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チェルフィッチュ『三月の5日間』リクリエーション 岡田利規 インタビュー

インタビュー

2017.11.25





マスターピースとの向き合い方


ひよこのプリンティングのように

―― この公演の取材で必ず聞かれる質問だとは思いますが、やはり最初に、約7年ぶりに上演する『三月の5日間』を25歳以下に限定した俳優だけでつくり直そうと決めた、そこに至るまでの経緯を教えていただけますか?

岡田 話は2015年に遡るんですけど、文化庁の文化交流使というのに選んでもらったんです。それは好きな国を選んで、興味のある場所を訪ねたり、内容によってはやりたいことができる制度で、僕は中国と韓国とタイに行ったんですね。主な目的は、『God Bless Baseball』のリハーサルをソウルでやることだったんですが、その前に立ち寄った中国が、予想外に充実した滞在になりまして。

── その時が初めての中国ですか?

岡田 ええ。北京の劇場でトークをしたり、『三月の5日間』の中国語でのリーディングをちょっとやってもらったりしたんですけど、その時になぜかとても、『三月の5日間』を北京でやりたいと思ったんです。なんと言うか、こう、ピンと来たんですよ(笑)。

―― その帰国直後のインタビューを拝読しましたが「中国はとても若い国だと感じた」とおっしゃっていましたね。

岡田 そうなんです。高度成長期の日本を知っている年代の方から、今の中国には、ちょうどその頃と同じような勢いがあると聞きました。僕は当時の日本は知らないので、一昨年の北京の空気に「そうか、昔の日本はこんな若々しい感じだったんだ」と逆に思ったんですけど。この時に感じたことが『三月の5日間』を中国でやりたいと思ったほぼ直接の理由で、制作とも「ここで上演したいね」と話をしたんです。それが『三月の5日間』について改めて考えるきっかけになった。

── そこから、新しい気持ちでこの作品に取り組み直したいというモチベーションが生まれたのでしょうか?

岡田 それは大いにあります。と同時に、それとは別に若い俳優と出会いたいという気持ちを以前から持っていたんです。というのは、チェルフィッチュの活動の仕方が、日本の演劇界の一般的なやり方と少しズレがあり、僕らにとってはちょっとやっかいな問題になっていて。

── というのは?

岡田 つまり、チェルフィッチュに俳優として参加してもらうと、海外での活動時間が長くなる。僕らとしては、それをプラスの方向で──良い経験になるとか、楽しいなとか──感じてもらえたらいいと思っているんですけど、その分、日本での露出やオーディションのチャンスを諦めることになって、それを自分の人生のトータルで考えて、マイナスだと受け取る人もいるわけですよ。この問題はわりとずっと抱えていて、だったら、日本の演劇の一般的な状況みたいなものに馴染む前に、僕らのやり方を経験してもらうのがいいんじゃないかと考えるようになりました。

―― ひよこが最初に目にしたものを親だと思い込むプリンティングみたいに(笑)。

岡田 そうそう、「こっちがスタンダード」とプリンティングすればいいんじゃないかと(笑)。だって僕らは、自分たちの活動の仕方を、とても意味がある良いものだと信じているから、同じように思ってくれる人を増やしていきたいわけです。そのためには若い人たちにアプローチするのがとても重要で、『三月の5日間』という演目は、たまたまですけど、それをやるには合っていそうだというのもありました。


『三月の5日間』で青春を終わりにした

―― 岡田さんにとってこの作品は、内容が20代前半の若者の生態であること、30代前半に書いたということだけでなく、キャリアの出発点という意味でも“若い作品”ですよね。

岡田 そう認識しています。

―― このインタビューのために久しぶりに戯曲を読み返したら、とても新鮮でした。最近の岡田さんの作品のつくり方は引き算だと思うんですが、『三月の5日間』は、かなり整理されているものの、ずいぶん多くのものが詰め込まれていたんだと感じました。それは、人称の移行といったスタイルの新しさや、世界の不均衡というテーマとは別に、もっと根源的な、作家の「自分はここにいる」という世界に向けての表明なんですけど。

