【連載】ひとつだけ 徳永京子編(2017/06)― サンプル『ブリッジ』
ひとつだけ
2017.06.13
あまたある作品の中から「この1ヶ月に観るべき・観たい作品を“ひとつだけ”選ぶなら」
…徳永京子と藤原ちからは何を選ぶ?
2017年06月 徳永京子の“ひとつだけ” サンプル『ブリッジ』
2017/6/14[水]~6/25[日] 神奈川・KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ
(c)momoko japan
サンプルが劇団という形態をやめて松井周の個人ユニットになる。その理由については、複数の媒体で松井が答えている。かく言う私も、雑誌「BEST STAGE」の、その名も「Long Interview」というコーナーのために直接、話を聞いた。他のインタビューもそうだったと想像するが、取材時の松井は普段通り明るく、落ち着いていて、彼らの決断が前向きであることは納得できた。だから、最高の形で第一章を終えようとしているこのタイミングに水を差す気持ちは毛頭ない。でも、今でなければきっと意味がないと思うので、あえて書きたいことがある。
サンプルは、ずっと誤解されたままではなかったか。
サンプルの作風を説明するのに最もよく使われていたのが「変態」という言葉だ。本人たちもしっくり来るようで、自作の説明に盛んに使っていたし、今回の活動形態の転換も「サンプルは“変態”し、第二形態へ」と公式のプレスリリースに書かれている。この場合はもちろん「変容する、変身する」という意味で使われているが、サンプルの大きな看板として流通していたのは「変質者」という意味での「変態」だ。
ここからはひとまず、劇団の活動休止と切り離して読んでほしい。
前述のように「変態」に2通りの使い方があり、サンプルはその両方が機能する作品をつくっていた。物語の舞台には度々、近未来が選ばれ、遺伝子操作をストーリーの芯として扱ったり(’14年の『ファーム』など)、俳優が物理的に布と一体化して、最初に演じていたのとは異なる役になったりした(’12年の『自慢の息子』など)のは、変容するほうの「変態」だった。
そしてもう一方の「変態」としては、ひとりの青年の排泄物からつくった水を、体に良いという触れ込みで販売する健康食品店の人々を描いた『地下室』(’06年、’13年)や、女性がペニスバンドを着けて男性を犯す『ファーム』などが挙げられる。
この、遠いふたつの「変態」を自在に行き来できるのがサンプルの最大の特徴だったのだが、常々感じることがあった。それは、変容系はともかく、変質者系のネタ(あえてこの単語を使う)で、もっと客席から笑いが起きてもよかった、エモーショナルな反応が起きることが理想だったはず、ということだ。たとえば、スカートにハイヒールを履きつつも、娘には父親として接する人物は、社会の見えない抑圧への拒絶を象徴しているのと同時に、コメディなのである。あるいは、世間から隔離され、排泄物を精製して売り物にされていた青年が、遅い初恋によって性欲を覚えてしまい、従来の機能を失って周囲の人々が慌てる物語は、間違いなく滑稽な人間ドラマなのだ。
そう、実はかなりの割合で、サンプルは笑える(笑わせることが目的の、ではない)ネタを作中に仕込んでいた。そしてその多くは、考えオチでなく、反射的に吹き出してしまうものだった。また、土着的な設定やシンプルで人間的な感情が核に組み込まれていた。しかしバイオ、ケミカル、人工的、未来感といった低体温の一面が効果的に伝わっていたがゆえに、実態以上に、難解な劇団と認識されてしまったように思う。こう言い換えてもいい。変質者系の「変態」という言葉で、思考停止に陥る観客を少なからずつくってしまったのではないか。
いや、これは松井や劇団の責任ではない。その時、何かを感じながらそれを言葉にすることができなかった自責の念からこれを書いている。
こうした窮屈さを打破するために生まれたのが「テスト・サンプル」と名付けられた、劇団員が自分で台本を書いて順番にひとり芝居を演じる’16年の『ひとりずもう』ではなかったかと今になって思う。なぜならそのほとんど全部が、笑える仕上がりになっていたからだ。ちなみにそのうちのひとつ、古屋隆太の作品はのちに、ユーロスペースで定期的に開催されているお笑いと演劇のコラボ企画『渋谷コントセンター・テアトロコントvol.13』に出場している。
結局、その試みは、彼らが劇団であり続けることにはつながらなかった。が、おそらくそれは無駄ではなかった。最後の劇団公演となる『ブリッジ』が、『ひとりずもう2』をベースに書かれているからだ。大変残念なことに私はこの舞台を観ていないが、かなり変態的で笑えるものだったと聞く。それが採り込まれていることに、大いに期待したい。
だが何より大事なのは、サンプルはこの先も続いていくということだ。先に書いたインタビューで、「性」というモチーフについて聞いた際、松井は「僕にとっては、おもしろいことを考えるのとイコールなのかもしれない。子どもの時は、おっぱいって言葉だけで笑っちゃうとかありましたよね。あれに近い感覚がある。身体とか性的なことは、人間にとって1番おもしろいことじゃないかな」と応えた。そして「今、社会的にはエロが分裂していて、セクハラとか暴力とか差別とか、いろんな言葉でフィルターがかかって、原初的な衝動とかけ離れている感じがするんです。それを1回、フィルターなしで楽しめる要素として、生命の飛び散る火花みたいな感じのギリギリのところまで表現したいと思う」と続けた。
『ブリッジ』のあと、松井の表現が一層荒々しくなるとしたら、今回の「変態」は、まさに2つの意味を(タイトルが暗号であったように)つなぐことになる。お楽しみはこれからだ。
≫ サンプル『ブリッジ』 公演情報は コチラ