演劇最強論-ing

徳永京子&藤原ちから×ローソンチケットがお届けする小劇場応援サイト

プレイバック2016年

マンスリー・プレイバック

2017.01.27


▼2016年ベスト10+α

【藤原ちからのベスト10+α】
◇岡崎藝術座『イスラ!イスラ!イスラ!』
◇マーク・テ『Baling(バリン)』
◇地点『スポーツ劇』
◇チェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』
◇ドキドキぼーいず『じゅんすいなカタチ』『僻地まで』
◇贅沢貧乏「家プロジェクト」
◇木ノ下歌舞伎『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』『勧進帳』
◇ホエイ『麦とクシャミ』
◇松根充和『踊れ、入国したければ!』
◇ディレクターグ42『女優の魂』『続・女優の魂』
◇dracom『今日(こんにち)の判定」『ソコナイ図』
◇藤田貴大(上演台本・演出)『ロミオとジュリエット』
◇Q 『毛美子不毛話』
◇松井周(脚本)・杉原邦生(演出・美術)『ルーツ』
◇東京デスロック『亡国の三人姉妹』
◇ハイバイ『ワレワレのモロモロ 東京編』



【徳永京子のベスト10+α】
◇シスカンパニー『アルカディア』 
◇コトリ会議『あたたたかな北上』 
◇MCR『逆光、影見えず』
◇演劇系大学共同制作公演『昔々日本』
◇シーエイティプロデュース『クレシダ』 
◇カンマーシュピーレ版『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』
◇モダンスイマーズ『嗚呼、いまだから愛』
◇いわき総合高校+危口統之『はだかのオオカミ』
◇シアターコクーン・オンレパートリー2016『シブヤから遠く離れて』
◇束芋×森下真樹 映像芝居『錆からでた実』
── ── ── ── ── ── ── 
◇ミクニヤナイハラプロジェクト『東京ノート』 
◇ロロ いつ高シリーズvol.2『校舎、ナイトクルージング』
◇ハイバイ『夫婦』
◇世田谷パブリックシアター『同じ夢』 
◇世田谷パブリックシアター+KERA・MAP#007 『キネマと恋人』
◇シアターコクーン・オンレパートリー2016『るつぼ』
◇シアタークリエ ミュージカル『ジャージー・ボーイズ』



藤原 明けましておめでとうございます。さて、まず「ベスト10」を出してみたんですが、全然「10」になってねえじゃんよ、な状況で「+α」と付けました……。でも、これ以上切りたくない、という気持ちがなぜか強くあります今回は。

徳永 おめでとうございます。私は一応、ベスト10は出して、並び順がほぼ順位です。その下に列記したのは、名前を挙げないのが忍びない7本で、やはり「+α」になりました。藤原さんは同じ劇団(dracom、木ノ下歌舞伎、ドキドキぼーいず)の作品を複数入れていますね。「切りたくない」というのは作品を単体で考えず、もう少し長いレンジで捉えたいということでしょうか。

藤原 そうですね。僕は2016年は半分近く海外にいたせいで、例えばロロや山本卓卓(範宙遊泳)さんの新作も観られていない。だから「今、これが日本の現代演劇の決定版です!」という言い方も出来なくて。それに、個別の作品の話はもちろん大事なんだけど、もっと広い視野で日本の現代演劇を捉えてみたいという欲望が強いのかもしれません。で、徳永さんの「ベスト10+α」は……?

徳永 今回、去年観た約260本の舞台に☆☆☆、☆☆、☆と星付けしてみたんですね。ベスト10+αは星3つと2つのもの。ちなみにひとつ星は30本ぐらいありました。『アルカディア』や『クレシダ』、『シブヤから遠く離れて』など、世に言うプロデュース公演と小劇場、演大連やいわき総合高校という教育機関が混じっていますが、自分が揺さぶられた震度の大きさで、劇場の大きさなどは区別していません。
 コトリ会議の『あたたたかな北上』は 藤原さんも観ました よね。あれは私、衝撃でした。

藤原 大阪の劇団ですよね。

徳永 例えば岸田國士戯曲賞のノミネートで地方在住の劇作家さんを知ったり、それ以前にクチコミでおもしろい劇団の噂が聞こえてくるじゃないですか。でも、劇団名も劇作家名もまったくの初耳で、しかもそれなりの年月を活動していて……。内容の素晴らしさと、それに反比例する知名度の低さ、両方驚きました。

藤原 例えば京都のドキドキぼーいずにしても、僕は3月に初めてせんがわ劇場で観たんですけど、あんまりツイッターの評判は芳しくなくて、でも実際に観てみたらかなり衝撃を受けたわけです。その理由は プレイバック で話したので繰り返しませんが、言い方はアレですけど、もうちょっとまともに評価することが世に働いてもいいんじゃないかとは正直思いますね。関西だけじゃなく東京に関しても不満です。遠くにいると、「今、東京の演劇はここがヤバい!」みたいな、熱のある批評をやっぱり読みたいんです。でもツイッターとか見てても個別の作品単位の方法論の話に寄り過ぎてる感じがしていて。ひとつひとつの作品を丁寧に観て語ることは大切だけど、その話が通じる圏内はどこまでかな、と考えざるをえないんですね、東京の外にいると。もっとダイナミックに、今なぜこの作家やカンパニーが現れて、彼らは何をしようとしていて、そのことがどのように今の東京なり日本なり世界なりにインパクトを与えていきうるのか……みたいな言説が現れることを期待してるんですけど。そして特に若手の作品に対しては、もっと若い書き手が、冷静に、でもインパクトのある言説を紡いでいくことも必要じゃないでしょうか。
 ところで、徳永さんの星3つの、プロデュース公演系で揺さぶられた理由をお聞きしたいです。

