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KAAT×サンプル『グッド・デス・バイブレーション考』 松井周 インタビュー

インタビュー

2018.04.17




何かを失ったとして、元に戻ることだけが幸福ではない。
変わった状態を受け容れて生き延びる方法を示したい。


昨年6月、主宰するサンプルを劇団から個人ユニットへと移行した松井周。「役を演じるのはコスプレ」など独自の演劇観、大胆な性描写、生活感とケミカル感の不思議な同居はそのままに、より自由に自身の関心を掘り下げていくらしい。『グッド・デス・バイブレーション考』はその第1弾にふさわしく、固定化する全体主義にユーモアの小石を投じ、若くて健康を基準に動く社会に警鐘を鳴らす、松井ならではの野心に満ちた作品になりそうだ。



── 新作は“近未来版『楢山節考』”ということですが、『楢山節考』は松井さんのこれまでの複数の作品に渡ってインスピレーションのもとになってきましたよね。今回、てらいなく前面に出している理由があるのでしょうか?

松井 確かにルーツみたいなものですね。春風舎で公演をしていた頃から繰り返し参照しています。それは僕がおばあちゃん子というところから始まっているんだと思います。ほとんど同居している祖母に育ててもらった感じで、親より距離が近かった。その祖母がどんどん年を取って、できないことが増えて、家の中での居場所がなくなっていくのを見ていたわけです。なくなるというか、家族の中で役割が変わっていく。そういう、老いに伴う変化みたいなことはずっと頭にありました。実際に『楢山節考』を読んだのは大学に入ってからです。その前に木下恵介さんが監督した映画のイメージがずっとあって、ちょっと避けていたんですよ。昔の日本の、貧しさゆえに仕方なく母親を山に捨てにいく、家族愛というかヒューマニズムの話だと思っていて。でも原作の深沢七郎さんの小説を読んだら全然違った。もちろん親を捨てにいくことの家族の葛藤はあるんだけど、もっと違う部分がメインで……。

──ある地域の風土記みたいな感じですよね。四季だったり、人間の生と死のサイクルがわりと淡々と描かれていて。

松井 そうなんですよね。人間、ある環境の中で暮らしていたら、こうなっていくのは当たり前、みたいな距離感で書かれている。たとえば、おばあさんが年を取っても歯がたくさん残っていて、(それがたくさん食べることを象徴するようで)恥ずかしいからと自分で石で叩いて歯を抜こうとしたら血だらけになって、子供たちから「鬼ばばあ」と囃し立てられるとか(笑)、ちょっとふざけた話も出て来る。他の小説が、人間性とか個人とか「私とは?」をテーマにして頑張っていたところに「人間も他の動物と一緒」みたいな感覚で出てきた小説に、当時の文学界は驚いたんじゃないですかね。僕は本当にびっくりして夢中になりました。

── それがおばあさまに対する思いとつながった?

松井 老いるということを、人間的に捉えるのでなく、生き物の生死として考えることにつながりました。人間の命を人間の尺度で考えないという意味では、僕はずっと『楢山節考』をやっているのかもしれません。

── 言うなれば、すべての松井作品は『楢山節考』の変奏曲であると。すごくわかる気がします。ある時は和楽器で奏で、ある時は電子楽器で演奏してという。

松井 そうそうそう(笑)。

── とすると、『グッド・デス・バイブレーション考』はどんなアレンジ、あるいはストレート加減で行こうと?

松井 今までのサンプルは、もちろん僕の妄想が最初にあるんですけど、美術や照明などスタッフの方にもアイデアを出してもらって、物語の核の部分を広げてたり、まったく違う視点を入れたりして、フォーカスが増えたものを、また僕がまとめるというやり方でした。それで、ちょっとカオスみたいになった作品が多かったんですけど、もう1度、創作そのものを自分の手の感覚に戻すというか、なるべくミニマムにつくりたいという気持ちが、まず最初にあります。もちろん一緒にやる人たちが、それぞれ腑に落ちる形にはしてもらうんですけど。単焦点というのかな、フォーカスをひとつに絞っていくのが今回の作品かなと思っています。

── サンプルは、劇団のファンクラブ的な「サンプルクラブ」を組織して会員向けにスタッフが講義を開催するなど、つくり手全員が表にいるイメージが強かったです。新体制になって、そこも変えていかれるんですね?

松井 美術も照明も新しい方にお願いしています。新しい人と出会うのもこれからのテーマにしていて、ご一緒する人がどんなことをおもしろいと感じるのかわからない中でやっていくので、予測不可能な部分を楽しみながらやろうと思っています。

── リスタートを切るという点から考えるとスタッフを一新する気持ちはわかりますが、ミニマムな体制で創作するという点からするとスタッフとのコミュニケーションはスムーズなほうがいい。初めてのスタッフと1度に何人も組むのはリスキーとも言えるのではないですか?

