劇団チョコレートケーキ『生き残った子孫たちへ 戦争六篇』古川健インタビュー
インタビュー
2022.08.26
日本の戦争を書くなら覚悟が必要という気持ちがありました。
そして、加害の立場から描かないと問題提起にならないと思いました。
第二次世界大戦を題材にした演劇作品は、再演が繰り返されるばかりか、戦後70年以上経ってなお、新作が生まれ続けている。けれども残念ながら“真面目につくられたことはわかる。でも演劇としておもしろくない”というものもあって、観るのに慎重になってしまう。かく言う私自身、戦争物アレルギーを起こしやすいタイプなのだが、近年の劇団チョコレー トケーキの作品には足を運ぶ。その理由のひとつが、座付き作家である古川健へのこのイン タビューでわかった気がする。
── 上演中の『生き残った子孫たちへ 戦争六篇』は、第二次世界大戦をモチーフにした既存作を5本、新作を1本、東京芸術劇場のシアターイーストとウエストを同時に使って連続上演していくという、ほとんど前例がないような企画です。
古川 最初は「『無畏』(2020年初演)と『帰還不能点』(2021年初演)と何かもう1本上演してほしい」というお話をいただいて、劇団に持ち帰ってみんなで話すうち、なぜか「奇数より偶数が良いよね」ということになったんです。だから最初のうちは「4本やろう」だったんですけど、その話と同時期ぐらいに、劇団の会議の中で「今、やりたい気持ちがあっても、コロナでなかなか演劇と繋がれない若い人達がいっぱいいるんじゃないか。そういう人達を集めて、長いスパンでワークショップをやってみよう」という意見が出て、実際に募集してみたら、本当にたくさん素敵な若者達が応募してくれたんです。そこから「ちょうど良い機会だから、彼らも参加するお祭りに出来たらいいよね」という話になり、それ用に2本足すことになりました。
── 劇団員を軸にした4作だったのが、ワークショップ参加者をフィーチャーした作品も2本追加で計6本になったんですね。
古川 ワークショップ参加者の企画のほうは、最初はリーディングの予定でした。でも途中から若者達がやる気を出してきて「ちゃんとしたストレートプレイとしてやりたい」と。それで演出(日澤雄介)も「よし、やろうじゃないか」と応えたようですね。あとになって多少の後悔はしたと思いますが(笑)。だからまぁ、勢いですね。2つの会場で約1ヵ月の間に6作やろうとなったのは。
── それにしても私は「奇数より偶数が良い」という話は聞いたことがないんですが、これはどこから?
古川 僕らの劇団の話し合いの悪いところは、どんどん景気の良い言葉に乗っかっていって、慎重派の声が小さくなるところなんです。もちろん話し合いを経てみんなの同意で決まったんですが、大体のことがそうなります(笑)。
── 『無畏』と『帰還不能点』以外の作品選びはすんなりと?
古川 そうですね。若者達にやってもらう『◯六◯◯猶二人生存ス』(2014年初演)と『その頬、熱線に焼かれ』(女性の俳優だけのユニットOn7の公演への書き下ろし。2015年初演)は、むしろ「彼らにちょうどいい台本があるからやってもらおう」という話から決まっていったぐらいで。『◯六◯◯猶二人生存ス』は特攻隊員の話、『その頬、熱線に焼かれ』は原爆乙女の話で、登場人物も若いし、企画のテーマにも合致しているしと。
『追憶のアリラン』(2015年初演)は、僕は『遺産』(2018年)でもいいと思ったんですけど、「『遺産』より『追憶のアリラン』だ」という意見が劇団員に多かった。『アリラン』は僕の作品の中では珍しく主人公が身近な人物がモデルで、要は祖父なんですけど、そういう意味でも上演されるのはうれしいです。その祖父は僕が生まれる随分前に亡くなっているのですが、母が思い出話として「おじいちゃんは酔っぱらうと『アリラン』を歌って、そのあと自分が朝鮮で何を見たのか、どんなことをしたのかを語って、最後は『トラジ』を歌って締めた」と何回も話してくれて。その情景を大人になってから思い浮かべると、詩的というか演劇的な空気感を感じて、その風景から始まる物語をつくれたらいいなと思って書きました。調べものにすごく苦労した作品で、38度線分割直後のことって、ほとんど資料が残っていない。初演時よりも韓国と日本の関係が悪くなってしまってますけれども、人と人との繋がりこそが大事だし、そこからしか何も始まらないんだよというメッセージを込めた作品です。
「思考停止」と「検証」について問いたかった
── 『無畏』と『帰還不能点』を連続して上演してほしい、出来ればもう1作プラスして、というオファーは、東京芸術劇場の企画委員として私が提案したものでした。その理由は、よく切れるメスで患部を開いて病巣の芯を取り出すように、戦争責任というぼんやりした言葉の中に明確な事実を見つけ出そうとしていると感じたからです。あの視点というか姿勢はいつ頃からどうやって獲得していったのでしょう?