徳永 それぞれありますけど、全部話すスペースはないので、去年の私のベスト1、『アルカディア』についてお話しますね。戯曲はトム・ストッパードというまだ存命のイギリス人作家が書いたせりふ劇です。ストッパードは、膨大な知識と緻密な取材に加えて、言葉遊びあり、テーマは非常に哲学的で、英語圏の人からも難解と言われているんですけど、日本でも人気はあって過去に何作か上演されています。『アルカディア』は19世紀のイギリスの貴族と、約200年後、つまり現代のふたつの時代を行き来して、同じ屋敷に住む人とそこを訪れる人たちの話です。詩、数学、建築、不倫、初恋、ジャーナリズムなどモチーフはてんこ盛りなんですが、会話のテンポがよく、ユーモアもブラックユーモアもあって風通しがいい。そして時代が交互に行き来する度、ノートパソコンが19世紀のシーンに残ったりと、ふたつの時代が混じり合っていきます。それが19世紀に生きていた15歳の天才少女が見つけた物理学の真理と相似形をなしている。そういった、劇作家が仕掛けたさまざまな相似形やメタファーを、演出の栗山民也さんは理解していて、舞台上の運動にしているんですよ。たとえば15歳の天才少女は、母親の不倫相手である自分の家庭教師に恋をしていて、せがんでワルツを踊ってもらうんですが、他のシーンの会話でひとつの質問に対して3人がテンポよく答えて三拍子のリズムをつくったり、行き来する時代の双方向性、おそらく200年生きている亀の歩みという一方向など、いくつもの運動が舞台上に描かれていた。シアターコクーンで観たんですけど、仕掛けられたいくつもの美しい「運動」が舞台上に見えてきて、とても美しかった。難解だという感想をよく聞いたし、確かにそういう面はあるんですけど、目で捉えたものが戯曲を解いていく快感がありました。

藤原 今、「運動」ということを想像しながら聞いていたんですけど。やっぱりそれって、大きい劇場の方が、見えてくるものだったりしますよね?

徳永 そうですね。

藤原 そこは僕も気になるところで。どうしても劇場のサイズと運動性って関係してきますよね。単純に可動域も違うわけですし。

徳永 そうそう。すべての演出家が大きい劇場でやれた方が良いとは私は考えていません。ただ、大きい空間も演出できるほうがいいとは思う。大きい劇場は大きいことを伝えるのに有効だし、一度に多くの観客の反応が得られる快感は知っておいて損はない。批評家も観客も、広い劇場の広い舞台でしか得られない快感を経験してほしいと思っています。


▼ トピック(1) ニューカマーの台頭

藤原 いったん、トピックを出してみます?
徳永 そうですね。


【藤原ちからのトピック2016】
◇「アメーバ化」(by徳永京子)新世代の台頭、東京再活性化の動きと、脱東京中心主義との、二極化/並立相変わらずの批評の足りなさをどう捉えるか?



【徳永京子のトピック2016】
◇蜷川幸雄、松本雄吉、平幹二朗逝去
◇フェスティバル勢力図の変化(F/Tに加え、KEXのプレゼンス上昇、TPAMの充実)
 とはいえ、どのフェスティバルもコラボ相手はほぼアジアという限定的状況
◇戯曲賞勢力図の変化(岸田に加え、愛知のAAF、せんだい戯曲賞が急速な注目度上昇)
◇岡田利規、ドイツの公立劇場から3年連続の作品委嘱とドイツの大学でシンポジウム開催で、ヨーロッパでさらなる高い評価
◇黒田育世、山田うんがシアターコクーンで見せた “蜷川亡きあと”の大空間演出の可能性
◇他ジャンルとのコラボのさらなる加速と深化(マームと大森伃佑子、ロロとEMCなど)
◇飴屋法水の万能薬的な人気(本谷有希子演劇カムバックのサポート、シアターコクーン串田和美作品でのストレンジャーとしての活躍など)
◇劇作家のニューカマー=超ストイックディスコミュニケーション型現代口語戯曲の台頭(ヌトミック・額田大志、新聞家・村社祐太郎、犬飼企画・犬飼勝哉、三野新ら)の台頭と、オールドカマー劇作家=岡田利規とほぼ同年代でアンチ現代口語劇作家たち(福原充則、櫻井智也、田村孝裕ら)の仕事の充実。
◇舞台と映像、ダンスと演劇、プロデュース公演と小劇場、日本と海外を駆け巡り、境界線を溶かす活躍をする森山未來(エラ・ホチルド、岡田利規、岩井秀人らとのコラボ、ジャンルの横断)
◇映画界から演劇界への注目(三浦大輔、江本純子、山内ケンジ、赤堀雅秋)。数年前までの文学界から演劇の注目に似ている?
◇女性劇作家の活躍。社会派(長田育恵、瀬戸山美咲、詩森ろばら)の演劇賞受賞。小川絵梨子の新国立劇場芸術監督就任。Q復活。自問自答をドキュメントする作家として各地の演劇祭やアートフェスで作品をつくる西尾佳織。無隣館などから20代の女性劇作家、演出家台頭の予感。



徳永 藤原さんの最後の批評家不足に関してですけど、さっきの「Twitterで見かけるのがスタイルのことばかりで」というのは、新聞家とかヌトミックとか三野新さんたちのこと?

