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藤原ちからの2019プレイバック

特集

2020.03.12


▼藤原ちからの2019プレイバック

 さて、前編で書いたような「2010年代」の最後となった2019年は、いよいよその地殻変動が最終段階に突入したことを感じさせる年だった。変化はもはや可視化されている。けれども、わたしも含め多くの人々がその変化に追いつけていないのが現状ではないだろうか。いくつかのキーワードと共に2019年を振り返ってみたい。

(1)クラウドファンディング
 2019年はクラウドファンディング(CF)がかなり普及した年でもあった。CFによって資金の多くを調達した劇場 THEATRE E9 KYOTOが京都の東九条にオープン。今はなくなってしまったアトリエ劇研の最後のディレクターであったあごうさとしと、KAATやロームシアター等で要職を歴任してきた蔭山陽太が中心になって奔走し、京都在住の人々の協力を得て、地域との関係をつくりながらオープンした劇場である。THEATRE E9 KYOTOの壁にはCFに協力した人たちの名前が刻まれている。もしもこの劇場が当初の宣言どおりに100年続く劇場になるとしたら、これらの名前も100年ここに残り、孫やひ孫が劇場に来て、その名前を眺めることもできるのかもしれない。


THEATRE E9 KYOTO 筆者撮影

 現在、豊岡市に移住した平田オリザと青年団が新劇場建設のためのCFを行っている。この原稿を書いている3月10日時点で3000万円を突破し、支援者は1000人を越えている。劇場をひらく、という試みはこれまでも各所でなされてきたと思うのだが、つくる段階から協力者を募るこういった形によって、また新しい劇場と観客との関わり方が生まれていくのかもしれない。

 後ほど詳しく触れる予定の山下残+ファーミ・ファジール『GE14 マレーシア選挙』も東京公演ではCFを行っていた。セゾン文化財団発行の「viewpoint」88号にその顛末が語られている。同じ号に掲載されているタニノクロウの文章も併せて読むと、CFはアーティストにとって必ずしも理想的な方法ではないのかもしれないと思えるが、それでも、何かやろうとする時のひとつの選択肢としてCFが浮上したのは間違いない。

 画期的な使い方をしていたのは年末に行われた鳥公園のCFで、わたしも含めて何人かの人々がそこでの問題提起に対して寄稿したのだが、一種の雑誌のような様相を呈することになった。CFの最大の目的は活動資金の調達であっただろうし、実際それにも成功し200万円を集めたのだが、議論を喚起するメディア、というCFの新しい可能性を発掘した試みであり、劇団の新形態を模索する鳥公園ならではのオープンネスを感じさせるものでもあった。寄稿文の内容もそれぞれ興味深く、例えば、登録メンバー制を導入するなどカンパニーの体制のあり方について考えてきたdracom筒井潤は、「演出」が持たざるをえない権力について書いている。

 商業的にチケット代だけでの運営が難しいタイプの活動をしているアーティストたちにとっては、どうしても助成金に頼らざるをえないという現実があった。CFは、彼らにとって新たな資金獲得の手段であり、と同時に、観客との新しい関係構築のチャンスにもなっている。そしてそれは、アーティストのインディペンデント性を担保するものにもなっていくだろう。

 インディペンデント、という感覚はこれからどうなっていくのだろうか。アーティスト・イニシアティブ(アーティスト主導)という言葉が生まれているが、わたしの実感としても、この1、2年でアーティストの自主的な企画が増えてきたように感じている。2017年のプレイバックで「自作について語るつくり手たち」として言及したように、2010年代のはじめ、日本ではアーティストが自作について語ることは稀であり、歓迎されない風潮もあった。アーティストは黙って作品だけつくっていればよい、というムードが観客の側にもアーティストの側にも強くあったように思う。その頃と比べると隔世の感がある。APAF(アジア舞台芸術祭人材育成部門)のYoung Farmers Camp参加メンバーによる長文の最終レポートもその変化を感じさせた。かっこつけて完成された言葉ばかりを語る必要はない。こうして考えや悩みを言語にすることで、仲間が見つかることもあるかもしれない。

 そういった意味で注目したいCFは「2020年に、未来の東京に向けて、継続性のある多国籍カンパニーを作りたい。」。FUKAIPRODUCE羽衣の振付をしてきたことでも知られる木皮成が、そのアジアでの活動経験を活かして、このようなプロジェクトを発案している。Young Farmers Campのメンバーだったキム・ヒジンや、わたしのフィリピンにおける盟友のひとりであり、現在は東京に住んで日本語を勉強中のネッサ・ロケが参加することもあり、その活動の行く末が気になっている。新しいカンパニーの作り方を見せてくれるかもしれない。(新型コロナウィルスの影響で参加アーティストの渡航が困難になり、3月11日にCFは一時中断と発表された。今後の再起に期待したい。)

(2)コレクティブ
 前述の鳥公園が、主宰・劇作・演出のすべてを西尾佳織が行う体制から、4人の演出家によって西尾の戯曲を上演する体制へとシフトしたことは、舞台芸術の集団形成のあり方を考える上で非常に画期的なことだと思う。この議事録によれば彼らは一緒に鍋を囲んでいるようだけれども、それがかつての劇団のような「同じ釜の飯を食う」のとは異なるオープンネスを持っているのは明らかだろう。

 また、プログラムをディレクションする体制にも変化が生じている。F/Tが長島確と河合千佳の2人ディレクターとなったほか、KYOTO EXPERIMENTが2020年から塚原悠也、川崎陽子、ジュリエット・礼子・ナップによるコレクティブをプログラムディレクターとすることが発表されている。美術の分野においてはコレクティブ化がすでに先行しており、2022年の次期ドクメンタはインドネシアのアートコレクティブ・ルアンルパが芸術監督を務めると発表されているし、日本でもヨコハマトリエンナーレ2020のキュレーターはラクス・メディア・コレクティヴである。複数の人間によってキュレーションしていくような時代が到来しており、舞台芸術の世界も例外ではない。

 コレクティブというのは単に形態を指す言葉ではなく、思想を体現する言葉でもあると思う。わたしが結成しているorangcosongが、住吉山実里との「ユニット」ではなく「コレクティブ」であると名乗っているのは、それが2人だけで閉じるものではなく、むしろ他者とコラボレーションしながら創作することを重視し、機会に応じてその形態をフレキシブルに変えていこうとしているからである。

 このようなコレクティブ的な集団形成のあり方については、日本の舞台芸術でもダムタイプのような先例があるし、若い世代では快快(faifai)もまさにその先駆的な例のひとつであるだろう。また先日、ゲッコーパレードのタイ公演がコロナウィルスの影響で延期になった声明を読んだのだが、「河原舞、黒田瑞仁、崎田ゆかり」とおそらくは50音順で連盟になっており、些細なことだが良い意味での時代の変化を感じた。あるいは、「円盤に乗る派」というプロジェクトのことも気になっている。現時点ではこの「円盤に乗る派」がいったい何なのか正直わたしはよくわかっていないし、コレクティブですらないのかもしれないが、とにかくかつての「劇団」とは異なるような新しい集団形成のあり方が模索されているのは間違いない。

(3)アートプロジェクト
 10月に東アジア文化都市の企画として上演された石神夏希らの「Oeshiki Projectツアーパフォーマンス《BEAT》」は、様々な人々が関わり、中国人アーティストのシャオクゥ × ツゥハンもリサーチ段階から参加していた。いわゆる作家同士のコラボレーションというより、石神夏希の音頭によっていろんな人々を巻き込んでいったアートプロジェクト、と呼べるだろう。彼らは東京都・豊島区にローカルに根を張って生きてきた人々と協働する一方、多文化の町・池袋周辺に住む外国人留学生らをパフォーマーとして招き入れ、多文化・多言語が入り混じる不思議なツアーをつくりあげた。わたしもいち観客として列になって太鼓を叩き、池袋の繁華街を闊歩していったが、なんとも愉快な体験だった。様々な規制やルールによってがんじがらめになっている(住んでいるとそう感じないだろうけど)東京の都市空間に、自由の風を吹き込むようなプロジェクトだった。

