緊急事態舞台芸術ネットワーク事務局長・伊藤達哉氏インタビュー
インタビュー
2021.02.23
コロナ禍、演劇人の今、演劇の未来。
──見えない恐怖の中から、見える未来を拓くために──
緊急事態舞台芸術ネットワーク事務局長・伊藤達哉氏インタビュー
撮影:前田立
新型コロナウィルスが日本にも深刻な影響を及ぼすようになって約1年。舞台芸術は、創作の過程も観劇のスタイルも変更を余儀なくされたが、もうひとつ、大きな変化を経験した。活動継続のため、政府や社会に働きかける動きが生まれたことだ。
劇場、劇団、作品ごとの寄付活動やクラウドファンディングもあり、終了したもの、継続しているものなどさまざまだが、特に注目を集めたのは、#WeNeedCultureというスローガンを掲げ、ミニシアターやライブハウス(2月にダンスと美術も加わった)と協働する「演劇緊急支援プロジェクト」、全国の小劇場を守ることを目的とする「小劇場エイド基金」、すべての舞台芸術関係者を支援するという公益基金の「舞台芸術を未来に繋ぐ基金」などだろう。自分達が良いと信じるものを自分達のやり方で発信し、その独自性にこだわりと誇りを持ってきた演劇人が結束したのは、状況の危機の大きさを物語るとともに、演劇は何のためにあり、これからどうあるべきかを問い直す転換期が来たことを証明してもいる。
この、組織として政府や自治体への働きかけをいち早く行ったのが「緊急事態舞台芸術ネットワーク(JPASN)」だ。SNS上のアクションが多くないためか、どんな団体で何をしているのか、詳しく知る人は少ないが、舞台芸術への大規模な予算確保、特に初期の補正予算の増額は、ここの活動によるところが大きい。サイトの設立趣意を読むと「今回の新型コロナウィルスのような緊急事態にのみ活動する。すなわち、舞台芸術全体が公演中止に追い込まれそうな時、もしくは追い込まれた時においてのみ活動する。」とあり、恒久的な活動は前提ではなかったが、コロナ禍が落ち着く見通しはいまだ立たず、当分の継続は必至だろう。そして、新型コロナウィルスがもたらした変化とともに、新しい使命が生まれてもいる。有限会社ゴーチ・ブラザーズの代表取締役で、同ネットワークの世話人兼事務局長の伊藤達哉氏に、設立の経緯や活動、日本初の現代演劇の総括的なアーカイブ事業「EPAD」を含む今後の展望などを聞いた。
── まず、緊急事態舞台芸術ネットワークの成り立ちから教えてください。
伊藤 経緯を簡単に説明しますと、去年3月、東京芸術劇場の芸術監督である野田秀樹さんが、この状況がどうにかならないかと高萩宏さん(東京芸術劇場副館長)や福井健策先生(著作権・契約などで多くのエンタメ会社やクリエイターをサポートしている骨董通り法律事務所の代表)に相談されたのが始まりと聞いています。
── 「この状況」というのは、昨年2月から3月にかけて「スポーツ、文化イベント等の中止・延期・規模縮小等の要請」とその延期の要請があり、4月7日に緊急事態宣言が出て、多くの企画が上演直前や上演中に公演を中止したにも関わらず、政府や公的機関から補償の話が一切なかった状況ですね。それに対して野田さんが強い危機感を持った。
伊藤 そうです。そこで福井先生の発案で、4月中旬に主な興行会社や劇場、劇団を対象に実態調査の緊急アンケートを実施しました。
── 劇団☆新感線の『偽義経冥界歌』が、キャストやスタッフが現地入りした状態で福岡公演がすべて中止、シス・カンパニーの『桜の園』がゲネまでやりながら全中止など、ショッキングなニュースが次々と飛び込んできて、小劇場も軒並み公演が中止になっていった頃でした。そのアンケートで明らかになった損失額や具体的な問題点が、皆さんを結束させ、政府に働きかける根拠になっていくわけですね。
伊藤 私自身の関わりは、高萩さんから「ネルケの松田誠さん(2.5次元ミュージカルの牽引者。2.5次元ミュージカル協会代表理事)の連絡先を知らない?」という連絡が来たのが最初です。「こういうアンケートを取りたいから」と。芸劇さんとネルケさんが繋がること自体がこれまで想像もできないことだったので、これは何か起こるかもしれないと。そこからすぐですね、主だった関係者が東京芸術劇場に一堂に会して緊急ミーティングを開きました。
── どんな顔ぶれだったのでしょうか?