藤原 いや、僕が指摘したのは対象というよりは批評する側の話で、ダイナミックな批評を読みたいということでした。それらの劇団に対する徳永さんの話をぜひ聞きたいです。これですね、「ニューカマー=超ストイックディスコミュニケーション型現代口語戯曲」。すごいネーミング(笑)。

徳永 暫定的にこう呼んでいるんですけど(笑)。さっき名前を挙げた人たち、悪口じゃなくて似ているんですよ。複数の登場人物がいても、ほぼ視線を交わさず、交互に淡々とモノローグを言っていく。その「視線を交わさない」ことに、例えば嫌悪のような感情や、時間軸や空間が違うという意味はない。チェルフィッチュのように主語が移動したりもしない。そういう戯曲がこれだけ2016年に目立ったことにはきっと意味があるだろうなと思っていて。ただ、藤原さんが日本にいなかっただけじゃなくて、この人たちの公演は期間がとても短いし会場もすごく小さいから、なかなか観られないのも確かで。それと関係して思うのは、完全にSNS型の劇団が出てきたなと。観ている人が非常に少ないにも関わらず満席になり、それによって名前が先行して広まっていく。動員と知名度のバランスが、少し前とまったく違いますね。


▼トピック(2) オールドカマーの「中堅クライシス」からの脱出

徳永 その動きと並行して言いたいのが、オールドカマーたち──この呼び方も失礼かもしれませんが暫定的に──の仕事の充実です。ニューカマーは明らかに岡田利規さんの子供たちですけど、岡田さんの登場はやはり日本の演劇史のエポックで、現代口語を大きく更新しただけでなく、ストレートなせりふ劇を相対的に古いものにしてしまった。岡田さんと同年代、あるいは下の世代で、批評や観客から置いてけぼりを食った人はすごく多いんですよ。それについては「中堅クライシス」で取材していきたいと思っていて、第1回に登場してくれた 赤堀雅秋さん もオールドカマーですけど、赤堀さんや蓬莱竜太さんはいくつかの巡り合わせで岸田國士戯曲賞を受賞された。かたやこの10年間、置いてけぼり感に苦しんだ人たちも多いと思うんですね、特に社会派の作品をつくらなかった人たちは。社会派の作品は評価の俎上に乗りやすいですから。そうではないオールドカマーの人たちは、自分たちが一生懸命、劇団費を集めて民間の劇場を借りて公演を打っている間に、助成金の申請を書くのが上手い若い劇団がどんどん出て来て、賞を獲ったりマスコミに採り上げられている。演劇をやることの自意識との葛藤、劇団の継続という壁、自分のやりたいことは何だという問い直しを繰り返して、その中で活動してきた人たちが揃って良い作品をつくったのが今年だったという印象が、すごくあるんです。

藤原 福原さんはどちらかと言うと攻めの演出をする印象があるんですけど、今の話で言うと、わりとオーソドックスな戯曲で良いものを書かれたということですか。

徳永 そうです。演出的な仕掛けや戯曲の最初の設定はトリッキーだったりしますけど、戯曲の基本はストレートな人間ドラマですから。

藤原 なるほど、これは純粋に質問ですが、「中堅クライシス」の後に今後の展望みたいなところはありそうですか?

徳永 だから岸田賞を、トピックで名前を挙げた福原さん、櫻井さん、田村さんになるべく早く獲ってほしいとすごく思っています。やっぱり新しい人たちは出て来るし、AAFにしてもせんだいにしても、戯曲賞というのは新人向けが多いですから、ポスト現代口語は注目される機会も多い。スタンダードな上手さが評価される可能性が高いのも、今後の活動のための通行手形としても、やっぱり岸田賞が一番だと思うんですよね。

藤原 その通行手形を得たとして、彼らが、世の中にどういうインパクトとか意義を、今後与えていく、という展望はありますか? というのも僕は演劇を観始めたのも初期のポツドールや地点以降だし、仕事として関わるようになったのは完全にチェルフィッチュ以降になっちゃうので。もちろん別に新しい表現だけが良いなんて簡単には思ってなくて、脈々と継がれてきた演劇史への敬意は持っていたいと思いますが、でもじゃあチェルフィッチュ以前とされる人たちが、どういうふうに今後の日本なり世界なりで活動し活躍していくのか、っていうイメージが持てなくて。

徳永 世界での活躍は、ゼロではないけどあまりないと思います。TPAMで上演したとして売れないですよ、構造に目新しさはないですから。でも国内では、シンプルに良いせりふが書かれた戯曲が再評価される可能性はまだまだあります。イェリネクのあとも新しい文体を持ち込んだ人ばかりがノーベル文学賞を受賞しているかというと違う。大衆に広く支持されているボブ・ディランが獲っている現実もありますから(笑)。


▼トピック(3) 大劇場の演出の担い手

藤原 とはいえ、それこそ「ポストドラマ」とか言われて久しいわけですが、テレビとか映画とかも含めて、2016年でいうと『逃げ恥』とか『シン・ゴジラ』とか、語り口自体が変わってきているんじゃないでしょうか。僕は古い映画を観るのは大好きですけど、もう「かったるい」語り口のドラマに自分が戻るのは難しい気がしているんです。徳永さんは手広いな、と正直思いますね。僕はもうそんなに手広くはやれないなと。

徳永 手広くやってる自覚はないです。守備範囲は以前から変わらない。それから私が去年のトピックとして評価しているオールドカマーの皆さんは、決してかったるい語り口ではありません。

