この俳優、魅力的につき 第2回 青柳いづみ【前編】
この俳優、魅力的につき
2015.10.29
「演出家の時代」と言われて久しい。それを反映するかのように、演劇人へのまとまったインタビューは、圧倒的に演出家、劇作家が多い。しかし最近、俳優発信の企画が目に付くなど、刺激的な小劇場を形成する俳優の存在感が高まっている。観る演劇は基本的に演出家で選ぶ徳永京子が、その中核にいる、気になって仕方のない彼/彼女にじっくり話を聞く。
* * *
第2回 青柳いづみ 【前編】
強烈な作家性から俳優に高い能力を求める演出家、藤田貴大と岡田利規の作品に交互に出演してスケジュールが埋まる──。そんな存在は、後にも先にもひとりきりだろう。ひらひらとなびくお人形のような長い髪と華奢な手足に縁取られながら、孤高の心は誰にも媚びない。
* * *
あおやぎいづみ。女優。東京都出身。桜美林大学総合文化学群に在学中の07年、同大で1年先輩だった劇作家・演出家の藤田貴大が旗揚げした劇団、マームとジプシーに参加。08年、岡田利規率いるチェルフィッチュに参加。以降、両劇団を中心にフリーで活動。主な出演作品に、マームとジプシー『あ、ストレンジャー』(10年、13年)、『cocoon』(13年、15年)、『まえのひ』(13年、14年)、『カタチノチガウ』(15年)、チェルフィッチュ『三月の5日間』(08年-11年)、『現在地』(12年)、『地面と床』(13年)、東京芸術劇場『小指の思い出』(14年)。今年12月『書を捨てよ町へ出よう』に出演予定。この秋から、漫画家今日マチ子との共作漫画エッセイ「いづみさん」を筑摩書房のPR誌ちくまで連載中。また、ミュージシャンの青葉市子とユニット・みあんを結成し、音楽活動も控えている。
* * *
ずっと、自分は人間じゃないと
思ってたんですよ
── 海外に青柳さんといるのは初めてだからそんなに比較はできないけど(このインタビューは9月に行われたマームとジプシーの公演先である北京で行なった)、青柳さん、日本にいる時よりもリラックスしてるように見える。そういう感じはある?
「ありますよ。海外のほうがいい。ホテル生活が好きなんですよ。鞄1個でどこへでも行く、みたいな。ほんとうに、どこでもいいなって思う」
── あんまりこだわりがなさそうだよね、いろんなものに。消臭スプレーぐらい? よく衣裳にシュッシュッしてる。
「やってますね(笑)。あれ、ポプリね。うん、ポプリは必要かも。でも確かに、素敵な器を集めたいとか(のこだわりは)ない。そういうのがあればいいなぁって」
── 「いいなぁ」とは思うんだ。
「とりあえずね。そんな生活も素敵だろうなと。でも実際は料理しないし。……なんのインタビューだこれ(笑)」
── あはは(笑)。じゃあ、『カタチノチガウ』の北京公演のことから聞きますね。昨日1ステ終わってみて、中国のお客さんならではの反応は感じましたか?
「そんなに、他と違うなというのはないですね。それは大体どこの国でもそう。でも中国は若い人が多いと思った、他の外国のいろんな場所と比べると」
── 他の国は、演劇を見慣れた大人の人たちが多い?
「ヨーロッパはかなりシニアが多いです。しかも裕福そうな人が多い」
── 青柳さんはチェルフィッチュでもたくさん海外公演を経験してるでしょ? 言葉の違う国の人の前でやることにナーバスになる俳優さんもいるけど、そこはきっと気にしてないよね?
「うん。(気にするのは)それとは別で、再演を繰り返していくと、前にやった時からその次までの間に当たり前に自分自身が変化しているから、そこから来る変化ですね、準備みたいなものとしては。本番のその場の反応でちょこちょこ変わることは、もちろんありますけど。マームはツアー先によって、結構その国の歴史とか考えたりしますよね。北京ではなかったけど、そこで過去に何が起こったか知って、だからここをこうしようとか。でも自分の中ではあんまりない。ないって言うと怠け者にしか聞こえないかもだけど」
── 他のマームの役者さんにも感じるけど、あれだけ次々と作品をつくって上演して再演していると、どの作品もつながっていて、何かがはっきり終わる感覚はあまりないんだろうなって思う。初日や千秋楽は一応の区切りとしてあるけど、いろんな作品が並行して続いてて、その時々の出演する作品に一時的に戻るみたいな。
「それはそうですね」
── 『カタチノチガウ』は、どことつながって出てきたの?
