岡崎藝術座『イスラ! イスラ! イスラ!』神里雄大インタビュー 【前編】
インタビュー
2015.12.25
誰に似ているとか何々系とかカテゴライズすることがまったくできず、常に規格外の想像力で、異端児としての道を歩んできた作家・神里雄大。新作『イスラ!イスラ!イスラ!』はスペイン語で『島!島!島!』。タイトルから連想されるように(あるいはまったく想像がつかないように)ハイテンションの語りが炸裂することだろう。
前作『+51アビアシオン, サンボルハ』から、神里はペルー出身という自分自身のルーツを探る旅に出た。しかしその旅は感傷的なものにはならず、太平洋に生きる様々な人種をめぐる歴史的鉱脈を掘り当てたようだ。今作でその視野に入っているのは、高知、小笠原、ハワイ、そしてミクロネシアの島々。壮大な想像力が、ひとつの「島」の物語となって舞台に現れる……!
▼「冒険ダン吉」を追って
──新作『イスラ! イスラ! イスラ!』の取材で、いろんな土地に行かれたようですね。
神里 ええ。前作『+51アビアシオン, サンボルハ』の取材で神内良一さん(1926-)にお会いしたのが始まりですね。
──金融「プロミス」の創設者で、ペルーの日系人社会をサポートされている方ですよね。
神里 彼は南米だけではなくオセアニアの花博の支援や中国残留婦人の一時帰国支援もしているんですが、彼の足跡を調べていくうちに『冒険ダン吉』(※)っていう戦前の漫画の存在を知ったんです。読んでみようと思って新宿の紀伊国屋で検索したら、代わりに『「冒険ダン吉」になった男 森小弁』という本が見つかって、
※『冒険ダン吉』……1933年から39年まで雑誌「少年倶楽部」に連載された島田啓三の漫画作品。南の島で王になった少年が、「蛮公(原住民)」にナンバーを割り振って支配しながら文明社会を打ち立てていく。同誌では「のらくろ」と人気を二分したとされる。
──ということは、かなり偶然、森小弁にたどり着いたんですね。
神里 で、読んだら、森小弁(1869-1945)は自由民権運動に挫折して、後藤象二郎の書生として東京専門学校(現在の早稲田大学)に通っていた。その時に、どら息子(後藤猛太郎)が日本人として初めてミクロネシアを探検してきた話を聴いて盛り上がっちゃって、実業家となり、小笠原諸島を経由してミクロネシアのチューク諸島に向かったんです。そしてそのまま住み着いて、向こうの酋長制度の中でうまく立ち回ったというエピソードがその本には誇らしげに書いてあったんですね。なんだこの人は!と思ってさらに調べたら、ミクロネシア連邦共和国前大統領のエマニュエル・マニー・モリも、血筋を遡ると森小弁に行き着くんですよ。
これまで日系人のことは、ペルー、ブラジル、ハワイ、メキシコについてはまだ知ってる方だと思ってたんですけど、ミクロネシアの日系社会についてはまったく知らなくて。昔、日本のプロ野球の選手にもいたんですよ。チューク出身の相沢進(1930〜2006)。
──全然知らなかったです……。
神里 自分はそういう「外」に向くベクトルに興味があるので、ここから作品がつくれるんじゃないかというのが『イスラ!イスラ!イスラ!』の最初のスタートでした。
▼取材先・高知での新展開
神里 それで森小弁を調べるために高知に行って、知人から人を紹介してもらったんですけど、話がなぜか途中からズレて、ジョン万次郎(※)に関する芝居をつくるって話で最初は市役所の人にも伝わっちゃってて……。
※ジョン万次郎……1827-1898。本名は中濱萬次郎。現在の高知県土佐清水市出身。漁に出て遭難し、無人島で暮らしていたところをアメリカの捕鯨船に拾われ、アメリカへ。帰国後は日米和親条約締結に尽力し、英語教師や通訳としても活躍した。
神里 でもわざわざジョン万次郎研究家も来てくれたし、そこは高知なんでもてなしてくれて、店の日本酒が全部なくなるまで呑んだんですよ……。で、実はウイスキーが好きだと言ったら、ジョン万次郎研究家がさびれたお店に連れていってくれてまた呑んで、「じゃあ次は若者の集まるところに行こう!」ってオシャレな感じのバーにハシゴしたところで、研究家はいつのまにか帰ってしまい、僕はなぜか地元の若者と呑んでべろべろに酔っぱらって、連絡先も交換しないまま「じゃあまたね!」って別れたんです。
──(笑)
神里 世界中どこ行っても、ブエノスアイレスとかメキシコ・シティでもこんな感じですね。
──ジョン万次郎はともかく、森小弁はどうなったんですか?
