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「新しい演劇のつくり方2022」岡田利規×長久允 対談

インタビュー

2022.12.17


さまざまなジャンルの第一線で活躍するクリエイターと10代が出会い、お互いが学びと好奇心を拡張する創造性のプラットフォームGAKUで「新しい演劇のつくり方2022」がスタートした。総合ディレクターを岡田利規、講師を笠木泉と山田由梨が務め、約8ヵ月をかけて、12歳から19歳の15人がチェルフィッチュの『三月の5日間』から新しい作品を生み出す。これを記念して、岡田と、GUCCIのショートフィルムを委託されるなど世界が注目する映画監督/脚本家であり、この数年は演劇作品にも接近している長久允の対談を実施。自分の適性の見つけ方、そのアウトプットの方法、周囲の評価との付き合い方、まだ形になっていないこれからのことなどを話してもらった。(取材・構成 徳永京子)




よくわからないけれど、この辺に何かが確かにある

岡田 長久さんと会うのは今日が初めてですが、以前、「映画をつくったのでコメントをもらえないか」という連絡をもらったんですよね。

長久 はい、『WE ARE LITTLE ZOMBIES』(’19年公開。脚本・監督とも長久)の時でした。

岡田 それがすごくおもしろかった。おもしろいというだけじゃなくて、ものすごく誠実といえばいいのかな。あの映画って表面上はとてもポップに見えるというか、ポップに見せようとしているというか、でも実質はすごく切実で、そこに打たれました。

長久 コメントも「信頼できると思った」という言葉をいただいて、とてもうれしかったです。

岡田 「これをつくった人は信頼できる」と思ったんですよ。その次に見せてもらったのは、舞台の『(死なない)憂国』(’20年。4人のクリエイターが三島由紀夫作品の舞台化に取り組んだオムニバス『MISHIMA2020』のうちの1本で、小説『憂国』をもとに、長久が初めて舞台の脚本・演出を手がけた)を配信で見せてもらって。あれもすごくおもしろかったです。

長久 ありがとうございます。僕、岡田さんの舞台がずっと好きで。一番最初がアゴラ劇場で観た『目的地』(’05年)、次が東大で上演された『クーラー』(’06年)……。

岡田 え、それって学会(第一回表象文化論学会)の一環でやったやつですよね? 

長久 『目的地』があまりに好きだったので、学会の発表でもなんでも、チェルフィッチュが上演されるならとにかく観たいと(笑)。そのあとスーパーデラックスで『三月の5日間』の再演を観たり。19歳とか20歳ぐらいの時です。岡田さんの書く言葉も好きなんですけど、物語の見せ方ってこんなにあるんだと驚いたし、物語の立ち上げ方と帰結の仕方が大好きで。曖昧なゴールというか、人の善悪をテーマ付けしない美徳とドライさが、技法の中から物語にぶつかってくるように感じられて、それこそ自分が描きたいとイメージしていたものだと思ったんです。それで、演劇はチェルフィッチュがやっているけど、それを映像でやっている人はいないから僕がやっていきたいと思ったんです。映画をやりたいと思った始まりでした。

岡田 うれしいです。でもおもしろいな。僕は10代の頃は映画監督になりたかったんです、演劇にはまったく興味がなくて。大学に入ってから演劇をやるようになり、結局、映画はやらずじまいなんですけど。

長久 大学が仏文だったので、ベケットとかイヨネスコを学んでいく中で“そこにないもの”とか“そこにあるモノとそれを見る人の関係性”とか、シュルレアリスムをどう捉えていくかといった学問や心の感じ方を知って、それがすごく好きで。だから演劇はしっくりと、自分が表現していきたいものとしてありました。そんな中でチェルフィッチュを知ったんです。自分でも劇団を立ち上げて1回だけ公演をしたことはあったんですけど続かなくて、卒業後はサラリーマンになり15年ぐらい過ぎていくんですが、演劇という表現自体はずっと好きなんです。

岡田 映画のほうがいろんな表現方法がないですか? 僕はそう思ってましたよ、映画はすでにすごいものがいっぱいあるし、「それでもやる」と覚悟した人がやることなんだろうなと。今も大好きだけど、「自分はもう観ていればいいいや」みたいな気持ちです。