藤原 だから元々が広いんでしょうけど、相当、引き裂かれるものもあるんじゃないかなと勝手ながら思ったりしました。なぜなら、僕のほうのトピックで最初に挙げている「アメーバ化」は、この夏に北京・上海でご一緒した時にまさに徳永さんが提唱された概念なわけですよ。要するに旧来の演劇業界のシステムや価値観をピラミッド型だとするなら、「アメーバ化」はもっと軽量化していて機動力があり、生活ともすごく接近していて、他ジャンルも含めていろんなところと結びついて侵入していく……そんなイメージですよね。
 一方で、この「アメーバ化」は「大劇場を演出する」のとは対極にあるようにも思うんですね。これを両方やるのは大変だぞと。だたマームとジプシーの藤田貴大さんが演出した『ロミオとジュリエット』を観て、彼らはもしかしたらその両方をやれるのかもしれないと思った。でもこれをマーム以外の誰が出来るのかと思った時に、僕の結論は、「出来ない」という。

徳永 いや、木ノ下歌舞伎はすぐにでもコクーンで出来ますよ。

藤原 あ。それを言われると。なるほど。キノカブは出来ますね。

徳永 松竹の歌舞伎で仕事をするようになった杉原邦生さんも大劇場は見据えているでしょうし、範宙遊泳の山本卓卓さんも贅沢貧乏の山田由梨さんも、当然のように「いずれ大きい劇場でやりたい」とおっしゃっていました。快快の野上絹代さんが一昨年、演大連の公演で野田秀樹さんの『カノン』を演出されましたが、その時も握力の強い演出力を感じました。この間、佐々木敦さんと「悲劇喜劇」(2017年2月号)で対談した際、佐々木さんは多田淳之介さんの名前を挙げていらっしゃいましたけど。
 アメーバ的に土地や観客の生活に細かく分け入ることと、大きな劇場で上演することが矛盾せずできる人たちはゼロではないし、私は増えていくんじゃないかと思っています。で、私も引き裂かれてはいないんです。
 それとトピックにも挙げましたが、コクーンで黒田育世さんが『るつぼ』、山田うんさんが『メトロポリス』に振付で参加されて、どちらもすごくいいお仕事をされていたんです。空間にごく自然な、あるいは、躍動的なグルーヴを生み出して、空間の隙間を埋めたり緊張感を生み出していて、私は客席で「ああ、蜷川さんがいなくなったあとは、こうして演出家と振付家が力を合わせていく方法もあるんだな」と思いました。時には他のジャンルの人とコラボしながら。

藤原 マームもずっと異ジャンルの人たちとコラボレーションしてきたわけですしね。

徳永 11月の『ロミオとジュリエット』も余裕で芸劇のプレイハウスを使いこなしていましたよね。藤田さんはプレイハウスは2回目で、1回目に悔しい思いや反省点があったんでしょうけど、同じ失敗は繰り返さず、軽々とやっているように見えました。

藤原 確かに、演出家の空間の使い方には、僕も興味あります。以前のいわゆる「劇場すごろく」みたいに、とにかく大きいところ行きたいっていう種類の欲望はもうないにしても、演出家の持っているポテンシャルを発揮するためには、やっぱり小さい劇場だけでは満たされないということもあるでしょうね。


▼トピック(4) モビリティの向上にともなう批評の不足

藤原 逆の、「アメーバ化」の話にも踏み込みたいんですけど、特にその特徴といえるモビリティ(移動性)ですね。これは2016年に刊行された内野儀さんの『「J演劇」の場所 トランスナショナルな移動性へ』という本でも鍵概念になっていますけど、作家や制作者のモビリティがだいぶ上がったという印象があります。僕自身のモビリティも含めて。この動きは、とりあえず東京オリンピックのある2020年までは続くでしょう。今、範宙遊泳もインドに2ヵ月滞在していますけど、そういう移動が、ごくごく平然と行われるようになってきた。ただそうなってくると、東京にいなくなるわけじゃないですか、レジデンスするっていうことは。

徳永 ああ、つくり手があちこちに散らばる。

藤原 はい。で、例えばままごとの柴幸男さんたちが小豆島に滞在する時間が長かったり、東京デスロックの多田淳之介さんも常に国内外のどこかに行ってたり。そうした時に、数年前よりも、「脱東京中心主義」がごく当たり前のことになってきたと感じるんですね。そしてそこにKYOTO EXPERIMENTや愛知のAAF戯曲賞のプレゼンスが上がってくるっていう、制度側・機構側の変化もある。城崎国際アートセンターみたいなアーティスト・イン・レジデンスの場所も機能している。そうやってアーティストたちが散らばる……となった時に、まずはそれらの分散し多様化する活動をどう追っていくかっていうジャーナリスト・批評家側の問題がひとつありますよね。
 もうひとつは、東京が空洞化するという問題。再活性化させようっていう動きもあるはある。桜井圭介さんのSNACあらためSCOOLとか、相馬千秋さんらの芸術公社の一連の動きもそうかもしれない。贅沢貧乏の「家プロジェクト」も結果的にはそうなっているでしょう。その東京再起動がたぶん今、過渡期なので、2020年までどう続いていくか。でも自分はどこにいてそれを観察するのかな……とも思いますね。

徳永 私のことを「手広い」と言う藤原さんこそ、その意味では手広いですよ。

藤原 もはやスーツケース1個で生きていくのもアリかと考えたり……。でも東京を定点観測で見る人が必要だとは思うんです。これもまた批評の足りなさって問題になりますけど、これからはいわゆる批評家が誕生するというより、キュレーターとかドラマトゥルクみたいに現場にも入っていく人が、時々、劇評も書く、みたいになっていくのかなあと予感してます。例えば徳永さんみたいに、フリーでジャーナリストとして原稿書いて食べていくのはシステム的にも難しいじゃないですか、これから。

