【特集4】「岸田賞のパースペクティヴ」岸田國士戯曲賞事務局長・和久田賴男インタビュー
第67回岸田國士戯曲賞
2023.03.17
徳永 今年も岸田國士戯曲賞最終候補作の戯曲が公開されました。白水社のホームページ上で、年によって全作ではありませんが、戯曲が読めるようになったのはいつからでしたか?
和久田 2016年の第60回からなので、今年の第67回で8回目ですね。最近は、若手の方や演劇に興味のなかった方が戯曲を読むきっかけにもなっているようで、特に去年はそういう読者の方が多くいらっしゃった感じがありました。「そもそも岸田賞って何なの?」という方もまだ大勢いらっしゃるってことが、あらためてよくわかりました。岸田賞を知らない人のところまで戯曲が届いた、というのはいい傾向だと感じます。
徳永 このインタビューも、岸田國士戯曲賞についての、主にSNS上ですが、意見を見た時に、単純に仕組みが正しく知られていないことから来ている誤解だと感じることがあり、また、この数年はハラスメント問題など、批判が集まるいくつかの事案が続いているので、改めてお話を伺いしたく思いました。
まず、岸田賞の仕組みからお聞きしたいのですが。
和久田 仕組みといいますか組織図という面からお伝えすると、岸田國士戯曲賞選定委員会ないし岸田國士戯曲賞事務局をもって取り組んでいる賞ですね。事務局は、去年、新しく設置しました。また今年からは、白水社が主催で、公益財団法人の一ツ橋綜合財団が後援という形で新たな運営体制をとるようになりました。
徳永 一ツ橋綜合財団というのはどういう団体なのでしょう?
和久田 小学館の相賀会長が代表理事をつとめる財団で、詩歌文学館賞の主催をはじめ、集英社の文学賞の共催や劇作家協会新人戯曲賞の後援も行なっています。昨今の岸田賞の状況もご覧になっていらしたので協力を仰ぐことができたという経緯があります。ちなみに、一ツ橋綜合財団による後援を得たこともあり、今回から賞金は60万円になります。
徳永 賞金は昨年までは20万円でしたから、大幅なアップですね。
和久田 金銭的なところでも、演劇を志す人が希望を持てる賞にしたいということで改善しました。
徳永 その事務局は恒常的に置くものですか? それとも、年度ごとに新設するような形なのでしょうか?
和久田 事務局は恒常的に設置という方針でスタートしました。現在のコアメンバーとしては私を含む3名ですが、社外の人間もいます。選定委員会に関しては、弊社の社長や役員も含めて構成する形です。その人数は10名ぐらいでしょうか。
徳永 事務局が組織図の一番上に来て、その下に10数名の選定委員会が置かれる。この選定委員会は白水社の社内の人で構成されるのでしょうか?
和久田 外部で協力してくださる方もいらっしゃいます。具体的に言うと、戯曲の下読みをしてくださる方々です。下読みする人の数も含めると選定委員会は20名くらいですかね。外部で下読みする方は現在6名いらっしゃいます。
徳永 外部の6名の方も選定委員会のメンバーということは、下読みだけでなく、運営方針などに関して意見が言える立場でもあるのでしょうか?
和久田 そういった外からの意見を聞く場を多く持てればとは思っていますが、これまでは、そういう機会はさほど持っていなかったですね。もちろん、委員会外のところでいろいろと話をうかがって選定に生かすようにしてきてはいますが。
徳永 和久田さんの現在の事務局内の肩書きは、事務局長でよろしいですよね。これまで長く続いてきた選定委員会の形をやめ、新たに事務局を設置した理由を教えてください。
和久田 徳永さんがおっしゃる通り、このところ岸田賞が良くない形で話題になることが増えてしまっているので、当然ながらしっかりとした体制・運営作りをしたほうが良いだろうという考えがあってのことです。そのためには、これまでより、もう一段階上の存在として事務局の設置というものを考えるべきだろうと。岸田賞のCKOとでもいうべきパースペクティヴを確立させ、継承存続させてゆくための事務局設置です。井上ひさし先生にご提案いただいたこともあり、弊社の前社長の及川とも話し合ってきましたが、理想としては、岸田賞の財団化ということも視野に入れています。
徳永 賞の運営にかける準備期間は?
