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『表に出ろいっ!』English version “One Green Bottle” 野田秀樹インタビュー

インタビュー

2017.10.26




野田秀樹はなぜ、英語の舞台をつくるのだろう?そして、わざわざ英語バージョンを日本で上演する理由は何なのだろう?

日本語の舞台が海外に渡ると、ほぼ100%、現地語の字幕が作成される。エネルギーが注がれるのは、字幕の精度を上げること(字幕担当の翻訳家とのコミュニケーションやオペレーションのタイミングなど)に対してだ。だが野田は英語で戯曲を作り直し、外国人俳優を英語で演出し、自分も英語のせりふを喋るという形態で、これまで3作品を上演した。労力も時間も膨大にかかるそのスタイルにこだわる理由を、『表に出ろいっ!』が英語翻案を経て生まれ変わった『One Green Bottle』を中心に聞いた。


――7年前、中村勘三郎さんと野田さんの組んずほぐれつの共演が印象的だった『表に出ろいっ!』と同じストーリーでありつつ、英語バージョンの『One Green Bottle』は大きく印象が変わりそうですね。

野田「結果としてそうなっているんですけど、イギリスの役者達と仕事をするということが大きい(変化の理由)ですね。稽古場がまったく違いますから。」

――父と母と娘の3人家族で、それぞれが出かけたい用事があるのに、愛犬が出産間近で誰かが家に残らなければいけない。自分だけは出かけようと目論む3人のやり取りがエスカレートしていく展開は同じですが、たまたま見せていただいた稽古のシーンがそうだったのかもしれませんが、スリリングな空気を強く感じました。

野田「今回、英語翻訳という形で、イギリスで活躍しているウィル・シャープという脚本家が入ってくれて、彼は若いけれどとても才能のある、そして日本語も堪能な人なんですけど、いろんなアイデアをもらっています。たとえばシェイクスピアのフレーズが出て来たり、かなり広がりのあるものになっていると思います。」

――「稽古場がまったく違う」とのことですが、少し具体的に教えてください。

野田「日本語で稽古をすると、やっぱり甘えてしまうんですよ。本当に正確に伝えられていないかもしれないのに、日本人特有の「いちいち言わなくても、ま、わかるよね」という空気、良くも悪くもあれが出てくる。でもイギリスの役者と接すると、言語も違うし文化も違うので、自分の書いた戯曲を丁寧に解釈して、かなり論理的に説明しなきゃいけない。たった一言、「こっちの位置に来て」と発するのに、どういうプロセスがあってこの役は移動する必要があるか、自分の中で確認が必要になるんです。それが非常に、面倒でもありますけど(笑)、刺激的だと思いますね。」

――蜷川幸雄さんが『タンゴ・冬の終わりに』をロンドンで、全員イギリス人俳優で演出した時(91年)の思い出で「向こうの俳優はとにかく演出家に質問する。そして答えに納得できないと1ミリも動かない。大変だったけど鍛えられた」とおっしゃっていました。

野田「そうです。例えば、昨日の稽古でみんなと話したのは「この事件が金曜の夜に始まったとしたら、このシーンは土曜日の夜、この会話は日曜日の朝だね」という時間の経過のことで、それは特にお客さんに提示することではないけれども、自分たちとしては、心理的なこともそうだし、身体面で「3日も水を飲まなければどうなるか」といったことを一緒に考えたんです。しかも、ふと台本を見たら、僕のせりふに「tonight」とあるけど、厳密に言うと今晩の出来事ではないなと気付いたり。お客さんから観た演技はほとんど変わらないかもしれませんけど、少しずつでもそういう積み重ねをしていくと、役者としても、ある種の深いものが内側に出来てきます。」

――そもそものスタートラインについてお聞きしますが、なぜ、ご自分の戯曲を英語で上演することにこだわっていらっしゃるのでしょうか? 多くの演劇作家が、自作を海外で上演する時は字幕を選択していますが、野田さんは英語がネイティブの観客にストレートに伝わる英語の戯曲に、ご自分で書き直しています。

野田「それは、ロンドンで1番最初に英語で『赤鬼』を上演した時(03年。英語タイトルは『RED DEMON』)、直訳的な翻訳でやっても、向こうのお客さんには大して理解もされないし、肝心なことが届かないと実感したからですね。その時に、やっぱり自分の戯曲だと納得できるものを書いたほうがいいのかなと思ったので。」

――しかも作・演出・出演を兼ねているから、英語で書くだけでなく、英語で演出し、英語のせりふを話すという、大変な労力をかけられています。英語がよりスムーズに話せるようにと、イギリス人と共同生活をしたり、こういう言い方は失礼になりますけど、野田さん、とても真面目ですよね。

野田「真面目というか、成り行きですよね。まさに、書いたら次は演出、次はせりふを覚えてという蟻地獄的な成り行き(笑)。確かに、その状況に対しては真面目と言っていいかもしれませんけど、まぁ、始めてしまったから、やらざるを得なかったというところです。」

――必要に迫られてしてきただけで、最初にビジョンのようなものを持って始めたわけではない?

