【連載】ひとつだけ 徳永京子編(2016/12)―1万人のゴールド・シアター2016『金色交響曲~わたしのゆめ、きみのゆめ~』
ひとつだけ
2016.12.5
あまたある作品の中から「この1ヶ月に観るべき・観たい作品を“ひとつだけ”選ぶなら」
…徳永京子と藤原ちからは何を選ぶ?
2016年12月 徳永京子の“ひとつだけ” 1万人のゴールド・シアター2016『金色交響曲~わたしのゆめ、きみのゆめ~』
2016/12/7[水] 埼玉・さいたまスーパーアリーナ
(C)田中亜紀
「1万人のゴールド・シアター」の計画を知ったのは、蜷川幸雄の体調がまだそれほど悪化していなかった頃だったと思う。それでも私は、そのタイトルを聞いた途端、思わず眉をひそめた。なぜならそこに行政の匂いを感じたから。
高齢者による演劇は、主に3種類に分けられる。ひとつは趣味、ひとつは芸術、残るひとつは公共事業で、公共事業としての演劇とは、老人が元気でいる/元気になるには演劇が効果的であることを受け、自治体がバックアップする公演。世界的に高齢化が進む近年、老人が心身ともに健やかであることは国家レベルの重要事項なので、多くの国が演劇の効能に注目しているらしい。
さいたまゴールド・シアターは、公共劇場である彩の国さいたま芸術劇場で蜷川が立ち上げた高齢者演劇集団だが、その活動の性格は公共事業ではなく、紛れもない芸術だ。お年寄りを元気にすることは尊い。そこに演劇が活用されることは大いに歓迎したい。けれども蜷川の頭の片隅にあったのはカントルが組織した老人の劇団クリコット2であり、既存の演劇を批判する存在として老人に期待をしたのだし、何より、生まれた作品を観ればその芸術性は明らかだった。高齢者を元気にすることなどまったく念頭になかったのだ。
だが「1万人のゴールド・シアター」は、芸術を公共事業にねじ曲げる企画だと思った。会場はさいたまスーパーアリーナ、今年からスタートして最終的には東京オリンピックの年に1万人の高齢者を出演させるというコンセプトは、とりあえず大きい数値を掲げて景気良さげに振る舞う、まるでバブル時代のような安易な考え方に思えた。また、蜷川の体力面を考えても、その企画にエネルギーを使うなら、他に力を注いでほしい舞台はいくらでもあった。
それが一転して「絶対に観に行こう」となったのは、雑誌「悲劇喜劇」2016年9月号に掲載された、ノゾエ征爾の追悼文を読んだから。
この悲劇喜劇を含めたいくつかの追悼特集で、私が知る限りノゾエだけが、現在進行形で蜷川に呼びかけていた。ノゾエはもともと「1万人のゴールド・シアター」の戯曲を手がけることが決まっていたが、蜷川の逝去により、演出も引き受けることになっていた。「現状報告です。」から始まり、「またご報告させていただきます。」という約束で終わるその文章は、行政とか政治とか公共といったせせこましい線引きを、現場の高齢者たちが勢いよく蹴散らしている様子と、ノゾエが世田谷区で7年続けている高齢者施設への巡回公演のことがイキイキと書かれている。そこにあるユーモアを拾う視線と、年配者への畏怖の念、体力勝負の悪戦苦闘に素直に乗ってみようと思えた。
公募で集まった60歳から91歳までと、ゴールド・シアターのメンバー併せて総勢1600人以上が、『ロミオとジュリエット』をベースにした物語を演じる。ひとりひとつは自分だけのせりふがあるらしい。きっと観るほうも体力が要るが、同時にパワーがもらえるはず。平日の日中1ステージのみと足を運びやすい条件ではないが、検討してもらえたらと思う。
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