岡田 今の自分と、『三月の5日間』を書いていた時の自分には、かなりの距離を感じます。それは、年を取ったということだけではないと思うんですよね。『三月の5日間』によって僕は境遇がガラッと変わった。その前にいた場所を今いる場所と比較すると、その距離は遥かに遠い。
このプロダクションの立ち上げに、豊橋(穂の国とよはし芸術劇場)でレジデンスリハーサルをしたんです。その初日、所信表明的な話をちょっとしたんですが、そこで僕は「自分が今、『三月の5日間』をやるのは賢明なことじゃないんだ」と言ったんですね。というのは、この作品の初演は、僕もそうだし役者もみんな、世の中からすれば「お前、誰だよ」的な、そのへんの馬の骨が集まってつくったんだと。そういうもののほうが良いに決まっているじゃないですか、逆に。

―― 前情報が無い分、インパクトがあるし、比較の対象もない。

岡田 それが今回の役者は、300弱の応募があった中からオーディションで選んでいるわけですからね。
でも僕の話を聞いていた太田(信吾)くん──『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』に出ていた役者で、映画監督でもあって、このプロダクションをずっと撮影しているんですが──に言われたんです。「岡田さん、当時の役者たちが馬の骨で、今は違うみたいに言ってましたけど、今回の彼らだって相当若いし、まだ無名だし、一緒なんじゃないですか」って。そう指摘されて、ああ、確かにそうだなと思って気が付いたのは、所信表明の時に僕が1番問題視していたのは、僕自身のことだったんですね。
つまり、近くにいる知り合いに声をかける以外の方法がなかったあの頃と、「こういう公演やります」と言ったら300人近く応募が来て、書類の段階でたくさんの人を落とさなきゃいけない今回は、やっぱりクリエーションの成立として全然違う。それを自分は不利だと感じていたわけです。で、何が言いたいかというと、やっぱりそのことが僕の中では、ものすごく大きいってことですね。

――  若さの話で言うと、『三月の5日間』の単行本の帯に岩松了さんが「ここに書かれていることは青春の全てだ」という一文を寄せられていて、出版当時、実は私はあまりピンと来ていなかったんです。それが読み返してみたら、まさに「青春しか書かれていない!」と驚きました。岡田さんが中国を若いと感じてこの作品を上演したいと反応したのは、そこなのかもしれないと、今、思いました。

岡田 ああ、そうかもですね。この作品が自分にとって大きなターニングポイントになったことによって、その後の自分がどう変化したかを、ディレクションされていて、そのひとつが若いということで。
でもそれは同時に、いつまでも若くないということだったんです。『三月の5日間』は、物理的にそうですけど、積極的にというか意識的にというか“若さから離れていく”みたいなことをやった気もします。

―― ビフォー&アフターがあると思うんです、日本の現代演劇史で『三月の5日間』以前、以降という。岡田さんご自身にも、この戯曲のビフォー&アフターがあって、精神的にも立場的にも、青春が終わったのかもしれないですね。

岡田 終わったと思いますよ、確かに。


「野心」と問われてキョトンとしない人たち

―― さて、リクリエーション版の出演者は物理的に若いわけですが、この年齢設定はどんな理由で決めたんでしょう?

岡田 とにかく思い切ったことをしたかった。だから最初は僕、22歳までとか言っていました。でもスタッフから「もう少し上でもいいんじゃないか」という意見が出て「じゃあ23」「いや、25」って、バザールのやり取りみたいな感じで決まっていきました(笑)。

―― 松井周さんとの対談 で「選んだ7人がすごくおもしろい」とおっしゃっていましたが、どんなふうに選んでいったのか教えてください。

岡田 何段階か踏んだんですけど、1番最初は書類、次に面接で、野心について聞きました。野心があるか、あるとしたらどういう野心かというのを。

── 野心?