古川 僕はずっと歴史を扱った作品を書いてきたんですけど、日本の戦争というものには距離があったというか、自分の中で、まだちょっと近付かないでおこうと思っていた時期があったんです。書くとしたら覚悟が必要という気持ちですね。それが、7~8年前ぐらいでしょうか、やっぱり書かなきゃいけないと感じるようになりました。なぜそう思ったか、当たり前のことなんですけど、戦争から年月が経つにつれて、実際の戦争を知っていてそれを語れる人達はいなくなってしまうという焦りが生まれたんです。そして体験者がいなくなったあとの世界で戦争をどう語るかは、今のうちに考えておかなければいけないことなんだと、自分の中の問題意識として強く持つようになったんです。
ただ、「日本の戦争」と一口に言っても、いろいろな側面があり、いろいろな視点から書けると思うんですけれども、僕としては今日的な意味合いを考えるなら、加害の立場から描かないと教訓にならないだろうと思いました。教訓と言うと説教臭くなってしまうかもしれませんが、僕は演劇というものを何らかの問題提起をしたいと思ってつくっていて、問題提起をするなら被害者目線よりも加害者目線で書くべきだと。
── 「自分が戦争を書くなら加害者の立場で書き続ける」というのが、古川さんが第二次世界大戦を意識的に扱うようになってからのルールなんですね。
古川 最初にチョコレートケーキで、今言ったような気持ちで思いきり書いてやろうと取り組んだのが、七三一部隊を扱った『ドキュメンタリー』と『遺産』(2作とも2018年初演)でした。
そこには、昨今の歴史修正主義、ああいうものの広まりに対する危機感もあるんですよね。ツイッターの世界で、例えば「七三一はソ連のプロパガンダだ」と書く人がいて、そこから事実とは違うことが広まって認識されてしまう。そうやって、あったものを無かったことにしてしまったら、我々は歴史から何も学んでいないことになってしまうじゃないですか。それは、歴史を繋ごうとさまざまな物語を書いていらした先人達の行為を途切れさせることになる。そうなったら先輩方の志に対して失礼だなっていう気持ちがあって。
『ドキュメンタリー』と『遺産』をやった時に、「七三一を扱ったからには、南京事件に行かないわけにはいかないよな」という気持ちが自分の中に生まれて、それが『無畏』になっていくわけですけど。それまでは結構、作品ごとに探り探り、「この題材はどう書けばいいのかな」と考えていたのが、『無畏』に関しては、松井石根という南京事件のシンボリックな人物がいて、こう言ってはなんですけど、彼は演劇の設定としておもしろく使える人物だったので、構想はわりとパッと決まりました。誰よりも中国が大好きで、中国通で、日本との友好の糸口をずっと模索してきた人だったのに、(中国侵略を目的にした)日本軍の司令官として南京に行く軍務を負い、刑場の露と消えた人だったので、松井を深堀りし、彼の内面に迫っていく作品づくりを意識しました。彼の悲劇性を描きながら、南京事件のメカニズムと言うんですかね、戦争がたどる悲劇の過程を意識して演劇化した作品です。
── それとこの作品で印象的だったのは、松井が何度も口にする「全て私が責任を取る」という言葉の虚しさですよね。大きな権力を持っている人がどんなに苦渋を呑み込んで発言したとしても、絶対に人の命の責任は取れない。
古川 そうですね。「私が責任を取る」は、いつの間にか思考停止の言葉になっていく。あとは検証ですよね。過去の検証がいかに大事か。それは『無畏』に限らず、僕の全ての作品を通底するテーマですが、それがわりと如実に出た作品だと思っています。
── 「思考停止」と「検証」は、まさに『帰還不能点』へとつながっていき、深堀りされたテーマだったのではないでしょうか。