神里 森小弁については、ジョン万次郎研究家が資料もらってきてくれたり、肉声の録音を聴いたり、子孫に会ったり、あと高知県立大学の飯高伸五先生が書いた「森小弁をめぐる植民地主義的言説の批判的検討」という論文を読ませてもらったりしました。森小弁は大酋長になったと言われてるけどそれは間違いであり、あちらは母系社会だから男はつねに婿養子で、シンボリックなものだから実権はなかったっていう論文なんです。テレビでもそうですけど、海外に移住して活躍する日本人を英雄視するところがありますよね。とはいえ森ファミリーは今ではかなり権力を持ってるみたいですけど。
──ウィキペディアによると一族は3000人を超えるってありますね。
神里 なんせ一族から大統領出してるくらいなんで。ただし森小弁は「政治」にはあまり近づくな、ということを子どもたちには伝えていたようです。なので、大統領になったエマニュエル・マニー・モリは特殊な例ではあるでしょうね。
【京都公演より/photo: Takuya Matsumi】
▼太平洋の島々を結ぶ壮大な物語
──高知で呑みまくっていろいろ調べたのはわかりました。あと小笠原諸島にも行ったんですよね?
神里 行きました。森小弁もジョン万次郎も小笠原に立ち寄ってるんですよね。そこから、小笠原・高知・ミクロネシアっていう三角形のイメージが僕の中でできたんです。
──それ、壮大なイメージですね……。
神里 あとハワイもですね。当時(幕末頃)、日本の漁師が難破してアメリカの船に助けられるってことは、ジョン万次郎以外にも結構あったらしいんです。そのまま鎖国状態の日本に戻すと日本人でも殺されたりする時代なので、漂流した日本人たちはホノルルに降ろされたみたいです。
当時は鯨油が燃料としてすごく重視されていて、ホノルルは、アメリカにとって捕鯨のための一大拠点だったようですね。それでホノルルには世界中を回る捕鯨船の乗組員が集まっていた。そこで見聞きした情報を元に、ある神父が「The Friend」という新聞を発行していたそうです。それが情報源になった。
ジョン万次郎は日本に帰るための資金を稼ぐためにゴールドラッシュのサンフランシスコに向かうんですけど、大陸を横断するのは治安上危険だから、わざわざアルゼンチンの南端まで船で回ってから、金鉱掘って稼いで、ホノルルに行く。そこで「The Friend」で研究したんでしょうね、抜け道を。ホノルル=上海便に乗って、琉球あたりまで行ったところで、ゴールドラッシュの金で買った小さい小舟に乗り換えた。
──船から、積んでた小舟へ? すごい抜け道ですね。
神里 そうです。例えばラナルド・マクドナルドっていう人も、日本に来たいがために、北海道の利尻で難破したことにして入ろうとしたんですけど、松前藩の取り調べを受けて、長崎の出島まで連れていかれたとか。
──なんという移動……。
神里 その当時の世界のスケール感として、激しい移動があったんですよね。ジョン万次郎はそもそもアメリカに向かう前に、仙台沖で日本人と遭遇してるらしいんです。だけど土佐の人だから、仙台の人と全然言葉が通じなかったらしく、物資の交換だけしてホノルルまで行ったっていう……(笑)。当時は日本も連邦国家みたいなニュアンスが強かったのかな。たぶん、今の沖縄のおばあちゃんと津軽のおじいちゃんが会話するみたいな状態だったんでしょうね。
──「標準語」なんて存在しなかったわけですしね。……で、神里さんも小笠原に行ったんですよね?
神里 ええ、片道23000円の二等客船で、25時間かけて父島に。前の日に呑みすぎたせいで、二日酔いが船酔いに変わるという地獄の船旅でした。着くなり、ヤンキータウンっていうバーを目指して、ボトル入れてラム酒を呑んだんですよ。マスターのオオヒラ・ランスはアメリカの海軍にいた人で、訓練してた場所がなんと僕が高校生の時に留学してたオクラホマのロートンだと分かり、それで急に話が盛り上がって、そこから夜な夜な通っては、初めて小笠原に入植したアメリカ人とされるナサニエル・セボレーの子孫で、その名もナサニエル・セボレーJr.と呑んだりしてました。
──またもや謎の展開ですね(笑)。
神里 ……という感じで僕の取材は自分の興味の赴くままに行きたいところに行ってます。ってこれ、なんの話でしたっけ……?