松井 そこは洗脳するしかないですね(笑)。これまでは「僕が権力の1番上ではありませんよ」という感じでやっていたんですけど、今度は教祖──という言葉を使うと誤解されるかもしれませんが──が僕で、持っているイメージをなるべく強く周囲に刷り込んでいくつもりです。

── 今、演劇の稽古場はどんどん民主的になっているじゃないですか。演出家を頂点にしたヒエラルキーは崩壊して、上下関係なく話し合いながら創作するのが当たり前という世代も出てきている。それをいち早くやっていたのがサンプルだった気もするんです。それが新体制になって、もちろん松井さんが独裁者になるとは思っていませんが、時代に逆行するように演出家が明確にイニシアチブを取っていこうとしているのは、とても興味深いです。

松井 洗脳と言っても、ヒエラルキーをつくるというより、僕の中であるビジョンやテーマみたいなものがブレないものになってきて、それに染まってもらえたらいいなという程度ではあるんですけれども。でもきっと、集まってくれた人にはおもしろがってもらえると思います。

── 松井さんの中で、ブレがなくなってきた時期と、新生サンプルになった時期は、たまたま重なったんでしょうか? それとも、新生サンプルを始めようとしたら松井さんの中でビジョンのフォーカスが絞られてきたのでしょうか?

松井 ああ、どちらとも言えますね。以前から絞っていきたい意識はたぶんあって。『離陸』(15年)は割と自分のイメージを通して良いものがつくれたという感触があった。振り返ってみるとその頃から、自分のイメージがもう少しダイレクトにお客さんに伝わる形態を探してたんだと思います。



── では『グッド・デス・バイブレーション考』の内容について具体的にお聞きしていきます。

松井 50年くらい先の近未来の話です。貧困層と富裕層が今よりはっきり分かれていて、その中で抜け道を探すように、潰れた集落に住みついてしまった人たちの共同体があって、その中のひとつの家族の話です。彼らの隣人と、もうひとり外からやってくる人物が出てきますが。その家の父親が高齢で、子供に介護されている。介護の話が入口になっているのは、『離陸』が台湾の劇場に呼ばれて公演をした時に、介護の専門誌に取材されたんですよ。なんでだろうと思ったら、インタビュアーの人が「舞台には出てこないですけど、寝たきりのお母さんが話の中に登場して、その介護がわりと重要ですよね」と言ってきて。聞いてみると台湾では“サンドイッチ世代”というのが問題になっているそうなんです。やっぱり晩婚化が進んでいて、介護と子育てが一緒に始まる世代が出てきた、それで疲労してしまう人たちのことをそう呼んでいると。そこは僕が個人的に1番気になっているところで、新作でも考えてみたかったので。

── 介護を受ける元ポップスターの父親はどなたが?

松井 戸川純さんに演じてもらいます。父親なんですけどメス化しているんです。その時代には一部でメス化する男性が出始めて、彼がそのひとりという。父親はかつてかなり人気のある歌手だったんですが、この時代には歌そのものが禁止されていて、暮らしはかなり困窮しています。

── さいたまゴールド・シアターに書き下ろされた『聖地』(10年)も、高齢者の安楽死が推奨される時代の話で、山奥の老人介護施設に元アイドルの老女が入居しているというエピソードが出てきました。

松井 ああ、このラインは『ガラスの動物園』の影響ですね、今、気が付きましたけど(笑)。『楢山節考』に並ぶ僕のもうひとつのルーツが『ガラスの動物園』で、あの話に出てくる母親のアマンダが、昔はたくさんの男性に言い寄られ、華やかな生活を送っていたのに今は……という境遇じゃないですか。あのイメージと近いです。

── お話を伺っていてふと思ったんですが、松井さんが書いてきた未来は、安楽死が奨励されたり、死そのものは軽いのに、そこに暮す人間は、むしろなんとか生き延びようとしていて、生命力が強いですよね。

松井 それは僕が、ひとつのものの見方、決まった価値観に囚われ過ぎるのが気持ち悪いからだと思います。死が軽くなったら「いや、そうじゃないでしょ」と言いたいし、「死はやっぱり重いよ」と言われたら、反対の立場を取りたい。わりと昔から、これが絶対だということに対する嫌悪感がどんなことにもありますね。だから並立させる。それが僕の作品をわからなくさせているとは思うんですけど(笑)。

── メジャーへの道を阻む天邪鬼が自分の中にいる?