長久 僕が映画に対して感じたのは、「ない」というより「足りていない」ですね。そこを埋めたいと思いました。ただ、いくらそう思っても体現する技術がなくて、学生の頃、PFF(ぴあフィルムフェスティバル)とかいくつかのコンクールに応募しているんですけど、何ひとつ引っかからず、夢を諦める感じで1度挫折しているんですが(笑)。

岡田 でもそれは(頭の中にあるものを)形にするために必要な経験なり技術なりがなかっただけで、たとえ「これが足りない」と言語化できなかったとしても、「何か足りないものがある」という認識を持ったわけじゃないですか。僕も演劇に対してそういうところはあったと思う。それはすごく大事だと思います。つまり、自分の今の知識や技術で形にできるものを形にするより、どういう形になるのかわからないけれども「こういう何かを形にしたい」という気持ちがある、「よくわからないけれど、でもこの辺に何かが確かにある」っていう感覚は重要ですよ。



諦めるのは無理でした

長久 今のお話を聞いて、学生時代にすごくやきもきしていたのを思い出しました(笑)。いや、やきもきの期間はそのあとも続きましたね。僕は広告代理店で働いていて、今は映画監督/脚本家という肩書きで仕事をしていますが、もともと社内に監督という職種はなくて、やっていたのは、スーパーマーケットの店頭ビデオのせりふを書いて、年間100本ぐらい納品するような仕事でした。でもやっぱり自分で映像が撮りたくて、有給休暇を使ってプライベートで作品をつくってはいたんです。それと並行して十数年、思いついたり目についたりした好きな言葉を、ただ自分のために携帯電話にメモして1000個くらい溜まっていたという暮らしを送っていました。
でも、ちょっと仕事がきつくなってしまい、まとまった休みをいただくことにして、その時、溜め込んだものを全部出してみよう、1回だけのチャンスかもしれないから後悔のないようにやってみようと撮ったのが『そうして私たちはプールに金魚を、』(’17年公開。脚本・監督とも長久)でした。いくつか映画祭に応募しましたけど、日本国内じゃまったく引っかからなかったのが、海外で賞(第33回サンダンス映画祭ショートフィルム部門グランプリ。日本映画では初の受賞)がいただけた。それでやっと、自分は映像をつくっていってもいいのかなと思うことができました。
思い返すと、大変だった最初の十数年の間で、映像の技法が1000個ぐらい血肉になったとは思います。素振りをずっとやっていたんだなと。後輩に同じ経験をしたほうがいいとは言えませんけど、僕はあれを経ないと、自分が体現したかったものはつくれなかった。だから後悔もないし、必要な時間だったと思うんですけど、映画をつくることに対してずっと強い気持ちでいたかというと「諦めるのは無理でした」というのが実感ですかね。

岡田 それは僕も一緒です。適性っていうと「自分はこれがやりたい」とか「人よりこれが上手い」とか積極的に選んだふうに思われがちですけど、「他のことができない」「他に興味を持てるものがない」、そういう消去法で1個だけ残ったものという場合だってあると思うんですよ。少なくとも僕は消去法でした。
大学で演劇を始めて、だったら大学を卒業する時にやめることもできたわけですけど、できなかった。それは「好きだから」というよりは「ここでやめちゃうともったいない」と思ったからです。しかも「これを続けていったら(人から)認められる」という話じゃなくて、自分がもっと演劇の中にいろんなものを見つけられる気がしたんです。その可能性を感じていて、だからやめちゃうのはもったいないと思った。で、当たり前なんですけど、続ければ続けるほど、いろんな可能性が見えてくるので、さらにやめられなくなるんですよね(笑)。「これはもっといろんなものが見つけられそうだ」と。

長久 『金魚、』も自分の人生のためにつくったので、完成してからあちこちの映画祭に出して反応がないのは、「まあ、残念だけれども、自分としては悔いなくできたのでしょうがないな」と思っていたんです。サンダンスでグランプリをいただけたのは本当にびっくりして、うれしいというより、自分が(映画を)つくっていい人間だと決めてもらえた感覚が大きかったです。もし最初から海外での評価を狙っていたら、もっとオリエンタリズムを入れたりして、自分の本当につくりたいものではなかったかもしれないし、賞も獲れなかったと思います。

岡田 『(死なない)憂国』はどういう経緯で?

