プレイバック2017年
マンスリー・プレイバック
2018.02.14
▼ベスト10+α
【藤原ちからのベスト10+α】
◇ジエン社『夜組』
◇岡崎藝術座『バルパライソの長い坂をくだる話』
◇キティエンターテインメント・プレゼンツ『父母姉僕弟君』
◇山内健司『END OF DEMOCRACY』(「岸井戯曲を上演する#11」より)
◇地点『CHITENの近未来語』(2016年8月9日版)
◇チェルフィッチュ『三月の5日間』リクリエーション
◇木ノ下歌舞伎『心中天の網島―2017リクリエーション版―』
◇東京デスロック『再生』(『ARE YOU HAPPY???~幸せ占う3本立て~』より2017年版)
◇国際共同製作『RE/PLAY Dance Edit』
◇悪魔のしるし『蟹と歩く』
◇スン・シャオシン『Here Is the Message You Asked For… Don’t Tell Anyone Else;-) (這是你要的那條信息……不要讓別人看到;-))』
キティエンターテインメント・プレゼンツ『父母姉僕弟君』 撮影:yuki kumagai
【徳永京子のベスト10+α】
◇ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団『カーネーション-NELKEN』
◇さいたまゴールド・シアター第7回公演『薄い桃色のかたまり』
◇舞台『俺節』
◇範宙遊泳『その夜と友達』
◇こq『地底妖精』
◇シアターコクーン・オンレパートリー2017『世界』
◇モチロンプロデュース『クラウドナイン』
◇KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『春のめざめ』
◇チェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』東京公演
◇烏丸ストロークロック 音楽と物語『まほろばの景』
◇M&Oplaysプロデュース 『少女ミウ』
◇ダミアン・ジャレ+名和晃平『VESSEL yokohama』
さいたまゴールド・シアター第7回公演『薄い桃色のかたまり』 撮影:宮川舞子
藤原 明けましておめでとうございます……という台詞も古びてしまうくらいアップが遅れてしまいましたが、2017年の演劇をプレイバックしたいと思います。(対談は2017年12月15日に行い、そのあと加筆修正しています。)
1年前も同じことを言いましたけど、ここ数年は国内で上演される演劇作品をたくさんは観れなくなっているので、果たして僕がベスト10を出すことに意味があるのか、自分でも疑問はあります。それに、日本人アーティストによる海外での上演や滞在制作も増えてきた昨今、もはや「国内での上演に絞る」やり方でいいのかも一考の余地がありますよね。……いろいろ悩みながらここに来たのですが、とりあえず、国内で上演された作品に絞ってベスト10+αを挙げてみました。
徳永 今年もよろしくお願いします。藤原さんのベスト10に入ったもの、結構観ていますけど、何ひとつ重なってないですよ(笑)。
藤原 はは……すれ違いましょう、大いに。僕のベスト10+αは順不同で、特に順位はありません。『CHITENの近未来語』についてはあとで語ります。また『END OF DEMOCRACY』については 「ピックアップ☓プレイバック」 のコーナーで書いたのでそちらをご覧いただけたらと思います。
『夜組』は、誰かの行き場のない夜の孤独というものを、深夜ラジオというモチーフを使うことで描き出した物語。しかもその夜はどこかで死者の世界へと渡っていくような夜でもある。ジエン社は同時多発会話を得意としてきましたけど、その表現手法と内容とがとても噛み合った作品で、技巧的なあざとさがなかったのが良かった。
『バルパライソの長い坂をくだる話』は南米、主にアルゼンチンで1年過ごしたことによって書かれた戯曲で、作者である神里雄大のチャーミングさを残しながらも、言葉ひとつひとつに魔力のようなものが宿っているのを感じます。南米文学といえばガルシア・マルケスに代表されるようなマジック・リアリズムで知られていますが、この『バルパライソ~』は神里流リアリズムの幕開けを予感させてくれます。凄いところに来たなと。
『父母姉僕弟君』は、フランス現代思想の思想家たちがもしもこれを観たら、まさか日本でこんな表現が自分たちの死後に生まれるなんて!と涙を流すのではないかとさえ思いました。ロロの代名詞である「ボーイ・ミーツ・ガール」にしても、男女の恋愛ではもはやなくて、人間(生き物?)がその一生において遭遇してしまう出会いと別れを、冷静に、しかし情熱的に描いている。
『三月の5日間』リクリエーションは、序盤、俳優の舞台の立ち方がこれまでのチェルフィッチュの俳優たちとあまりに違うように思えて戸惑ったんですけど、最終的には未来しか感じなかったです。この10年ちょっと、「チェルフィッチュの呪縛」のようなものが見る側に(他のアーティストや批評家も含めた観客に)会ったかもしれない。その呪いがチェルフィッチュみずからの手によって解かれたような清々しさがありました。これから日本の演劇、面白くなっていくかもしれないと予感させる作品です。
『心中天の網島―2017リクリエーション版―』は、観劇後しばらく何も話したくないという感動に浸りましたね……。木ノ下歌舞伎は規模の大小問わず日本国内外の各地を回れるという、かなりオールマイティな、稀有な劇団だなあと。そこに演出家や俳優やスタッフたちも乗っかれるわけなんで、これは凄い「器」だなあとあらためて思いました。
『再生』の2017年版は凄かった。チェルフィッチュの『三月の5日間』に匹敵する2000年代の名作ですね。ベテラン勢の胸を借りて(?)若手俳優たちが身体を張ってる感じもすごく良かった。
『RE/PLAY Dance Edit』は同じく『再生』から派生した作品ですが、各国のダンサーが参加して、もはや「アジアにおけるプラットフォーム」のひとつになっている。国境を越えることが当たり前になってきた時代を象徴する作品だと思います。
『蟹と歩く』は危口統之の遺作になりました。この作品について冷静に批評することは自分には難しいと思います。ただ、人が本当に死ぬところを演劇にした作品は、僕は初めて観ました。倉敷でのあの情景は一生記憶に残るでしょう。
『Here Is the Message……』は、中国の批評家&作家であるスン・シャオシンの作品ですが、日本のサブカルチャーに影響を受けた中国の女の子たちを日本に連れてくる、というのは彼なりのアイロニーであり、挨拶でもあったと思います。近くて遠い場所から彼らはやってきたのだというその事実を、日本の観客はどう受け止めたんでしょうか? 「壁」を越える瞬間が、あの舞台には確かに存在していたはずです。
駆け足になりましたが、ひとまず僕のベスト10+αは以上です。……徳永さんは?