徳永 ほんとに大変じゃよ(笑)。

藤原 もちろんね。大変じゃよね。だからもう今までのような批評家やジャーナリストは現れないのかもしれないけど、東京を見ることのできる観察者や書き手がどう育っていくのかは気になります。

徳永 難しい問題ですよね。それなりの数を観るにはある程度のお金がかかりますし……。その点で、演劇ライターや編集者の皆さんの感想は貴重です。観ている本数も一定以上で、批評眼を備えた人も多い。すでにSNSでそういう活動をしている人も多いですけど「立場上、つまらない時にそう書けないから」と発信しない人もいます。おもしろかった時だけでいいから、その理由を文章にして発信してほしい。

藤原 「書く場がない」ってよく言われてきたことですけど、媒体がないとか以前に、単に活動してないっていう問題もありますよね。どんどん書いて発表するということを、できればツイッターのみならず……。ツイッターもまだそれなりには有効だとは思うんですけど。

徳永 自分のSNSに感想を書いてもお金にはなりませんが、もし「書く場が欲しい」と思っている人がいるなら、まずそこで責任を持って粘り強く発信していくと、誰かの信頼を得てどこかから声がかかることもありますよね。

藤原 そうですね。でもやっぱりそうした精神状態に耐えられる人は少ないのかもしれない。
 演劇の批評は実際に劇場に行かなきゃいけないし、作ってる人と必ず対面することを宿命づけられている中で、書かなきゃいけない。だから面白いと思うんですけど、浮世の人間関係にまみれていてはやっていけない、修行僧のような心持ちも必要だから……。

徳永 あれ? この話、藤原さんの「批評家が足りない」という話から始まっていますよね? 藤原さん、自分で抜いた刀をさやに収めようとしていますがよろしいですか?

藤原 ……はい。いや、僕自身もまだまだ未熟なわけだし、他人にどうこう言っても仕方ないので、自分は自分でやるしかないという気持ちを新たにしています。でも批評なり観察者なりが足りないのは事実なわけだから、誰かこれを読んでチャンスだと思って奮起してほしいんです。地球の裏側にいる時に読みたくなるようなものを誰か書いてほしいな……。


▼「今年ぜひ観たいで賞」その後

藤原 じゃあ今年も振り返りの賞に行きましょうか。

徳永 あ、その前にいいですか。去年「今年ぜひ観たいで賞」に推したOiBokkeShi、岡山に観に行って、宣言を実行したことをご報告いたします。

藤原 (拍手)おかじい、行けなくてごめんなさい。(*おかじいこと岡田忠雄は、OiBokkeShiに出演している90歳の俳優)

徳永 その感想ですが、初めて拝見したので過去のことはわからないまま話します。作・演出の菅原直樹さんが格好良いなと思ったのが、流されていないんですよ。地元ではもうかなり有名らしく、テレビの取材も当然のように入っていて、客席には子供連れもたくさんいて、社会的に良いことをやっている人たちという認識なんです、周囲の空気が。でもそれに応えていないと私は感じたんです。社会活動じゃなくて、演劇をつくっているという意識を強く持っているというか。ストーリーは、50過ぎの息子がチンピラで、組に追われて実家に戻って来たんだけど、かつて時代劇の斬られ役だった父親が、痴呆症になり紙オムツで寝たきりになっている、息子は父親に恨みがあるけれど、他に行き場所がないからそこにいて、ヘルパーさんを押し倒して襲おうとしたり、お父さんのかつての弟子を罵倒している。その息子がオナニーをするんですけど、使うのが、彼が青春時代に自宅に隠していたであろう昔の「スコラ」(エロ雑誌)なんですね。そのリアリティがすごくよかった。つまり下ネタを表面的じゃなくて、きっちりやっている。それとヘルパーさんが、普段はホステスという設定らしく水商売っぽい人で、紙オムツを換える度に煙草を喫う。全然道徳的に100点じゃないんですよね。『BPSD/ぼくのパパはサムライだから』というタイトルは、BPSDというのが認知症のひとつの症状の頭文字なんですって。でもBPSDと言われても覚えにくいじゃないですか。それを「ぼくのパパはサムライだから」と置き換えたのもいいですよね。
 会場が元小学校の教室で、廊下側に窓があって、上演中ずっと、誰かに抱っこされた4〜5歳の女の子が観ていて、飽きずに偉いなと思っていたら、菅原さんのお嬢さんだったんです。それもよかった。


▼見逃したけど観たかった作品

藤原 見逃したけど観たい作品を挙げていいですか? 徳永さんの「ベスト10+α」の中に2本あって……

徳永 『はだかのオオカミ』と『昔々日本』?