長久 梅田芸術劇場(主催者)のプロデューサーさんに声をかけていただいたんです。そもそもは「ロンドンの劇場でミュージカルをつくって日本に持ってくるプロジェクトがある。音楽が好きそうだけどやってみますか?」みたいな話で。先方は僕が演劇好きということを知らずにオファーをくださったんですが、もちろん即答で「ぜひやらしてください」と。それが『消えちゃう病とタイムバンカー』という作品で、台本も全部書き上がって稽古も進めていたのですが、コロナの影響で延期、結局は中止になってしまいました。そんなこともあって、別に動いていた『MISHIMA2020』のほうに参加することになり、『(死なない)憂国』をつくったんです。

岡田 僕は基本的に俳優が大声で話す演技が苦手なんです。『(死なない)憂国』はほとんどずっとふたりの俳優が叫んでいたけど、まったくいやじゃなかった。叫んでいる必然性があったというか、受け入れられたんです。これはかなりギリギリのところでつくっているんだろうなと。

長久 『金魚、』の時と一緒なんですけど、それしか(選択肢が)なかったんですね。「三島由紀夫の中で好きな作品を選んでいいです」と言われて、もともと好きで読んではいましたけど、改めて読み漁ったら、今やるなら『憂国』しかない、僕はこれをやるしかないと感じて、脚本も2日ぐらいで書き上げられたんです。僕もやっぱり大声のせりふは苦手で、俳優さんにも最初は全編棒読みで話してもらうイメージでいたんですけど、稽古が始まったら、(エネルギーが)収まらないんですね、どうしても。だったらそれに従おうと。そういう車輪の回し方でつくれたので、他に3人の演出家さんが参加する企画でしたけど、比較されるという意味合いでの緊張感はなくて、自分がやるべきことをやるんだという曇りのない気持ちでやれました。

岡田 かなり書き換えてましたけど、著作権を持ってる人がOKしたってことですよね。それは向こうも立派ですよ。そういう柔軟性のない著作権者、いっぱいいますからね。

長久 そうですね。ある種、『憂国』を否定するところからつくらせてもらったので、理解ある捉え方をしていただけたかなと思います。



才能を見極めて評価する才能

岡田 あの作品が形になったのは、ある意味、長久さんに声をかけたプロデューサーの才能だと思いますよ。

長久 そうですよね、よく知っていてくださったなと思います。

岡田 才能って、つくる側の人間、評価される側の人間に対して使われがちな言葉ですけど、本当は、人を評価する才能ってあると僕は思うんです。評価するという行為には才能が必要だと。つまり、(人を評価する)才能がないやつに評価されないってことは全然あるし、そんなことはどうでもいいよってことを言いたい。自分の経験で言えば、横浜にSTスポットという劇場があって、そこがやっていた短編を何団体かが集まって上演するフェスティバル(「STスポット演劇フェスティバル スパーキング21」)に参加して、STスポットの人がおもしろいと言ってくれたことが、とても大きかったんです。
今は僕自身、評価する立場っていうのがちょっとあるわけです。例えば、岸田國士戯曲賞の選考委員というものをやってるんですが、岸田戯曲賞って演劇界の中では大きな賞なので、最終ノミネートされる時点で、すでにとても良い作品が選ばれているわけです。若手の登竜門的な賞とされてはいますけど、ある程度のレベルを確立してる人を選ぶ賞なんですね。僕が思うに、それは大して才能は要らないんです、選ぶほうに。なぜならその作品に良さ、おもしろさはもう戯曲に表れているから。もっと難しいのは、もっと選ぶ才能が必要なのは、まだ確立されていない若手、若い人達が対象の場合です。たいていそれは、まだあまりおもしろくないんです。

長久 良さがあっても、それがちょっとしか(作品に)出ていないから。

岡田 そうそう。でも、それを見つける意味はある。めちゃめちゃ(見極める)才能が必要ですけどね。

長久 せっかくなので、岡田さんがこれからどんなことやりたいのかお聞きしたいなと思っているんですが。それこそ、今の演劇というものにまだ足りていないものを感じているんじゃないかなと思っていて。抽象的なことでもいいですけど、もし不満があれば聞きたいです。