徳永 やっぱり10本に絞れませんでした。そして上位4本がベスト・オブ・ベスト。『カーネーション』はベストという言い方はふさわしくないのですが、吐き気がするほど揺さぶられたので。詳細は こちら で読んでいただければ。
『薄い桃色のかたまり』は、現在の福島について岩松さんが書いたもので、若手のネクスト・シアターを受け手に配し、ゴールド・シアターの老俳優たちのエネルギーを充分に放出させたのが効果的でした。迷走する復興に振り回され、人々の内圧が高まって別々の形で爆発する様子が、ヒリヒリする緊張感で描かれています。
『俺節』は、ジャニーズ事務所の方が主役だったこともあってチケットを取りにくかったとは思うんですが……。でもみんな、いい加減、福原さんの才能をちゃんと認めたほうが良いです。歌の天才や演歌の大御所が登場する漫画が原作なんですが、福原さんがいかに巧みに“歌が上手い”ことの定義をこの舞台ならではのものに書き換え、ベストな形にしたか。それは見事でしたよ。
『その夜と友達』は、プロジェクターで壁に文字を映す範宙遊泳の代名詞的スタイルを鮮やかに脱皮した会心の一作。変なたとえですが、プロジェクターの演出は、スティックを花束に変える手品のように、伝えいことの属性を変えて見せていたと思うんです。それがこの作品では、ちぎったトランプに手を触れず元通りにしてしまうような、静かだけどもっと強い伝え方だった。平凡ではあるけれど無意味ではない人生を生きている私、その中にある無意識レベルの偏見が露わになる瞬間を描いて、さらに、それを謝罪できる人生とできない人生を同時に提示するという快挙を成し遂げました。俳優も良かった。
『地底妖精』は、女性ひとりのモノローグで構成され、ディズニーのプリンセスもののようなパーティの様子がひと通り語られると、それがひとつひとつ裏返って、実は彼女は嫌われ者だということが明るみになる。自嘲って普通は閉じていますけど、コミカルで迫力があり、その重さで床が抜けて結果的に世界と繋がるぐらいの切れ味がありました。
『世界』は、赤堀雅秋さんが3回目で遂に、シアターコクーンでご自分の作品をつくった。赤堀さんのコクーンでの格闘は以前、 「中堅クライシス」 のインタビューの中心に据えるほど気になっていたので、本当に良かったです。赤堀さんはシアタートラムの『鳥の名前』(7月)もとても良い作品でした。
『春のめざめ』は、白井晃さんは時に、若い俳優の大事な引き出しを開ける演出家なんですが、その能力が大いに発揮された舞台でした。それは技術的な上手さより重要で、俳優たちの感受性を繊細に研ぎ澄ましたことで、戯曲に書かれた若者の揺れに、若い俳優たちが見事にシンクロしました。
『部屋に流れる~』は3度観て、きちんと上演を継続してきた作品がどう熟成するか、それによってこちらがどれだけ多くの新しい発見をもらえるのかが実感できた舞台です。
『まほろばの景』は、本公演前の1時間のリーディングだったのに、怖くて鳥肌が立ったという(笑)。チラシにコメントを寄せていて、そこに「烏丸の舞台は、見ることを避けていた業を見せられる」と書いたんですが、そういう怖さです。
『少女ミウ』は、やはり岩松さんが原発事故について書いたものですが、『薄い桃色のかたまり』よりずっとフィクション色が強く、虚実の足場がフラフラしている。でもそういう戯曲に翻弄されるのが好きなんです。
『VESSEL』は、ダンサーに信じられないような負荷をかけ続けるコンテンポラリーダンスです、動き自体にもストーリーを感じるんですが、美術との高いレベルの両立で成り立つ作品でした。ちなみに森山未來さんが参加されていて、それが最後の最後にわかるんですが、凄い凄いと思っていた以上に凄い身体能力でした。
▼トピック(1) 再演スタンダード化を支える、観客の変化、つくり手の変化
徳永 では、2017年を振り返ってのトピックを出していきましょうか。まず私は、再演のスタンダード化を挙げたいです。上演の形態のひとつとして昔からあったものなので、あまり目立たないかもしれませんけど、ポジティブに再演に取り組む人たちがかなり増えてきたと感じます。
たとえばこうしてベスト10を選ぶ時、以前だったら再演の演目はランクインさせづらかった。「再演なら良くなるのは当たり前、それを初演の作品と並べていいのか」という前提があったからです。いや、今もあるんでしょうけど、圧力がかなり下がりましたよね。その背景には、つくり手たちを消耗させる原因のひとつである新作中心主義が見直される時期に来たことや、時代全体の気分として「リユース」や「共有」、「小さなコストで大きなパフォーマンスを得る」といったものがあるんでしょうけど。
藤原 確かに再演やリクリエーションが目立ちましたよね。自分のベスト10でも、ロロ、東京デスロック、木ノ下歌舞伎、『RE/PLAY』、地点、チェルフィッチュがそうですし。新作中心主義からつくり手が距離を置くのと同時に、観客の方も、新作を必ずしも求めていないのかもしれない。また、東京デスロックやチェルフィッチュのように、かつての名作をリプレイすることで、若い俳優たちに何か手渡したいという機運もあるのかもしれません。
東京デスロック『再生』2017.10 STスポット 撮影:bozzo
徳永 このあと話すイベントの隆盛とも関係していると思うんですが、観客もかなり変化していて、ひとつの作品をさまざまな角度から味わい、より深く楽しむ人が増えました。同じ作品を複数回観ても新しい発見があり、それも充実した観劇体験だと感じる人が増えてきたのかもしれません。
それと、つくり手の本能が時間に向いてきた、とも感じます。少し前までは、場所をどうするかが最重要課題だったと思うんです。どこかの劇場の芸術監督になる、拠点を持つ、あるいは移動しながら活動する、地域とつながるといったことですね。そこもまだ課題は山積みですけど、去年は、つくり手の意識が場所から時間に移り始めた年であるように思います。もちろんそれも、社会全体の動きとシンクロしているのでしょうが。
藤原 場所から時間に。
徳永 はい。話題が別の車線に移ってしまうかもしれないんですが、シアターガイドで連載している「1テーマ2ジェネレーション」というコーナーで、岩松了さんと岡田利規さんに対談していただいたんです(2017年12月号)。それは岩松さんと岡田さんが、これまで複数の作品で東日本大震災と原発事故を扱いながら、最新作(対談時。岩松『薄い桃色のかたまり』、岡田『部屋に流れる時間の旅』)の描写が非常に具体的になっているという一致から「時間と記憶」をテーマにお願いした顔合わせでした。時間が経つと記憶が薄れ、それを想像力や証言の収集、それらの編集で補ってきたのが通例の芸術なのに、おふたり揃ってその逆なのが興味深いと思って。
藤原 震災直後の生々しさから時間が経って、また語りやすくなった、という事情もあるんでしょうか?