 時おり雨が降る中を長時間歩き、コースも複数用意されていたために、参加者によって体験もかなり変わっただろうと推測される。わたしの知るかぎりでは、この種の「野外で行われ、参加するにもそれなりに体力が必要で、全貌がにわかには把握できない作品」については、この数年ほとんど批評は書かれてこなかった。上述したように複数の作り手が関わっていることもあり、誰かひとりのアーティストの意図だけが強く働いているわけではないという点も、従来の批評のやり方ではキャッチアップしにくい原因になっているように思う。

 ちなみに石神夏希は2019年、台北で開催されたADAM(Asia Discovers Asia Meeting for Contemporary Performance)アーティストラボでゲストキュレーターも務めていたが、そのように東京以外の最前線で活躍するアーティストたちの活動について、そこで何が起きているのかを記述するモチベーションと技量とそれを可能にする環境を持った書き手がほとんどいないという状況は、もはや既成事実として受け止めざるをえないだろう。2019年5月に、わたしはアジア各地の批評家やジャーナリストが集まったシンガポールのAAMR(Asian Art Media Roundtable)にも参加したが、批評が現場をキャッチアップしきれていないという状況は、日本にかぎらずアジア全体の大きな問題だとそこでも感じた。1年前のこのプレイバックでは「すべての批評家は『失格』なのだ」とやや挑発的に書いたが、とりわけコミュニティ・アート、ソーシャリー・エンゲイジド・アート、アートプロジェクトと呼ばれるような領域についての批評は、残念ながら今のところほとんど皆無ではないだろうか。

 いずれそれらの領域に関心を持ち、体力と批評眼を持った新しい書き手が現れるのかもしれない。しかしそのような救世主をただ待つわけにもいかないので、アートプロジェクトを行うアーティストやプロデューサーたちは、自主的にアーカイブを作成して発表するなど、当面は批評以外の方法で言論をかたちづくっていくほかないだろう。そのせいだろうか。カメラマン、編集者、ウェブデザイナーといった記録・編集の技能を持つ人たちの存在がこれまで以上に重要になりつつあるように思う。例えばこのプロジェクトにも記録撮影で現場に入っており、石神夏希の『青に会う』という作品では「写真家」役にもなっていた写真家の鈴木竜一朗は、舞台芸術のアーカイブ形成において重要な役割を果たしている人物のひとりである。


Oeshiki Projectツアーパフォーマンス《BEAT》撮影:鈴木竜一朗

 他にも、ブログやポッドキャストやYouTubeによる記録や感想の中に、鋭い、と唸らされるようなこともある。憧れの職業としてYouTuberがトップレベルに君臨する今、旧来の批評という体裁をとらないからといって、それらを一概にアマチュアリズムとして切り捨てるわけにはいかないだろう。そういった新しいメディアを通じて批評眼や発信手法が鍛えられつつあるのかもしれない。

 そんな批評不在の状況ではあるけれども、アートプロジェクトについて現場で培われてきた思想は、成熟を果たしつつある。2019年は、F/Tが長島確と河合千佳の共同ディレクター体制になってからいよいよ本格始動したと感じさせられる年でもあり、わたしが観ることのできたいくつかの作品は、「からだの速度で」というF/T19のテーマと有機的に連動しているように感じられた。例えばJKアニコチェ×山川陸の『サンドアイル』は、砂の入った車を押しながら池袋の町を少人数で歩いていくツアーパフォーマンス。非常に興味深いものだったが、その体験については別途あらためて書きたいと思っている。

 同じF/Tの北澤潤『NOWHERE OASIS』は、池袋の町のど真ん中にインドネシアの屋台を出現させた。東京に住んでいるインドネシア人たちの存在を可視化し、国籍や人種を越えて知らない人同士が屋台に集まるという、一時的なコミュニティが創出されていた。わたしは年明けに奈良でもこの作品を体験したが、噂を聞きつけてやってきたというインドネシア人たちとまったり豊かな時間を過ごすことができた。従来のフェスティバルにありがちな「観客動員数」のような観点からすると、評価のしようがないのがいわゆるアートプロジェクトかもしれないが、ここにある新しい価値観・新しい思想が、東京を、そして日本を代表する舞台芸術のフェスティバル(F/T)において実現されたのは、変革を象徴する大きなできごとであったと思う。これらのプロジェクトの現場に関わったアーティストやスタッフたちが、また別のどこかにその種を運んでいくことにも期待したい。


フェスティバル/トーキョー19『NOWHERE OASIS』コンセプト・ディレクション:北澤 潤 Photo: Alloposidae

(4)モビリティとグラヴィティ
 2010年代後半は「モビリティの時代」でもあった。わたし自身、国内外のあちこちを移動しながら、それまでとはまったく違った景色を見てきた。その景色については2018年のプレイバックに書いたのでここでは繰り返さない。その上で今関心を持っているのは、「モビリティ」の向上と共に浮上しているように見える「グラヴィティ」である。

 少し前までは「地元の人 vs よそもの」という構図がわかりやすく各地にあったように思う。しかしこれだけ人の移動が盛んになると、ある地域の経済や文化にとって移住者や観光客はなくてはならない存在になってくる。例えば「地域おこし協力隊」という仕組みが2009年に生まれてから10年以上経ったが、アーティストや制作者や編集者的な資質を持つ人たちがこのポジションで地域に入り、その地域の経済とアートとを結びつける役割を果たしてきたことはもっと注目されていいはずだ。しかも彼らは、芸術作品を消費するライフスタイルがそれなりに浸透している都市部ではなく、ふだん劇場や美術館に行くような習慣のほとんどない地方都市や農村地域で活動している。彼らは、ある土地のグラヴィティの中へと身を投じることで、大きな経験を積んでいると言ってもいいだろう。芸術史という長い目で見てもこれは非常に興味深いことである。そしてそのような移住者の存在によって、今や、ある地域に住んでいる人たちが、必ずしもすべてその土地の出身者ではないということが可視化されつつある。そして住民の多様性や、アートによって生まれる人の移動=循環が、その地域を活性化させていくという事例が各地で生まれつつあるように思う。

 グラヴィティという概念を、わたしは良い意味でも悪い意味でも使っている。仮に人間の身体に無数の赤い糸が出ているとして、その人たちがしばらく同じ地域に一緒にいたらどうなるだろう。糸が絡み合っていく。それはしばしば複雑な問題も生むし、あるいは信頼やネットワークに繋がることもある。そうやって人間は、ある土地に後ろ髪を惹かれたり、簡単には去れなくなってもいく。運命の赤い糸のようなもの。それは一種の呪いとも呼べるだろうし、一方で、その人間にとっての大きなモチベーションにもなるだろう。

 OiBokkeShiの菅原直樹は、東京から岡山へと移住し(モビリティ)、そこで「おかじい」こと俳優の岡田忠雄(現在93歳)と出会った。それは運命の赤い糸(グラヴィティ)による導きだったのかもしれない。2019年は彼らの最新作『認知の巨匠』を、その本拠地である岡山の和気町で観ることができた。どこまでがセリフ通りで、どこからがセリフを忘れての暴走なのかもはや察知できないおかじいの熟練の(?)演技のみならず、他の出演者たちの存在も実に生き生きとしていてとても感動的な公演だった。例えば『カメラマンの変態』で印象深い女を演じていた申瑞季が、あの公演を機にして岡山に移住した、というエピソードが『認知の巨匠』の作中で語られたのも、彼らにとって現実の生活と芸術活動が地続きであるのだと感じられて、グッとくるものがあった。KSB瀬戸内海放送のカメラもこの数年、彼らの活動を丁寧に追っている。そのように地域に根を下ろす一方、菅原直樹は各地で「演劇」と「福祉」を領域横断するようなワークショップを行い、2019年には芸術選奨文部科学大臣賞新人賞を受賞するなど、全国的にその存在が認知されつつある。彼らはモビリティとグラヴィティのあいだをゆらめきながら、これからも活動していくのだろう。


OiBokkeShi『認知の巨匠』 撮影:hi foo farm

 2020年3月の今、新型コロナウィルスの影響で人の移動が制限されるようになっている。もしかするとこれは、「モビリティの時代」の終焉を暗示しているのかもしれない。だからといって人の移動がなくなることはないだろう。おそらくこれからは、モビリティとグラヴィティの両輪が時代を駆動させていくのではないかと思っている。