藤原 まさにそうです。お見通しですね……。評判良いってことはわかってるんですけど、何が良かったのかさっぱりわかってない。だから観るしかない、と。いわき総合高校で上演された『はだかのオオカミ』は、危口統之さんの 病状 を考えると再演は簡単ではないと思いますが……。

徳永 私は、これもいわき総合高校で上演されたロロの三浦直之さん作・演出の『魔法』ですね。『はだかのオオカミ』と同じ期の生徒さんで、そのふたりから新作をもらって演出を受けるなんてすごいですよね(笑)。それと危口さんが六本木アートナイトで上演した『百人斬り』。地方にいてどうしても観られませんでした。初演も観ていないから観たかった……。もう1本は、やはり出張中で見逃したBATIKの『きちんと立ってまっすぐ歩きたいと思っている』。黒田育世さんが小学生の女の子と1対1で踊ったという。これは8月の 『ひとつだけ』 にも採り上げました。


▼最優秀男優賞

徳永 去年、私は該当なしでしたが、今年は激戦です。といってもノミネートは4人で、まず『逆光、影見えず』の川島潤哉さん。それから『あたたたかな北上』の竹内宏樹さん、そして『あぶくしゃくりのブリガンテ』と『ヘンリー四世』の佐藤B作さん、そして城山羊の会『自己紹介読本』の浅井浩介さん。……悩んだ結果、川島潤哉さんと浅井浩介さんのダブル受賞でお願いします。
 川島さんについては、これ、まったく勝手な私の想像ですよ? オールドカマーのところで話したような「劇団とは?」「売れるとは?」「自分の書きたいものとは?」といった問題をひと巡りするうちにたくさんのものを捨てたMCRの作・演出の櫻井さんが、手の中に残った“軽やかにややこしさを描く”を形にしていく時に、全幅の信頼を置いて役を渡していると感じます。川島さんが上手なことは以前から知っていましたけど、櫻井さんが川島さんに託すのは、死期が迫っていたり記憶喪失の元スパイだったり、嘘くさい設定の人物で、明るさと暗さとかリアリティとかのチューニングがすごく難しい。でも川島さんは“昨日の続き”みたいにごく普通のテンションで演じるんですよね。基本、不機嫌なんですけど、キャラクターではなく、その役にもたらされた状況の結果の不機嫌だから自然なんです。俳優なら当然とは言え、舞台の上の時間は特別に切り取られたものではなく、前後のある途中だとわかっているんだと思います。同じくMCRの『ミカエル』(12月)も良かったんですけど、三鷹芸術劇場の太宰治のシリーズとして上演された『逆光』は、戯曲もとても素晴らしかったので、受賞対象はそちらで。

kawasima_gyakkou

【MCR『逆光、影見えず』川島潤哉  撮影:保坂萌】


 浅井浩介さんは元わっしょいハウスで、鳥公園で拝見したり、先月の中野成樹+フランケンズでも拝見したり、以前から技巧に走らない技巧派だとは思っていましたが、城山羊の会の『自己紹介読本』はせりふのほぼ8割が「あ、」だったのではという、ものすごく大変な役だったんです。他の人たちの話に、興味は持てないけれど無視はできず、間合いを測って発言しようとしては遮られる。そのいろんなパターンの「あ、」を、たぶんひとつも外さなかった。いわば「あ芸」(笑)。もちろんあらゆる俳優さんの使命ではありますけど、360度にアンテナを張って、でもそれはずっと奥のほうに備えているポーカーフェイスがいいですね。浅井さんには『隣りの男』など岩松了さんの初期の戯曲に出てくる色っぽい男の役が似合う気がします。

【城山羊の会『自己紹介読本』浅井浩介】


藤原 僕は、男優は、Qの『毛美子不毛話』でまさに七変化の活躍を見せた武谷公雄さんに。彼がずっとやってきた 物真似芸 の極みとも言えますけど、武谷さんは古い日本のドラマや映画を彩ってきた往年の俳優たちへのオマージュが凄くて、その良さをいい意味で盗んできた俳優じゃないかと思うんですね。ちなみにこの公演、2回観たんですけど、初日は彼もテンションが変だったというか……。いや、心得ているから、むしろわざと噛んでみせたりしてんじゃないか的な振る舞いをしているように見えて(笑)。そうやって場の空気を動かしているように感じたんですね。そして圧倒的な演技で観客を興奮させた。ところが2回目観た時には、二人芝居の相方の永山由里恵さんがすごくいい感じに化けていて、武谷さんが受けに回るようなところも見えたんですね。武谷さんが彼女のポテンシャルを引き出したところもあったんじゃないかと。
 特に、胸から生えたみずからの巨根にしかすがれないおじさんを、腹話術を駆使しながら演じる場面には、涙を誘われました……。武谷さんの中にそのおじさんの人生が入っている気がして。

【Q『毛美子不毛話』武谷公雄  撮影:佐藤瑞季】


徳永 わかります。決して奇妙奇天烈な人をやっているんじゃないんですよね。ちゃんと人生がある人を演じている。付け足しですけど、佐藤B作さん、大ベテランですけど、今またすごく俳優としてノッていると思う。どなたかB作さんをキャスティングして『ゴドーを待ちながら』やってくれないかな。


▼最優秀女優賞

徳永 女優賞は、東京NO.1親子の『あぶくしゃくりのブリガンテ』で、まさにそのB作さん親子と共演した安藤聖さん、□字ックの『荒川、神キラーチューン』の町田マリーさん、『娼年』と『キネマと恋人』での村岡希美さんのトリプル受賞で。
 安藤さんは、『あぶくしゃくりのブリガンテ』での役が、自分の夫から「俺と別れて親父と結婚してくれ」とめちゃくちゃなことを言われる役なんですけど、男性ふたりに挟まれながら、ファム・ファタルでもないミューズでもない、むしろ軽んじられ振り回され、それでもかろうじて自分をキープする女性で、まったく甘やかされない役どころに、作・演出の福原さんの安藤さんへの愛情と期待が見えたし、安藤さんもそれに応えていました。