徳永 ええ、特に岡田さんは「震災があって良かった、というせりふが書けるようになるまでに、自分には5年なり6年なりの時間が必要だったということかもしれない」とおっしゃっていました。
藤原 再演が目立つこの状況も、「ひとつ終わって、さあ次!」ではなくて、かつてつくった作品を手元に再び呼び寄せることで、何かを探ろうとするような時間感覚があるんでしょうか。
徳永 何度も呼び寄せて確認せざるを得ない、という感覚はありますよね。時間は経っているけど痕跡は残っている、風化が進む。なのにどんどん新しいものが出来て、そっちを見て復興と言う人も少なくない。一部の劇作家は、風化を止めるために鋭敏な時間感覚を使って過去を引き戻すのかもしれません。それと震災と原発事故は、まさに土地がなくなる、地面が信用できなくなる体験で、多くの人の場所に対する感覚が問い直された。今は、時間に対する感覚へと移行しているのかもしれません。
藤原 僕は、場所への感覚が退行したわけではなくて、それはそれで継続・発展しながら、一方で時間という感覚がより研ぎ澄まされてきた、ということかなと受け止めています。
徳永 なるほど。
藤原 それはともかく、今までだったらハイバイぐらいですよね、再演をしっかりやっていたのって。
徳永 ハイバイの作・演出の岩井秀人さんは「同じ演目でも、観る度に違う意味をお客さんが自分で発見してくれる」と話されていますが、昨年増えた再演には、それぞれ異なる、積極的な理由がありそうです。
藤原 例えばベスト10+αに挙げた地点の『CHITENの近未来語』の2016年8月9日版。この日付は、天皇のお気持ち会見の日です。『近未来語』は上演当日の新聞を俳優が読むので、毎回内容は変わるんですけど、たまたまこの日に上演があって、新聞がほぼ全面天皇の記事になっていたのが強烈だったと。だからその日の新聞をわざわざ手に入れて再演してみるという試みだったんです。観ていると、1年経った今もまだ切実なリアリティを感じられる話題もあったり、一方では明確に過去のものだと思う話題もあったりして、複数の時間が流れていく。そうやって「複数の時間やリアリティが流れる」ことが、この作品にかぎらず、実は今わりと劇場に行って体感できることが多い気がします。
徳永 チェルフィッチュの『部屋に流れる時間の旅』も、美術や照明によって、登場人物それぞれが示す時間とは別の、複数の時間が流れていることが示されていましたね。複数の時間をひとつの場所に同時に存在されるのは、もともと演劇の得意分野ですけど、それがより高度に昇華された作品が増えてきたのかもしれません。
▼トピック(2) 2つの方向性と、公演の前後につながる関連企画
藤原 次のトピックに移ります。今、エンターテインメントとしての完成度を高めていく傾向と、実験・研究系に行く傾向と、両方が際立ってきたようにも感じてるんですね。
例えばロロや木ノ下歌舞伎は、もともと備わっていたエンターテイナーとしての資質が成熟しているように思います。
一方では実験・研究系の展開も興味深いところです。僕はわりと去年は京都に滞在していたので、そうするとやはり関西の情報が入ってきやすいわけですけど、実は今、演劇やダンスの(主に関東を拠点にする)アーティストが、移住しないまでも、ちょいちょい京都に仕事で来ているということを実感しました。おそらく数年前よりはるかに移動が活発になっている。アトリエ劇研は閉館してしまったんですけど、京都芸術センター(芸セン)、京都造形大学、ロームシアター京都あたりでは研究プロジェクトのようなものがしばしば展開されています。例えばジエン社の山本健介さんと、AAF戯曲賞で台頭した松原俊太郎さんは、芸センの「演劇計画Ⅱ」で3年かけて戯曲を創作しているんですね。鳥公園の西尾佳織さんもやはり芸センで「内臓語にもぐる旅」という勉強会を開催しているし。芸センに今、コーディネーターとして集団:歩行訓練の演出家でもある谷竜一さんが在籍しているのも要素としては大きいのかもしれません。自分も『RE/PLAY Dance Edit』の批評を書く人たちで対話するという企画に関わらせてもらったのですが、芸センにはぜひこうした企画を継続していっていただきたいです。あるいは京都造形芸術大学・舞台芸術研究センターでは研究プロジェクトを公募していて、ダンス批評家の木村覚さんが主宰するBONUSの企画で、神村恵・篠田千明・砂連尾理が研究会を開き、そこにゲストでOiBokkeShiの菅原直樹さんが来る……というような動きもある。つまり作品を上演するだけではなくて、大学や劇場と組んで演劇やダンスの研究会を開く、しかも単発ではなくて時間をかけて継続していく、という動きが結構あるんですよね、京都では。
演劇計画Ⅱ-戯曲創作-「S/F-到来しない未来」 KAC S/F Lab. オープンラボvol.3「現実と時間」(ゲスト:入不二基義)
提供:京都芸術センター
徳永 私が考えてきたもうひとつのトピックも「公演の関連イベントや多彩なレクチャーの増加」です。今の藤原さんのお話で、京都でもそんなに動きがあるのかと驚いたんですが、点で終わらないイベントが各地で開催されたのが昨年だったと思います。