──『イスラ!イスラ!イスラ!』の話です(笑)。でも台本を拝見するかぎり、今お話しいただいたような壮大な太平洋の物語が、この作品には色濃く反映されていると感じます。前作から南米や沖縄を取材されていますが、それは神里さん自身のルーツをたどるのみならず、この世界の見えない「脈」に触れる旅でもあるのかもしれませんね。
神里 ……最近、「取材」を堅苦しく考えなくなってきて、自分の興味と書くものが一致して来たので、やっと、演劇やっててよかったと思えるようになりました。
▼なぜ「イスラ(島)」なのか?
──『イスラ!イスラ!イスラ!』のタイトルにはどんな意味がありますか?
神里 「イスラ」はスペイン語で「島」という意味です。タイトル決める時にちょうどメキシコのカリブ海で遊んでて、そこに「イスラムヘーレス」っていう島があって、イスラム教にまつわる何かかなと思ったら実は「ムヘーレス」が女性っていう意味なんですね。だから「女性島」。そこから「イスラ」っていいなと思った。今回実はスペイン語はほとんど関係ないんですけどね。まあペルー出身ってことで許してください!
──「島」というモチーフは今回の物語の核ですよね。タイトルが先に決まってから連想した?
神里 いや、最初に「文明島」という仮タイトルを付けていました。『+51アビアシオン, サンボルハ』がドキュメンタリーというか、実在の話を元にしたものだったので、今回はもっとフィクションにしてしまおうと考えて、だったら舞台は島がいいなと。
──確かに戯曲を読むかぎり、荒唐無稽なフィクション色が強いですね。
神里 あとは「島」である理由をつけるとすれば、ここ数年、東京で活動していることの根拠の薄さがあります。お金になるとか、俳優やスタッフが近くにいるとかいう理由はあるけど、自分で選んだというより、父親の仕事の関係で東京圏で育ったにすぎない。それは積極的な生き方じゃないのかもしれない。
ところが「島」は、いずれにしても何かの形で努力しなければ行けない場所だと思うんですよ。特に孤島は自然発生的に人間がいるのではなくて、何かしら住むための努力をしてるじゃないですか。連れていかれたという経緯もあったりするにしても。だから「島」にはいろんな意味で積極的な人間が集まるんじゃないかという仮説を立てたんです。
▼一人称で語られる怒涛のテクスト
──今作は不思議な一人称の語りになっています。これまでの作品でも一人称の独白が目立ちましたけど、今回は徹底していて、「!」が連発されるような独特のグルーヴ感があります。
神里 テンション高いですよね(笑)。半月で書き上げたこともあり。
──で、たぶん、あの戯曲を読んだ人、あるいは聴いた人の9割くらいは、「小説みたい」って感じると思うんです。そういうテクストをどうやって舞台にしようと考えてますか?
神里 もはや、「戯曲」や「演劇作品」をつくる気はないと前から考えています。自分がやってることは「政治」だと思うんですよ。といっても永田町のやつじゃなくて。相容れない人たちが生活しなきゃいけない社会がどうしてもある中で、最大公約数でうまくやっていくにはどうしたらいいのか、できるだけお互いの欲求を満たした上で、どの程度妥協してやっていけるかの交渉を「政治」と呼ぶんじゃないかと。そう思うと、演劇の構造って面白いんです。当事者じゃない俳優が、当事者の代わりに喋る。つまり、体験した人間じゃないと喋れない、のではない可能性が、僕は俳優にあるんじゃないかと思ってる。もし、当事者じゃなかったらその人自身のことを喋れないなら「政治」はできない。代弁することで、聴く人も、ここにはいない人のことを想像する。僕はそこに演劇の最大の特徴を見ていますし、代弁者としての俳優の重要性を感じているんです。
俳優が喋るテクストは、そのための言葉であればいい。小説かと言われればあれは小説ではないと思う。従来の戯曲の形式じゃないと言われたらそうかもしれない。詩なのかといわれたら詩でもいい。いちばん重要なのはそこじゃなくて、「政治」のための言葉であるかどうか。僕はそれをやりたいし、やる必要を感じています。そうして書いたことが結果的に小説の形式に似ているだけじゃないかと。
──ありがとうございます。もう少し、神里さんの演劇観に踏み込んでお訊きしたいので、後編に続きます!
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取材・文:藤原ちから