岡田 今の演劇に対する不満みたいなものは、特にないです。ないというか、僕がやりたいことは、業界全体のことは別にあって、今、すごくやりたいのは、いわゆるドラマの演劇を書きたいと思ってます。複数の登場人物がいて、その人達の中で繰り広げられるドラマですね。抽象的ではなく、いわゆるメロドラマ、ロマンチックな要素も含めた物語。それは今まで書いたことがないし、まだすぐには書けないと思うんですが、いつか書いてみたい。というのは、今までやってきたものをさらに研ぎ澄ましていくっていうことがちょっと物足りなくて。やっていないことを広げていきたいんです。

長久 でもメロドラマ的なことって、感情の繋がりとか人間の関係性が、今まで書かれてきたものよりも強固にせざるを得ないじゃないですか。その辺はどうお考えですか?

岡田 そこにはたぶん、書いていったら引っかかるというか、ぶち当たると思います。でもそれは、さっき長久さんが『(死なない)憂国』について言っていた、最初は叫ぶ演技は想定してなかったけど結局そうしたことと近いというか、最初に抵抗があったとしても、進めていくうちにそのほうがいいと自分で認めざるを得なかったってことと重なると思うんです。それってすごいいいことだと思うんですよ。自分が変わるわけじゃないですか、広がるというか。しかも、外からとか上から言われて受け入れたんじゃなくて、自分で決めてそうしたわけでしょう? 自分のこれまでの美意識とかポリシーでは「えーっ?」と拒否してきたことをするって、すごいことだと思うんですよね。それ的なことが僕にも起これば、書けると思います。

長久 なるほど。

岡田 で、そういうことが自分にあったほうがいいと思うので。

長久 それ、すごく観たいです。

岡田 僕も長久さんの次の舞台が観たいです。

長久 「こういう企画があったらいいな」とか「こういう表現をしたいな」というのは、昔と同じでメモみたいな形でいっぱい書き溜めてあるんです。でも今のところお声がかりは全くなくて……。好きというか、表現として演劇は抽象的なもののゾーンはすごく広いと思うので、機会があればもっとやりたいと思ってます。

岡田 ぜひやってほしいですね。




岡田利規(おかだとしき)●演劇作家、小説家、チェルフィッチュ主宰。’73年生まれ、熊本在住。 ‘05年『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。主宰する演劇カンパニー・チェルフィッチュでは’07年に同作で海外進出を果たして以降、世界90都市以上で上演。’17年には90年代生まれのキャストと共に”再創造”した『三月の5日間』リクリエーションを上演。
ダンサー、ミュージシャン、美術家、ラッパーなど、様々な分野のアーティストとの協働を積極的に行い、作曲家 藤倉大とのコラボレーションによるチェルフィッチュ 新作音楽劇は’23年5月ウィーン芸術週間にて初演予定。近年では欧州の公立劇場のレパートリー作品や’21年歌劇『夕鶴』で初めてオペラの演出、2月〜3月には初めて歌舞伎演目の演出を手掛ける木ノ下歌舞伎『桜姫東文章』の上演が控えるなど、活動の幅をさらに広げている。
https://chelfitsch.net/


長久允(ながひさまこと)●映画監督、脚本家。’84年生まれ、東京都出身。大学在学中にデザインスクールに通って映像を学び、卒業後、広告代理店に入社。CMプランナーとして活動しながら、会社の業務と並行して撮影した短編『そうして私たちはプールに金魚を、』が、第33回サンダンス映画祭ショートフィルム部門でグランプリ獲得。続く長編『WE ARE LITTLE ZOMBIES』も第35回サンダンス映画祭審査員特別賞オリジナリティ賞を受賞、第69回ベルリン国際映画祭「ジェネレーション14plus部門」でスペシャル・メンション賞を受賞した。’20年、梅田芸術劇場が主催した『MISHIMA2020』で初の舞台作品『(死なない)憂国』を作・演出して好評を博す。’21年、オリジナルミュージカル『消えちゃう病とタイムバンカー』を創作するがコロナで中止に。同作戯曲は「悲劇喜劇」’22年7月号に掲載された。最新作、GUCCIによる短編映画『Kaguya By Gucci』がYouTubeにて公開中。

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