【連載】ひとつだけ 徳永京子編(2015/9)―『海辺のカフカ』
ひとつだけ
2015.08.27
あまたある作品の中から「この1ヶ月に観るべき・観たい作品を“ひとつだけ”選ぶなら」
…徳永京子と藤原ちからは何を選ぶ?
2015年9月 徳永京子の“ひとつだけ” 『海辺のカフカ』
同じ内容の話を何度か書いたことがあるが、大事なことなのでここでも書く。蜷川幸雄について、ギリシャ悲劇やシェイクスピアといった大きな物語を、パワフルでスペクタクルに見せる演出家だという偏った認識を持っているなら、どうか訂正してほしい。
確かにそれは蜷川のひとつの方向性で、これまでの仕事をカウントすれば、そのタイプの舞台が多いだろう。けれどもうひとつ、おそらくこちらのほうが本人の本質に近いと思える方向性がある。それは、多くの人と同じように世界に馴染んで大人になることができず、外に向けたトゲでまず自分が傷付いてしまう不器用な若者の心理に寄り添う作品だ。『血は立ったまま眠っている』も『カリギュラ』も『リチャード二世』も映画『青い炎』も、その点で作品と演出家が感応して作品が立ち上がっていった。
その繊細な神経が存分に、日本の現代小説に注がれたのが『海辺のカフカ』だ。原作はあまりにも有名な村上春樹の大ベストセラー。けれど、観る前に読んでいなくても問題ない。複雑なストーリーの大事な点と線は、舞台を注意深く観ていれば理解できるし、少し引いて観れば原作の構造が発見できるし、そこにいるだけでも舞台にしかない刺激を通して物語を味わう体験ができるだろう。蜷川の繊細さは、わかる人にだけそれをシェアする小さなものではなく、観る人の中の眠れるデリケートさの扉を叩き、物語の奥にある芯を表に出し、鈍感で狡猾な世界と戦える頑丈なガラスの武器を持たせるものだ。
具体的な見所は、なんと言っても、ほとんどのセットが巨大なアクリルのケースに入り、それらがふわりと滑るように舞台上を動く美しい演出。初演(12年)を観た時、私はアクリルケースを小説の段落だとイメージしたのだが、蜷川にインタビューで聞いたところ、本のページをめくる感覚をそれで示したかったという。そして俳優。特に、ほとんど消えてしまいそうな透明感で存在する宮沢りえは、どの言葉も悲しい鈴のように発して、せりふをひとつも無駄にしない。抜群の演技巧者を挙げるなら、現代と第二次大戦が交わるX点の中心に立つ運命を背負わされたナカタ役の木場勝己。木場がどこに立っているか観ていれば、『海辺のカフカ』が単なる少年の通過儀礼の物語でないことがわかるはずだ。そしてもうひとり、さいたまネクスト・シアターの周本絵梨香も、村上春樹が書いた“戦争がもたらす肉体の悲劇”を静かに深く請け負う。夫を軍隊に取られた若い女性の欠落感は、時空に穴だって開けるのだ。
ちなみに村上は、初演を開演から少し遅れて観て、その後もう1度、最初から観劇している。芸術新潮9月号のエッセイによれば、5月のロンドン公演をカズオ・イシグロが観て、村上に素晴らしかったと感想を言ったそうだ。
2015/9/17[木]~10/4[日] 彩の国さいたま芸術劇場大ホール
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