(5)分断の時代
 この数年は「分断の時代」であるとしばしば言われてきたが、「分断」そのものは人類の歴史においてずっと昔から存在してはいた。例えばそれは政治的に引かれた国境として、マイノリティに対する差別や迫害として、あるいは思想・宗教・ポリシーの違いに見せかけた権力争いとして……。今なおそれらの分断は続いており、目に見える形で問題化されつつある。特に2010年代後半には、あえて分離や対立を煽り立てるような言説が支持を得るようになり、SNS特有の攻撃性や不寛容さや情報の不正確さ(フェイクニュース)と結託することによって、世界中で人々の分断を深めていった。

 この分断に対して、世界各地のアーティストたちはそれぞれのやり方で応答を試みているように思う。この闘いは当面続くだろうし、むしろ闘うことによってさらに分断が深まるようなこともあるだろう。アートは正義であり、闘うことによって世の中が良くなる、というのは牧歌的な幻想にすぎない。アーティストも含めて人間は誰もが誤りうる存在である。だからこそ学び、反省し、他者の声に耳を傾けなければならないはずだが、残念ながらそのような謙虚さは、演劇・ダンスも含めた広義のアートの世界からは失われつつあるようにも思う。アートにまつわる人々もすでに分断の罠にどっぷりはまっている。そんな認識から始めなければならないとわたしは感じている。

 日本の小劇場はこの「分断」というテーマについてどのように向き合ってきたのだろうか。今のところわたしはその有効な事例をいくつかしか知らない。ひとつの方法としては、「日本」という想像の共同体の枠組みを問い直すことによって、ヘイトスピーチに代表されるような「日本人 vs XX人」のような単純極まりない排斥感情を脱臼する、というやり方がある。

 例えば山田百次が作・演出をし、河村竜也がプロデュースするホエイは、「北海道3部作」として主に北の「辺境」とされる地域にフォーカスし、そこに眠る物語を呼び起こしてきた。その意味では2019年に上演された『喫茶ティファニー』は新しいアプローチをとっており、物語の舞台となったのは「多摩川を越えた、東京の向こう側、町の一角に古くからある喫茶店」である。劇中に「クノレド」という名前が登場し、観客のわたしは一瞬なんのことかと思った(少し間をおいてから気づいた)が、難民となり、日本にもかなりの数の人々が住んでいるこの民族の名前が挿入されることによって、この作品の射程は「今ここ=日本」に留まらず、遠くて近い/近くて遠い世界へと広がっていたように思う。


ホエイ『喫茶ティファニー』

 わたしは上演を観ていなくて戯曲を読んだだけだが、岸田國士戯曲賞の最終候補にノミネートされた、ごまのはえ(ニットキャップシアター)『チェーホフも鳥の名前』も、サハリン=樺太という「辺境」に生きる様々な出自の人々にフォーカスすることによって「日本」を問い直す試みだった。「第64回岸田戯曲賞を語る!」でも触れたように、複数の言語が飛び交うこの演劇はわたしにはとても魅力的なものに思えた。今後このような多言語演劇が増えていけば、「日本人」の言語感覚もずいぶん変わっていくだろう。

 岡崎藝術座『ニオノウミにて』もやはりこの種の「分断」を扱った作品だが、これはあらためて別の機会に書くことにしたい。

(6)政治と芸術
 あいちトリエンナーレの展示の一時中止、一部撤退、公権力の介入と補助金交付取り消しも、大きな問題となっている。この事件が勃発した際に、「円盤に乗る派」のカゲヤマ気象台がDoleのアップルジュースを目印に町に出て、出会った人と話そう(ただしナンパ禁止等のルールは遵守すること)という企画を瞬時に立ち上げたのは深く印象に残った。対話が難しくなっている今、面と向かって声を聞く/語る場が求められているように思うが、このような仮設のコミュニケーションの場には可能性を感じる。

 また、あいちトリエンナーレ閉幕直前に開催された高山明による『Jアートコールセンター』も、「分断」の相手である電凸攻撃をアーティストが直に受けることで対話を試みるという、画期的な試みだったように思う。立場の異なる人たちのコミュニケーションの場をどう設定していくかということは、今後も大きなテーマになるだろう。

 政治と芸術の関係ということにおいて極めて印象的だったのは、山下残とファーミ・ファジールによる『GE14 マレーシア選挙』。山下残がマレーシアに乗り込んで2018年の総選挙を追いかけ、候補者であったアーティストのファーミ・ファジールが現役の国会議員になるまでを描いたのみならず、実際にファーミ本人を呼び、横浜・日本大通りの路上で演説を行うという、もはや舞台芸術という枠組みでの発想をはるかに飛び越えた上演だった。それは芸術と現実政治とがシームレスに繋がろうとした感動的な瞬間であり、と同時に、ファーミの熱弁や、その後にゲスト弁士として続いた灰野敬二の声が横浜の空に消えていくのを眺めながら、日本で何かが起こる(ファーミの演説の言葉で言えば、ダビデがゴリアテを倒す)にはまだまだ越えなければならないハードルがあるようにも思い知らされたのだった。いつかこの惰性に慣れてしまった日本にも風が吹いて、何かが起こるのかもしれない。いやそもそも、そんなふうに風を待つということでいいのだろうか……。これを書いている2020年3月の今、再びマレーシアの政界に異変が起きている。つい数日前に、マレーシア人のアーティストとこの異変について話したのだが、この結果次第では、総選挙前の状況に逆戻りすることもありうる、と彼女は言っていた。もしも『GE14』を観ていなかったら、わたしがこうしたマレーシアの政治的状況に注目することもなかったかもしれない(そもそも政党が乱立するマレーシアの複雑な政治状況を理解することは難しかっただろう)。『GE14』は、隠喩として政治を扱うのではなく、ある国の具体的な政治状況に直接関わったという点で画期的だった。そしてこのような芸術による具体的な政治へのコミットメントは、終わりのないその歴史的な連続性の中に飛び込むことでもある。なんてスリリングなことだろう。東京公演では前述したようなCFも行っており、その点においても観客の能動性に働きかけるようなプロジェクトになっていた。


山下残+ファーミ・ファジール『GE14 マレーシア選挙』横浜公演 撮影:前澤秀登

(7)ハラスメント
 2019年を振り返る時、現在進行形のこの話題に触れないわけにはいかないと思う。

 2017年から始まったMe too運動の流れは続き、2019年もテレビ、大学、あるいは小劇場の現場といった場所で、表現が不適切ではないかという指摘や、ハラスメントの訴えがいくつか顕在化した。SNSはその告発の場として機能してきた。暴力が平然とまかりとおる時代を生きてこざるをえなかった身としては、このような社会の変化によってこれまでの辛苦が報われたような気持ちはある。声を上げることで、世の中が変わりうる。これは一種の革命であると言ってもいいのかもしれない。

 しかし声の上げ方については、果たして今のようなやり方を続けていていいのだろうか? 怒りは確かにエネルギーになるものの、一方で冷静さを失わせ、異なる意見を持つ人間に対する罵倒や悪態に陥ったり、「炎上」や「魔女狩り」のような無残な状況を生んでしまうことも多い。今やSNSは、分断を深刻化させるような扇動的な言葉で溢れかえっているように見える。

 ハラスメントおよびそれに伴う問題について、演劇に関わる人間として何か書かなければならないと思い、実は1月下旬にはこの原稿をアップするつもりで準備していた。しかし諸事情あってアップが遅れるうちに、特にロームシアター京都の館長人事の件は、京都市の人事決定の不透明さという別の問題も巻き込みながら、日に日に状況が変わっていった。この原稿を書き直している今(3月10日)も、明日にはまた状況が変わるかもしれないと思っている。「REALKYOTO」に掲載された3つの記事を読んだが、3月7日に掲載された小崎哲哉氏の記事によれば、プログラムディレクターの橋本裕介氏と、新館長就任予定の三浦基氏の2人で会って話したという。不信がどんどん積み重ねられていくような状況の中で、かすかに明るいニュースではあった。個人的な願いとしては、今回浮き彫りになった諸問題についてまずはロームシアター京都の今後の現場に関わる人たちのあいだでしっかりとコミュニケーションをとり、信頼関係を構築してほしい。劇場内の人間だけでなく、京都で活動する演劇・ダンス関係者のあいだで「よし、三浦に任せてみよう」という信頼がある程度生まれたら、そこで初めて、ロームシアター京都の新体制をわたしは心から祝福できると思う。もちろんこの劇場は京都在住の人のみにひらかれているわけではないが、京都の芸術文化を支えているのはやはり京都を拠点にする演劇・ダンスの人々に他ならない。彼らの信頼なくして劇場の明日はないだろう。