伊藤 アミューズ、梅田芸術劇場、大人計画、キューブ、キョードーファクトリー、劇団四季、劇団☆新感線、CAT、シス・カンパニー、宝塚、東急文化村、東宝、ネルケプランニング、NODA・MAP、PARCO、ホリプロ、明治座、吉本興業などの主催団体・制作会社に加えて、日本音楽事業者協会、日本演劇興行協会といった協会組織、さらには東京芸術劇場、彩の国さいたま芸術劇場といった公立劇場、そしてアンケートを手掛けた骨董通り法律事務所と、私からしたら錚々たる顔ぶれでした。
── 犬猿の仲とされてきた方達が何組も同席されていることに驚きます。呼びかけ人は野田さんですか?
伊藤 野田さんは発起人のひとりです。ですが最初のミーティングの第一声は野田さんで、ネットワークとしてひとつ旗を掲げてくれた実感はありました。その後も矢面に立って動いてくださり、政府や議員の元にも率先して出かけて交渉してくれていますし、オンラインのミーティングもかなりの頻度で開いているんですが、それにも要所では必ず出席してくださっています。
── 公立劇場の芸術監督ではありますが、政治や行政からは意識的に距離を取っていらしたと思うので、相当な変化ですね。野田さんは、小劇場の若手制作者の人達を呼んで、どんなことに困っているか現状をヒアリングされたとも聞いています。それだけ危機感が大きかったということでしょうか。
伊藤 その後、野田さんのほか、劇団四季の吉田智誉樹さん、東宝の池田篤郎さんを共同代表世話人として、参加41団体、賛同12団体で設立しました。
撮影:前田立
── ネットワークとしての活動は何から始められたのでしょう?
伊藤 いろんなことを一度に始めたので記憶が曖昧な部分もありますが、まず業界別のガイドラインをつくることと、J-LODlive補助金への対応を急いでやりました。
── 対応というと?
伊藤 J-LODlive補助金は早い段階からコンサート・ライブ等を手掛ける音楽系団体が経産省と話を進めていたそうで、私達が活動を始めた時にはすでに制度が具体化されつつありました。もとは経産省のほうですでにあったJ-LOD補助金という、プロモーション映像作品を対象にした補助金だったのを、今回の補正にあわせてライブエンターテインメントに援用する形で規模の大きい金額にも対応できるようJ-LOD”live”補助金として、制度をつくり替えていたところでした。
── ゼロからつくったのではなく、すでにあった補助制度を演劇にも活用できるようにした理由はなんですか? 早く助成金が出せるなどのメリットがあったのでしょうか?
伊藤 行政のロジックとしては、あくまでもプロモーション映像に付けている補助金なので、それであれば、その映像に映っている舞台にかかった費用を対象経費にする新たなスキームにしましょうと。その場合、プロモーション映像の海外に向けた配信という補助金本来の目的に則してさえいれば、そこに映っている舞台の中身について定性的な審査をせずとも補助金が出せるわけです。それはやはり、制度をゼロから立ち上げるより早い。
── 最初に設計した際の“海外向け配信”という目的は外せないけれども。
伊藤 そもそも音楽ライブ向けにつくられた制度でしたから。そのため、ネットワーク内に政府協議プロジェクトチームを急ぎ立ち上げ、福井先生を中心に経産省の方々と協議を重ね、演劇向けにもカスタマイズしていきました。そうこうしているうちに、今度は文化庁の第二次補正の中身がわかってきたので、それに対して、使いにくい部分をどうしていこうかという働きかけをしたりと。
── 関係する省庁は、主に経産省と文化庁ですか?
伊藤 はい。今回のことで野田さん、福井先生の背中を見ながら私もたくさん勉強させていただいたんですけど、行政側の管轄が違うのは当然として、それぞれでルールもやり方も雰囲気もかなり違うんですよ。
── 例えばどんな点が?
伊藤 ここからは、ネットワークの活動を通じて私が感じた個人的な意見になります。一番大きいのは“業(ぎょう)”としての扱い方ですかね。
── “業”というのは“水産業”や“飲食業”の……。
伊藤 そうです。これは緊急事態に陥って初めて認識したことですが、文化庁は今まで舞台芸術界を“業”として把握していなかったんです。自分達が扱うべき(舞台芸術に関わる)フリーランスにどんな職種があるかを把握していないし、その多様な業態もほとんど把握してこなかった。
── “業”として認識されているか否かで何が違うんでしょう?
伊藤 その把握がなされていなかったことが、今年度の補正で獲得した大きな予算に対して、それを活かす補助金の制度設計がうまくできなかった一因でした。かたや経産省は前提として舞台芸術界を“業”として扱っているので、逆に個人で申請するというのが制度にそぐわない。J-LODliveが法人化していない団体でないと補助の対象にならないのはそういう理由だと思います。
── 同じ官公庁なのに前提が違うんですか?
