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中堅クライシス  第1回 赤堀雅秋【後編】

中堅クライシス

2016.07.1


 誰もが新人として登場し、その大半は、成功のイメージをベテラン期に設定する。だが実際は、その間にある中堅の時間が最も長く、その過ごし方こそが難しい。新人から中堅へ。あるいは、中堅からベテランへ。その途上にある人の、これまでの経験と、今、乗り越えようとしている壁を聞き、そこにある危機感を共有しながら、中堅期のサバイバルについて考えたい。

>>第1回 赤堀雅秋 【前編】はこちら

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第1回 赤堀雅秋(劇作家、演出家、俳優、映画監督) 後編


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赤堀雅秋(あかほり まさあき)
1971年、千葉県生まれ。1996年、SHAMPOO HATを旗揚げ(のちにTHE SHAMPOO HATに改名)し、以降、全作品で作・演出・俳優の三役をこなす。劇団外でも、東京グローブ座『殺人者』、音楽劇『ヴォイツェク』など数々の舞台で作・演出あるいは劇作で活躍。俳優としても『モテキ』『鈴木先生』『岸辺の旅』『怪奇恋愛作戦』など多数の映像作品、『南部高速道路』『オセロ』に出演。2007年上演の『その夜の侍』を自ら脚本、監督した映画(山田孝之、堺雅人主演)が2012年度新藤兼人賞金賞、第34回ヨコハマ映画祭森田芳光メモリアル新人監督賞を受賞。2013年には第57回岸田國士戯曲賞を『一丁目ぞめき』(上演台本)にて受賞。今年6月18日より、監督第2作となる『葛城事件』(三浦友和主演)が新宿バルト9ほかで公開。


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――後半は、大きなサイズの劇場で作品をつくるようになってからの、赤堀さんの具体的な取り組みをお聞きしたいと考えています。
 というのは、この20年ずっと指摘されていることですが、若手のつくる芝居が半径の小さな、すぐ手の届く問題に終始していて、中・大劇場での上演には向かない。また近年は、観客を増やす方法を“小さな会場でロングランする”方向で考える人が増え、それは悪いことではありませんが、その結果、大きい劇場を演出できる演出家が育ちにくいという問題があるので。
 赤堀さんが作・演出していたTHE SHAMPOO HAT(以下、シャンプー)は、新宿の小さな劇場でスタートし、駅前劇場からザ・スズナリ、赤堀さん個人では本多劇場、グローブ座で経験を積み、2014年に『殺風景』でシアターコクーンに進出されました。コクーンは座席数が700を超えますから、それなりの気構えが必要だったと思いますが。


「自分もやっぱりミニマムな人間関係を描くことをずっとやってきて──どんな作品をやるにしても、ベースにはそれがないとどうにもならないんですけど──、もうちょっと広く社会を意識して(戯曲を)書かないと客席に届かない、あの空間が埋まらないと最初に考えました。
 それで、劇団でも何回かやった事件もの(実際に起きた犯罪をもとにした作品)ならいいんじゃないかと。また当時、日本の死刑制度について考えるところがあったので、そういうことも表現できたらいいなとも思いました。でもそれだけではまだ埋まらないということは感覚的にわかったんですよね。で、あの作品でベースにした事件は大牟田(九州)で起きたものだったので、炭鉱の町でもあった大牟田の歴史も含めて書いていけば、今まで自分が描いたことのない広がりが持たせられるんじゃないか、それがコクーンの広さにもマッチするんじゃないかという、気構えというか想いというか、そういうことは考えました。
 ビジュアル的な何かを広げていこうというよりは、(戯曲の)世界観を広げていくことを自分に課した記憶があります」

──だから、ある家族の二代に渡る物語にして、先代が炭鉱で働き始め、爆発事故などに遭いながらも町に根を下ろしていく様子と、次の代で家族共謀し、近所の一家を殺害するまでを描いた。

「はい」

──それが戯曲上の新機軸だったとして、演出上の新しい取り組みは、ふたつの時代の移動を俳優のスローモーションの動きで表すことでしたね。つまり、苛立ちや不安を、細かな体の揺れや引きつった笑顔などで表現していた赤堀さんが、リアリティから離れた。

「そうです。それがうまく行ったかどうかはわかりませんけど」

――私の感想は、かなり厳しかったというものです。さらに問題なのは、2作目のコクーン作品となった去年の『大逆走』でも、赤堀さんが同じ課題で同じ苦労をしているという印象を持ったことです。こちらは振付に小野寺修二さんを起用して、ダンサーによるムーブメントで時空間の飛躍を表現しました。でも私には、アイデアに煮詰まるとムーブメントに頼って、結果、効果的でなくなったように見えました。要するに、空間を埋める演出のカードが少ないままなのではないかと。