松井 いやいや、行きますよ、僕はメジャーへ(笑)。

── はい。ぜひこのままの松井さんでメジャーへ(笑)。いや、私が感じたのは、先ほどの民主的な稽古場の話とも関連していて、死と親和性を持った表現が増えている今、それと相性の良い作風だと思われがちな松井さんが、図太く生き残る人々を描いているのが、やっぱり興味深いなと。

松井 生存戦略じゃないですけど、人間にとっては生き残ることが1番大事だと僕は思うから。何かあったら逃げればいいし、逃げるだけじゃダメなら止まって向き合ってみればいいし。
それとさっきも言いましたけど、やっぱり「これだ」と言われたことに乗っかり過ぎるのがいやなんです。それは、ユーモアが無くなってしまうから。ズレたり外したりして、それをツッコミ合うのがおもしろいのに、ひとつに決めてしまうと自由を拒否しているように思える。要するに、真面目になりたくないんですね。
そういう意味で、死は重いものでもあり軽いものでもあると見せたいし。生き残るという話で言えば、生きてさえいけばそれ以外は不真面目でいいという気持ちが強くあります。

── サンプルのキーワードである“変態”も、生き延びるために自らの形を変えていくと捉えると、腑に落ちます。

松井 ええ、まさに。



── 作品の詳細に戻りますが、「生演奏によって語られていく」と宣伝にありますが、これは?

松井 いつもサンプルの音楽を担当してくれている宇波拓さんの生演奏を、以前から劇中でやりたかったんです。ただ、伴奏ではなくて、琵琶法師が『平家物語』を語るみたいな感じをイメージしてます。目の前で進んでいく物語は未来の話なんですけど、過ぎ去ったこととしても語られるようにしたい。ただし音はチープな器械音とか、ちょっとインチキ臭い音を鳴らしたい。

── 戸川純さんのキャスティングについても教えてください。

松井 完全に僕がファンだからです(笑)。戸川さんがマルチに活躍されていた80年代を、僕はリアルタイムでは知らないんですけど、すごいインパクトでもって活動されていたと思うんですよ。音楽は今聞いてもまったく色あせないですし。でも僕は戸川さんに、自分をおもしろがる人とどこか同調していないようなパンクな印象を持っていて、ずっと俳優をやっていたいんじゃないかと感じていた。その存在そのものを舞台に乗せられたらいいなと考えています。そういう人ってあまりいないので。結局、以前のサンプルはずっとバンド形態だった気がしているんです。それも、すごく技術のある人たちが集まってくれていた。でも最近の僕は、技術じゃない部分、強さや弱さ、おもしろさなど、その人丸ごとを舞台上でどう見せるかに興味が出てきたんですね。戸川さんはもちろん技術をお持ちなんですけど、それが一緒にできたらいいなと思います。

── 最初におっしゃっていた、集団の中で役割を失った人の居場所というテーマともつながってきそうなお話ですね。

松井 例えば、老いてきて昔と同じ役割を担えない、あるいは事故や病気で何かの能力を失ってしまう。それに対して「またできるようになるよう頑張りましょう」みたいな言い方がありますけど、元に戻ることが幸福じゃないだろうと思うんです。それだけが基準じゃないというか。違うものになってしまった、変身、変態してしまっても、その状態を受け入れて、新しい関係を築いていくことがこれからの価値観にならないかと考えていて、それをおもしろく形にできないかなという思いはありますね。

── 最後に。『グッド・デス・バイブレーション考』というタイトルに込めたものを教えていただけますか?

松井 ビーチ・ボーイズの「グッド・バイブレーション」という曲から取ったのがひとつですけど、グッド・デス、安楽死についてはやっぱり考えたい。安楽死が法律で認められる国が出てきたり、穏やかに死ねるカプセルが発明されたりして安楽死ブームみたいなものもこれから出てくる予感もするし、この傾向はさらに拡大していくと思うんです。そうやって死すらもブームになる風潮にどう抵抗するのか。それこそさっきの、図太く生き延びる方法を示していきたいです。

インタビュー・文/徳永京子

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サンプル

松井周(劇作家・演出家・俳優)の主宰する劇団。 青年団若手自主企画公演を経て、2007年に劇団として旗揚げ。松井周が描く猥雑かつ神秘的な世界の断片を、俳優とスタッフが継ぎ目なく奇妙にドライブさせていく作風は、世代を超えて広く支持を得ている。 作品が翻訳される機会も増え『シフト』『カロリーの消費』はフランス語に、『地下室』はイタリア語に翻訳されている。 『家族の肖像』(08年)と『あの人の世界』(09年)で第53、54回岸田國士戯曲賞最終候補にノミネート。 『自慢の息子』(2010年)で第55回岸田國士戯曲賞を受賞。 ★公式サイトはこちら★