和久田 年間を通して言うと、受賞作が決まって授賞式が終わると、すぐ次年度に取り組むという形ではありますね。厳密に言うと、授賞式の前から動いてはいるのですが、実作業として一番慌ただしくなるのは年の後半から年末年始をへて選考会くらいまで。ただ、その辺りの方針や方法は見直そうとも考えています。それは、果たして年に1回の検討でいいのか、といったことです。例えば、読売演劇大賞や他の文学賞のように、上半期・下半期みたいな形でやるのがいいのか、とか。選考会を2回やらなくとも、推薦作を絞り込んでいく作業を年に2回に分けるほうが良いのではないか、といった話も出ています。
徳永 財団化も見据えていらっしゃるというと、今年は事務局を設置した最初の年ではあるけれども、さらに大きな変化への始まりと言えそうですね。
和久田 そうですね、これからさらに良くしていくための変化が事務局には求められていると思います。先ほどパースペクティヴと言いましたが、事務局の設置は、全体を見とおす意識をしっかりと持ち、時代の新しい要請に応答しつづけてゆくという意味合いもありますので。
徳永永 岸田賞の歴史のなかで、こういった大きくシステムが変わったことは過去にもあったのでしょうか?
和久田 過去最も大きく変わったのは、演劇雑誌(「新劇」)を持たなくなった時ですね。演劇雑誌を持たないところがどうやって演劇の賞を運営していくんだ? という局面になって、推薦システムを導入したことです。
徳永 では、推薦システムについて教えてください。
和久田 今のところ、推薦権を持っている方々は250名ほど。具体的には、まずは過去の受賞者ですね。あとは劇評家、演劇研究者、新聞の演劇担当記者や、文芸誌をはじめ各種メディアの演劇担当者の方々。本当はもっと実作者の方に入っていただけるのがいいとは思うのですが、その辺りの考え方が難しいところですね。アカデミー賞にしてもそうですが、評価は、やはり別の職能の人にしていただくというのが理想的かなと。観測というか評価される対象となりうる人が、推薦権を持つメンバーに入ることが良いことなのか、というのはどうしても考えてしまう。ですので、受賞した方には入っていただいてますが、それ以外の実作者の方には加わっていただいていないんです。これは選考委員の選定にも関わるのですが、推薦したり選んだりする側ではなく、岸田賞に選ばれる状況を保持していただいているという考え方です。
徳永 推薦権を持っている250名、その数は固定で、250という枠の中で新陳代謝があるのか、それとも入れ替わりは常にしていて、250という数字は今たまたまなのか、どちらでしょう?
和久田 入れ替わりもありますし、増えたり減ったりもして現在この数に至っているわけですが、推薦作を戻していただいた時にどれくらいの数の作品が集まってくるのかというところが毎回考えさせられます。さほど集まらないということが起きたりもするので。最初に推薦人のシステムが作られたのが、白水社で演劇雑誌が休刊した1992年から93年です。もう30年になりますね。そのころ演劇に関わっていらした方はご高齢になられてますし、残念ながらお亡くなりになられた方もいらっしゃる。ですので、新しい人に入っていただくために、推薦人の見直し作業はまず第一にやるべきことと考えています。
徳永 よく挙がる批判に「最終候補に残るのが首都圏で上演した作品中心」というものがありますが、推薦人からの推薦でカバー出来ない部分には何か対策を打っていらっしゃるのでしょうか?