 その件も含め、個別のケースについてSNSで性急に反応することはできるだけ避けたいと思い、この原稿をいつアップできるかと思いながらただ心を痛める日々だったが、2月に開催されたTPAM2020で、何人かの人々と直接会い、ハラスメントとそれにまつわる現在の状況について意見交換できたのは救いだった。そこで感じたのは、「ネット上で可視化されているような強い意見には収まりきらないような、複雑な感情や意見を抱いている人たちが少なからずいる」ことだった。「糾弾」でも「擁護」でもない、黒とも白とも言えないようなグレーゾーンの中に留まっている声が存在しているのは確かなことだと思う。しかしそうした声を表明したり、話し合うような場は、今のところまだかぎりなく少ない。

 ハラスメントは以前から存在した。しかしそれが問題化され可視化されるようになったのはごく最近のことであり、つまりわたし(たち)はまだほとんど経験のない未知の状況に直面している。個々の事態について改善を図りながらも、ハラスメント一般について、少しずつ、しかし着実に、議論を積み重ねていくことが大事だとわたしは思っている。以下、不完全を承知の上で、わたしが現時点でハラスメントについて考えていることを記述したい。今後の議論の一助になれば幸いである。

○わたしと同世代(30代半ば~40代)の人たちへ
 ハラスメントがこれ以上繰り返されないために、またわたし自身が感じている困難について説明するために、最初に、同世代(ざっくり言うと30代半ば~40代くらい)の人たちを念頭に置きながら書いておきたいことがある。それはこの世代がハラスメントの加害者になる可能性が非常に高まっているように感じるからである。この項では、わたしがふだん封印している「我々」という危うい主語を、この世代を指す言葉として使いながら書きたい。

 我々の世代は、ハラスメントが黙認されるような時代を耐え忍びながら生きてきた。それは必ずしもハラスメントを容認しようというものではなく、「されてきたけど、自分はしない」という意志を持って、せめて自分のいる場所だけでもよくしたい、という気持ちで新しい場をつくってきた人たちも少なからずいたと思う(先日お話した某演出家もそう言っていた)。しかしそのような理想にもかかわらず、実際にいざ若者と接することになった時、そこでの発言や行為がハラスメントであると受け取られる危険性はけっして低くないように思える。それはなぜだろうか?

 我々の世代には、旧来のしきたりと闘いながら、それを口で批判するというより、実際に新しい作品設計や、プラットフォーム、そして活動の場を独自に開拓してきたパイオニアが多い。だからこそ、自分たちが場を切り開きながらサバイブしてきた、という自負もあるのではないか。少なくともわたしにはたぶんそんな自負があるように思う。しかしこのパイオニア精神やガッツのようなものを、下の世代にも求めようとしてしまうと、ハラスメントになりかねない。わたしはいくつかの「人材育成」の現場に関わりながらこの根深い問題について考えてきた。正直「近頃の若いもんは……」といかにもよくある感じで嘆きたくなるような時もあったけれども、おそらくそれは罠なのだろう。それを口にした瞬間に思考停止が始まる。もっと慎重に考えてみたい。

 この「近頃の若いもんは……」的発想の背景について考察してみたい。まず、このプレイバックの前編で書いたような「手法の実験」にしても、海外との距離感にしても、パイオニアたちによって新しいパラダイムへの移行はすでにそれなりに成し遂げられているのが現状ではないか。そんな今、我々よりも下の世代にとって、彼ら自身の開拓精神を発揮できる余地を探すことは、不可能ではないとはいえ、そう簡単ではないのかもしれない。例えば10年ほど前のわたし自身を振り返ってみると、ドメスティックな視野の中で、ぐるぐる頭をめぐらせながら試行錯誤するのが精一杯だったわけだが、それでも壊さなければならない「壁」はまだ見えやすく、少し動いてみるだけで、新たに開拓できる未知の領域があることは感じられた。あとはやるだけ……というのが10年前だったようにも思う。SNSがまだ生まれ始めた頃でもあり、若い者同士、そういうお互いのチャレンジを横目に見ながら、時には協力し合うこともあった。失敗に対して寛容な空気もあったし、たぶん誰もが失敗していたと思う。けれども今の若い人たちは、世に出るまでの猶予期間があまり与えられておらず(前編で指摘したような業界内の「青田買い」の罪も大きい)、我々のように無名の状態での試行錯誤ができないまま、いきなり名前を晒して闘うことを求められがちではないか。SNSですぐに「評価」されてしまう(されないことも見える)彼らにとっては、失敗することへの恐れも我々世代とは比較にならないくらい強まっているのかもしれない。そうやって過剰に評価を気にしたり、びくびくしたりする様は、我々の目には「弱い」ように映るかもしれないが、少なくとも、彼らをそうさせている時代背景を理解する必要はあるだろう。彼らがその力をのびのび発揮できる場所を見つけるまでには、まだそれなりに時間がかかるのではないだろうか。

 また、業界のあり方もおそらく変化した。わたしは10年ほど前、劇評を書き始めて間もない頃に「夜道に気を付けたほういいですよ」と忠告(?)されたことがある。善意から出た言葉だったと思うのだが、今だったらハラスメントもしくは脅迫とも呼ばれうる発言だろう。それでも当時の小劇場は多種多様な価値観や人脈が入り混じる場であり、仮に誰かに潰しにかかられたところで、業界それ自体からパージされるというイメージは持ちづらかった。しかしそれから10年経ち、その頃は「若手」だった同世代の演出家やプロデューサーたちがそれなりの地位や名誉を得て、ネットワーク化も進んだ今、もしかすると業界内の多様性や風通しの良さはむしろ縮小し、若者たちに窮屈な思いをさせているのかもしれない。我々がたとえ知り合いや友人であってもお互いに仕事の上では緊張感を保ち、けっしてナアナアな関係にはしていないつもりであっても、twitterやFacebookで多数の業界人が「いいね」やリツイートをしているのを若い人が見れば、その発言に圧を感じるということは起こりうる。だからこそ透明性は可能なかぎり高めていかなければならないだろう。

 「育成」という考え方も問い直す必要があるのではないか。そもそも若い世代に対して、いったい我々は何を期待しているのだろうか? 「芸術の世界は厳しいものであり、プロフェッショナルな仕事として続けていこうと思うのであればそれなりの苦難を潜り抜けなければならないし、淘汰は当然起こる」……という観念が我々の世代には根強くあったかもしれない。しかしそういった「成長」の人生観を適用し続けるかぎり、おそらくハラスメントは再び発生してしまうだろう。

 いったい我々がどのような人材を「育成」したいのかについても再検証しなければならない。我々は未だに「ひとりの天才アーティストが世界を変える」という幻想=パラダイムの中に生きてはいないだろうか。若い人の中には、天賦の才能もいれば華々しく新たな場を開拓するタイプもいるだろうが、むしろ誰かがすでに開拓した場を地道に育て上げていくようなタイプの人材も必要であるはずだ。この種の人材は演劇・ダンスの教育や普及、あるいはローカルな人々との関係性の構築という面において今後ますます必要とされていくと思うのだが、そのような彼らの地道な活動をきちんと評価するシステムも機運も未だこの業界には存在していない。「ひとりの天才アーティスト」その人になったり、あるいはそれを支えたり生み出したりする立場で生きてきた我々にとって、古いタイプの「天才幻想」は深層心理に染み付いているのではないだろうか。若い世代からは我々の想像の範囲に収まらないようないろんなタイプの人材が生まれるだろうし、その人たちがこれから新たな世界を育てていくだろう。その新しい芽を感受し、できればそれを面白がれるようでありたいが、「ひとりの天才アーティストが世界を変える」という神話パラダイムの中に生きるかぎり、それは難しいような気もする。

 以上、若者たちを取り巻く環境について考察してみたが、いずれにしても我々が若い人たちとコミュニケーションをとり、何かを伝達するのは簡単ではないし、正直リスキーでもある。どんな現場にも常にハラスメントの危険性は宿っていると言っていいし、むしろそのような認識を抱かないまま「自分は大丈夫」と思っているとしたら危ういだろう。わたし自身、失敗もし、反省しながら、今後どのように若い人たちと接していけばいいのかを現在進行形で考え続けている。