伊藤 はい。考えてみれば、文化行政と経済産業行政の役割が違うのは当たり前なんですが、その違いを把握するまでに時間がかかりました。先方がこちらの常識を理解していなかったように、業界側でも行政についてわかっていなかった。お互いに認識を改めないとうまくいかないと思いました。
── 助成金の申請のシステムが難解、使いづらいという声が上がり続けていますが、そういった根本の問題がさまざまなボタンの掛け違いにつながっているんですね。
伊藤 担当の方は一生懸命やってくれている。緊密にやりとりしていればそれはわかります。ただ、行政の側がやれることの限界はあって「皆さんのおっしゃることはもっともだけど、それはどうにもならない」と繰り返されるばかりで。去年の夏に文化庁から出た「継続支援事業」も、現場からすれば良くない制度だと言い続けましたが、残念ながら大きな変更はできませんでした。一度閣議決定されたものは、行政の側からは変えられないのだそうです。
── 現状のシステムでは、まず閣議決定された支援のロジックと仕組みがあり、それに基づいた形でしか行政は動けないと。
伊藤 それでも諦めずに現場から声を上げ続けることは重要で、こちらの現状、理想を行政に知ってもらうことは大切だということも学びました。一方で、文句ばかりではなく、逆にどういう提案をすればより早くより多くの人にお金が届くかを考える必要もありますよね。業界側でも行政の仕組みを研究し、その仕組みの中で自分たちにとって使いやすい制度を提案する、それが平常時における正常なコミュニケーションなのでしょう。しかしながら今は非常時です。もともと行政組織とは柔軟な対応が苦手な組織ですが、非常時にいかに柔軟な対応ができるような仕組みにしておくか、これはむしろ、こちら業界側の大きな課題だと思いました。
── なんと言うか、あると思っていなかったイニシエーションを、階段飛ばしで経験していらっしゃる感じですね。
撮影:前田立
── ところで現在の緊急事態舞台芸術ネットワークのサイトを拝見すると「参加団体」「参加劇団・参加カンパニー」「賛同団体」に、松竹や東宝、四季などの大手から、若手と言っていい小劇場の劇団、また舞台照明や音響の会社、放送局や新聞社など200以上の舞台芸術にかかわる団体が集まっています。民間、公立関係なく、劇団や企業としての規模や歴史、また、ジャンルも広範です。これだけの規模でありながら、発足当初から現在まで、あまり積極的に活動を喧伝されてこなかった印象があります。これには何か理由があるのでしょうか?
伊藤 はっきりとそう決めているわけではありません。ただ、ネットワークを設立したタイミングが、公演を続けようと声をあげた演劇人がかなり叩かれていた時期だったんです。そんな中で、自分達の窮状を訴えることでは一般の人々には響かないだろうという判断はありました。我々の活動はむしろ政府交渉と業界のサポートに徹し、世の中には事実を淡々と伝えていこうというスタンスです。
けれども今年1月7日に出た2回目の緊急事態宣言(20時以降の外出自粛の徹底、イベントは上限5000人かつ収容人数の50%以下、20時までの時間短縮推奨)に対してはそのスタンスを少し変えました。事実としては緊急事態宣言下の公演でもチケットをすでに発売していた公演は制限の対象外です。けれども、おそらく公演をやめるほうへの同調圧力が強くなるだろうから、そのまま公演を続ける団体の盾にネットワークがなろうと、これまでにはない強めのメッセージをあえて出しました。
── 福井さんがTwitterで発信されたメッセージですね。ひとつの指針になる心強い言葉だと感じながら拝読しました。
伊藤 結局これも“業”の話になるんですが、舞台芸術、ライブイベントが“業”というのは、つまり、それで食べている人間が大勢いる。公演主催者のみならず、アーティスト、実演家、スタッフはもちろん、その方々が支える家族もまたみなこの“業”によって生活を営んでいます。何の補償もないのに行政からの「働きかけ」で簡単に公演を止められてしまったら、この営み全体が困窮してしまうわけです。
── ただ、緊急事態舞台芸術ネットワークから発信された形にはなっていない。
伊藤 事務局としては、あくまでも現在の制限の中で「公演は続けていいんですよ」と言い続け、もしそれに対して批判の声が上がるようなら、個々の団体ではなくてネットワークが受けるようにしたい。でもそれが逆に、公演をやらないという決断をした人達を責める形になってもいけなくて、公演を止めるという判断もまた同じように尊重したい。お客さんに対してもそうで、観に来てくださる方も、今は行かないと選択される方も、どちらの気持ちも重いと理解しています。そのバランスがあって、ひとつの論調のみを強く打ち出しにくいんです。
