演劇最強論-ing

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【連載】ひとつだけ 徳永京子編(2017/01)― シアターコクーン・オンレパートリー2017「世界」

ひとつだけ

2017.01.7


あまたある作品の中から「この1ヶ月に観るべき・観たい作品を“ひとつだけ”選ぶなら」
…徳永京子と藤原ちからは何を選ぶ?
   
2017年01月 徳永京子の“ひとつだけ” シアターコクーン・オンレパートリー2017「世界」
2017/1/11[水]~1/28[土] 東京・Bunkamuraシアターコクーン
2017/2/4[土]~2/5[日] 大阪・森ノ宮ピロティホール

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「誰にとっての?」とツッコミを入れられそうだが、声を大にして朗報だと言いたい。赤堀雅秋の新作『世界』の戯曲を インタビュー のために読んだのだが、これが新境地の快作なのだ。
 と言っても、今までと違う方向に大きく踏み出したのではない。変えた角度はわずかだし、歩幅も狭い。けれど、新しい場所へ進む第一歩は、大抵の場合、謙虚なものだ。もしかしたら、いつもとあまり変わらないと感じる人さえいるかもしれないが、それは赤堀がいつも大事にしてきたものの核を、その人がきちんと受け取っていたということだろう。

大事なものとは、つまり“普通の人々”なのだが、これほど多くの劇作家を誘惑するモチーフはないし、落とし穴の多い概念もない。 普通の人に起きたおもしろい/驚くべき/不思議な/理不尽な話を描こうとすれば、早晩、登場人物は普通ではなくなる。なぜなら、彼らの身に起きるのは、程度の差こそあれ事件だから。事件に遭った人、事件を起こした人を、普通は“普通”と呼ばない。このパラドックスで少なくない劇作家が、それも真面目な劇作家ほど“普通”の定義に翻弄され、自家中毒に陥ってきた。

ところが『世界』は事件が起きない。あがく人、状況を変えようとする人はいるが、いずれも不発、未遂に終わる。それなのに冒頭で快作と言い切ったのは、空気のこまやかな動きが戯曲に捉えられているから。誰かがどこかに風穴を空けるドラマチックなカタルシスはない。けれど空気が揺れ、その揺れの重さ、軽さによって、空気がどれだけ淀んでいるかや、小さな風の抜け道がわかるのだ。事件はない、だから加害者も被害者もいない。『世界』を刻む針は、期待の次は失望、攻めのあとは及び腰にと振れ、永遠の“おあいこ”のような運動を繰り返していく。
それを赤堀はインタビューで「自分が感じている今の世の中の空気」だと語っている。そのリアリティが、射程が、演劇としてのおもしろさがどれだけのものかは観た人の人生観、社会観が鏡になるだろうが、それこそが普通の本懐だろう。

そして何より、いわば小さなこの物語を、シアターコクーンにぶつけてきたところがいい。いや、逆だ。シアターコクーンで上演できる小さな物語を書いたことが決定的に新しい。コクーンに見合う作品をつくろうとして過去2回、これは私見だが赤堀は失敗し、それについてこの『演劇最強論-ing』内で ロングインタビュー をしている。3作目となる『世界』はおそらく初めて、赤堀らしさで劇場を埋められる作品になるはずだ。

ところで数年来、すっかり消えたと言われ、私自身もそう言ってきた「小劇場すごろく」(キャパの小さい劇場から少しずつ大きい劇場へと上演場所を映していく、会場の大きさが出世の証という考えに基づく活動スタイル)が復活してきたのを感じる。「念願の本多劇場に初進出」と宣言する劇団が去年あたりから続いているし(劇団根本宗子、□字ック、子供鉅人)、贅沢貧乏の山田由梨もインタビュー(シアターガイド1月号)でごく当然のように「いずれ大きい劇場でやりたい」と発言しているし、マームとジプシーの藤田貴大のようにキャパ800人の東京芸術劇場プレイハウスを30歳そこそこで自分の可動領域に入れてしまえる演出家も出現した。小さなギャラリーや民家やカフェで公演することに自分たちらしさを見出しているつくり手が増えている一方で、大きな劇場への若手の意欲が可視化されてきたのがおもしろい。この点については、2月5日の下北ニューウェーブの アフタートーク でも話したいと考えている。


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