もいつの間にか懸命に拍手を送っていた。私の元には、彼の視線が注がれることはなかったが、それでも確かにあの時、胸に熱いものが込み上げていた。
何が好かったのか、今でもはっきり言葉にできない。しかしあの日の帰り道、「きっと今日のことをずっと忘れないだろう」と思った感覚だけは、彼の踊りと一緒に、私の身体の中へしっかりと残っている。
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しどう・かぴ/1992年生まれ。作家、演出家。「安住の地」所属。人々の生きづらさに焦点を当てた会話劇や身体感覚を扱った作品を発表している。身体の記憶をテーマにした『丁寧なくらし』が第20回AAF戯曲賞最終候補に、動物の生と性を扱った『犬が死んだ、僕は父親になることにした』が令和3年度北海道戯曲賞最終候補に選出された。国際芸術祭あいちプレイベント「アーツチャレンジ2022」において映像作品『父親になったのはいつ? / When did you become a father?』が入選。
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【上演記録】
『ダンサー・オブ・ザ・イヤー』(国際芸術祭あいち2022)
Photo: Takayuki Imai
©国際芸術祭「あいち」組織委員会
2022年7月30日(土)~31日(日)
愛知県芸術劇場 小ホール
出演・振付:トラジャル・ハレル
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