これは去年始まったものではありませんが、例えば東京芸術劇場で、ルーマニアの演出家、プルカレーテによる『リチャード三世』の上演に際して、公演の前に「シルヴィウ・プルカレーテの世界」という関連レクチャーが開催されました。作品の理解を助けるこうした企画は反響も良いようで、今後も一層盛んになるでしょう。それと三鷹に、佐々木敦さんと桜井圭介さんがSCOOL(スクール)をオープンし、パフォーマンスやライブ、レクチャーを精力的に開催し、劇場に収まらない好奇心を持つ人たちに歓迎されています。横浜のSTスポットが開館30周年記念で、歴代の館長が集まって同館のこれまでとこれからを話しましたが、普段はつくり手を支える立場の人たちが顔と名前と意見を公に出した好企画だったと思います。全体的に、目的や対象がきちんと検証された企画が開催されるようになったのではないでしょうか。
最初の再演の話や、先ほどの時間の話と繋がりますけど、公演を1回やって終わり、1度観て終わりではなくて、公演を起点にしてその前や後に時間を広げている。一昨年、藤原さんと私で、日本の現代演劇の若手の状況について話す『演劇最強論in中国』というトークイベントを北京と上海でやらせてもらって、その時に「小さくなって観客の身体や生活に入り込み、長期的に影響を及ぼすアメーバのような活動が特徴的だ」と話しましたが、環境としても、長いタームで作品を考える流れが生まれていますね。
▼トピック(3) 自作について語るつくり手たち
徳永 関連企画の増加には、アフタートークの定着と成熟が関係していると思うんです。平日の集客増加のため、2000年代の半ばぐらいに始まったアフタートークですが、完全に定番化しましたよね。当初は──今もそういう声はありますが──、言いたいことは作品に込めたし、どう受け取ろうと観客の自由だから、作品を解説するなんてと言われていましたが、蓋を開けてみたら予想以上に生産的な状況が生まれた。
ハイバイは公演期間中にトークだけの回を設ける試みもされていますけど、たとえ重要なネタばらしをしたとしても、観客の中にはまた新しい疑問や感想が生まれていくと確信していらっしゃるんでしょうね。
藤原 「知っちゃったからもういいや」とはならないですよね。
徳永 つくり手が自作について、しかも上演中の作品について語ることの危険性もわかるんですけど、アフタートークで話したことがすべての種明かしになるような作品は、大抵の人はつくっていないわけで。
STスポット30周年記念トーク 「STスポットのこれまでとこれから」
藤原 そこはやっぱり以前は難しかったんじゃないですかね。10年近く前、多田淳之介さん(東京デスロック)が必ず公演後にアフタートークをやってましたけど、その行為を批判する人は今より多かったと記憶しています。あの頃は観客も、作り手の声を聞いてしまうことで何か答えが出ちゃう、と受け止めがちだったと思うんですね。でも最近は、作り手が何か言ったところで、別にそれはそれで1つの解釈だよねと。解釈は多様である、という事実が当たり前になってきたんじゃないでしょうか。
徳永 当時と今の違いに、TwitterなどのSNSの普及があります。解釈は多様である、という感覚はもしかしたら、SNSの「功罪」の「功」のひとつかもしれないですね。
藤原 確かに、いろんな意見が見えるようになったという意味ではそうですね。SNSには「罪」もいっぱいありますけどね……。この流れで少し話題をスライドさせても大丈夫ですか?
徳永 はい、どうぞ。
藤原 作家の側も、「喋れないとまずいぞ」って感じてきてると思うんですよね。その理由としてはまず活動するフィールドの変化があって、演劇でも海外に行くのはもはやよくある話になってきたじゃないですか。『RE/PLAY Dance Edit』のように複数の国籍の人たちと一緒に共同制作することも今では珍しいことではなくなりつつあるし。TPAM(舞台芸術ミーティングin横浜)も機能してきて、フリンジなどを通じて若手作家にもチャンスが開かれている。去年はQも韓国・ソウルで公演をして、その後またソウルを再訪してワークショップも行っている。贅沢貧乏も中国の杭州・南京・武漢で公演をした。範宙遊泳に至ってはアジア各都市にどんどん行って共同制作をしているわけで。僕は最近の範宙遊泳の公演を観られていないので、彼らがどんな達成をしているのかわからないのがとても残念なんですけどね……。
ともあれ、そうやって海外での活動が選択肢として浮上してくると、もはや「作家が語らない」わけにはいかない。現地に行ったら話を訊かれますから、それに答える機会は圧倒的に増える。日本の「語るのは野暮」みたいな美意識は海外ではほぼゼロなので。国内にしても、東京を拠点とするアーティストが他の地域に行って、バックボーンの異なる、共通言語のない人たちに向けて喋る機会は増えていると思うんですね。東京だと同じ空気やコンテクストを共有することでなんとなくやっていけるけど、他の地域ではそれが通用しないから。
徳永 そうですね。今の時代、もはや「観て感じ取れ」は一種の傲慢になってしまった。とは言え、つくり手が語らずに済んでいた時代は実は短くて、アングラ世代は新劇に理論武装で立ち向かわなければならなかったから、唐十郎さん、佐藤信さん、太田省吾さん、鈴木忠志さんたちは軒並み演出論を出版しています。
藤原 ただ、これはまだ楽観的な方の見方ですね。楽観的じゃない方の見方で言うと、ここ何年かでひしひしと感じている危機感なんですが、海外にどんどん出て行く人と、全然出て行かない人とが、二極化してしまうのではないかと。そうならない方がいいなあと僕は思ってて、できるだけのことはしてきたつもりなんですが、どうですかね?