── なるほど。お話を伺っていると、発足当初は経済的な補償の確保が第一義だったのが、今の緊急事態舞台芸術ネットワークの存在意義はかなり多義化していると感じます。ウィルスの収束が予測できないということもありますが、コロナ禍を機に浮上した課題がいくつもあり、それぞれへの対応が求められ、実際、それらに応答できる体力を持つ組織になられた。たとえば、パンデミック下の活動で一気に広まったオンラインを活用したクリエイションをどうサポートしていくかも期待されると思いますが。
伊藤 おっしゃる通りです。対文化庁の話をすると、継続支援事業と収益力強化事業が出てきた時に、先ほど言ったように「使いにくい」と抗議したら「そこまで言うなら、この(収益力強化事業の)スキームの中で何がしたいか提案してください」とネットワークに水を向けられたんです。それでネットワーク内のプロジェクトチームで協議し、応募したのがEPADです。これは演劇公演の「配信」を梃子に、過去映像の「アーカイブ」と「現場支援」をドッキングさせた事業です。スキームの詳細は割愛しますが、舞台芸術界における配信の権利処理のスタンダードが更新されることと、悲願だった舞台芸術映像作品のアーカイブサイトが早稲田大学演劇博物館に立ち上がることは、未来に向けて非常に意義深いと感じています。やはり海外に比べて日本は配信についての権利処理が手つかずだったんですね。その課題を解決して、アーカイブとして蓄積していけば、学術的資料としても大きな財産になるし、また新しいウィルスが流行して劇場に行けない事態に陥ったとしてもこのリソースを活用しやすくなると思います。
── それはパンデミックよりもずっと息の長い事業ですね。
伊藤 非常に長い射程の未来を見据えた取り組みだという認識です。
── 構図としては、緊急事態舞台芸術ネットワークの発案で生まれたEPADという事業を運営するために、新たな事務局ができ、そこが早大の演博と協働している、という理解でいいですか?
伊藤 そうです。緊急事態舞台芸術ネットワークと寺田倉庫さんとで実行委員会をつくり事務局を組織し、演博さんと協働しています。
── 緊急事態舞台芸術ネットワークは参加団体が広範なので、中には「舞台はライブが一番、映像で観るのは邪道」とお考えの方もいそうですが……。
伊藤 演劇を鑑賞するにあたってライブが一番というのは大前提です。その前提から出発して、いかに生の舞台の持続可能性を高めるかという話なんです。生の舞台にしか興味がないという方は、新型コロナウィルスが収束したらできる限り元に戻ることを目指せばいいと、これは決して否定的でなく、そう思うんですよ。
でも今を、未来を新しくデザインする大きなタイミングだと感じている人もたくさんいます。私自身、EPADに携わって、アーカイブ事業とは日本の舞台芸術が蓄積してきた宝の山を現代に接続させ、未来に継承していくことだと実感しています。言ってみれば今は、人類全体が歴史観を変えているわけで、コロナ禍を機にこの営みが始まることにも価値を感じています。目の前の危機をとにかく乗り越えることと、その中にありながらこれまでにない長期的な視点で日本の演劇の未来をも考えられるといいますか。
── 今、EPADにはどれくらいの公演の映像が集まっているんですか?
伊藤 約1,300本集まりました。 そのうち、230本強の配信が実現できそうです。また、2月23日にEPADのポータルサイトと、デジタルアーカイブ化した作品の情報が集まるサイト「Japan Digital Theatre Archives」がオープンします。配信可能になった作品は配信プラットフォームで鋭意、配信がスタートする予定です。
── ラインナップを拝見すると、かなり昔のものもごく最近の公演もあり、また、大きな団体も小さな劇団も参加されていて、非常に幅広い。それでも日本の現代演劇という氷山のほんの一角だと思いますので、さらに充実していくのを楽しみにしています。ありがとうございました。
撮影:前田立
伊藤達哉
有限会社ゴーチ・ブラザーズ 代表取締役
早稲田大学在学中に阿佐ヶ谷スパイダースの制作代表として活動を開始。2004年に劇団制作部を法人化、有限会社ゴーチ・ブラザーズを設立し代表を務める。プロデューサーとして松居大悟、中屋敷法仁、谷賢一といったクリエイターとのプロデュース公演を多数手掛けるほか、ジョナサン・マンビィ、サイモン・スティーヴンスら英国のクリエイターと定期的なワークショップや作品創りに携わる。公益社団法人日本劇団協議会理事、一般社団法人日本2.5次元ミュージカル協会理事、NPO法人ON-PAM理事、桜美林大学非常勤講師。
取材・文:徳永京子
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