【東京NO.1親子『あぶくしゃくりのブリガンテ』安藤聖  撮影:露木聡子】


 町田さんは、自分を抑える癖がついてしまった三十過ぎの女性の役で、彼女がとうとう爆発するシーンがあるんですが、下手な人ならここぞとばかり“吐き出す”ところ、町田さんの演技は“こぼれてしまった”というものでした。その非ドラマチックさが、作品の誠実さを一気に深めた。物語はひとりの女性の中学時代と中学教師になった現在のふたつの時間軸が描かれるんですが、町田さんのストイックさが舞台上の現在と舞台の外の現在をつなげたと思います。

machidamari_arakawakami

【ロ字ック『荒川、神キラーチューン』町田マリー】


 村岡さんは、芸劇のプレイハウスで松坂桃李さんがいわゆる娼夫を演じた『娼年』で、主人公の1番最初のお客さん役でした。つまり、800人の好奇や劣情や「私の桃李をどうするつもり?」という視線、あるいは「自分はいやらしい目的でここに来たのではない」という硬い空気にさらされるポジションにいたわけですが、これが本当に素晴らしく上品に、でもまったく不自然でなく、柔らかい官能の空気をつくった。以降の作品が“見世物”ではなく“演劇”になったのは、村岡さんの力がすごく大きいと思います。『娼年』では前述の安藤さんもとても良くて、私はあの舞台を、笑いあり涙ありエロありのザ・エンターテインメントだと思っているのですが、安藤さんはおそらく1番多くのお客さんに感情移入させたのではないかな。
 そして村岡さんはもうひとつ、『キネマと恋人』でも非常にいい仕事をされていました。登場人物がフィルムの外に出てしまった映画を映画館でずっと観ている、言ってみればフィクションとノンフィクションの境目を見つめ続ける役なんですが、すごく重要なのが「現実とファンタジー」という昔ながらの二項対立ではなくて、「現実とファンタジーと、その両方を相対化する3つめの場所」を示したことなんですね。それは、大袈裟に聞こえるかもしれませんが、ポストドラマだと思ったんです。村岡さんの存在がそれを登場人物として示した。すごいことだと思います。

【世田谷パブリックシアター+KERA・MAP#007 『キネマと恋人』村岡希美  撮影:御堂義乗】


藤原 女優はすごく迷いましたが、まずはハイバイの川面千晶さん。俳優の実話から物語を立ち上げてつくられた『ワレワレのモロモロ 東京編』で、トリが彼女のエピソードだったんですけど、おそらくは実話を元にした、場末のキャバクラの話で。人間の残酷な欲望みたいなものとヒューマニズムとが同居しているような話でしたけど、その物語を作ったということもそうだし、彼女自身の、せめぎ合う複雑な感情を同居させるような演技も含めて、グサッとやられました。先輩のキャバ嬢役をやった平原テツさんの引き出し方も素晴らしかった。

 あと、『ルーツ』の成田亜佑美さん。この作品はかなり良い役者さんが揃っていて、それぞれの技の見せ合いが面白かったんですけど、なんせ松井周戯曲なので、みんなどこかしら狂ってる。成田さんの役はその中では一番まともというか「普通」に見えるんですよ。でも最後のシーンで彼女が暴挙に出るんですね。ぬいぐるみを着てるんです。それは確かに目立つけど、役者として出来ることは限られてしまうと思うんですね。でも彼女は観る人に引っ掻き傷のようなものを残せたんじゃないか。芝居が終わって、カーテンコールでぬいぐるみを脱いで顔を出した時の彼女の表情までの一連の流れが、とても印象的なものでした。

naritaayumi_KAAT2016_Roots1520_

【『ルーツ』成田亜佑美  撮影:清水俊洋】


徳永 それと反省なんですが、私たち習慣的に「男優賞」「女優賞」と性別で分けていましたけど、あえて分ける理由はないですよね。来年はジェンダー問題、考えますか。

藤原 ですね。例えば木ノ下歌舞伎の高山のえみさんは「ニューハーフ優」と名乗ってらっしゃいますけど、『勧進帳』の存在感、素晴らしかったですね。来年からは「俳優賞」にしましょう。


▼美術賞

藤原 舞台美術で、カミイケタクヤさん。シャンカル・ヴェンカテーシュワラン演出の『水の駅』と、東京デスロックの『亡国の三人姉妹』での舞台美術が印象的でした。どちらもガラクタ的なものを使って廃墟感がすごく出ていた。『水の駅』はそもそも沈黙劇なわけで、台詞がないぶん、美術の存在感が大きくなる。でもそこで変にでしゃばったり殊更に世界観を主張するでもなく、そこが荒廃した場所であることを静かに示していた。東京デスロックは『Peace(at any cost?)』の舞台美術もカミイケさんでしたけど、作・演出の多田淳之介さんの今の世界に対するイメージと、シンクロするものがあるんじゃないでしょうか。

3shimai2(c)bozzo

【東京デスロック『亡国の三人姉妹』舞台美術:カミイケタクヤ  photo by bozzo】



▼演出家賞

 『東京ノート』の矢内原美邦さんに差し上げたい。詳しくは プレイバック で話しましたが、平田オリザさんの代表作のひとつと言われて、抑えたトーン、引き算でしか演出されてこなかった戯曲を、分解、足し算、高速化で沸騰させたというか、爆発させた。そして戯曲が持っていた、劇作家本人さえ気付かなかったであろうポテンシャルを見事に引き出した。あの演出で初めて『東京ノート』に触れた人がどれだけ理解できたか、そこは難しい問題ですけれども、印象的だったせりふはたぶん、拾えていると思うんですよね。「平田オリザ戯曲の登場人物は、実は相当おしゃべりである」という私の積年の思いが見事に証明され、胸のすく思いでした。


▼ダンサー賞

徳永 ベスト10に選出した『錆からでた実』に出演していたダンサーの鈴木美奈子さんに。鈴木さんの踊りは刀のようなんです。それも、相手にも振り下ろすし、同時に自分にも、さらにもっともっと大きいものにも振り下ろしている。それくらいの動きの切れ味と緊張感があり、美しい。そんなにたくさんのダンス公演を観られていない私ですが、ぜひ。


▼第61回岸田國士戯曲賞ノミネート予想

藤原 さて今回も岸田戯曲賞のノミネート予想を。といっても僕が山本卓卓の『昔々日本』をはじめ、三浦直之のあらゆる作品を今年はタイミング的に観られなかったので、ちょっとどうなのよ、と思いますが、どうですか?