 現在の暫定的な答えとしては、「場をひらいて、待つ」しかないと思うに至った。「待つ」のはとても難しいことだ。現場での叩き上げの経験を持つ我々としては「自分でやったほうが早い」とか「なんでそんなこともできないんだろう」とかジリジリした気持ちを抱きがちかもしれないが、もしも若者を「育成」しようと思うのであれば、上から何を押し付けてもそうなるものではないだろう。時代が変わり、若者たちをとりまく環境も激変している。若い人たちひとりひとりが、彼ら自身の力を立ち上げられるようになるまで、「待つ」しかないのだと思う。「待つ」というのは単に我々の精神論や態度の問題に留まるものではない。「待つ」ことが可能になるような劇団のあり方、プロジェクトチームの作り方、会社運営の仕方、プラットフォームの作り方が問われている。そのような場と時間を複数用意すること。それは引き続き、当面のあいだは我々世代の仕事になるだろう。誰かがそうしなければ業界の未来が痩せ細っていく。けれど、もしも「待つ」ことができないのであれば、わたし(たち)は若い人たちに関わってはいけないとも思う。少なくとも、ハラスメントについての業界内のコンプライアンスが形成され、世代を超えた共通言語が生まれるまでは──。

○ハラスメントとして告発された人たちやその関係者へ
 続いて、ハラスメントとして告発された人たちやその関係者に言っておきたいことがある。個々の案件については様々な複雑な事情が絡み合っているだろうし、ハラスメントとして訴えられたからといって、ただちにあなたが悪だとはわたしは考えない。「推定無罪」の原則に立つことが重要だと思っている。そのうえで、あなたに考えてほしいことが5つある。

 ひとつは、どんなに些細な権力であっても、弱い立場の人間にとってはやはりそれは権力であり、圧力になりうるということ。人と人が集まれば権力は必ず発生するものだが、特に現在の演劇・ダンスの環境において、演出家はその座組内においてかなりの権力を握らざるをえなくなっている。あなたは自分が権力を持っていることを常に自覚し、その権力の行使の仕方が適切であるかどうかを検証し続けるしかない。

 ふたつめは、「ハラスメントはなかった」と断言するのは不可能だということ。受け手がそう感じれば、その時点でハラスメントの可能性は否定できない。あなたが弁明として言えるとしたら「ハラスメントに相当するような行為はなかったと考えている」であり、事実を判定するのは法的な手続きに委ねるか、当事者間の交渉、あるいは(いずれそのようなものが生まれれば)第三者的な機関の検証によって確立するほかない。

 みっつめは、透明性をできるだけ担保するということ。これまで演劇やダンスにおいて、特に稽古は密室で行われてきたし、劇場やフェスティバルの人事や交渉事もその多くは密室において行われてきた。それらのすべてをオープンにすることは難しいかもしれないが、現在の世論として、透明性を希求する声が高まっていることは無視できないとわたしは思う。特に若い人たちのあいだで、この透明性の無さに対する不信が渦巻いているように見える。あなたはその声を無視するのだろうか、それともできるだけ誠実に応えようとするのだろうか。わたしと同じかそれより上の世代の人間にとっては「清濁併せ呑みながら生きていくのが社会である」という感覚がたぶんありがちだと思うのだが、時代が変わりつつある今、悪しき慣習は捨て去っていくという気持ちで次に進む決断が必要なのかもしれない。少なくとも今よりは透明性を高め、できるかぎりの説明責任を果たしていく努力が必要ではないだろうか。

 よっつめは、あなたが公的に権力を持つ立場(組織における要職、審査員、人事権のある立場etc.)であれば、その立場に関連してハラスメントの疑いのある事案が発生した場合、その事案への考えや今後のハラスメント対策についてはっきりとした指針を示してほしいということ。あなたが事実をうやむやに握りつぶそうとしているのか、それともあなたの関わる現場において今後ハラスメントが起きないようにしていこうと考えているのか、そのような指針が示されないかぎり、他の人間は安心してあなたのいる現場に関わることができなくなってしまう。

 いつつめは、最終的な法的・交渉プロセスの結果がどうであれ、傷ついた人がいるという事実を忘れないでほしい。わたし自身が直面したいくつかの経験を思い返してみると、不幸な摩擦や決裂が起こる時、誰(だけ)が悪いということではなく、グレーゾーンの中で複雑な事情が絡み合ってそのような事態に至ってしまうことが多いように思う。その結果、すべての当事者が、自分の非を認めたくない、相手のせいにしたい、ということが起きてしまいかねない。法的・交渉のプロセスがあるがゆえに、あなたが非を認めたり謝罪したりすることが簡単ではないことも理解はできる。しかし少なくとも、傷ついた人がいる、ということの痛みを忘れないでほしい。わたし自身、人を傷つけてきたことが何度かあり、その痛みは一生抱えていくものになると思っている。

○舞台芸術の現場に関わる人たちへ
 次に、舞台芸術の現場に関わる人たちに向けて、一緒に考えていきたいことを書いておきたい。今後の創作環境においてハラスメントが繰り返されないためにも、「業界内でのコンプライアンスを構築していくことが重要」だということはあらためて強調しておきたい。

 しかしまずは現状認識が大事だとわたしは思っている。今は、各現場においてどんなルールを遵守しなければならないのか、何に配慮しなければならないのか、きちんと業界内で共有されているとは言い難い状況である。Me too運動は2017年から始まったが、それ以前、そしてそれ以降も今に至るまで、「ハラスメント的行為も創作活動の上では仕方ない」という「常識」が演劇・ダンスの世界では通用してしまっているのではないだろうか。この悪しき「常識」は解体しなければならないとわたしは思うが、今はまだ次のステップに向けた過渡期の初期段階であり、業界を改善していくためにはまだ相当な時間がかかる、という認識にわたしは立ちたい。わたし(たち)が法律や精神ケアといった点において素人であることも肝に銘じなければならないと思う。

 「やんわりした指摘ではもはや効果がない、だからしっかりと糾弾しなければならない」という意見もあるだろうことは理解できる。だからといってすべてを「糾弾」という身振りにしてしまえば、それは業界内の分断を推し進めてしまうことにもなりかねない。実際今、「糾弾」以外のモードでは、思っていることを自由に発言できる空気はないように思う。批判すべきことはきっちりと批判した上で、ルールづくりやその共有、安全策の構築など、建設的な議論を少しずつ進めていく必要があるのではないだろうか。

 現場はどうだろう? 創作現場では異なる意見同士がぶつかることもある。そこでハラスメントの発生を恐れるあまり、摩擦や衝突を忌避するようになっていくと、精神的にも窮屈だし、それこそ作品のクオリティも下がりかねない。そういう問題に各現場は直面しているかもしれない。わたしの個人的な感覚としては、日本では、たとえ言い方に配慮しても異論を述べるだけで圧を感じる人が多く、「わかるわかる」という共感ベースか、「誰かが決めてくれる」という指示待ち症候群かのどちらかが風土として根を張っているように感じている。そういう意味では、演出家によるトップダウンという旧来の意思決定システムは、日本のそんな風土にマッチしてきた(巣食ってきた)のかもしれない。それがもはや許されなくなりつつある今、現場における意思決定のシステムには今後どのような形がありうるだろうか。男/女、演出家/俳優、アーティスト/制作者といった傾斜関係がより柔軟なものになり、その場に参加する人々すべての尊厳が尊重され、かつメンバーそれぞれが自発的なアイデアと意志を持って現場に臨むようになれば、日本の環境もずいぶん変わると思うのだが、そうなるまでには当然まだまだ時間がかかる。それでも少しずつ進展するように各現場が取り組み、時にはそれぞれの具体的な改善策についてインタビューや寄稿という形で記録に残したり、シンポジウムで報告するなどすれば、意見交換や情報共有は進んでいくだろう。ハラスメントについて語る時、どうしても重苦しい雰囲気が漂ってしまうものだが、改善策についての具体的な活動報告がポジティブに行われていくようになれば、むしろ風通しもよくなり、もっと状況を改善していこうという機運も生まれるかもしれない。

