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【連載】ひとつだけ 徳永京子編(2016/10)― 近藤公園・平岩紙 二人芝居『あたま山心中~散ル、散ル、満チル~』

ひとつだけ

2016.10.5


あまたある作品の中から「この1ヶ月に観るべき・観たい作品を“ひとつだけ”選ぶなら」
…徳永京子と藤原ちからは何を選ぶ?
   
2016年10月 徳永京子の“ひとつだけ” 近藤公園・平岩紙 二人芝居『あたま山心中~散ル、散ル、満チル~』
2016/10/12[水]~10/19[水] 東京・下北沢駅前劇場
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 聞かれるととても困る質問のひとつが「好きな俳優さんは?」で、舞台であれ映画であれ、特定の俳優を観たいという気持ちが出かけるモチベーションになることがほとんどない。突き詰めれば俳優だけでなく劇作家や演出家、劇団に対しても同じで、そもそも誰か/何かに耽溺する傾向が低めな体質ではある。とは言え、劇作家や演出家にインタビューする時のほうが、俳優にする時より聞きたいことが浮かぶので、興味の重心が少しズレているのだろう。
 では出演者にこだわりがないかと言えば全くそうではなく、むしろ俳優に対する要求が高過ぎて、容易にファンになれないのかもしれないと思う。
 戯曲が読めているのか、柔軟に開いたか、頑固に守ったか、無我夢中か、冷静か、俯瞰しているか、全体の一部になっているか、役に溺れて気持ちよくなっていないか、責任を負わず得することばかり考えていないか、たとえやり甲斐を見いだせない作品でも演技に言い訳が含まれていないかなどなど、今ざっと考えただけでもこんなふうに俳優に求める条件が頭に浮かんでくるわけで、我ながら厳しい。

 そんな私がチラシだけですぐ、つまり出演者の写真だけで「観たい」と思ったのが近藤公園と平岩紙のふたり芝居『あたま山心中~散ル、散ル、満チル~』だ。
 言うまでもなくふたりは共に大人計画所属で、年齢は1歳違う(近藤が37歳、平岩が36歳)が、2000年の『キレイ 神様と待ち合わせした女』(シアターコクーンプロデュース、松尾スズキ作・演出)で初舞台を踏んだ同期だという。若いアンサンブルが大勢出演したあの作品で、ふたりと同じように初舞台だった、あるいは初めて松尾演出を受けた俳優は他にもいたし、近藤、平岩のあとも大人計画の準劇団員的なポジションに就いた人たちはいたと記憶しているが、残ることは難しい。ましてや大人計画は、個性が強いという点でも、演技の引き出しが多いという点でもモンスター級の俳優が揃っていて、ちょっとやそっとでは存在意義は生まれない。
 そうした中で、大人計画に居続けているだけでなく、広く活躍の場を増やしている近藤と平岩は頼もしい。「売れているから偉い」ということではない。ふたりが入団してからは大人計画の公演自体がそれほど多くないのに、外で仕事をすれば「こちら、大人計画の俳優さんです(=きっとおもしろいんですよね)」と紹介されるプレッシャー、劇団の公演があればあったで、前述した先輩たちのプレッシャーに負けないたくましさを身に付けてきたこと。初舞台から16年を経て、プロデュース公演も映像の仕事も数々やりながら、失う可能性の高かったある種の繊細さを持ち続けていることが、希少だと思うのだ。

 今回の公演はふたりが自主的に発案したものらしい。キャリア上はやらなくても特に差し障りはないのに、守りに入らないのがいい。ふたりの覚悟を思うと少し胸が躍るが、『あたま山心中』がもともと吉田日出子と串田和美のために書かれたというのにもうれしくなった。ふたり芝居は、ふたりの俳優の実力と魅力が拮抗し、よく似ているところとはっきり違うところがあるのが望ましい。
 超ナンセンスな落語『あたま山』から着想し、ベースはメーテルリンクの『青い鳥』、そこに深沢七郎の『楢山節考』をブレンドして竹内銃一郎が89年に書いた戯曲は、最初こそ不条理劇然としていてつかみどころがないが、しばらくすると、初演時よりも今のほうが社会状況と合っていると思えてくる。演出は寺十吾。上演の機会が少ない名戯曲に触れるという意味でも、観ておきたい。

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