岡田 さっきも話したように、チェルフィッチュには他のカンパニーとは違う活動の仕方があって、僕自身はそれによってとても多くの経験をして、それを糧に創作が続けてこられたと心から感じている。そしてそういう機会を若い人に提供したい気持ちがあり、できればその機会を、大きな結果につなげられる人を選びたいと思ったんです。
もちろん『三月の5日間』の出演者だから、良い役者であることは外せませんよ。でも、何なら将来的には演劇を辞めてもいいんです。ただしこのプロジェクトに関わって得る経験が、その人にとって糧になり、それができるだけ大きいものになるといい。平たく言えば、何かデカいことをやってほしいという気持ちで聞きました。その後は台本をちょっと読んでもらったり、技術的なワークショップをやって決めました。

―― 直接、「野心」という言葉を使われたんですか?

岡田 ええ、もう一生分ぐらいの「野心」という言葉をその3日間で使いました(笑)。

―― 最近はあまり使われない、特にオーディションの対象である若い世代は触れる機会の少なかった単語だと思いますが、つまり今回は「野心は?」と問われてキョトンとしない人たちが選ばれたということですね?

岡田 でもまあ、「野心」という言葉は、わりと人をキョトンとさせますよね(笑)。でも「え!? そんなこと考えたこともなかったです」みたいな人は残っていません。

―― 出演者7人の男女比がオリジナルと逆転した(男性5:女性2だったのが女性5:男性2になった)のは結果的に?

岡田 意図はしていませんでした。でも、オリジナルの性別に固執する必要はないとも思っていました。と言いつつ、ジェンダーは戯曲通りに固定されたキャスティングになりましたけどね、もっとバラバラでいいじゃんと思っていたんですけど。でもオーディションを経て、この7人にしようと決めた時、僕はとても良いメンバーになったと思ったし、リハーサルを重ねている今もそう感じています。

―― どんなふうに良いのか教えてください。

岡田 言うまでもありませんけど、若さをエクスキューズにするのは良くないわけです。「若いパワーで」とか、だいたい何かのエクスキューズで使われる表現でしょ? そうなったらいかんなと思っていたんですけど、まず、みんな上手い。技術的な上っ面の意味ではもちろんなくて、立っていてちゃんとプレゼンスがある。舞台に立つことで、自分が何をやるべきか、何を出すべきかわかっている。わかってないかもしれないけど、できている。……いや、たぶんわかっているな。僕が何か言った時に、それをできるってことは、わかっているってことなんですよ。シンプルに言うと、役者としておもしろい。7人とも、ずっと観ていたくなる。それはすごく大事なことでしょ?


2004年の若者、2017年の若者

―― オーディションや稽古を通して、今の20代前半の人たちに対する印象が変わったりしていますか?

岡田 僕にとって、クリエーションのプロセスを踏んでいくことはいつもそうなんですけど、相手が個人になっていくことなんですね。つまり“20代の若者”みたいなかたまりから、ひとりひとり特定の人間になっていく。それはミュンヘンで仕事をしても同じで“ドイツの役者さん”から、それぞれ固有名詞の存在になっていく。だからリハーサルが進んでいる今の状況は「20代の若者に対しての印象が変わりましたか?」みたいな質問から、どんどん離れていくことなんです。だから答えは「僕はこの7人についてしか知りません」となる。

―― 岡田さんは10年前に桜美林大学で、学生と『ゴーストユース』という作品をつくられましたよね。その時との違いを感じているかに興味があったのですが。

岡田 もちろん僕も時々、心の中で比較しますよ、『ゴーストユース』と今回を。でも、まず違うのは僕なんです。あの時も学生とひと回り以上は年齢が離れていましたけど、今は、なんなら僕と役者たちより、僕の子どもと彼らの年齢のほうが近いぐらいで、条件が全然違うんですよね。
まあ、思い出すとあの時の僕は、ずっと怒っていた気がします。特に男に、「お前らいい加減にしろ!」とか(笑)。

―― 熱血演出家?