 一方で、先ほども書いたように、批判すべきことはきちんと批判することも重要である。その時に、脊髄反射的な反応が起こりやすいSNSを過信するのではなく、ある程度まとまった考えを、できるだけパブリックな性格を持たせながら発表していくことが大事だと思う。例えば映画監督の深田晃司が昨年の段階でステイトメントを発表しているが、小劇場においても、これをコンプライアンス形成に向けた議論の叩き台として、今後に活かしていくことはできると思う。また先日寄稿した「第64回岸田戯曲賞を語る!」でも書いたように、贅沢貧乏の山田由梨が白水社に対する要望書を公開したことや、あるいは京都ロームシアターの件について京都市に対する公開質問状が連盟で出されたことは、非常に重要な一歩だったとわたしは思う。先に言及した「REALKYOTO」の記事も、パブリックなメディアを通すという手続きを踏んでいる。こうしたパブリックな性格を帯びた文書は今後の参考にもなるし、業界内のコンプライアンス形成に向けての着実な一歩を刻むことに繋がると思う。

 また同じく「第64回岸田戯曲賞を語る!」でも書いたように、TPAM2020で「舞台芸術界のハラスメントや性暴力について一緒に考えませんか?」という集会に参加してきたが、正直な感想としては、ざっくばらんに考えていることを語り合う場として機能するのは現状では難しそうだと感じた。しかし一方で、この会は現在、相談窓口リスト作成のための作業部会を立ち上げているらしく、そういったインフラの形成において重要な役割を果たしてくれそうだ(誰かがやらなければいけないことやってくれている)と思うこともできた。ひとりの人間、ひとつの組織だけで、ハラスメントの問題を完全に解決することは到底不可能だろう。役割分担で、それぞれができることから少しずつ進めて、舞台芸術の業界を健全なものにしていきたい。

○ハラスメントについて真剣に憂慮している人たちへ
 最後に、直接の当事者ではない第三者で、ハラスメントについて真剣に憂慮している人たちにも考えてほしいことがある。ハラスメント告発の初期段階において、弱い立場にあることが多い被害者・告発者にとって、その告発を手助けしてくれる人がいること、そして告発を否定せずにその怒りや受苦に共感してくれる人がいるのは心づよいことだろう。その段階において、SNSでのあなたの発言は、告発者の心の支えになったかもしれない。しかし交渉のテーブルが用意されて一定の名誉回復や損害の救済の可能性が見え、またその告発の相手に対する社会的制裁もある程度なされたとしたら、また状況が変わってくるのではないか。告発者である彼/彼女は今後の人生を生きていく。その復帰・回復の道筋が邪魔されないことが大切になってくるとわたしは思う。

 私事になるが、わたしは今で言うパワハラを受けて会社を辞めたことがある。当時はその原因になった相手に対する憎しみの感情もあったし、SNSはなかったが2ちゃんねるにでも書き込んでやろうか、と思わないでもなかった。結局泣き寝入りをすることになった。今でもごく稀に、夢にその人が出てくることはある。しばらく鬱病で苦しむことになった。けれども、新しい人生に踏み出すきっかけになったと今はポジティブに受け止めている。仮にその件が周囲の人々にも見えるように問題化していれば、相手の社会的名誉を損なわせることはできたかもしれないが、もしかしたらわたし自身の精神的な回復や社会的な復帰はもっと遅れた可能性もある。そしてたぶん、わたしは批評家にもアーティストにもなっていなかっただろう。数年かかったとはいえ、復讐ではない形で次の人生に進めたことは、わたしにとっては幸運なことだった。……何が正解かはわたしにはわからない。ただ、もしもあなたの中に告発者に寄り添いたいという気持ちがあるのなら、告発せざるをえなかった当事者の中にも複雑な感情や葛藤があり、これからも続いていく人生がある、ということは忘れないでほしい。

 声を上げることは大切だが、一方で、「加害者」とされる人やその関係者たちに深い傷を負わすことにもなる。もしも怒りや不満に任せて「推定有罪」のムードを形成していくとしたら、それは冤罪や名誉毀損にも繋がりかねない危険な行為である。仮にハラスメントに相当する行為が実際にあったのだとしても、あなたの攻撃的な発言がネットでの誹謗中傷を煽り立て、時には自殺のような深刻な結末を導くこともありうることを忘れないでほしい。そのような事態が起きてしまったら業界にとってもこの世界にとっても最大の悲劇だと思うが、そうなってもおそらく、あなたも含めて誰も責任をとることはないだろう。もしもあなたが、ネットで誰かに暴言を投げかけられたことがあれば、それがいかに相手の精神を摩滅させるものであるか、わかるはずだ。悪質な暴言を投げかけるのは、「正義」の名を騙った暴力であるとわたしは強く思う。批判は必要だとしても、口汚く罵る必要があるのかどうか、立ち止まって考えてみてほしい。

 第三者には入手できる情報にどうしても限界がある。だから、あなたが不確かな情報に基づいてSNSで言及するのはやむをえない面もある。しかしその不確かな情報を根拠に「有罪」だとほぼ断定し、感情に任せてSNSでバッシングのムードを煽り立てるとしたら、それは「魔女狩り」や「リンチ」に類する行為ではないだろうか。当事者間の交渉では、告発者のプライバシーにも配慮した上でのやりとりがなされているかもしれないし、安易に表に出せない事実もあるだろう。そのような複雑さを無視してあなたが脊髄反射的な言動をしてしまったら、事実誤認や悪意や失望を撒き散らしかねない。それは一種の「マッチポンプ」や「印象操作」になる恐れもある。もちろん火のないところに煙は立たないわけだが、煙を見たからといってそれが大火事であるかのように吹聴してしまっては、むしろ混乱やパニックを引き起こし、本来しなければならないはずのまっとうな消火活動にも支障をきたしかねない。わたしが思うに今のSNSは、何かを言わなければならないような気持ちになりやすく、また沈黙することを黙認や隠蔽と捉え、「沈黙している連中はあいつらの仲間だ」的な敵愾心を煽る言説も横行している。しかし法的なプロセスも含め、確かな事実が積み重ねられていくことを冷静に見守る姿勢も必要だ。見守ることは、忘却や隠蔽とは似て非なるものである。考え続け、行動していくことである。そうやって事態の推移を見守り、冷静に考え抜いて行動した上でなお、あなたがSNSで上げなければならない声があると感じるとしたら、それはきっと必要な声なのだろう。その声は、暴言や、扇動や、いたずらに業界をくさす声にはならないはずだ。

 異なる意見を持つ人たちと対話する作法を、日本人は身につけてこなかったのだとわたしは思っている。それは「日本人」や「日本語」が圧倒的なマジョリティである日本の環境のせいでもあっただろう。その状態のままSNSという武器を手にしてしまい、そして今のような「分断の時代」を迎えた。自分にとって都合の良い言葉は耳にスルスルと心地よく入ってくるが、そうでないものは敵とみなして排斥したくなる。強い怒りの声に煽られて、攻撃的な言葉をつぶやいてしまう。twitterではこの数年、次から次へと「魔女」がつくられ、火炙りにされているように見えるが、多くの人は火炙りにしているとは思っていないだろう。ただスマートフォンを手に取り、アプリを開き、いかにも自分が前からそう思っていましたという体で、140字以内でその「魔女」に向かってささやかな石を投げればいいのだから。そこには「正義」というお墨付きもつく。それはとても危ういことだと思う。だからわたしはもう「正義」という感覚を信用することができない。それは「誰かにとっての正義」でしかないし、むしろ分断を助長するものになってしまった。その石を投げた先、分断の壁の向こう側にも人間がいることを忘れないでほしい。

 SNS上での口汚い言葉や印象操作は、わたしには暴力に見える。SNSと無縁ではいられない日本語の言論空間が、今後もこのような暴力と結びついていくのであれば、日本語で文章を書くのはわたしには辛いことだ。この状況への抗議の意味を込めて、また前向きな転生への意志も込めて、個人のtwitterアカウントを削除することに決めた。この2010年代を共に生きてきたアカウントであり、今はもう亡くなってしまった人とのやりとりも含めて思い出の詰まったものではあるけれども、これを削除することで、わたし(たち)にとって必要な次の言葉を探すことにしたい。今後の近況報告はorangcosongのtwitternoteウェブサイトで行っていこうと思う。

 演劇やダンス、いや社会全体が過渡期に置かれており、これまでただグレーにされてきた事象について、新たな対応を求められている。わたしは、グレーにしておけばいい(うやむやにすればいい)とは思っていない。しかしすべてのものごとにはっきり白黒がつけられるわけではない。白か黒か、敵か味方か、とただちに迫るような言説は、疑ってかかったほうがよいと思っている。無闇に世代間闘争を煽り立てるような言説や、男/女という二項対立に回収しようとする言説も危ういと思う。あるいはマウントの取り合いのようなやりとりからも永遠に遠ざかりたいと願う。わたしは上の世代の知識や経験にも、若者たちの新しい感性にも興味があり、いずれも今後一緒に生きていく仲間になりうると思っている。ただしそのためにはお互いに信頼関係が必要であり、それを築いていくのは容易ではない。

 いろんな人と協力しながら、この未知の難局に立ち向かっていきたい。文章を書いたり、作品を発表したりしながら。10年後にまた、2020年代を振り返るような機会が訪れるかどうかはわからないけれど、もしもそうなったら、「いろんな人たちと協力することによって、わたし(たち)はこの分断の時代を乗り越えた」と書けることを願っている。

■2020年代の小劇場はどうなるのか?!
 未来の話をして終わりたい。「小劇場」という概念が今後も存続するとしたら、これからの小劇場ではいったいどんなことが起きていくだろう? 