「『小指の思い出』(2014年。東京芸術劇場の主催公演で、野田秀樹の戯曲を藤田貴大が演出)があってですね。あそこから『カタチノチガウ』が生まれて、そのあと『cocoon』をやって、『cocoon』は再演だったけど、『カタチノチガウ』があったからああいうふうに変わって、今回もう1度『カタチノチガウ』を上演した時に、やっぱり『cocoon』とすごくつながってると思いました。最初に『カタチノチガウ』やった時(2015年1月)と今ではすごく変化してます。『cocoon』をやったことが大きく影響してますね」
── 『小指の~』から『カタチノチガウ』への経緯をもう少し詳しく言葉にしてもらえますか?
「それまで子ども目線だったマームが、『小指の~』で初めて母親目線を持った。でもあれは藤田くんの言葉じゃなかったから、あれはあれで精一杯、あの時の限界までやってたけど、藤田くんとしては自分の言葉で母親について語り直したいって気持ちがあって『カタチノチガウ』をつくることになったんです。あと、私のことで言うと、声を潰したことも大きいです。……そうだ思い出した、徳永さん(が予約していた日に急遽休演日になって)に見せることができなかったんだ、すみません」
── 暗い雰囲気になっているんじゃないかと心配になって会場のVACANTまで行ったら、意外と吹っ切れた表情だったから少し安心したの。すぐに横浜(2月に横浜美術館で上演)で観られたからよかった。
「あれね、『小指~』の時から悪い霊が憑いてたらしいんですよ」
── 見える人に言われたの?
「ボイトレ(ボイストレーニング)にね、原田郁子さんに連れていってもらって、それで声が出るようになったんですけど、トレーナーがそういうのも見える人で、演じている役柄と同じ境遇の人がずっとついてたって。それが喉に悪い影響を及ぼしたんだと思うって言われたんです。どんな人ですかって聞いたら、首吊り自殺した女性だって。だとしたら(そういう描写のある役を演じた)『小指~』からついてたんだなって思った、というか郁子さんに指摘されて気付いた。自分ではまったく自覚がないんですけど。それにこういう話をすると藤田くんに霊のせいにするなって怒られるけど。自分の身体をコントロールできなかった自分が一番悪いんです。
原因はともかく、あれで身体に対する意識の仕方が変わったと思います。『カタチノチガウ』ってそういう(身体のことを扱った)作品だけど、奇しくも自分にそんなことがあって、余計身体について考えることができたんです」
── 自分の身体にどういう意識を向けるようになったの?
「なんかずっと、自分は人間じゃないって思ってたんですよ」
── ああ、思ってたっぽい!
「思ってたっぽい? なんで?」
── 女の子って普通、友達との会話の中で人と自分を比べて、チャームポイントやコンプレックスを自覚して成長していって、その愛憎が自分へのこだわりになっていくものだけど、そういう相対的な自意識が一切なさそうで。
「あははははは(笑)、なかったの。自分は実体のないものだと思ってたんですよ」
── ここ(目)から下には意識が通ってない感じだった。
「え、ここ(目)なの? ここ(首)から下ですらないの?」
── 身体はいつどこに置いてってもいいです、という感じがしてた。
「しておられましたか。『小指~』の時から?」
── もっと前から。見方によっては捨て身でかっこいいんだけど「演劇してて壊れたなら、いつ使えなくなっても構いません」という光線がビンビン出てた。
「そうね、洋服を着せるマネキンぐらいの気持ちだった。ああ、そう思ってもらってたんなら、やっぱりそうだったんだって確信を得たんですけど。もう筒みたいなもんだと思ってて、血も肉も詰まっていない”もの”だと思ってたんですけど、(一時的に声が出なくなったことで)私も人間だったんだって、ようやく気付いたというか。あの時、もしも喉を壊さなくて、そのまま自分は人間じゃないですってやり続けてたら、たぶん死んでたんじゃないかと思う。あそこで気付けてよかったなってすごく思ってる。すぐ忘れちゃいがちなんだけど」
── ボイトレで、身体について具体的にどんなことを教わったの?
「声の出し方とか全部。上半身だけで発していた声を、もっと下半身、身体全部を意識して、声を発することはフィジカルなことだと思ったほうがいいって言われました。身体の動きと連動して声が出るって。当たり前のことなんですけどね。でも知らなかったんです。今もボイトレ通ってますよ、月1ぐらいで。すぐ忘れちゃうんで、思い出させてもらいながら」
── そこからは……。
「もう全然、変わったと思います。まず声の出し方が変わったし、身体の動かし方も違う。実体を持ってる感覚がありますね。それは自分だけじゃなくて一緒に出ている人に対しても、私と同じ人間だっていうのが初めてわかった。前はよく藤田くんに“お前は女神か”とか言われてたんだけど、最近は、自分は人間で、人間と(演劇を)やってるんだなって」
── それ、ものすごく大きい変化じゃない!