徳永 海外に積極的に出ている団体も、助成金頼みのそうした活動なんじゃないですか?
藤原 いや、意外とそうでもないはずで。例えば贅沢貧乏の渡航費を最終的にどこが出したとかは今この対談の時点では助成金の結果を詳しく調べてないのでわからないですけど、招聘側である杭州の劇場に関していえばおそらくそれなりに資金を持っているはずだし、徳永さんもご存知の通り、上海の美術館のように不動産会社がバックにつくことでそこそこ潤沢な資金を持っているケースもあるわけですよね。僕自身、受け入れ側の劇場やフェスティバルが移動費や滞在費を出してくれて、日本側の助成金は使ってないというケースもあります。「できれば渡航費については日本側の助成金を取って来てね」とお願いされるケースもよくあるんですけど。要するにネットワークさえ構築できれば、ヨーロッパであれアジアであれ、海外資本で渡航するケースもありうる。だから必ずしも2020年で助成金バブルがはじけて海外への渡航は終わる、みたいなストーリーにはならないと思うんです。
徳永 そこに上手く乗れる劇団が増えると良いですね。日本の経済力が低下するのは自明の理なので。私は、劇団が100あったら100全部が海外に行く必要はないと思っています。時間と体力、やる気を失って、それが致命傷になることもあるでしょうし、ガラパゴス化が結果的にオリジナルな創作を生むこともあるでしょうし。
藤原 そうですね。僕もただ海外進出すればいいのかというと必ずしもそうは思わないです。でも公演をするのではなくても、少なくとも海外においてどういう状況が起きているのかを自分の目で見て体感しておくことはマイナスではないとは思います。まだ一度も海外に行ったことがない、という演劇のつくり手はかなり多いと思んですけど、やっぱり行けば何かしらの発見があるはずだし、失敗も含めて、得るものは大きいはずなので。
先日、かもめマシーンの萩原雄太さんが、ルーマニア公演で彼なりに傷ついた体験についてフェイスブックに書いていました。あるいは岩城京子さんのミュンヘン・シュピラート演劇祭の レポート も、ヨーロッパでの活動歴が長い彼女からの重要な問題提起として僕は受け止めています。そうやってアーティストや批評家や制作者の体験を、共有して、積み重ねていくのは大事ではないでしょうか。僕自身、去年はじっくりレポートを書く時間をとれなかったので、すこぶる反省しています……。フィリピンでの3年間のこととか、台北で新たに始まったADAMという枠組みが若いアーティストに門戸を開いていることとか(TPAM2018にもADAMからプレゼンターが来ます)、ドイツ・デュッセルドルフで開催したあちらの批評家との「対話」で起きたこととか……。日本のそれこそ「野心」のある人たちに共有したいことも多いので、今後、じっくりレポートを書いたり、何かしらシェアする場をつくっていければと思っています。
徳永 つくり手は言葉を持った方がいいという話と真逆になりますけど、言葉にしない強さは必要だと思います。「もともと言葉に回収できることはやっていない」「言葉だけで説明できないから作品をつくっている」という自覚は絶対に持っているべきだし、とりわけ海外では、文化的な背景の違いもあり、語学力だけでは届かない部分もある。その溝を埋めるのを、つくり手がすべて受け持つのは過酷だと思う。藤原さんの話は「だから批評家が」ということだと思うので良いんですけど。「自分の言葉を持つこと」と「言語化できないものがある」は、同時に持っていなきゃいけない。
藤原 だから個人的には、批評のやり方も考えないといけない時期に来ていると思っています。今まで自分は、批評として、どちらかというと「補助線を引く」ことをしてきたのかもしれない。でも最近はもう、クリアな構造分析とかによって補助縁を引くことにはあまり可能性を見出していなくて。究極、わかんないよねっていう。その「わからなさ」を面白がる部分を強烈に残しておきたいなと。
徳永 そこは行きつ戻りつ、どちらにも安住せずに、それぞれを更新していかなきゃいけないですね。
藤原 ええ。それも含めて、1人の人間で全部やるのは無理だと思っていまして。例えば自分はラジオをこの2年間やってきたんですが、ゲストとして演劇のつくり手をお呼びして、僕が解説という立場なんですけど、そこにアーティスト本人も一緒にいるのはかなり大事だと感じますね。つまり僕がいくら解説してもその本人が「謎」としてそこに存在しているわけですから。そうやって複数のリアリティが同時に存在していて、別にひとつの答えがあるわけではない、と示すことは大事だと思うんですね。解説によって演劇の面白さを矮小してしまうわけにはいかないので。そして僕は、批評は解説とは似て非なるものだと思うんです。批評はむしろ、複数の思考やリアリティを同時に走らせるような触媒なんじゃないかと。
NHK横浜放送局「横浜サウンド☆クルーズ」 2016/8/30放送 写真左より藤原ちから、山本卓卓(範宙遊泳)、坂本沙織アナウンサー
▼トピック(4) 喪失、継続、アーカイブ
徳永 最後に、これをトピックという表現で語るのは憚られますが、昨年は、失ってはいけない演劇の才能を続けて失ってしまったことを記しておきたいと思います。悪魔のしるしの危口統之さん、悪魔のしるしのプロデューサーの岡村滝尾さん、そしてシアターコクーンのプロデューサーの佐貫こしのさん、文学座から世田谷パブリックシアターに移ったばかりだった制作の矢部修二さん。いずれも40代前半でした。悪魔のしるしは残ったメンバーの皆さんが活動を続けられ、危口さんの作品を蒐集するクラウドファンディングを立ち上げるなど、継続とアーカイブにきちんと取り組んでいらして頼もしいですが、これは稀有なケースでしょう。大きな才能を失った時、彼らが蒔いた種をどう育てていくかは、ただ何となくできることではない。今、お名前を挙げた皆さんは組織に所属していましたが、フリーなら尚更、際どいでしょうね。