 テクノロジーの発展はおそらく予想をはるかに越えたものになっていくだろう。そしてまた「想定外」のできごとも多々起きていくだろう。以下、荒唐無稽な夢想も含みながら、前編の最初に書いたような「半分冗談・でも200%本気」の精神によって、2020年代の小劇場を予想してみたい。この予想はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空のものであり、実在のものとは(たぶん)関係がありません。

*2020年頃
・新型コロナウィルスの影響は長引き、大規模なイベントはしばらくのあいだ中止・延期を迫られることになったが、小規模でかつ公的な助成金を受けていない公演は、安全面での工夫をしながら自主判断での開催を続けていった。そんな折、オリンピック強行開催への抗議のため、著名な若い環境活動家がボートで太平洋を越えて来日。ある日、小劇場で大量のチラシの束を見た彼女はtwitterで「舞台の幕が開く前、日本の観客たちは手元に配られた大量のチラシの束を眺める。まるで20世紀にタイムスリップしたみたい」と皮肉。これを機に世界的なチラシへのバッシングが巻き起こったが、チラシは日本固有の文化であり守らなければならないと主張する者も現れ、議論を呼んだ。

・無観客でのライブ配信や、記録映像の保存・公開が進んだこともあり、「上演」の様々なパターンが実験されていく契機が生まれた。リモートでの稽古も試みられるようになった。

・アカデミー賞受賞者がトランスジェンダーだったこともあり、「主演男優賞/女優賞」という言い方は不適切である、と炎上。「男優」や「女優」という呼称は死語になっていった。
(* この項目の表現には問題が含まれています。詳しくは文末の追記をお読みください。)

・当日パンフレットに「制作」「音響」「照明」……と並んで「託児」担当の名前もクレジットされるようになった。

・キャッシュレス化が進み、ほぼすべての公演がオンライン決済に。悪質な無断キャンセルも消滅した。

*2021年頃
・経済が落ち込んだ東京はディストピア感が漂い始めたが、増加した空き店舗で起業する若者は増えた。小規模のアートスペースもいくつか誕生し、周辺地域の商店街や学校と関係していくような地域密着型のアート活動が生まれていく。彼らの多くは「武蔵小山トライブ」「隅田川トライブ」などと呼ばれ、ジャンルではなく地縁をもとに結束していくのが特徴であった。

・東京に見切りをつけて、地方都市や郊外に活路を見出す人々も増えた。とりわけ静岡は大都市へのアクセスが良いこともあり、東日本における演劇の一大拠点と見なされるようになっていく。東京の求心力が弱まったことで、他の東日本各地域(中部地方・北陸・東北・北海道等)もそれぞれの独自色を探求していくことになる。

・一方、劇場やフェスティバルの誕生した豊岡をはじめ、西日本各地でも舞台芸術文化が育まれ、多様さを増した。前年にいろいろあった京都も心機一転。西日本への人材流入が進んだこともあり、活況を呈していった。

・経済的な格差が進み、都市部を中心に貧困層が拡大。「仕事を奪っている」という理由で外国人排斥感情が高まる中、貧困や差別を扱う演劇作品が増える。川崎を舞台にしたツアーパフォーマンス『ヘイト! ヘイト! ヘイト!』は、参加者に心理テストを行い、その結果によって「日本人側」か「外国人側」に分かれて戦うというゲームスタイルを採用。プレイヤーは行動によっては様々なヘイト発言をセリフとして読むことを強要されるが、次第に町の多様な住人たちと出会っていく。最後は多摩川河川敷に集合して全員でピクニックする、という作品だった。

・灰皿を投げる以前に、そもそも灰皿という存在がなくなった。

*2022年頃
・日本を拠点とするカンパニーの作品に、「日本人」以外の出演者がいることが珍しくなくなった。とりわけ話題になったのは、出演者全員がコンビニでバイトする外国人という設定の演劇作品『オツカレサマデス』。24時間営業が都市部のみとなったコンビニで、深夜、店に訪れる客も店員もほぼすべてが外国人という状況の中、酔っ払って迷い込んだひとりの日本人が……という物語。実はその日本人は在日朝鮮人5世でもあった。接客用の簡単な日本語と、アジア各地の多様な言語を織り交ぜて語られた作品。以後、日本語のみで書かれる戯曲は「リアルじゃない」と言われて次第に減っていく。

・ある研究者が突然、劇評を精力的に発表し始める。尋常でないペースで書いたため「超人劇評家」と呼ばれ重宝されるが、1年後、実は独自に開発したAI批評アプリを使用していたことを告白。過去の様々な批評文をAIに学習させ、劇で印象に残ったシーンや大まかなあらすじさえ投入すれば自動的に批評文が書かれる、というアプリだった。「最後は私が微調整しましたが、ほとんどの内容はAIによって書かれたものです。問題ありますか? 例えばGoogle翻訳と何が違うのでしょうか?」……その後、英語版、中国語版も開発され、オープンソース化されたことで、誰でも簡単に批評っぽいものが書ける時代、あるいは、もはやそう簡単にはオリジナリティのある批評が書けない時代が到来した。

・フィリピンを中心に、2020年頃からコミュニティとの協働を試みるパフォーミングアーツの実験的なプラットフォームが発足し、周辺アジア諸国とネットワークを結びながら発展していった。日本人アーティストやキュレーターも何名か参加。そこではアジアにおけるアートプロジェクトが研究され、その歴史が編纂されたアーカイブが誕生。以後、このアーカイブはじわじわと更新されていった。

・他にも、2020年頃に発足した動きが実を結び始めた時期であった。例えば「ドメスティック演劇祭」もこの頃には関東一円にひろがり、東京各地のローカルなトライブと結びついていった。

・ライブストリーミング技術の向上により、遠隔地同士を結びつけて上演するパフォーマンスが飛躍的に増加。七大陸からひとりずつパフォーマーがオンラインで参加し、ひとつのパフォーマンスを上演する『SEVEN CONTINENTS PROJECT』は、参加メンバーを変えながら年に数回上演され、新進気鋭のパフォーマーたちの登竜門となった。

*2023年頃
・日本経済はまだまだ不況とはいえゆるやかな回復期に。「仕事をリタイアしたあとの余暇」ランキングで「演劇」が一位に。

・「演劇つく~るキット」が発売され、台本もなく、演出家やファシリテーターもいない環境で、集まった人たちだけでこのキットを頼りに劇をつくる、という遊びが流行。

・ロボット演劇の次世代版として、プログラミングされた行為をこなすだけでなく、みずから学習できるAI俳優やAIダンサーも次々と出現。過去の名優たちの声色や動きの完コピをベースに、新しい脚本・演出・振付にも対応することが可能になったが、「不気味の谷」現象を超えることはできずに人気は上がらず、数回舞台に登場した後は演劇博物館に展示品として収蔵された。しかしリアルさを潔く諦めた2次元の粗いドット画のAI俳優「ドットくん」は人気を誇り、生身の人間とのラブシーンなど数々の名場面を演じることになった。ドットくんの作者はインタビューで「影響を受けた劇団はロロと範宙遊泳ですね。高校生の頃よく観てました」と答えた。