和久田 はい、そうですね。地方の方からも推薦をいただくようにしていますね。
徳永 推薦権を持ってない方から手が挙がることもケースとしてはあるかと思うのですが、そういうことにはどう対応されているのでしょうか。
和久田 そういった声を聞いて、こちらで取り寄せることもあります。作品を取り寄せなかったとしても、ネット上にある公演情報が出ているものはひととおり目を通すようにしていますし、オンラインでのリサーチも怠らないように努力しています。もちろん、書籍や文芸誌で活字化されたものが本来の選定対象ではあるのですが、これだけ多様性の時代になってきているにもかかわらず、演劇の面白さをのせるヴィークルとしての紙媒体が少ないので。またそういう状況のなか、推薦権を持つ推薦者の人たちを公表するべきか否かといった問題もあります。
徳永 推薦者の公表ですか…。それはハラスメント問題にも関わってきそうですね。「自分は岸田賞の推薦権を持っている」という立場が明らかになれば、権力は生まれてしまうでしょうから。
和久田 それもあって公表しない方向で考えてはいますが、現在、特に“公表しないでください”という規則も設けていないので、そのあたりも整理したいと思っています。
徳永 では、選考委員について伺います。この選出には「過去に岸田國士戯曲賞を受賞している」というのが、今のところ唯一の条件です。この数年で大きく問われるようになった選考委員の男女比の不均等は、この条件に依拠しているところはありますよね。
和久田 ジェンダーバランスの是正に関しては、かねてより、改善したいと考えて、取り組んできている部分です。「受賞者じゃないと選考委員になれない」という現状のシステムに則する限り、まず女性に受賞していただかなくちゃいけない。それはつまり、最終候補作家に女性が多く登場していただかないとその可能性は増えないわけですので、選定の段階でジェンダーバランス是正のための方針や見解をもって選出しています。それはもう10年ぐらい行なっていることです。
徳永 10年も前から?
和久田 あまり周知はされていないのですが、世間でジェンダーバランスが叫ばれる前から岸田賞としては考えていたことではあるんです。これは『シアターアーツ』の「ジェンダーと舞台芸術」の特集(22年春号)のときにもお話したのですが、最終候補作の当落線上に男女の劇作家の作品が並んだときは、女性作家が選ばれるようになっています。一種のアファーマティブアクションですね。女性作家の受賞機会が失われないようにと思って臨んでいます。
徳永 以前、パルテノン多摩の「現代演劇講座」にゲストでお越しいただいたときに(18年)、岸田賞の評価基準について「実力+変数」とおっしゃっていて、変数は時代で変わっていく部分だというお話でしたよね。女性劇作家に関してそのひとつだと思ってはいたのですが、まさか10年も前からそれを意識されていたとは気付きませんでした。
和久田 そうですね。あと、異業種というか異ジャンル、いわゆる演劇メインじゃない方というのもあります。
徳永 近年の候補作で言うと、お笑い芸人でもある、かもめんたるの岩崎う大さん、コントユニットのダウ90000の蓮見翔さんなどでしょうか。
和久田 演劇にずっと取り組んできていて、かつ新しいことに挑戦する人を基本的にはまず求めているわけですが、異ジャンル的な存在が演劇界に刺激を与えてくれる──新風を吹き込んでくれるのではないかという期待はやはりあって、そういう人がいるのかいないのかは絶えず気にして見ています。
徳永 少し大袈裟な言葉になるかもしれませんが、ゲームチェンジャーを探しているということですか?
和久田 そうですね。
徳永 その背景には、野田秀樹さんや岡田利規さんといった、実際、突如として現れ、登場するやいなや演劇の歴史に変革を起こした人がいた、それが演劇界にとって非常に重要な変革をもたらした、ということを和久田さんが身をもって知っていらっしゃるということがあるのではないかと想像します。
和久田 岡田さんは全然その存在が世間に知られていないとき、新しい価値観と方法で登場されましたよね。でも推薦作としては挙がってこなかったと記憶しています。そういった作品をこちらで取り寄せたりとか、面白い作品があると聞いて探し当てたりすることもあるので、そういう人を探したい、もっと登場してもらいたいという思いは確かにあります。
徳永 まだ価値が定まっていない可能性を発見する、それが岸田賞の価値というか、ひとつのアイデンティティだと考えていらっしゃる?
