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<先月の1本>羊のクロニクルズ『太陽とカツ丼とスターラーメン』 文:植村朔也

先月の1本

2022.06.20


良い舞台は終わったあとに始まる。強く長く記憶されることが、その作品を良作に成長させていく。けれども人間の記憶は、記録しないと薄れてしまう。「おもしろかった」や「受け入れられない」の瞬間沸騰を超えた思考と言葉を残すため、多くの舞台と接する書き手達に、前の月に観た中から特に書き残しておきたい1作を選んでもらった。
  
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ばらばらにかがやく:羊のクロニクルズ『太陽とカツ丼とスターラーメン』評

わたしは静岡を魔境だと思っている。ざっと思いつくだけでも、静岡の地からは臼井儀人、さくらももこ、しりあがり寿、電気グルーヴ、ハリウッドザコシショウ、漫☆画太郎(諸説ある)など錚々たる面々が輩出されている。県民性という言葉はあまり使いたくないが、それでもこうして名前を並べてみると、ぽかんとした寛容に支えられたとぼけた毒気とでもいうのか、なんだか名状しがたい精神性がそこに息づいているのを感じずにはいられない。

ゴールデンウィークにはストレンジシード静岡へ行くようになって4年になる。「ストリートシアターフェス」を標榜するストレンジシード静岡は、演劇ばかりでなくダンスにサーカス、パントマイム、はたまたほとんど美術のインスタレーションのようなものなど、さまざまなジャンルの入り乱れる、きわめて挑戦的な舞台芸術祭である。特に今年などは、声出しを避ける感染対策上の配慮もあってなのか、ダンスが半数近くを占めた。

野外での上演が主で、にぎやかな街並みに舞台が自然に溶け込んで、とても晴れやかで開放的な印象を放つ。と同時に、その開放感にまかせて、世界のほんとうの姿がいつだってさらけだされてしまいそうな、そういうあやうい気分もたしかに漂っている。

わたしが欠かさずこのフェスティバルに足を運ぶのは、主に静岡の作家たちとの出会いへの期待からだ。ストレンジシード静岡が県内のアーティストを多く招くようになったのはどうやらわたしが初めて訪れた2019年からのことらしいのだが、静岡の作家たちの舞台をこれだけ幅広くまとまった仕方で観ることのできる機会は、いま、ほかにないのではないか。事実、ここで遠藤綾野(Ran Run Tan*Mon Dan)やdobby/仮説のパフォーマンスから受けた衝撃が、静岡という場所をわたしにとっていっそう特別にしている。おかげでこれら両作家が出演しなかった今年のストレンジシード静岡を当初は物足りなく感じてしまったくらいだが、そんな気分をあっさり吹き飛ばしてくれたのが、羊のクロニクルズ『太陽とカツ丼とスターラーメン』の演奏である。

勝手に歌っている人間、勝手に弾いている人間、勝手に叩いている人間、勝手に揺れている人間。そんなステージだった。田村迅のボーカルは低く野太い声で、歌というよりは大声のぼやきに近い感じがする。詞も大胆でナンセンス。曽布川祐のエレキギターはギュンギュンとキレのあるサウンドを放ち続ける。ドラマーの調子はずれな打楽器のビートが小気味いい。揺れている人間は、楽器を持たされてはいるものの、視線はあさっての方を向き、我ここにあらずというようにも見えて、いつステージから転落するともしれず危なっかしい。しかし、そうして身体が揺れている以上、そこには存在感のある、音のないリズムが響いている。音楽なのだ。

それぞれがやりたいことをやるだけやっていて、印象はめちゃくちゃだけれど観ていて異様に清々しい。しかし驚かされるのは演奏者たちの自然体で、そこにはトガった表現をかましてやるぜという時のあの嫌味たらしい気負いのようなものがなく、息をするようにロックだ。

だからだろうか。出演者の大半がどうやら障がい者らしいとわかるのには、時間がかかった。気づいて、あっしまった、こんなに興奮してしまって、などとなぜか一瞬思う。

しかし、そんな思いなど我関せずで、身体は興奮していた。それに、よく考えてみると、なぜ「しまった」なのか。たとえば、もしも障がい者を見世物にするようなパフォーマンスをわたしが無自覚に楽しんでしまっていたなら、たしかに反省すべきかもしれない。でも、そうではなかった。それに、そもそも目の前のパフォーマーたちが抱えている障がいがどのようなものかも、わたしにははっきりとはわからなかったし、気になりさえしなかった。だから、「しまった」とは咄嗟についてしまった嘘にすぎない。しかし、この時わたしは何に嘘をついてしまったのだろうか。もしかしたら、かえってその嘘自体が「しまった」だったのかもしれない。

ケアや福祉をテーマとする芸術実践が、昨今にわかに注目を集めている。しかし、掲げられている理念がどうであれ、こうしたテーマをもとにつくられた作品は、そこでケアや福祉の対象として想定されている弱者に、弱者としてのふるまいをわざわざ演じさせてしまう危険をいつでも帯びている。守るものと守られるものの非対称な関係性が作品を通じて強化されて、人間を「弱者」のカテゴリに囲い込んでしまうことになるかもしれないのだ。

弱者であることに甘んずるとき、生気は自然と奪われていくものだし、時として人との仲が分断されることにもなりうる。実際、たとえば特別支援学級やデイケアに所属する人々は、その外の世界から自然と切り分けられてしまいやすい。もちろん、福祉やケアをここで悪者にしようという気はさらさらない。それでも、そうした感じのよい言葉をくりかえし冷静に見つめ続けることは必要だ。少なくとも、障がい者であることと人間であることは、いつも両立していなくてはならない。

ところで、ストレンジシード静岡の公式サイトに掲載された羊のクロニクルズの紹介文では、障がい者バンドとしての性格がほとんど強調されていない。メンバーが主にたけし文化センター連尺町の利用者とスタッフから成ることが、そっけなく書かれているだけだ。だからその音は、障がい者としての、弱者としての表現には決して回収されない。

しかし、同時にそのパフォーマンスは、彼らの障がい者としての個性を否定はしていなかった。そこに嘘はない。むしろ個性は爆発していた。でもそれは、彼らが障がい者の枠に押し込められていなかったからこその爆発だったはずなのだ。

ステージ脇では、おそらくたけし文化センター連尺町スタッフであろう人たちが、アクシデントに備えているのだろうか、軽く談笑なんかしながらステージを見つめていた。いつもの仕事場からそのままここにやってきましたという感じで、緊張や焦りは感じられない。そのおだやかな肯定の力強さを思う。

羊のクロニクルズたちはどこまでもリラックスして見えて、しかも、自然であればあるだけロックだった。のびやかにいたっていいのだと、そのサウンドは、まさしく破壊的に告げていたのだから。

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うえむら・さくや/批評家。1998年12月22日、千葉県生まれ。東京はるかに主宰。スペースノットブランク保存記録。東京大学大学院表象文化論コース修士課程所属。過去の上演作品に『ぷろうざ』がある。

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【上演記録】
羊のクロニクルズ『太陽とカツ丼とスターラーメン


2022年5月3日(火・祝))~5日(木・祝)
静岡ストレンジシード2022・駿府城エリア
作詞・作曲:田村迅
編曲:曽布川祐
出演:田村迅/曽布川祐/クリエイティブサポートレッツの仲間たち

ストレンジシード静岡2022公式サイトはこちら
羊のクロニクルズ公式Instagramはこちら

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