古川 「あれは誰々が悪かった」「これは誰々が悪かった」とあげつらった瞬間に自分の責任が消えていく──。それはもう絶対的に、人間誰しも持っている感覚ですよね。南京事件の次に気になったのが「じゃあ、なぜ日本は対米戦に進んで行ってしまったのか?」ということで、『帰還不能点』を書くことになったんですけど、自分なりに調べるうちに総力戦研究所という組織を知って、これがまた設定として興味深かった。そこにいる人達は頭が良くて、その時に日本で何が起きているか冷静に理解出来ていたんだけれども、最終的には戦争が始まっていくのを、どこか他人事だと線を引いてしまえる人達でもあって。その線が曖昧になって自分達の身に降り掛かってくるところが上手くお客さんに伝わったら、と思って書きました。
ただ、近いテーマで何作も書き続けると、自分の中でもマンネリを感じることがありますし、何よりお客さんに飽きないで観てもらえるようにしたいと思って、『帰還不能点』は劇中劇という手法にしたんです。総力戦研究所の人達が戦後から戦前を振り返るという形にしたらどうだろうと。だからあれは、戦争を語る作品であると同時に、演劇的な試みも楽しめるような仕掛けをしたいと発想した作品ですね。
被害者の物語に絞ると、きれいごとになる可能性がある
── 偏った感じ方かもしれませんが、以前からよく“犯人”と“加害者”の違いについて考えています。例えば演劇で“犯人役”と聞くと、犯罪に至る理由、つまりその人物のドラマが用意されています。でも“加害者”となると一気に匿名性が高まり、非道な行為に至った理由がぼやける。つまり加害者は犯人より社会的な存在で、戦争という社会的な出来事の中では、加害者はいても犯人はいない。古川さんのお話を聞いていて、これまで戦争の演劇に興味が無かった人にもチョコレートケーキの作品が訴えかけるのは、もしかしたら加害者の輪郭を明らかにしているからかもしれないと思いました。
古川 なるほど。でも当然のように加害者には加害者のドラマがあり、その加害者のドラマを置き去りにしてきたところに、日本の歴史教育の問題があるのかもしれませんね。もちろん僕は、加害者を弁護するつもりも擁護するつもりもなくて、加害者のドラマを見つめ、彼や彼女をきちんと人間として描くことが必要で、だからこその問題提起になると考えていつも物語をつくっています。
── 『その頬、熱線に焼かれ』も、広島の原爆の被害者でケロイドが残った若い女性達が主人公ですが、彼女達の間でも、さまざまな差別のグラデーションがあったことが描かれ、人間の無意識下にある加害性の複雑さについて考えさせられました。
古川 そうですね。『◯六◯◯猶二人生存ス』は、回天という特攻兵器の訓練中に事故が起きて開発者と操縦者が亡くなってしまったんですが、ふたりの遺書をもとに、なぜ特攻が生まれたのか、1番わかりやすい言葉で言うと“空気の戦争責任”というんですかね。その空気がいかに醸造されていったかを念頭に書いた物語です。
いずれも、被害者の物語に絞ると、悲惨な状況を書いてもきれいごとになる可能性がある。でも調べれば調べるほど、きれいごとでは済まないことがわかってくる。モデルに対するリスペクトが不足していないかを意識しながら、出来るだけ丁寧に周辺のことも描いていきたいと思っています。
── 新作『ガマ』は、劇団チョコレートケーキが初めて書く戦場の記録だそうですが。
古川 はい、沖縄戦の話です。ガマと呼ばれる避難壕として使われていた洞窟の中で、日本軍の逃亡兵や怪我人、ひめゆり乙女達が、自分達は生きるべきなのか死ぬべきなのかという葛藤を繰り広げる内容です。
── 加害者の視線を忘れない、そして、ご自身と観客が楽しめる演劇的な試みを加える、という点で言うと『ガマ』にはどんな思いや企みが?