和久田 演劇を新しくしてくれる存在という意味では、確かにそうです。あとは、海外で通じるということも必要だなと思います。それも変数の一つでもあるかもしれません。海外で岸田賞というものが通用するようになったことについては、岡田さんの功績は大きいと思いますね。現在KAATにて上演中の『掃除機』もドイツで書かれて評価を受けた作品ですし、そういった作品というのはやはり岸田賞が求めているところではある。それは、白水社が海外文学翻訳をしていること、岸田國士さんがフランス語で戯曲を書いていたということにも通じていくところです。ドメスティックな人気ももちろん大事ですが、海外のマーケットでも通用しうるということも意識はしているつもりです。海外の目利きにも、新しい才能に瞠目してもらいたい。
徳永 岸田賞の遺伝子として、海外志向は元々あったと。
和久田 そうですね。話が少し前後しますが、変数の一つである異ジャンルについてもう一歩踏み込んで言及すると、異ジャンルの方にはいわゆる演劇界の「しがらみ」が少なく、比較的自由な発想で劇作できる側面もあると思うんです。そこに新たな観客が生まれてきているのなら、無視するわけにはいかない。異ジャンルとは何かといったとき、これまでの演劇とは違うファン層を獲得している作家と考えることもできるのではないでしょうか。
徳永 和久田さんがおっしゃる異ジャンル、私は、「笑い」という要素が変数になっているのかと認識していました。ケラリーノ・サンドロヴィッチさんや、過去に選考委員であった松尾スズキさんが「演劇における笑いを復権させたい」という発言を度々されていたので、その反映かと。うがった見方だったでしょうか?
和久田 笑える作品は笑いがわかる人にちゃんと評価してもらいたいと思っていますが、選考委員にそういう方がいるからといって、笑いの作品を高く評価しよう、度合いを多くしようっていうことではないですね。
徳永 演劇を新しくするという岸田賞のアイデンティティは、選考委員の方々とも共有されていますか?
和久田 そうですね。基本的には選考委員の方々も、より革新的な作品を求めているだろうと思います。一時期から言われているのは「うまいだけの作品はたくさんある」ということ。そこを越えて自分たちを刺激してくれる、未来へと繋げてくれる新しい才能に出会いたい、ということなのだと思います。そういう人に加わってもらいたい、要するに、いずれは選考委員になってもらいたいという思い。
徳永 絞り込んだ最終候補は、ただうまいだけではない作品だと。
和久田 そのつもりではあるのですが、選考委員の皆さんからはまたちょっと違う意見が正直あります。そこは、視座の違いでしょうか。選定委員会のパースペクティヴとしては大局的に作品を見ているつもりなのですが、劇作家の先生方は、作家として、個別にその作品と直に向き合われる感じがあります。少し偉そうな言い方になってしまいますが、選定委員会が演劇の最近の傾向、あるいは過去の傾向、そして未来に繋がっていくものとしての流れを大枠で見ていて、今はこんな流れになっていているからこういう並びではないか、という提示の仕方をするのだけれども、先生方からは「なんでこれが上がってくるんだ」というような話になる時もある、ということですね。
徳永 「実力+時代で変わっていく変数」という評価基準において、委員会と選考委員で見解が分かれることもあるということですね。「ただうまいだけの作品ではない」というとき、「うまさ+サムシング」なのか、「うまさ<サムシング」なのかの解釈の幅が生まれます。委員会が意識する変数と、戯曲としての質、どちらを優先するべきかという議論は、委員会と選考委員、そして観客の間でも、意見や好みの相違は生まれ続けるでしょうね。
ジェンダーバランスの話に戻しますと、女性の選考委員を増やすために「過去の受賞者しか選考委員になれない」という条件を変える予定は今後もないのでしょうか?