・国会での強行採決に反対する野党議員たちが、議場内でフラッシュモブを披露。「国会の品位が損なわれた」と批判も噴出するものの、結果としてその直後の総選挙では多種多様なパフォーマンスによる選挙活動が繰り広げられ、泡沫候補とみなされていた小劇場出身の候補者たちが次々に当選することになった。以後、小劇場は政治家たちに重要視・危険視されていった。

*2024年頃
・香港から大量の若者たちが流入した台湾では、総統選にトランスジェンダーの候補者が出馬。敗れはしたものの善戦し、台湾社会のリベラル化の進展を印象づけた。この頃から、東アジアの政治的対立に倦み、台湾独立も中台統一も目指さず、ただひたすら「台湾という島を世界的に最もリベラルな楽園にしよう!」と主張する若者たちが政治・経済・芸術等の分野でじわじわ台頭。台北近郊の新台北市や桃園市に仮設シェアオフィスやアートスペースを展開したことから「新台派」と呼ばれるようになった。芸術分野では、香港難民の影響もあり、繁体字による文字コミュニケーションを主たる共通言語としたメディアアートやパフォーマンスが発達。漢字の意味が体感的に理解できる日本人にとってこの流れは大きなアドバンテージとなり、日本の俳優やダンサーもこの運動の一角を成すようになっていった。

・「作・演出・主宰」をひとりの人間が兼ねるケースがゼロに。

*2025年頃
・万博に向けて盛り上がる大阪では、大道芸などのストリートアートのほか、ローカルなコミュニティと関わるツアーパフォーマンスもつくられるように。もともとの町のポテンシャルの高さもあり、いくつかの傑作も生まれた。しかし大阪の「暗部」を描いたとして検閲が入り、大きな議論を呼ぶ。

・テレビは地上波が消滅。各テレビ局が動画配信サービスと提携して複数の専門チャンネルを持つ、というスタイルが一般化した。多様化する番組の企画や、MC、ドラマやコントを制作できる人材が多数求められることになり、小劇場出身のタレントたちが重宝されることに。人気チャンネル「毒にも薬にもなる演劇!」では、演劇のアーカイブ放送や生中継、作家や俳優やスタッフのインタビューや様々なバラエティ企画が生まれた。

*2026年頃
・70歳以上限定の出演者・スタッフによる演劇コンペティションが開催。第1回の俳優賞受賞者は100歳であった。

・人材交流と交通網の発達が進んだ近畿~中国~瀬戸内~四国~九州北部では、広範なエリアを舞台に、1回かぎりのインディペンデントなアートフェスティバルが開催された。期間は1月1日から12月31日まで。各地で実施される小規模なアートプロジェクトに共通のフェスティバルの名前を冠しただけだが、関連イベントを直感的に把握できる「4次元観劇カレンダー」のほか、オンラインでのシンポジウムや上演への参加、船・バス・LCC等を利用した観光観劇ツアー等、地元企業も巻き込みながら有機的に連携。スローガンは「消耗したら負け」「無理しないフェスティバル」。気が向いたら2030年代に第2回を開催しよう、という話も出ている。

*2027年頃
・大富豪が主催した「宇宙でやってみたいことコンテスト」に「演劇の上演」が選ばれ、地球外での(おそらく)初めての演劇上演が宇宙ステーションにて行われた。演目はサミュエル・ベケット作の『ゴドーを待ちながら』。

・京都のライブハウスで開催されてきた「3 CASTS」が第100回を、「FOuR DANCERS」が第500回を突破。

・「CoRich舞台芸術まつり!」が20周年を迎えた。

*2028年頃
・すべての国連加盟国は、国土であると主張する土地の1%を、複数の国の資本が協働する経済特区として認定するよう義務付けられた。日本では対馬が選ばれ、日韓演劇サミット開催。公民館や港や路上やゲストハウスを舞台に、上演や対話が行われた。北朝鮮を拠点にする劇団も参加。その後、北朝鮮で空前の日本語原作戯曲のブームが巻き起こった。

・小劇場出身の劇作家がノーベル文学賞の最終候補にノミネートされた。

*2029年頃
・日本全国の小劇場の公演を対象にしたアンケートで、使用言語が「日本語のみ」だったのは全体の20%ほど。80%の公演では複数言語が用いられており、日本語以外では英語、中国語(マンダリン)、韓国語が多かったほか、広東語等の中国語、ロシア語、東南アジア・インド・中東の各種言語、琉球語、アイヌ語、ニヴフ語等が続いた。

・岸田國士戯曲賞に「日本出身または日本在住1年以上の作家が書いた戯曲で、日本語に翻訳されたテクストがあれば、ノミネート対象になりうる」と条件が明記された。この年の岸田賞は、沖縄で生まれてアンカレッジに住んでいるアメリカ国籍の劇作家が受賞。アラスカから見える日本の風景を、琉球語混じりの流麗な日本語で描ききった。なお2030年現在、岸田賞選考委員は女性が5人、性別不詳が1名となっている。
(* この項目の表現には問題が含まれています。詳しくは文末の追記をお読みください。)



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【追記】
 当記事の「2020年代の小劇場はどうなるのか?!」の特に(*)印を付した部分について、SNS上で批判の声をいただきました。わたしの文章によって傷つき、不愉快な思いをした方々に、お詫びしたいと思います。不適切な表現を用いてしまったことについて、深く反省しています。以下、わたしが文章を書いた際の意図についてご説明いたしますが、どんな意図であったかにかかわらず、そのように読めてしまうという時点で不適切であったと認識しています。

 まず「2020年頃」の項目で書いた「アカデミー賞受賞者がトランスジェンダーだった」についてですが、ここで頭の中にあったのは広義のトランスジェンダーのうちいわゆるXジェンダーで、例えばFTXの人が受賞した時に「男優/女優」というカテゴリーに分けられることを望まないかもしれない、という想像によって書きました。恥ずかしながら、トランスジェンダーという言葉を使っておきながら、トランス俳優(FTM、MTF)が受賞した時のことを想定しておらず、そうなるとまったく違う意味になってしまうということに想像が及んでいませんでした。しかも、2020年頃という直近の未来で、かつ現実の賞と同じ名前を付してしまったことによって、現実にそこで格闘している人たちの努力を無視するような結果にもなってしまったと思います。ご批判の指摘の中で紹介されていた「ハリウッドのトランス俳優たち」という記事も遅ればせながら拝読しました。

 また「2029年頃」の項目で書いた「性別不詳」については、わたしは「自称」または「(本人が認めた上での)公称」という形で、2030年にそのような性的自認または社会的ステータスを獲得することがありうるかもしれない、と想像しました。本人が、みずからの性的なアイデンティティについて公表したり定義されたりすることを望まない、という意味です。しかしながら、他者によって「性別不詳」と見なされている、あるいは書き手のわたしがそのようにまなざしている、と読める可能性がある以上、他者からの差別的まなざしを想起させるような「性別不詳」という表現は使うべきではなかったと反省しております。

 わたしは今回の指摘を受けて、これが単に言葉遣いの瑕疵として済まされるものではなく、言葉(用語)というものが差別も含めた社会的構造に大きく関わっており、その使い方ひとつで、世の中が良い方にも悪い方にも変わりうる、ということをあらためて再認識しなければならない、と思いました。ある社会が多様性を持ち、そこに生きる人々が異なる属性や立場の人たちについての想像力を確保するためには、言葉(用語)についてセンシティブでなくてはなりません。特に物書きには、その言葉(用語)が持ちうる影響について自覚的である責任があると思います。猛省すると共に、今後、セクシャルマイノリティの人たちも含め、社会に生きる多様な人たちが直面している状況についてより深く学び、繊細な言葉(用語)を用いるよう努めていきたいと考えています。(2020年3月16日 藤原ちから)

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藤原ちから Chikara Fujiwara

1977年、高知市生まれ。横浜を拠点にしつつも、国内外の各地を移動しながら、批評家またはアーティストとして、さらにはキュレーター、メンター、ドラマトゥルクとしても活動。「見えない壁」によって分断された世界を繋ごうと、ツアープロジェクト『演劇クエスト(ENGEKI QUEST)』を横浜、城崎、マニラ、デュッセルドルフ、安山、香港、東京、バンコクで創作。徳永京子との共著に『演劇最強論』(飛鳥新社、2013)がある。2017年度よりセゾン文化財団シニア・フェロー、文化庁東アジア文化交流使。2018年からの執筆原稿については、アートコレクティブorangcosongのメンバーである住吉山実里との対話を通して書かれている。