▼演劇最強論-ing が選ぶ2017年各最優秀賞受賞者とコメント
▽俳優賞
徳永 私はまず、『地底妖精』の永山由里恵さん。市原さんはきっと、不幸そうな顔立ちの美人が好きだと思うんですが、昨年の『毛美子不毛話』以来、永山さんに触発されて書いている言葉があると思う。『地底妖精』では、せりふ量もテンションも大変な荒馬戯曲を、振り落とされそうになりながら乗りこなした。ドMとドSがマトリョーシカ状になったひとり芝居を、とても誠実に演じていた姿に打たれました。
永山由里恵(こq『地底妖精』) 撮影:佐藤瑞季
藤原 Q『毛美子不毛話』の韓国(ソウル)公演でも、初日の上演中にプロジェクターが壊れて一時中断するアクシデントがあったんですけど、その後も結局機材は復旧せず、字幕が出ない中で武谷公雄さんと最後までやりきって。永山さん、海外初舞台がそれっていうのは凄い経験ですよね。ぜひさらなる飛躍をしていただきたいです。
僕は日高啓介さん、木ノ下歌舞伎『心中天の網島―2017リクリエーション版―』での演技に。日高さんはたぶん、ハンサムな二枚目の役もやろうと思えばできると思うんですね。でも「おっぱい、おっぱい!」と舞台上で言い続ける赤ちゃんみたいな役で(笑)。台本を書いた糸井幸之介さん(FUKAIPRODUCE羽衣)の世界には欠かせない存在ですが、あんなどうしようもないおバカなキャラを観客が愛せるのは奇跡だし、俳優の力だなと思いますね。これからも「おっぱい!」マインドを持ち続けていただきたいと願っています。
日高啓介(木ノ下歌舞伎『心中天の網島―2017リクリエーション版―』)撮影:松見拓也 提供:ロームシアター京都
徳永 同じ『心中天の網島―2017リクリエーション版―』から山内健司さんを推します。再演バージョンから参加されましたが、張り切って新風を送るのではなく、むしろ全体の引き算として存在することを意識していたように感じました。「みんなそれぞれ必死にお互いを思っている」ことが伝わる戯曲だからこそ。山内さんがつくった余白が、時代劇でなく現代劇だと感じられる要因のひとつになったと思います。
藤原 確かあの姑だけ関西弁なんですよね。山内さん、どうやらこの作品のために1人で大阪の橋を渡りまくったみたいなんですけど、演技を観て、「うわ、大阪(大坂)だ!」と思いました。ドスの効きかたがヤバイ。ベスト10+αに挙げた『END OF DEMOCRACY』も会心の出来でしたし、僕も授賞させていただきたいです。
写真手前:山内健司、左奥:伊東沙保、右奥:日高啓介(木ノ下歌舞伎『心中天の網島―2017リクリエーション版―』)撮影:松見拓也 提供:ロームシアター京都
徳永 俳優賞を続けます。『業音』と『クラウドナイン』の平岩紙さん。ここ数年の平岩さんは、自分は素材であるという自覚と、素材ゆえの野心に凄みを感じます。『業音』で、楽なほうを選んだつもりで苦労と不幸を背負い込むダメな女、『クラウドナイン』で7歳の少年とレズのシングルマザーの2役を演じたんですが、少年役の演技が「ボードビリアンか!」というくらいおもしろかった。いや、中身がちゃんと詰まった動きなんですけど、目が釘付けでした。
写真左から入江雅人、平岩紙(モチロンプロデュース『クラウドナイン』) 撮影:引地信彦
女性をもうひとり、『その夜と友達』で久々に舞台復帰された名児耶ゆりさん。この作品は、名児耶さん、武谷公雄さん、大橋一輝さんが出演されていて、3人とも本当に素晴らしかった。ただ、物語の芯に男性の男性に対する恋情が据えられていて、それが目立つ形で名児耶さんの役を規定はしていなかったものの、俳優としては心理的に重しになることが考えられました。ストーリーは忘れて役として瞬間を生きる、という方法もありますが、山本さんの戯曲は作品全体を俯瞰できない俳優には演じられない。しかも名児耶さんの演じた女性には、彼女だけの美学や秘密があった。せりふにはないその部分まで、名児耶さんにしっかり見せてもらいました。
写真左から名児耶ゆり、武谷公雄(範宙遊泳『その夜と友達』) 撮影:鈴木竜一朗
そして『フィクション・シティー』の野口卓磨さん。野口さんが演じたのは「役つかず」という役で、何度も登場するのに、すでに他の人が同じ役を演じていたり、無視されたりし続ける。明確な悪意のない人々から生まれる差別や排除という、非常にリアルな問題を描いた『フィクション・シティー』の中で、最も残酷な仕打ちを受け、同時に、唯一リアルではない排除の対象です。でもおそらく役つかずは山田さんが仕掛けた時限爆弾で、未来の私かもしれない存在だと思う。とても重要で支えのない役を、野口さんは “あの役には絶対に意味がある”と感じさせてくれ、作品の意味するところを深く考えるきっかけをくれました。
野口卓磨(贅沢貧乏『フィクション・シティー』) 撮影: Kengo Kawatsura
最後のひとりは、GEKISHA NINAGAWA STUDIOの『待つ─2017』の中の1作、前田司郎さんの『逆に14歳』を演じた岡田正さん。この企画は、蜷川幸雄さんのもとで学んだ俳優の有志が集まったもので、何人かが自分がやりたい話が持ち込んだそうです。その中に、岡田さん発案の『逆に14歳』があった。おじいさんふたりが、かつての友人の葬儀の帰りにくだらない話をするだけのシーンなんですが、ふわっと出てきてほんの少しの身づくろいで老人になるところから見事でした。岡田さんは主に蜷川さんの舞台でよく拝見していましたが、まだまだこんな引き出しをお持ちなんだと驚いたし、もっともっと観たい俳優さんだと思いました。