和久田 今のところはないですね。もちろん検討は色々しています。そもそも岸田賞の始まりというのは、劇作家の同人誌という流れを汲んで1954年に雑誌『新劇』が創刊され、戯曲賞を設置しようとなったことにあります。つまり、岸田賞は、演劇雑誌の劇作家仲間が選考委員となって賞を出す形で始まっているわけです。日本の演劇文化の源や根幹を未来に継承してくれる「同人」を見出すことを肝として。劇作家による選考委員にこだわっているのは、まさにその点なのです。選考委員のジェンダーバランスは、男女比の偏りについて近年指摘されるようになりました。ただ、70年近い歴史のある賞だけに、歴代でとらえると男性の比率が圧倒的なのは確かですが、各回の構成メンバーとしてみれば近年は着実に男女比率が改善されています。今年からは本谷有希子さんに加わっていただき、第67回は男女比率4:2(女性選考委員33%)です。ちなみに第66回は男女比率4:1(女性選考委員20%)で、これまで女性選考委員に参加いただけた回は、男女比率6:1(女性選考委員14%)ないし男女比率5:2(女性選考委員28%)でした。また、2020年、2022年と女性作家が受賞されましたし、今後はより改善も見込めるのではないかと思っています。
徳永 岸田賞そのものが同人的な性格からすでに遠く離れているのではないかと思うのですが、選考会の現場にいらっしゃる和久田さんは、そこに何か感じるものはあるのでしょうか?
和久田 そうですね。やはり歴史を背負っている重みを感じながら選考してくださっていると感じますし、演劇史に名を残したという自負心もおありだと思います。その上で自分の後を歩んでもらう人をしっかり見きわめて託したいという思いで、皆さん望まれているのではないかと。言ってみれば、岸田賞受賞者という当事者なわけですから、その人たちに委ねていけるのが一番の理想で、それが全くもって無理なら別の形を考えなくてはいけないけれど、今現在はかろうじてできていて改善されつつある状態だと思っています。一方で、女性の劇作家が仕事をする、継続していくことの大変さは大きな問題であると感じています。女性の劇作家の方が受賞の機会をより多く持ち、岸田賞を通じてさらなる名声を得て、もっと仕事がしやすいような形に繋がればベターと考えています。
徳永 そして、喫緊の問題ですが、過去の受賞者がハラスメントで告発されました。それに対して多くの批判があり、中には「授賞を取り消すべき」という声もあります。それに関してはどういった考えをお持ちですか?
和久田 最終候補補作品をWEB公開するにあたり、3月6日に、白水社のホームページで昨今のハラスメント問題をふまえて告知いたしました。「当事務局は、賞の権威がハラスメントや加害行為を助長しうることについて重く受け止めています。そのような事態に対処すべく、厳正なレギュレーション確立のために審議を重ね、今後も公正な賞の運営に尽力してまいります」と。ハラスメント問題については選考委員の先生方にも連絡をとり、選考会の前後で話をするようにしています。そういったことにNGという姿勢でいらっしゃる方々に、選考を委嘱しています。選考委員の任期は3年を一期としていますが、今後も、新たな選考委員にはハラスメントに対する意識をしっかりと持っている方に入ってもらう考えでいます。賞の取り消しに関しては、他の文学賞などの事例を調べまして、そうした措置は取らない方針です。
徳永 コロナで不要不急と言われてしまいましたが、それを抜きにしても、演劇の日本社会の中での存在感は厳しいものがあります。岸田賞の社会的役割や変化についてはどう考えておられますか?