「しばらく前にある人から、蜷川幸雄さんが『海辺のカフカ』の初演の演出で、主演の男優さんが森をさまようシーンがなかなかできない、それで“しょうがない、周りの森を動かせ”と言って、それで木がどんどん動いていく最終的な演出になったという話を聞きました。
 恥ずかしながら、目から鱗だったんですよ。今まで20年近くやってきて、演出家としてそういう発想が自分には1ミリもなかった。もしそういう事態になったら、俺はできない役者にワーワー言って、あれこれ(演出の)言葉を変えながら最後まで粘るけど、でもせいぜい、できたかできないかの判断を示すことぐらいしかやれないと思うんです。そういう“役者が動けないならセットを動かす”という考え方が、まったくなかった。でも演出家の仕事は、そういう発想を持って稽古場にいることなんですよね。それがいわゆる演劇的ということだし、大きい空間を埋めるためのひとつの手段なんだってことを思い知って、演劇ならそういうことができるんだってことを考えていたところでした」

──そうした先人が持っているアイデア、実践している工夫に触れる機会を持たずに、大きい会場を演出する段階に来たということですね。

「どうしても自分は作・演出の両方をやることが多いので、作家として家で考えてきた世界観に、どうやって稽古場で近付けていくかの作業になってしまう。小さな劇場で、勝手知ったる劇団員とスタッフでそれをやって、70%できた、80%まで来たということばかりを気にしてきたんですね。でもそのやり方だと、たとえ自分の頭の中で思う100点はできても──できたことなんてないんですけど──、それ以上にはならない。それは薄々感じていたことです。今後は、人を動かすんじゃなくて木を動かすという発想を持っていかないと、何をするにしても成立しないだろうと今は思っています。
 スローモーションとかムーブメントは、時空を飛ぶとか部屋から部屋へ移動する時に、役者がただ動くだけではもったいないと考えて採り入れたんです。A地点からB地点への移動の中にも表現の可能性はある。その間に(リアリティとは)違うものを見せられるチャンスがあるはずだと。スズナリぐらいのサイズだったら、うまくやれば役者の体の移動だけで何か広がりのようなものが出せるんですけど、大きな空間でそれをやってもお客さんに届かないと思ったんですよね」

――俳優をスローモーションで動かして、時間が流れる速度や方向を変えたり、ダイナミズムやある種の違和感を生むという演出は、それこそ蜷川さんの十八番で、いくつもの舞台で行なっています。ダンサーによるムーブメントも、多くの演出家が大きな空間を埋める時に採用しているアイデアです。他の演出家の仕事をもっと早くから観ていたら、もう少し早く意識が変わっていたとは思いませんか?

「わかっているんですよ、それは。でも、たとえ観ていたとしても、スローモーションとか何より毛嫌いしていた自負がありますから。
 ただ自分は演劇を、いわゆる引き算みたいな感じでつくってきて、それは、過去にあった演劇を──よく知りもしないくせに──拒否してつくるやり方で、当初はそれが目新しかったからウケていたと思うんです。それで(そのやり方でいいと思って)続けていくうちに、だんだん自分の中に“だから?”という感覚が湧き出すようになったんです。それがここ何年かで、徳永さんから見れば遅いのかもしれませんけど。
 劇団を休止しているのも似たような思いからで、続けることに意義はあるのかもしれないけど、お客さんも劇団員も含めてお互いに知っている中でやっていくことが、自分としては完全に袋小路になってしまったからなんですね。
 そういう時に、当たり前ですけど(演劇に対して)斜に構えていてもしょうがないので、もうちょっと正面から向き合ってみようか、じゃあそもそも演劇とは何ぞやってことを、顔を真っ赤にしながらやってみたりしたわけです。それで、毛嫌いしてきた部分も自分に課して……課してみたらどうなのかなって……やってみて……。自問自答ですね、はい」

――これ、責めているわけではなくて感想ですよ。勝負って、もし連敗しても前の失敗がクリアできたら納得できるところがありますけど、『殺風景』と『大逆走』は同じところでつまずいているように私には見えて、もったいないなぁと。当然、赤堀さんご自身も傷付いていると思うんですけれども、それでも大きい劇場に挑む理由はなんですか?

「できていない(からやりたい)というのもありますけど……。でも1番は、青臭い理由かもしれませんけど、一般の人達に何を発信できるかっていうことが、根源的な自分の仕事のモチベーションだからですね。
 スズナリでシャンプーの公演して、自分達を好きな人がたくさん来てくれるほうがもちろん気持ちいいんですけど、自分としては客席もアウェイで、うまく使いこなせない空間で、何ができるかってことのほうが──まあ需要がなくなったらそれで終わりなんですけど──、やっている意義があるというか」

――赤堀さんが「何かを発信したい一般の人達」と言う時にイメージするのはどういう人ですか?

「自分の中学校の同級生」

――つまり、演劇なんてよく知らないし、劇場もめったに行かないけど、テレビドラマで観ている好きな俳優さんが出ると「行ってみようか」と興味を持つ人?