◎俳優賞受賞者コメント
徳永選:永山由里恵さん(こq『地底妖精』)』)
「この度は、光栄な賞をいただき、ありがとうございます。本当に嬉しいです。
この役を与えてくれた市原佐都子さんに心から感謝してます。演技で悩んだりすることも多いですが、襟を正して、これからも人の心に残る表現ができるよう日々精進していきたいです。」
徳永選:平岩紙さん(モチロンプロデュース『クラウドナイン』)
「なんてことでしょう。初めての賞を頂きました。それが、デビュー当時から、ずっと観てくださって、いつも確かなお言葉をくださる徳永さんからだなんて!光栄です。クラウドナインは私の中でまだまだ終わっていません。行き着くことのない旅の途中です。まだまだ歩きたかった。あの稽古と本番の日々は私の宝となりました。」
徳永選:名児耶ゆりさん(範宙遊泳『その夜と友達』)
「子どもを産み、「自分はどう生きていきたいのか」と強く問いかけられる日々の中で挑んだ、範宙遊泳『その夜と友達』の演技に対して、こんなにステキな賞をいただき、本当に、光栄に思っています。関係者みなさまの寛容な心と、家族の支えのおかげです。ありがとうございました。これからも、俳優として、胸を張って生きていきたいです。」
徳永選:野口卓磨さん(贅沢貧乏『フィクション・シティー』)
「このような賞をいただき、本当に本当に嬉しいです。いつも野田地図で「目立つな。でもちゃんと存在しろ。遊べ」と言われ続けてきたことが、この役で助けになりました。自分の特徴を見抜き、新しい魅力を引き出してくれた山田由梨さんのおかげです。心から感謝しています。いつも応援してくれる皆さん、戦友たちもきっと喜んでくれると思います。この賞に慢心せず、また地道に、先輩たちに叱られながら、精進して参ります。ありがとうございました!」
徳永選:岡田正さん(GEKISHA NINAGAWA STUDIO『逆に14歳』)
「徳永京子さん有難うございます。嬉しい限りです。蜷川幸雄が亡くなり残された俺達は今何が出来るか?何をすべきか?何をしたいか?を自問自答しながら創った作品です!小説の構成変更を快諾して下さった前田司郎氏、共演を気持ちよくOKしてくれた大石継太氏、「2017・待つ」公演に御協力頂いた皆さんに感謝致します。還暦の年に素敵なプレゼントを有難うございました。」
徳永・藤原選:山内健司さん(木ノ下歌舞伎『心中天の網島―2017リクリエーション版―』)
「あ、、、僕ですか、、、びっくりです、ありがとうございます。日本の現代演劇の景色そのものといえる皆さんとご一緒して、その皆さんのなりふり構わぬもがく姿、背中からただただ力をいただいておりました。ありがとう。日本の創作環境や業界はとても特殊だと思いますが、でも高い理想をわがこととして皆とつくっていく人はたくさんいます。あきらめないで、がんばります。」
藤原選:日高啓介さん(木ノ下歌舞伎『心中天の網島―2017リクリエーション版―』)
「この作品は、2015年の初演を経て蘇ったリクリエーション版です。初演から皆で積み重ね、丁寧に作ったかけがえのない作品。この作品でこの賞をいただいたこと、とてもとても嬉しく思います。そして寝食を共にして作ってきた山内さんと一緒に、この賞をいただき嬉しさ倍増です!ありがとうございます!」
▽最優秀クリエイター賞
藤原 僕は対談時(2017年12月15日)に名前が挙がらなかったので、追記はせず、お恥ずかしながら今年は該当者ナシとさせていただきます。演劇は演出家や劇作家や俳優だけのものではないので、制作者や技術スタッフももっとしっかり評価されるのがまっとうだと考えてはいます。その考えを実践するためにも、来年は御名前をきちんと挙げられるようにしたいと反省しています。
演出賞:ノゾエ征爾(静岡県舞台芸術センターSPAC『病は気から』)
徳永 最近のノゾエさんは指揮者のように演出すると感じています。一昨年の『一万人のゴールド・シアター』で、さいたまスーパーアリーナという巨大な空間で演出した時も、流れるように人を動かして会場に隙間をつくらなかった。『病は気から』は、対面式の客席の一方をアクティングエリアにして、階段状の椅子のあちこちから俳優が顔や体を出して演技したんですが、ワンアイデアで終わらず、空間の隅々まで見事に使いこなして飽きなかった。しかも戯曲がモリエールの古典喜劇で、特に現代的とか普遍的なわけでもないのに、ちゃんとおもしろかった。間違いなく、今、ノっている演出家のひとりです。
照明賞:石田光羽(コトリ会議 お礼してまわるツアー『あ、カッコンの竹』)
徳永 客席から俳優が見えないことに大胆なんです。演出の山本さんはおそらく“微かな気配”とか“消え入る寸前”みたいなものが表現したいと方だと思う。コトリ会議という劇団名はそれが託されているという説を 「紙背」 (山崎健太氏が編集・発行する戯曲と劇評誌)に書いたのですが、それを深く理解した照明をつくっている。私の説は石田さんの照明にも背中を押されました。
衣裳賞:藤谷香子(チェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』『三月の5日間』リクリエーション)
