【連載】ひとつだけ 徳永京子編(2017/07)― 範宙遊泳 x The Tadpole Repertory『午前2時コーヒーカップサラダボウルユートピア-THIS WILL ONLY TAKE SEVERAL MINUTES-』
ひとつだけ
2017.06.30
あまたある作品の中から「この1ヶ月に観るべき・観たい作品を“ひとつだけ”選ぶなら」
…徳永京子と藤原ちからは何を選ぶ?
2017年07月 徳永京子の“ひとつだけ” 範宙遊泳 x The Tadpole Repertory『午前2時コーヒーカップサラダボウルユートピア-THIS WILL ONLY TAKE SEVERAL MINUTES-』
2017/6/30[金]~7/2[日] 東京・森下スタジオ[Cスタジオ]
上演のニュースに触れて楽しみに思う気持ちにも種類があって、これは思わず心の中で「ありがたい」とつぶやいてしまった。範宙遊泳とThe Tadpole Repertory(以下、タドポール)の協同制作作品『午前2時コーヒーカップサラダボウルユートピア』の日本公演だ。
海外で公演する日本の小劇場の劇団は、この4~5年で一気に増えた。チェルフィッチュや庭劇団ペニノのように、作品がフェスティバルや劇場に買い上げられるケースはあまり増えていないものの、TPAM(ティーパム。国際舞台芸術ミーティングin横浜)、国際交流基金、セゾン文化財団などの若い劇団へのサポートが、よりこまやかで現場感覚に寄り添うものになり、公演だけでなく、現地でのWSや現地のジャーナリストとの交流など、さまざまな展開が生まれている。
中でも範宙遊泳は、特に豊富にその機会を得ている劇団だ。2014年に『幼女X』(初演は前年)をTPAMで上演して以降、マレーシア、タイ、インド、中国、アメリカと作品発表の場を広げており、さらに特徴的なのは、その多くの場所で、現地のカンパニーと共同制作を行っていることだ。ちなみにシンガポールのカンパニーThe Necessary Stageとも、インディペンデントで3年に渡る国際協働制作を進めている。
国を超え、こんなにも多くの海外の演劇人が「一緒に作品をつくりたい」と思うのは、やはり、プロジェクターで会場の壁に文字や映像が映され、それが俳優と有機的に絡む範宙遊泳のスタイルが、彼らの好奇心を掴んでいるのは間違いない。見た目のインパクトと、言語を超える大きな可能性を感じさせるそれは、観客に対しても「観る」や「聴く」に加え、「読む」という行為で作品にリーチさせ、新しい観劇体験になっている。
さて、『午前2時~』は、昨年12月に、主宰・作・演出の山本卓卓、俳優の福原冠と田中美希恵、劇団員ではないが椎橋綾那がインドに渡り、タドポールの演出家、俳優たちとゼロから1本の作品を創作し、そのまま年を越して1月末まで、バンガロール、ムンバイ、ブネ、デリーと4都市をツアーして回った作品だ。創作の過程やツアーの様子は、福原と田中の日記という形で劇団のサイト上でまめに更新され、また、山本による振り返りのエッセイが雑誌「新潮」5月号に発表された。けれどやはり肝心の「客観的かつ全体的に、それはどういう作品だったのか」ということは、創作の内側にいる人の話からは掴めなかった(これは当然のことであって、決して3人を責めているわけではない)。
これまでも少なくない「日本と海外の演劇のコラボ」の情報に接し、それが自分の好きな劇団や演劇作家が関係している場合は何とか観られないかと考えてきたが、『午前2時~』に関心が湧いたのは、インドでツアーを行ったことが大きい。
前述の山本のエッセイには「ニューヨークに公演をしに行くと言えば“すごいね”と言われるのに、インドだと“大変そうだね”になる」とあり、まさに私もその凡庸な反応をしたひとりだが、インドがニューヨークより文化度や民度が低いと言いたいのでは、もちろんない。ニューヨークには設備の整った劇場がいくつもあることは知っている。けれどインドには、それも地方都市にはどんな劇場があり、どんな人々が集まり、演劇というものがどう認識されているか、具体的にはイメージできる日本人は少ない。私たちは、アジアを通り越してアメリカの文化、作法に慣れ親しんできた国民であり、演劇の知識もそのほとんどを西洋から学んできた。それが、同じアジアでも未知の国の代表のような場所で創作、それもコラボレーション、そして複数の地域での上演を敢行することがどれだけのタフさを作品に要求するかが想像できるから。いや、私の想像し得ない何かを持った作品になっているのではないかと思うから。
インドの現代演劇の劇団と日本の現代演劇の劇団がコラボレーションするというのは、どういうことだろう。インドの公演地それぞれの観客は、それを観てどんなことを感じ、考えたのだろう。俳優たちは、ふたりの演出家は、そのフィードバックと調整をどんなふうに繰り返して作品を膨らませたのだろう。そんなことを考えていた作品が、日本で観られる。なんて「ありがたい」ことだろう。
範宙遊泳がタイに滞在制作し、Democrazy Theatreとダンス作品につくり直した2015年の『幼女X』や、The Necessary Stageとのワーク・イン・プログレスは、幸いなことに日本で上演されたので観ているが、まさかその比ではないはずだ。
そしてコラボである以上、初めて観るインドの現代演劇としても、『午前2時~』に接したい。
ところで山本は、しばらく前にTwitterを止めた。インターネットの世界の騒々しさ、情報の雑な流れ方、軽さや醜さなど次々と露わになるネガティブなもの、奪われる時間などを考えれば、賢明な選択だとも思う。では彼は今、たとえば政治のニュースをどこから得ているのだろう。山本はかつて、あるインタビューで「もう政治的なことはダサいなんて言っていられない」と言い、また、代表作『幼女X』は、東日本大震災と原発事故の被災地にひとりで赴いたことが大きく創作に影響していると語っていた。その時よりも状況はずっと悪い。この国の報道の自由度は下がり、共謀罪は間もなく施行される。新聞もテレビのニュースも、簡単には信用できず、私たちは情報を自分で比較して、信用できるかどうかを判断しなければならない。きっと昔からそうだったのだろうが、状況はシビアになってきている。“国際”コラボレーションが山本の政治的関心の具体的なアウトプットだとすれば、やはりこの作品を私は見逃せない。
最後に。国際共同制作をした演劇人に「どうでしたか?」と質問すると、ほとんど100%、「どこに行っても苦労はするし楽しいことはある。言葉や習慣や用語などの細かい違いはあっても、良い作品をつくろうという姿勢は同じですよ」という答えが返ってくる。『午前2時~』に関わっているタドポールや範宙遊泳の人々に同じ質問をしても、きっとそうだと思う。多少の負けん気や気遣いが含まれているとしても、嘘のない実感だろう。でもそう言えるのは、実際に体験して比較した人だけだ。「同じですよ」からこぼれる差異は、きっと作品に込められている。そこから響く多様性を、客席で感じ取りたい。
願わくばそれが、見えないものと見えないものを目を凝らして比較し、時に選択ミスをし、徒労を感じ、楽なほうに流されそうになりながらも、考え続けようとする善良な人たちに、もう少し頑張ろうと思わせてくれるものでありますように。
≫ 範宙遊泳 x The Tadpole Repertory『午前2時コーヒーカップサラダボウルユートピア-THIS WILL ONLY TAKE SEVERAL MINUTES-』 公演情報は コチラ