「をイメージしていますね。たぶん自分が、演劇とか芸術とかに全く関係のないところに生まれ育ったのが大きいんでしょうけど。高校時代も大学時代も似たようなものだし、決して中学の同級生を下に見ているわけじゃなく、自分もいまだに彼らと同じラインにいるという自覚があるので。
 それに、仮に戦争反対でも原発反対でも、それをテーマみたいなものにした物語をつくるなら、そういう(一般の)人達の想像力を喚起しないと何の意味があるのかなと思います。それが至難の業だってことも同時にわかっているつもりだし、だったら効率よく能動的に参加して(自分の意見に耳を傾けて)くれる人達にまず訴えればいいじゃないかという話になるのかもしれませんけど、今のところ、そっちには興味がないので」

――これ、嫌味でもなんでもないですよ。素直な気持ちでお聞きしますが、赤堀さんが想定する、めったに演劇を観ない人が、何かのきっかけで興味を持って、決して安くないチケットを買って劇場に来て、それでおもしろくなかったら、あるいは、よくわからないものを見せられたら、簡単に「演劇なんて2度と来ない」となりますよね。そういう時の責任をどう考えていますか? 

「これでも俺は、最低限と言うと変ですけど、観てよかったと思えるものをつくる努力はしているつもりです。観に来た人が全部はわからなくてもいいやとか、絶対に思えない。そこは自分の弱さでもあって、岩松了さんくらい観る人を突き放す作家としての強度があれば、むしろいいなとも思うんです。
 『その夜の侍』が岸田(岸田國士戯曲賞)の最終ノミネートに残った時、野田(秀樹)さんの選評に“ラストが甘い”とあって胸に刺さったんですけど、結局それは『その夜の侍』のことだけじゃないんですよ。そうだよな、俺はいつもそういうぬるさがあるんだよなと反省したんです。それでもやっぱり(観客を)突き放すことはできないし、全員は無理でも、ある程度の人に“おもしろかった”と思ってほしいんです」

――全体的に、引き裂かれていますね(笑)。

「そうだね。ずっと矛盾したことしか言ってないね(笑)。社会に向けてとか言いながら、結局は自問自答してるだけだったりとか」

――でも、岸田賞授賞式のお祝いのスピーチでも言わせていただきましたけど「赤堀さんのせりふを喋りたい」という俳優さんはとても多いですよね。『同じ夢』(16年)も、他の演出家さんが「ひとりでいいから貸してください」と言いたくなるような、めちゃめちゃ豪華なキャストだったじゃないですか。赤堀さんは「プロデュース公演はアウェイ」と認識しているかもしれませんが、気が付くとホーム以上に心地よい状態になっていることもありますよね? そのことについてはいかがですか。だって、人気も実力もある俳優が「赤堀さんと仕事がしたかった」と言って集まってくれたら、決して悪い気持ちはしないですよね?

「それは……、まあ、そうですね。『同じ夢』もシアタートラムという小さな劇場なのに、光石研さん、田中哲司さん、麻生久美子さん、大森南朋くんとか名だたる人達が集まってくれたわけですから。ただ、お客さんに対して内輪でやっている感が出るのは本当に気持ちが悪いので、絶対そうはしたくないという危機感は持っていたつもりです。
 それと、プロデュース公演でも劇団公演でも、きっと演出が大変だろうなと思いながら、今まで自分の芝居を観たことないような役者さんにも声をかけて、刺激を受けよう、楽につくれないようにしようというのを自分に課してる部分はあるんです。それが成功しているか失敗しているかはさておき、ですが。自分の好きな人、自分を好きな人ばかりを呼んでいるように見られるかもしれないけど、実はそんなことはないんです」

──そういう人をキャスティングすることで、実際に赤堀さんに変化は起きていますか?

「変化と言えるほど大きいものではないかもしれないけど、昔より柔軟になったと思います。根本的なリアリティを損なわなければ、表現方法はどんどん変化していってもいいかなと思うようになったので。
 ただ、また矛盾したことを言いますけど、去年、2度目のコクーンをやって、やっぱり自分の身の丈に合ったことをやらなきゃいけないのかもしれないと思ったんですよね。やらないとわからないっていうのがバカなんですけど。
 自分にないものをやろうとして、自分の作品を知らない人にもたくさん声をかけて、そういうのを詰め込みすぎて路頭に迷う自分の悪い癖に、ちょっと懲りましたね。……なんか、こう話していると、どんどん自分がイヤになってくるね(笑)」

――まさに中堅クライシスな話が満載と言いますか(笑)、引き裂かれながら、揺れながら、大きい空間や苦手な人に挑んで、また引き裂かれる。

「でも、と言うか、だから、と言うのもおかしいですけど、チェルフィッチュの岡田(利規)さんやマームとジプシーの藤田(貴大)さん、俺はほとんど面識ないですけど、あの人達はきっと天才だろうから、変な意味じゃなくて純粋に、コクーンとかでやったらどうなるのか、ちょっと観てみたい気がします。すごいものが出てきて、簡単に打ちのめされるような予感がするけど……。
 いかんな俺、今日はもっといいことを言いたかったんだけどな。いいことっていうか、アカデミックな話をしたかったんだけど」

――じゃあこのあと私が撮影をするので、アカデミックなことを考えて、写真はそういう路線で行ってください(笑)。長時間ありがとうございました。

≪完≫

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取材・文・写真:徳永京子

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