【連載】ひとつだけ 藤原ちから編(2016/10)― マーク・テ『Baling(バリン)』
ひとつだけ
2016.10.5
あまたある作品の中から「この1ヶ月に観るべき・観たい作品を“ひとつだけ”選ぶなら」
…徳永京子と藤原ちからは何を選ぶ?
2016年10月 藤原ちからの“ひとつだけ” マーク・テ『Baling(バリン)』
2016/10/22[土]~10/24[月] 京都・ロームシアター京都 ノースホール
Courtesy of Asian Arts Theatre
ドイツに来て1ヶ月が過ぎた。毎日のようにいろんな人たちと出会い、刺激的な日々を過ごしている……と言えば聞こえはいい。でも実は2日に1度くらいは「漱石がロンドンでノイローゼになったの理解できるわ……」とか考えてしまっている。お気楽極楽というわけにはいかない。つい数日前も、東にある国から逃げてきた女の子を泣かせてしまい、もちろん悪気はなかったものの、もはや無知はここでは罪に等しいのだと痛感している。まあそのことは今はいい。美味いビールとサッカー観戦には幸せを感じている。
ドイツにかぎらず、海外で出会う人々のアイデンティティが、その地域や国家の「歴史」と複雑に絡み合っているという事実は、とても大事なことだと思う。「歴史」とは教科書に書かれた知識や情報を指すのではなく、彼ら自身の存在の根本に関わる、巨視的な(そして親密な)時間の流れなのだ。
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マーク・テの『Baling(バリン)』は、そうした示唆をもたらしてくれた作品のひとつである。
京都国際舞台芸術祭2016のオープニングを飾るこの作品は、今年の2月、TPAM2016においても上演され、多くの観客たちを唸らせている。わたしも強い感銘を受けた。もちろんそれは、この作品が丹念なリサーチと根気強さによってつくられており、技法的にも洗練され、マレーシアの最前線を教えてくれる魅力的なものだったからだ。
いや、もっと素朴に言おう。この作品が「歴史」を鮮やかに扱っているという、日本ではとても難しいことをやってのけている事実に驚かされたのだった。わたしはこの作品を通して、それまでまったく無関心であったマレーシアの「歴史」と、21世紀の今を生きる自分自身とのあいだに、初めてつながりを見い出すことができたのである。
『Baling(バリン)』は、共産主義ゲリラ勢力のリーダーである活動家チン・ペンと、やがてマレーシアの初代首相になる政治家トゥンクのあいだで行われた「バリン会議」をモチーフにしている。1955年、今からおよそ60年前のできごとだ。マーク・テとその仲間たちはこの「歴史」を再編集し、文脈を共有していないはずの日本人観客の前で上演する。それは「アジア」を再認識させる巨視的なビジョンとして観客の前に現れることだろう。ある親密さをともなって……。
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わたしは、これから日本の演劇を支えていく若い作り手や観客に『Baling(バリン)』を観てほしいと願う。日本人がこれから「歴史」を取り戻していく上で、この作品はきっと大きなヒントをもたらしてくれるだろう。
長いあいだ、日本の若い劇作家や演出家にとって、「歴史」は難敵として立ちはだかってきた。もう8年くらい前になるだろうか。ある演出家が「歴史とか言われてもピンとこない、でも目の前にあるこのコップは信じられる」と言っていたのを思い出す。それを無知だと責める気にはなれなかった。むしろその演出家はかなりの勉強家であったし、当時はまず、「歴史」からは切り離されているかもしれないが、それでも生きているこの身体にリアリティを取り戻すことが、切実な問題意識としてあったのである。
あれから日本の状況は大きく変化した。日本の現代演劇の様相もまた。ただ、いくつかの果敢な試みにもかかわらず、日本の「歴史」は依然として封印されたままではないだろうか。まるで、ひらいてはいけない箱の中に閉じ込められているみたいに。
おそらくこの「歴史」の封印を解かないかぎり、日本のぬるい空気──わたしが「沼」と呼んでいるもの──はまだまだつづくだろう。それでいい、閉塞した環境だからこそミュータントが生まれうるし、その付加価値で海外に売れる、という発想もあるだろうけど、わたしの考えは違う。わたしは、自分自身や大切な友人たちを「沼の中の日本人」という名札の下がった見世物小屋に入れたくはない(*)。
それにこの「沼」では不安や不満がじわじわと人間を蝕んでおり、破滅的な衝動が澱のように社会の底辺に溜まっているようにも感じる。それらはしばしば兇悪な暴力となって噴出し、犠牲者を生んでいる。澱んでいるのだ。ならば風通しをよくしたい。そのためには、誰かが封印を解かなければならないだろう。でも、どうやって……?
そんな議論が、『Baling(バリン)』を始めとする様々な作品から生まれていくことを願っている。
(*)ある種の見世物小屋を仮構しながら、その構造自体に鋭くメスを入れるというやり方は有効かもしれない。たとえば劇団サンプル(松井周主宰)のように。彼らによる一人芝居のオムニバス『ひとりずもう2』は10月7日~10日、早稲田どらま館にて。
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