【連載】ひとつだけ 藤原ちから編(2018/06)― 東京デスロック + 第12言語演劇スタジオ『가모메 カルメギ』
ひとつだけ
2018.06.26
あまたある作品の中から「この1ヶ月に観るべき・観たい作品を“ひとつだけ”選ぶなら」
…徳永京子と藤原ちからは何を選ぶ?
2018年6月 藤原ちからの“ひとつだけ” 東京デスロック + 第12言語演劇スタジオ『가모메 カルメギ』
《神奈川公演》2018年6月30日(土)~7月8日(日)KAAT神奈川芸術劇場
《三重公演》2018年7月13日(金)~15日(日)三重県文化会館
《兵庫公演》2018年7月20日(金)~22日(日)AI・HALL 伊丹市立演劇ホール
《埼玉公演》2018年7月27日(金)~28日(土)富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ
『가모메 カルメギ』 2014.11 KAAT神奈川芸術劇場 ⒞石川夕子
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アジアの歴史には複雑な糸が絡み合っている。
……というこの一文を書いてから、わたしはしばらくフリーズしてしまった。この後にどんな言葉を続けることができるのだろう? アジア各地を旅していて、わたしはできればただの異物(alien)でいたいと願っている。けれども「どこから来たの?」と訊かれるたびに、一瞬わずかに走る緊張感から逃れられてはいない。歴史に対してもっと鈍感で無知になればいいのだろうか?そうは思わない。わたしは歴史に踏み込んでいきたい。なぜなら歴史は、わたしが今ここに生きていることの理由でもあるのだから。わたしは父と母から生まれた。その父も母も、祖父や祖母なしには生まれなかった。彼らはその人生について多くを語らなかった。しかしもちろん、彼らは生きてきたし、その人生はアジアの歴史の一部分である。
先日、中国北東部をリサーチした際に、旧満州の首都だった長春を訪れた。満州国は今の中国では「偽満州」と呼ばれている。ラストエンペラー溥儀の王宮は博物館になっていて、展示の文言は、満州国が日本の傀儡政権であったことを糾弾している。そして満州国に協力した中国の政治家や軍人たちは「民族の犯罪者」や「売国奴」と呼ばれ、そのプロフィールと顔写真が晒されている。これを中国政府のプロパガンダだと一蹴するのは容易い。けれどもわたしはただ、その展示の前に立ち止まることしかできなかった。この「売国奴」と呼ばれている人たちにも、子や孫やひ孫がいるのかもしれない。あるいは、ここに眠っている歴史にアクセスしたいと願っている中国人の学者やアーティストもきっといるだろう。歴史を語ることを奪われているのは、日本人だけではない。中国人も、もしかしたら、韓国人も。
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日本を拠点にする劇団・東京デスロックと、韓国を拠点にする劇団・第12言語演劇スタジオが共同制作した『가모메 カルメギ』は、2013年にソウルで初演を迎え、その翌年、北九州と横浜で上演された。これは日韓の文化史・演劇史に重要な一歩を記す作品だった。それが東亜演劇賞の3冠(作品賞、演出賞、視聴覚デザイン賞)受賞という、目に見える結果を残したのは喜ばしい。けれども観客は、目に見えない何かをこの作品から受け取ることになるだろう。
『가모메 カルメギ』 2014.11 KAAT神奈川芸術劇場 ⒞石川夕子
チェーホフの『かもめ』を翻案し、1930年代後半の朝鮮半島を描いたこの作品は、ドラマティックであり、かなり「とっつきやすい」演劇だ。けれども、真に冒険的な作品でもある。日韓の若い俳優たちが入り混じり、彼らの祖父母や曾祖父母が生きた時代の、複雑な歴史にアクセスしようと試みている。両劇団の主宰である多田淳之介(東京デスロック)とソン・ギウン(第12言語演劇スタジオ)は、この作品を創作した時点ですでにかなりの親交を深めていた。そして彼らは、両国にまたがる歴史や文化について、演劇を通して少しずつアプローチを重ねていた。お互いへの信頼関係がなければ、このような形でアンタッチャブルな歴史へと踏み込んでいく勇気は生まれなかったかもしれない。
それからさらに4、5年が経過して、今回の再演となった。彼らにも、出演者やスタッフにも、それぞれの時間が流れている。子どもを産んだ人たちもいる。作品の背後に流れるこの様々な時間。観客であるわたしやあなたにも、こうした時間は流れているはずだ。国家と国家の関係は、その時々の政治的な事情によって左右される。しかし人と人の関係は必ずしもそうではない。時間は流れて、蓄積される。場合によっては、次の世代へと継承されていく。もしかすると、こうしたひとりひとりの時間こそが、アンタッチャブルな歴史の封印を解くカギになるのかもしれない。
カルメギは韓国語で「かもめ」を意味する。가모메はハングルで「か・も・め」と発音する。もしもどちらか片方の言語しか知らなければ、あなたはこのタイトルの意味もわからないし、読むことすらできない。
実際、5年前、わたしはそうだった。無知だった。2013年の秋に、わたしはこの作品の初演をソウルで観るために、とっくに期限の切れていたパスポートを新調した。初めての韓国は何もかもが新鮮だった。当時は町に溢れるハングルを1文字すら読むことができず、車が右側通行であることさえも、行ってみるまで知らなかった。けれども幸いにして、テレビやインターネットでは体験できない、同時代を生きる人々の温かみに触れることができた。最後の晩に楽しくソジュ(韓国焼酎)を呑みすぎて、帰りの飛行機を逃したのも今となっては良い思い出だ……。
無知であることは、罪なのだろうか? そうかもしれない。けれどもわたしは、その無知を、答えのない世界への入場券だと考えてみたい。広大な未知の荒野がひろがっている。この『가모메 カルメギ』は、その世界への入口になるかもしれない。
今回は日本での上演だ。けれども、舞台に立っている人々が、この作品のために何度も海を越えているという事実を忘れないでほしい。
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