徳永 藤谷さんの衣裳を最初に意識したのはロロの『いつだって可笑しいほど誰もが愛し愛されて第三小学校』の再演(’10年)だったと記憶していますが、衣裳に漫画の吹き出し型のアップリケがくっついていて、まさにロロな衣裳に感心しました。その後も数々の舞台で作品の理解を助けられてきましたが、『部屋に流れる~』の東京公演で初めて、藤谷さんの衣裳にスタンダードを感じたんです。ここにも にも書きましたが、主張のない衣裳に込めた長期的な効果ですね。チェルフィッチュは海外ツアーが前提だから、地域の移動にも時間の経過にも耐えられるように考慮した衣裳なんですね。『三月の5日間』リクリエーションは、ホテルの話が出るシーンに登場する俳優さんの衣裳が、動くとおへそが見えるんですよね。それがどれだけあのシーンの官能度を上げたか。お見事でした。
『部屋に流れる時間の旅』 撮影:Misako Shimizu
音楽賞:鈴木光介(流山児事務所『メカニズム大作戦』の演奏、ナイロン100℃『ちょっと、まってください』の作曲)
徳永 鈴木さんは時々自動のメンバーで、リーダーである朝比奈尚行さんからも厚い信頼を寄せられている人で、『メカニズム大作戦』では朝比奈さんが作曲した劇中音楽の演奏をすべてひとりで演奏されていました。これまでも演劇作品の中で半ば登場人物になって演奏する姿を観てきましたが、『メカニズム大作戦』は、space早稲田という小さな劇場の舞台の一角で、小さな箱状のスペースに入って次々といろいろな楽器を弾く姿が、絶妙に邪魔にならず、でもアクセントになっていました。『ちょっと、待ってください』の作曲は、地味派手というか、気が付いたら状況が変わっている作品の内容に合わせ、主張なき存在感が良かったです。
宣伝美術:小林健太(宣伝写真)・牧寿次郎(デザイン)(『三月の5日間』リクリエーション)
徳永 久々にチラシに唸りました。ピンクまじりの金髪に髪を染めた若者の後ろ姿ですが、Tシャツがカモフラージュ柄なんですよね。カモフラはストリートファッションの定番になっていますけど、もちろん戦争から生まれた柄です。そして髪の色が、むしろ西洋人でないことを強調している。そしてよく見ると髪の一部に加工がしてあり、奇妙に歪んでいる。どこをどう取っても『三月の5日間』じゃないですか。撮り下ろしたのか、既存の写真を見つけられたのかわかりませんが、「これこそ演劇のチラシだ」と思いました。
◎クリエイター賞受賞者コメント
【演出部門】徳永選:ノゾエ征爾さん(静岡県舞台芸術センターSPAC『病は気から』)
「とある戯曲賞に初めてノミネートされて、受賞は無理ですよーなどと言いつつも当然密かに期待していたところ見事に逃し、ンー残念!な気持ちでいたその夜、この賞の連絡をいただきとても嬉しかったのであります。どうもありがとうございます。SPACの皆さんおめでとうございます。」
【照明部門】徳永選:石田光羽さん(コトリ会議 お礼してまわるツアー『あ、カッコンの竹』)
「この度は、立派な賞をいただき、ありがとうございます。演出の山本さんをはじめ、励まし、見守ってくださった座組みの皆様のおかげです。頂いた賞に恥じぬよう、これからも作品に寄り添う明りをめざして、ひとつひとつの作品と丁寧に向き合っていきたいです。」
【衣裳部門】徳永選:藤谷香子さん(『チェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』、『三月の5日間』リクリエーション)
「賞と、作品を言葉に残していただいたことに感謝と、あと芸術が持つ力に少しでも加担できたことは誇りだと感じています。いいぞもっとやれ、ってことで、より注意深くよりのびのびやります。
岡田さん、クリエーションメンバーのみなさん、毎度辛抱強く導いてくださり本当にありがとうございます。」
【音楽部門】徳永選:鈴木光介さん(『流山児事務所『メカニズム大作戦』の演奏、ナイロン100℃『ちょっと、待ってください』の作曲』)
「わ!大変な賞を頂いてしまった!ありがとうございます!去年は妻が頂いたのでなんとも不思議な気分です。よ!史上初!夫婦受賞!!お芝居の音楽って、当然お芝居と共にあるもんですから、なおのことこの賞は僕一人の力で頂いたのではないと感じます。師である朝比奈尚行、演出家のケラさん、流山児さん、すべての舞台のスタッフさん、役者さん、とにかく、巡り合わせ。縁。そんなもので頂いたのかと。益々精進せねば…!」
【宣伝美術部門】徳永選:グラフィックデザイナー 牧寿次郎さん、写真 小林健太さん(チェルフィッチュ『三月の5日間』リクリエーション』)
牧さん「小林さんが渋谷を撮影・加工した写真ありきでデザインの依頼があり、風景だと印象が弱かったので、過去の写真を何度も探してもらいました。締切が迫るなか届いた一枚に確信を得て、さらに何かが起こる瞬間をと、文字を衝突させました。代表作という一度イメージが強く定着したものを刷新させるのは難しかったですが、うまく継承しつつリクリエーションできてよかったです。」
小林さん「牧さんとprecogの皆さまと何度もやり取りしながら制作しました。時間がかかった分、「ピッタリきた」感触が返ってきたときは嬉しかったです。牧さんのデザインが載ってカッコいいビジュアルに仕上がりました!」
▼2018年の目標
藤原 鼻の穴を意識したいです。息をすることは大事なので。書くこと、つぶやくこと、情報を扱うこと、何かを知ること、観ること、考えること、そしてもちろん、声に出して喋ること。すべてにおいて、息をすることは大事だと思います。
徳永 とても良い目標ですね。私は、アウトプットする。まあ、観た舞台についてもっと書く、考えたことを怖がらずに外に出すという、平凡な目標です。
(2017.12.15 収録)