「大きいですよ」
── 実は私、『小指~』の時に、青柳さんの大きい欠点に気付いてしまった、と思ってたの。
「えー、なになに?」
── 青柳さんの中には……傷付けたらごめんね、誰かを思って胸がドキドキしたり息が苦しくなったりすることが、実感としてないんじゃないかと思った。人を好きになったことがないっていうのとは違うんだよね。「好き」という気持ちとつながっていて、多くの人にはデフォルトであるものなんだけど。
『小指~』で青柳さんがやった粕羽聖子は、勝地涼さん演じる赤木圭一郎のことが好きっていう設定で、ふたりの体はめまぐるしく動いているのに、温度がずっと低くて、決定的に何かが進んでいかないのはなぜだろうと考えたんだけど。俳優としてのセンサーは人一倍優秀だし、青柳いづみの直感とか演技力をもってすれば当然できるはずなのに、それがまったく伝わってこないってことは、青柳さんの中にはそれが欠落してるんだろうと思って。この話、藤田さんにはしたんだけど。
「あー、そこはね、ほんとに私ね、そう、苦手なんですよ。そんなこと言ってる場合かって感じなんですけど、相手が誰であってもダメなんです。できない」
── でも今だったら違うかもしれない。もう1回『小指~』をやったら違うと思う。
「そう! 私、『cocoon』の初演のときもダメだったんですよ。マユ(相手役)に恋焦がれるってことができなかったんだけど、声が出なくなったあと自分の身体に気付いたからなのかわかんないですけど、再演ではできた気がしたんです。それどう思う?」
── 菊池明明さん(初演でも再演でもマユを演じた)がすごくいいって形で伝わった。『cocoon』再演を観たあと、私、あんまりそういうことしないんだけど、菊池さんの楽屋に行って「すごくよかった」って伝えたの。
「私じゃくて(笑)」
── ごめん(笑)。でもそれ、絶対に無関係じゃないでしょ? サン(青柳が演じた役)を中心にした放射線状になって、いい影響が出てたんだと思う。サンの未来の恋人を演じた石井亮介さんもすごくよかったし。
「そうか。でもそこはすごく大きく私の中で変わったなって思う。初演の時は申し訳ないぐらいにダメだったんですよ。私さえいればいいみたいな気持ちがあったんですよね。それは『cocoon』に限らずだけど、自分に実体がないから、私じゃないものも全部私、みたいな。舞台の上にあるものも、他の出演者も、お客さんも、全部自分。でもそうじゃないんだっていうのがわかって、初めて人間として自分の意識が集まったっていうか。この身体にシューッと凝縮されて、何か他の人を認識するのが大丈夫になったんですよ。すごく大きい変化だと思います。だから今『小指~』をやったら違うのかもしれない。ゆりり(川崎ゆり子)も変わったしね」
── そうだね。昨日の『カタチノチガウ』を観て、『小指~』の頃と川崎さんは相当変わったと思った。でもさっきの、藤田さんが「お前は女神か」って言ってたっていうのは、大袈裟な比喩じゃなくてリアルだったんだね。
「そうなんですよ。それと最近になって当たり前のように思うのが、私が見てないものは誰かが見てて、私が聞いてないことは誰かが聞いてて、その逆もあって、なんだ、誰でもいいじゃん、みたいな気持ちになってる」
藤田くんと岡田さん、
大学で初めて尊敬できる人と出会った
── ひとりひとりが見たり聞いたりしたものがトータルでひとつになればいいと。今までは自分が全部見えてると思ってたの?
「思ってたんでしょうね。見えてるし聞こえてるし、すべて知ってるって思ってたんでしょうね」
── 中学から演劇部だったよね。演劇を始めたときからそんな感じだったの?
「たぶんそうです。全能感にあふれてたんですよ(笑)」
── それは演劇において? それとも他のことも?
「高校生の時は、完全な全能でしたね。可愛かったし」
── 本人からそんなにサクッと言われると笑っちゃうね。でも、今も可愛いよ。
「やめてください、今はもう違う。全然違うの、可愛かったのは昔の話」
── その全能感は1回も折れることなく、喉を潰すまで続いてたの?