和久田 いわゆるアングラ演劇が台頭したのは1960〜70年代ですが、「社会を変革しよう」という社会運動のみなもとは明治時代にまでさかのぼります。「より良い方向に変革しよう」というときに必要とされる手段として演劇があって、昭和の大戦後、そういう思潮を応援する形で続いてきたのが岸田賞だった。そして1990年代以降はサブカルチャーの応援という役割も担ってきたわけですが、東京オリンピックがらみのあれこれを契機にサブカルの終焉が訪れたとも思うんですね。もはや、サブカルそのものがちょっと疎まれている感がある。
徳永 そうですね。30年ほど文化を引っ張ってきたサブカルの影響力が薄れてきて、では次に何が来るのか。
和久田 Z世代、そしてその次に登場してくるアルファ世代と呼ばれる若い人々にとっては、サブカルを担ってきた中高年層が居座っているように見えているんでしょう。ですから、そんななかで岸田賞がどういう形で社会や文化をエンパワーメントしていくかということを新たに考えていくフェーズだとは思います。とはいえ、時代はどうあれ、賞というものは若い人たちが世に出てい行く登竜門の一つだと思っています。令和を生きる劇作家が、新しいことを志し、世に出ていくことに胸を張れる場所になっていくべきだと。とりわけ、アルファ世代の人たちは個人の自己主張に関心がない、独特なものより共感を求めるというマーケットリサーチもあるそうで、実際そういうムードを感じなくもないのですが、そうであっても個人の面白さ、あるいは作品を立たせる特異性や独自性を感じさせてくれる作家は必ずいるはずだと思っています。個人じゃなく、グループやコレクティブのような形も増えてきていますよね。演劇界でアーティスト・イン・レジデンスは定着しましたが、音楽界のコライトキャンプのような創作スタイルにも期待しています。
徳永 コレクティブのスタイルは増えていくでしょうし、それはまったく悪いことではないと私も思うのですが、戯曲にしても演出にしても、評価が難しくなりますね。というか、これまでと異なる評価軸が必要になりますね。Z世代、アルファ世代の人たちの“オリジナリティへのこだわりの薄さ”は、現行のさまざまな賞とは相容れないものがあるでしょうから。
和久田 そうですね。難しいとは思いますが、それだけに期待も大きいと言うべきでしょうか。古い読書体験が多い人間にとっては、ひとりの人間が統一的なオーサーになっている作品のほうが圧倒的に読みやすいんですよね。しかしその一方、まとまることから逃れるかのごとく、統合感が少ない感じのものがいいと言われることも目立ってきて。でも、それではChatGPTに負けるというか、ChatGPTでもこの程度のことはできるよね、みたいなことも起きたりするじゃないですか。
徳永 つくり手も観客も、そういうことまで考えなければいけないわけですね。
和久田 その程度のオーサリングはやはり必要だと思うし、世間でも求められていると思うんです。そうでない方法でいくのであれば、相応の説得力をもってそうではない書き方・まとめ方をしているんだということを訴えてほしいですよね。岸田賞はポストドラマの作品も取り寄せを行なっていますが、選考の場で分量の短さが指摘されることは多いです。ただそうした点も気にならないほどの説得力があれば大丈夫なので、大いに期待も寄せています。
徳永 昨年受賞された山本卓卓さんも『岸田戯曲賞と私』というコラムの中で「60分じゃ(岸田は)獲れません」とお書きにもなられていました。
和久田 80分や90分は欲しいといったムードはありますかね。先ほどChatGPTを話題にしましたが、それこそAIに書いてもらうような作品も出てくるだろうし、表彰規定にそういったことも想定した文言を入れていかなくちゃいけないだろうとも考えてます。アメリカのSF雑誌が「AIとの共作はNG」と規定した例もありますし。
徳永 今回の候補作にもAI作品が?
和久田 さすがに、今回はまだなかったですね。でも、今後の可能性としてはあると思いますし、AIと共作した上で作品にどう活かすか、ということがきちんと提示されているのであれば、それはそれでありかなと思ったりしています。また最近は、2.5次元も無視できないと感じています。
徳永 お話を伺いながら、この何年かの候補作を思い出していたのですが、最終候補作には、変数のクォーター制を取っていると感じました。雑な言い方になってしまいますが、ジェンダーの代表作としてこれ、社会的イシューの代表作としてこれ、異ジャンルの代表作としてこれ、というような。つまり、戯曲としてのクオリティが選ばれるのと同時に、時代のトピックが選ばれる賞でもあるのかなと。どの作品が選ばれるのか、楽しみです。