岡田 場所が大学だったこともあって、教育ということを考えていた気がします。「だってお前ら、これから大学出て役者になりたいとか思ってるわけだろ? それなのにこんなんじゃダメだろ」と思って、それをほとんどストレートに出していたわけです、特に男に(笑)。

―― 今は穏やかに向き合っている。

岡田 だって、今一緒にやっている役者たちにはすごく力があるから、怒る必要がない。

―― 青柳いづみさんにインタビュー した時、「岡田さんは昔、とても細かかったし厳しかった」とおっしゃっていて、それは青柳さんの実力が上がったからと考えることもできるわけですけど、やっぱり岡田さんの変化もあるんですね。

岡田 確かにあまり厳しくは言わなくなってきていますね、青柳さんに限らず、全体的に。ただ、それまで思ってもいなかったことがある時から突然気になり出すことはあります。今回もそれなりにステージ数を重ねる予定ですから、もしかしたら……。

── 急に厳しくなることもあるかもしれないと(笑)。作品の話に戻りますが、リクリエーションにあたって戯曲の細かい部分に少し手を入れたと聞いています。大きな要因はもちろん新しい俳優だと思いますが、それ以外にもきっと理由はありますよね?

岡田 その理由がまだ自分ではよくわからないんです。役者に戯曲を読んでもらって、ここはこうしたいと感じたところを書き直しているんですけど、それは何が基準になっているか、まだうまく答えられません。
今の僕と『三月の5日間』を書いていた時の僕では、もう他人だとまでは言いませんけど、体質のようなものが本当に変わっている。ただ、この戯曲をやろうと思った時点で、書いた当時のことを尊重しようと決めたんです。当時の文体と、文体がもたらす感覚を守らないと、これをやる意味がなくなってしまうので。だからそれを守ったうえで、今の自分の感覚でどうしても気になるところは直していったということですね。
いろんな要因はあると思います。おっしゃるように役者もそうだろうし、ジェンダーもあるかもしれないし、時間が経ったこともある。初演は2003年の話を2004年にしていますから、ほぼ昔の話だと思って書いていないわけですよね。そこはしっかり意識しようと思って、リハーサルの時に「時代劇」という言葉を使ったんですけど。

―― たとえばイラク戦争への距離感は、今回の出演者と初演の俳優では全く違いますよね。そこはどんなふうに対応されたんですか?

岡田 それなりに時間をかけて話をしました。中には「6歳でした」という役者もいたり、大きな違いは、とにかく社会科の教科書で知った出来事なんですよ。僕らは載ってなかったじゃないですか、当たり前ですけど(笑)。9.11でさえそうなんです。
ただ、それをどれだけ意識するかは考えました。というのは、確かにこれはイラク戦争の話ですけど、それに限定される必要は全くなくて、たとえば2011年に上演した時には東日本大震災の話になっていたし、そもそも、その時々で「この上演によってあなたは何を考えますか」というのが演劇ですから。それは僕自身、頭で理解していたし、文章に書いてもきましたけど、実際にこうしてイラク戦争を知らない若い人たちとのクリエーションしてみて、やはりそこに気を取られ過ぎる必要はないことがわかりました。とりあえずここまでのプロセスでは、その程度の距離で進んでいます。

―― もうひとつ、俗っぽい若者の生態の比較で恐縮ですけど、2000年代初頭と現在では、特に恋愛と性に対する意識が変わったとされていますよね。「草食男子」という言葉が出てきたのは『三月の5日間』が書かれたあとです。ラブホテルで5日間ずっとセックスして過ごすというメンタル、皮膚感覚の理解はどうですか?