「大学に行ってちょっと変わったかな。藤田くんていう人と岡田(利規)さんていう人に会って、私のまったく知らないことを教えてもらったから。私にも知らないものがあるって当たり前だけど、すごい(レベル)って思う人だったんですよ。初めて尊敬する人に出会えたのが大学です」
── そのふたりに短期間に続けて出会ってそれぞれと作品をつくるって、すごいことだよね。先に会ったのは藤田さん? 岡田さん?
「藤田くんが先です。私が1年の時に、山内さん(青年団の山内健司。桜美林大学で講師を勤めている)の授業で、ワークショップのデモンストレーションに参加したんですけど、その時に見初められ(笑)、藤田くんがマームの前にやってた荒縄ジャガーに誘われたんです。最初は演出助手として参加したんですけど」
── 役者じゃなかったんだ?
「いきなり役者でやるよりも、まず演出助手で入って(劇団のことを)知ってもらってから出るほうがいいって藤田くんが。荒縄ジャガーの4回目の公演だったかな。その後2回出ましたね。第5回、第6回と出て、6回で(劇団が)終わりだった」
── 荒縄ジャガーを解散したあと藤田さんが荒れたって聞いてるけど。
「荒れるって言っても、学校行かないでバイトしてたってだけでしたから。一緒によく遊んでたし。その頃がたぶん1番一緒にいたと思います。一緒に漫画読んだり、屋久島行ったり。あとその頃はね、美術館によく行きました」
── 美術館行って、そのあとごはん食べたりお茶飲んだりしながら、観てきた絵について話すの?
「いかにも学生でしょ(笑)。1度、ダリの展示に行って大喧嘩して帰ったことがあります。なんか、藤田くんがダリ見て機嫌悪くなったんです。美術館ネタはその大喧嘩しか今思い出せない」
── その頃、藤田さんを見てて、この人は将来大物になるなって感じは?
「全然なかったんですよ。今とは全然違う、ずっと、大丈夫かなって思ってました。自分のことは棚に上げておいて」
── その意識が変わったのは?
「たぶん作品が転換したんです。『コドモもももも、森んなか』の初演(09年)の時に。あー、そうだ、初演の時に岡田さんが初めてマームを観にきてくれて、ベタ褒めされたんですよ。それまではだーれも褒めてくれなかったのに、岡田さんが絶賛してくれたっていうのが、すごく大きくて」
── 岡田さんとの出会いは大学何年?
「2年の終わりだったかな、冬季集中講座みたいな、3日間だけ集中してやる授業です。単位目当てで取って」
── 岡田さんのことは知らなかったの?
「一切知らない。ダンサーの木佐貫先生(木佐貫邦子。桜美林大学教授)にずーっと“いづみちゃんは絶対に岡田さんと合う”って言われてたんですよ。その授業取った後も“いづみちゃん、次のOPAP(桜美林大学パフォーミングアーツプログラム。年に1度、プロの演出家を招き、学生と共に作品を創作、上演してもらう)は岡田さんだから絶対にオーディション受けなさい”って。そしたら受かったんです」
── 3日間集中講座ではとくにピンと来なかった?
「やりやすいことはやりやすかったです。木佐貫先生が合うって言ってる意味がわかったっていうか」
── その時、岡田さんに気に入られた感じは?
「バリバリありましたよ。藤田くんの時もそういう感触はありました。滅多にそういう人がいないんで(笑)、わかるんです」
── OPAPで上演したのが、新作をやるつもりはなかったのに、オーディションで選んだ学生が予想外に良かったから岡田さんが新作を書き下ろしたという伝説の『ゴーストユース』だよね。その稽古では青柳さんも、岡田さんのすごさを感じた?
「感じました感じました。何でもバレてるっていうか、役者のやろうとしてること、考えてることが、全部バレちゃってるなあって初めて思いました。核心を突かれるんですよ。観客にはわからないだろうし、共演者にもわからないかもしれないんだけど、岡田さんと私の間だけではわかるみたいな。そこ、わかられちゃってんだっていうのが、出会ったときは100%命中だった」
── チェルフィッチュに呼ばれたのは学生の頃?
「そうです、4年生の時に初めて呼ばれて『三月の5日間』のツアーに行きました。いきなりひとりでオーストリアに行ったんですよ。私がパスポート持ってなかったからなんですけど。それでチケット取るの遅れちゃって別便になっちゃったんですけど。あはは(笑)、私のせいですね」
── そろそろ劇場に戻らなきゃいけない時間だね。続きはまた別の日に聞こうかな。
「うん、じゃあまたね」
≫後編はコチラ
取材・文・写真:徳永京子