野田「「こうしたほうが、演劇的に、より誠実だと思う」ということを選んだらこうなったと言えばいいのかな。それでやってみたら、実際にそのほうが手応えがあっておもしろかったから続けている。歌舞伎も同じなんです。最初にやらせてもらった時に「これはおもしろい」と思ったから、今も続けている。で、それは結局、高校生の時に芝居を始めたのと同じなんです。最初は自信や確信のようなものはなくて、自分のつくったものがおもしろいかどうか、それでいいのかどうかは、人前でやってみた手応えでつかんできたんですよね。そういう意味では昔から僕には「こういうふうにしよう、こうなりたい」というビジョンはなくて、むしろ戦略的な考えができたら、もうちょっと楽ができるんじゃないかと思いますよ(笑)。」

英語でも上演することで、作品の評価の機会が増えることはまったく考えていらっしゃいませんか?日本の演劇が海外で評価される時、西洋から見たオリエンタリズムの物珍しさが含まれているのではないかという疑いは常に付いて回るもので、そこには日本語であることが無関係ではないと思うのですが。

野田「評価より、お客さんがどう捉えるかが自分にとっては大きいんですよ。『THE BEE』を日英でやったことが結構大きくて、イングリッシュバージョンも日本語バージョンもおもしろいと言ってもらえたことが、ちゃんとやれば観てくれる人には伝わるという自信になった。それと、英語バージョンをなぜ日本でもやるかと言うと、演劇人の中にもいるし、演劇を観に来る人もそうだし、日本人全体に言えることですけど、最近、かなり意識が内向きになってきていますよね。世界がどうなっているのか、興味が薄れている。ネットで簡単に海外の情報が入って来るから、自分は世界に触れている気がするかもしれないけど、現実には、海外アーティストに対する関心は圧倒的に減っている気がします。例えばピーター・ブルックの作品が来日してもお客があまり入らないなんてことは、僕が若かった70年代や80年代にはあり得なかったことですから。世界を知ることは、ありがたがることではなくて、自分がいる位置だとか、ここでやる意味を考える機会になるんですけどね。僕がやっていることが、どれだけ具体的な橋になるかはわかりませんけど、自分のところで(海外へのアプローチが)終わらせたくない。「こういうことを、こういうところでやった演劇人がいますよ」ということを、先々、誰かが思い出す、それが続いていけばいいとは考えます。」



――字幕を選ばないのは、そういう理由もお持ちなんですね。

野田「僕の戯曲は(せりふ量が多くストーリーも複雑なので)字幕に向いていないのと、どう工夫しても、字幕を付けたら舞台(の上で起きること)を全部は観られないだろうなと思うのも、大きい理由ですけどね。ただ、「こういうやり方もあるんだ」という例のひとつになるんじゃないかなとは思います。今は、外国語が堪能な若い人が出て来ていると思うし、そこに、僕のように要らぬ時間をかけずに、どんどん外に行ける人が増えて来るのかもしれませんが。誤解されると困るのは、外国語ができればいいという話ではありません。大事なのはあくまでも、演劇がおもしろいと思って作品をつくる人が、より多くの人に向けてやっていく時に、どういう方法を取るかということです。」

――その選択のひとつとして、今回、上演と同時に日本語のせりふが聴けるイヤホンガイドで、新しい試みがありますね。妻役は野田さん、夫役に大竹しのぶさん、娘役に阿部サダヲさんという超豪華なキャスティングです。

野田「何しろ声だけだし、どっちも忙しい人だし、引き受けてもらえるかわからないけど、声をかけるだけかけてみようと思ったら、どちらも快諾してくれました。すごいでしょ? 日本の俳優のトップクラスのふたりですから。」

――すごいです!

野田「贅沢と言うよりも、聴いていて、ちゃんと耳からせりふの意味が入って来る技術や能力を持っている。僕が頑張った翻訳も含めて(笑)、ぜひ堪能していただければ。」

――先ほどの「英語から日本語に訳した戯曲を日本人俳優で」という想像も膨らみます。

野田「そうなんですよ。「このキャスト、ハマるな」と思いました。『表に出ろいっ!』の初演とはまた違うイカれたキャラクターになっているところもあるので、すごくいいんじゃないかな。」

――では、それをうっすらイメージしながら聴こうと思います(笑)。ところで、一昨年『エッグ』をパリの劇場で上演する機会もあり──これは日本語のままでしたが──、野田作品の上演が日本と海外でセットになる流れが出来ています。今回も東京が世界初演で、そのあとイギリスでツアーが決まっていますが、そのあたりはどこまで意識されていますか?

野田「それはやっぱり、どこのお客さんであっても、直のリアクションをもらいたいですから、いろいろな土地でできるのは素直にうれしいです。さっきの戦略的な話で言うと、自分のやれるところまではできるだけやっておいて、次世代にそのルートを遺したいと思いますね。何の壁もなく、世界的に活躍できる人が出てくるのは、次々世代ぐらいかもしれませんけど、その手前の道は拓きたい。と言うのも、蜷川さんがイギリス(のプロデューサーから定期的に招聘される)への道を開いてくれたことが、自分がやっていることに影響しているので。僕がやっていることと方法は違うし、今も僕のしていることは楽ではないけど、蜷川さんがいなかったらもっと大変だと思うんですね。だから自分もそこはつなげたい。若い人たちが公共の助成金をもらって、海外にポンポン出ているのを見ると「いいな、自分もそうでありたかったな」と思うんですが、その次の世代は、きっともう少し楽になっていると思うんですよ。そういうことの繰り返しで、日本の演劇全体が海外に広がっていけばいいんじゃないですか。」

取材・文:徳永京子
インタビュー写真撮影:渡部孝弘
舞台写真撮影:谷古宇正彦


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野田秀樹

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