古川 僕、高校の修学旅行が沖縄だったんですけれども、学生が修学旅行で沖縄へ行くと、大体、平和教育のプログラムがあるんです。その中にあった、実際のガマを見に行くクラスに参加したんですが、中まで進んでいった時にガイドさんから「皆さん、今、点けている懐中電灯を消してください」と言われて、少しですけど、真っ暗闇の中で過ごす時間がありました。本当に何も見えなくて、でもクラスメイト達の息づかいは聞こえて来る、その洞窟の暗闇が強烈に記憶に残っていて、作家になった時から、戦争について考えるたび、いつかあの沖縄のガマの暗闇を再現したいと思っていました。それが、満を持してというか、やっと作品にする機会が来たということですね。
加害性について言うと、悲惨な沖縄戦ということも重要なんですけど、それ以前に── 我々、と言っていいのかな、大日本帝国が沖縄県民をどう扱ったのかを問い直したいんです。沖縄戦は太平洋戦争屈指の地上戦になってしまったわけですけれども、そこには、遅滞戦術という、米軍の本土侵攻を遅らせる時間稼ぎのためだけに沖縄が利用された側面がある。何十万人もいる沖縄の一般市民を巻き添えにした戦いを平気でやってのけたという問題ですね。それは、現地の32軍(沖縄本島に司令部を置いた陸軍の軍)ではなくて、32軍にそれを押し付けた上層部の考えであって、おそらく上層部にいた日本人は沖縄県民のことを、本土の日本人と同じではなく、植民地の人間に近い感覚で扱ってたんじゃないかと思うんですよ。そこの加害性が書きたかった。逃げている個人ひとりひとりを描きながら、そういうマクロなところも描けたらなと思って書きました。
── キャストについてですが、劇団員の方は『無畏』『帰還不能点』『追憶のアリラン』『ガマ』の計4作の中から3作に必ず出演する。そして『ガマ』には劇団員が全員出ると。改めてすごいですね。
古川 一応、本人達の希望を聞いたんですけど、みんな「3本ならやれる」と言うんです。それもきっと、景気の良い声に押されたんでしょうけど(笑)。
── 『ガマ』には大和田獏さんがご出演ですね。
古川 獏さんとは、最初、西尾(友樹)君が、トムプロジェクトのプロデュース公演で共演していたんですが、僕がトムプロジェクトに書いた作品に大和田さんにご出演いただいたこともあり、そうしたご縁で、うちの劇団を何回も観に来てくださって。チョコレートケーキに出たいという意思表示もしてくださっていたので、それならぜひと。
論争の末に決まった『生き残った子孫たちへ 戦争六篇』
── 公演の話から少しずれますが、若手ワークショップについて教えてください。若手2本立ては、スタッフも、ワークショップに参加された方達なんですよね。
古川 そうです。俳優を中心に募集をかけたんですけど、スタッフの人達とも繋がれる機会をつくりたいなと思ってスタッフ募集の枠も設けたら、思いの外、いろいろな人が来てくれて、美術、音響、演出、演出助手と出来る人が集まって。結構、豪華な顔ぶれが揃ったので、ぜひともその人達とも一緒にやりたいなと。本人達も「やりたい」と言ってくれたので担当してもらっています。
── 「コロナで機会を奪われた若い世代に、演劇とつながる機会を」と始められたそうですが、コロナ後もその方達と一緒に公演をする、あるいは別の若手の方達とも出会うべくワークショップを定期的に続けていくなど、チョコレートケーキとして将来的なことは考えていらっしゃいますか?
古川 この8月9月の公演が終わりではなくて、もう少し長期的に、今関わっている人達といろいろやって行こうとは考えています。我々も、それなりに年を取ってくると、若い人達と繋がる機会がどんどん減っていますし。むしろこっちの方が「自分達に会いに来てくれてありがとうございます」という感じなので、若い人達を含めた企画はどんどんやっていきたいと、みんなで頭をひねっています。
── 劇団員を募集するのではなく、ワークショップという形で広く若い世代とつながっていくというやり方は、すごく今ですね。
古川 そう言われてみるとそうですね。と言うか、自分達が誰かを選ぶような立場ではないと思っていますし、僕ら世代は普通に、劇団至上主義みたいなところが無いんだと思います。だから「来てくれたらうれしいな、知り合えたらうれしいな」というところから始めたほうが絶対、僕らもそうだし、今の若い人達にも気楽にアプローチしてもらえるんじゃないかなと思って、だから今の感じは悪くないなと思っています。
── それと、せっかく古川さんへのインタビューなので、執筆前にどうリサーチをされているのかを教えていただけたら。
古川 ほとんど本ですね。Amazonで検索をかけます。例えば、南京事件なら南京事件、松井石根なら松井石根で検索かけて、気になったタイトルは基本的に全部買います。そうするとひとつの公演で20冊ぐらいになるんですが、まずそれを端から読んでいく。でも当たり外れがありますから、ちゃんと読むのは半分ぐらいですね。あまりに難し過ぎるやつとかは途中で止めます。それをどんどんやっていくと、「あ、ここだ」「この部分だ」とピンと来るものに当たるので、そこを丁寧に読んでイメージを膨らませていくという感じです。
── では最後の質問です。『生き残った子孫たちへ 戦争六篇』という企画全体のタイトル、ここに落ち着くまでにきっと喧々諤々あったのでは、と勝手に想像しているのですが。
古川 あはは、これはまさに、かなり揉めたました(笑)。チラシをつくる時にデザイナーさん込みで論争になりました。結局、デザイナーさんが出してくれたアイデアだったと記憶していますけど。6作をひとつにパッケージするということ自体、したことがないし難しいし、紆余曲折を経て決まりました。
── でも良いタイトルだと思います。こう言われるとドキッとしますよね、これを目にした人で、当てはまらない人は誰もいませんから。
古川 僕も、すごく素敵なコピーだと思っています。
取材・文:徳永京子
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