岡田 えっとね、特に問題は感じていないです。「セックスとかしてるの?」と聞こうとも思っていないですし(笑)。

―― それこそセクハラになってしまいますね(笑)。では、そこは時代劇ではない。

岡田 うん、そうですね……。いや、でもほら歌舞伎で、自分のボスの子どもの代わりに自分の子どもを殺すという話がありますけど、今の歌舞伎役者さんが共感やリアリティをもってやっているわけじゃないでしょ?

―― 首実検ですね。

岡田 だからそれは演劇として普通ですよ。それに今回の役者は「読んでてグッと来ます」みたいなことを言ってくれたりもしますよ。

―― 単純に、岡田さんがとても楽しそうです。

岡田 楽しいです。若い人たちとやるってことが、そうじゃない場合と比べて、いい意味で思ったほど違いがないんです。

―― 今後の展開として、海外の若い俳優で『三月の5日間』上演の可能性もありますよね?

岡田 もちろんあります、具体的な話はまだないですけれども。

―― 今回の企画へと岡田さんを突き動かした、中国での公演は?

岡田 やれたらいいなと考えています。

―― チェルフィッチュのやり方を肯定的に捉える俳優を増やすプロジェクトは、別の作品でも続いていくんでしょうか?

岡田 どうでしょうね。僕は続けていきたいと思っていますけど。

── 最後に、『三月の5日間』の初演は身体的な動き、話している内容と一見無関係な身振りが衝撃をもって受け入れられましたが、今回その演出は?

岡田 あると思います。でもどうなるかな。そこも、削ぎ落とす方向でと強く思っているわけではないんです。これもさっきの言い方の使い回しですけど、自分の体質がすごく変わってるので、それをどうしていくかですね、
ちょっと話題をすり変えちゃいますけど、ひとつ決定的な違いとして、これ、初演の時は劇場でやるとは思わずにつくっているんですよ。

―― あ、そうだったんですか。

岡田 本当の初演は、一応、スフィアメックス(東京・天王洲にあった。現在は閉館している)という劇場ではあったんですけど、いわゆるエンドステージでもやってなくてスタジオみたいな場所でしたし、再演の時はスーパー・デラックス(東京・六本木)と、いわゆる劇場じゃない場所でやろうと思ってつくった作品なんです。でも今回は劇場でやることを強く意識していて、それによってこの作品の新しいポテンシャルを見つけられた。で、そのことを観客に体験してもらうことが、すごく大事だと僕は今、思っています。それが最優先なので、役者の体の動きは、それをより促進してくれるなら使いますけど、動きだけが際立って見えるようなことは望んではいない。これからのクリエーションが進み、役者の体の動きも決まってくるんだと思います。

―― 期待が高まるお話をありがとうございます。公演、楽しみにしています。


【取材・文】徳永京子

【公演情報】
チェルフィッチュ『三月の5日間』リクリエーション
作・演出:岡田利規
出演:朝倉千恵子、石倉来輝、板橋優里、渋谷采郁、中間アヤカ、米川幸リオン、渡邊まな実

■日程:2017/12/1(金)~12/20(水)
■会場:神奈川・KAAT 神奈川芸術劇場 大スタジオ
■料金:(全席自由席・整理番号付・税込)
一般:3500円、当日一般:4000円、U24(24歳以下):1750円、高校生以下:1000円

チェルフィッチュ

岡田利規が全作品の脚本と演出を務める演劇カンパニーとして97年に設立。独特な言葉と身体の関係性を用いた手法が評価され、現代を代表する演劇カンパニーとして国内外で高い注目を集める。05年『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。07年クンステン・フェスティバル・デザール2007(ブリュッセル/ベルギー)にて初の国外進出を果たして以降、世界70都市で上演。近年では、ヨーロッパを代表するフェスティバルの委嘱により作品を制作、発表している。主宰・岡田は、07年デビュー小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を新潮社より発表し、翌年第二回大江健三郎賞受賞するなど小説家としても活動している。また、16年よりドイツ有数の公立劇場ミュンヘン・カンマーシュピーレのレパートリー作品の演出を3シーズンにわたって務めた。 ★公式サイトはこちら★