【連載】ひとつだけ 徳永京子編(2017/03)― ゲッコーパレード『ハムレット』
ひとつだけ
2017.04.2
あまたある作品の中から「この1ヶ月に観るべき・観たい作品を“ひとつだけ”選ぶなら」
…徳永京子と藤原ちからは何を選ぶ?
2017年03月 徳永京子の“ひとつだけ” ゲッコーパレード『ハムレット』
2017/3/31[金]~4/10[月] 埼玉・旧加藤家住宅
何かにつけて言っているけれど、演劇は、映画の試写会や音楽の試聴盤のように、前もって完成形に触れる機会を持たないまま、つくり手も紹介側も作品について語らなければならない。つくり手はそれでも、決意とともに「おもしろくなります、期待してください」と表明するのが、見ず知らずの人からお金と時間をもらう筋だろうが、紹介する立場の者としては「これまで観た作品はどれも最高だったから、この劇団(人)なら今度も100%大丈夫です」なんて言えるほど無邪気、あるいは厚顔に生きてはいないわけで、不確定要素の山の中から、自分が信じられるものを吟味し、責任が持てることを精査して、言葉を織り上げていくことになる。
だから1度も観たことのない団体を人に薦めるのは、当然、ためらいがある。たとえこのコーナーが、多くの人が楽しめるであろう作品を採り上げる一般的なお薦めではなく、あくまでも私基準の価値観で選ぶことがコンセプトでも、相応の責任はある。それでも今回、ゲッコーパレードという団体を採り上げるのは、2月の「下北沢 本多劇場祭り」で、山崎健太さん(演劇研究・批評)に薦められたから。
「下北沢 本多劇場祭り」は、下北沢の本多劇場内(舞台はもちろん、階段、応接室、楽屋まで)を使って、いくつもの団体が演劇やパフォーマンスやトークを同時多発に行ったイベントで、そのひとつに『スーパープレゼンテーション!!──山崎健太が徳永京子に注目の若手をリコメンド!──』があり、山崎さんが筆頭に名前を挙げたのがゲッコーパレードだった。山崎さんは早稲田大学のどらま館で上演される学内の団体の作品にはすべて劇評を書くなど、若手の演劇団体の動向には詳しい上、心身ともにフットワーク軽く新しい団体、新しい場所に出かけている信頼できる人だ。その前からも、山崎さんをはじめとする何人かの見巧者のTwitterでゲッコーパレードについての書き込みを見聞きしていたが、この日のトークでいくつか強く惹かれた点がある。
ひとつは、座・高円寺の劇場創造アカデミー出身者が中心だということ。もちろん、何事も本人の資質や姿勢が1番重要で、どこで誰に何を学ぶかは二次的な問題ではあるが、公共劇場が開催している演劇教育機関から劇団が生まれ、それが結成早々に一定の注目と評価を受けるレベルにあるのは、とても興味深い。劇場創造アカデミーは、2009年の劇場オープンからスタートしているから8年目。具体的にどんな授業をしているか──講師やプログラムなどサイトでわかること以上を──、私は不勉強で知らないが、劇団が生まれる場所としてほとんど注目されることのなかったこの機関について、改めて考えられていいのかもしれない。
ふたつ目は、代表はいるが主宰は置かず、演出家がトップという集団ではないと聞いたこと。演出は、代表の黒田瑞仁が務めるが、俳優も積極的に意見を言うらしい。また、ブレヒトの戯曲『リンドバーグ』を上演した時は、シーンごとに演出家を置いたという。演劇は共和制でつくれるのか。俄然、惹かれた。
そしてもうひとつは、普通の民家を主な上演場所にしている点。上演中の『ハムレット』は再演で、初演も同じ一軒家で上演しており、前述の黒田が実際に暮らしているという。民家を上演場所にする例は、贅沢貧乏の家プロジェクトなどもあり、いまや非・劇場での演劇作品はひとつのカテゴリーにできるほどで珍しくないが、生活する場所と作品を見せる場所が同じであるのは、やはり文字通り、寝ても覚めても作品について考える行為を伴うはずで、(私の予想が当たっているなら)ストイックな姿勢と練られたアイデアでつくられた作品が観られるのではと思う。
民家なので観客の数は限られ、今回も定員は15名と聞く。観客の数を極端に少ない設定で上演する演劇に、少し前の私は懐疑的だった。今も、そういう形態ばかりを続けていれば、作品もつくり手も観客も、脆弱で小さな共同体として閉じこもってしまうと考えているし、そうした作品が、たとえば言葉の通じない人にどれだけの“おもしろさのコード”を拾ってもらえるかは懸念がある。けれど、小さな会場から大きな会場へ、少ない観客から多くの観客へと、射程を確実に定めている才能も現れて、その人達が劇場ではない場所で演劇を上演する意図を考えたいし、彼らの萌芽を目撃したいとも思う。ゲッコーパレードがそういう団体であることを祈りながら、蕨市に行く。
≫ ゲッコーパレード『ハムレット』 公演情報は コチラ