徳永 『昔々日本』は残ると思います。三浦さんの『いつ高』シリーズは短編の連作だし、詰め込まれた遊び心が子供っぽいと受け取られないかな? 大好きなので残ってほしいですけど。

藤原 以前、マームとジプシーが三部作で応募して受賞したと思うんですが、そういう連作で、ということはない?

徳永 連作での受賞だと、あまりにも藤田さんと似てしまうことが逆にネックかも。『あなたがいなかった頃の物語といなくなってからの物語』の方が残る可能性があるかもしれません。

藤原 ノミネートされる可能性はある?

徳永 うーん……三浦さんは厳しいかな。いや、私、去年の予想を外してますからね(笑)。

藤原 じゃあ、誰ですかね。

徳永 『逆光』の櫻井さん、『あぶくしゃくり』の福原さん、『昔々日本』の山本さん、それから超ストイックディスコミュニケーション型現代口語演劇(笑)から1作は残って、それと、去年の烏丸ストロークロックの柳沼正徳さんのように地方から何人か。

藤原 僕は観た範囲からすると、乗りそうなのはQの市原佐都子さんによる『毛美子不毛話』と、ホエイの山田百次さんの『麦とクシャミ』かなと。Qの市原さんは初期の作品では、若さと勢いというか、言葉のセンスで書いてた印象があり、それはそれで良かったけど、今回そこはむしろ抑えめで。書きなぐってる感じではなく、選び抜かれた言葉で書かれていたように思います。初期の作品はわりと他者をはねのける態度で書いてたと思うんですけど、実は無関心なフリをしながら、かなりしっかりと他者を観察してきたんじゃないかと。今回は「路地裏」っていう、謎の淫美な場所に、日常ではとても混じり合いそうにない多彩な人物を召喚するという。特異な世界を見すえているとあらためて感じました。
 山田百次さんは野の上という劇団も主宰していて、ホエイは俳優の河村竜也さんとのユニットですね。山田さんは北国・青森の出身で、方言で書くことを得意としてきたんだけど、前作の『珈琲法要』からは北海道の物語に着手。続く『麦とクシャミ』は、北海道の洞爺湖で戦争中に起きた火山の噴火が秘密情報として伏せられていた話を題材にしている。『珈琲法要』も『麦とクシャミ』も、要するに中央からは見棄てられた無名の人たちの物語で、そういう忘れ去られた歴史に関心を持っていく彼らの姿勢は大いに評価されてほしいと考えています。
 あと岡崎藝術座の神里雄大による『イスラ!イスラ!イスラ!』も今回ノミネートされる権利はあるはず。前回の第60回岸田賞では惜しくも最後の最後で受賞を逃したようですけど、力量的には受賞に最も近いところにいる作家だと思います。今、アルゼンチンに1年間行ってるので、日本に帰ってきて彼が何を見せてくれるかも楽しみです。

徳永 市原さんの『毛美子不毛話』は確かに良かったですね。少し前の「みんな私にこういうものを期待しているんでしょ」的な、妙に過激なベクトルばかりを引き伸ばして、結果、不快と不可解の空気が残る時期を脱したようでホッとしました。そうそう、「毛美子」とタイトルにありますけど、役名としては1度も出て来なかったんですね。

藤原 「私」としか出て来てないですね。

徳永 名前に毛を持つ毛美子らしきOLが本皮のパンプスを欲しがっている話なんですけど、彼女は合皮しか履いたことがなくて靴擦れができている。皮膚感覚を抽出するのは、市原さんがずっとやってきたことだと思いますが、それがパンプスを介して、毛、合皮、本皮と外に広がってきたし、外周を巡る時間にエネルギーが注がれていたのがよかったと思います。
 あと、西尾佳織さんの『2020』が、読み物として優れていると感じたので、ノミネートされる可能性はありますね。観ながらずっと「これ、このままですごくおもしろい小説だな」と感じていたので。いい意味でも悪い意味でもありますが。


▼2017年の抱負

藤原 去年の反省は、作品を観たはいいけど言葉にする機会が足りなかったこと。このサイトの「プレイバック」のコーナーも休止状態なので、今年は別の形になりそうですがきちんと言葉にしていこうと思います。
 たぶんまた年間の半分くらいは関東にいないので、モビリティを活かす方向に行くことになるだろうなと。そのプロセスにおいては、いったん「演劇」という枠をはずしていろんなものごとを捉えてみる必要があるかもしれないと感じています。

徳永 私ももっと観た芝居、行った場所について言葉にしたい。去年の宿題がまだまだたくさん残っている状態なので。
 それと去年は「&Premium」「an an」「装苑」と、一般誌に演劇のことを書けたのが良よかった。自分としては当たり前と感じている演劇界の流れや特徴のようなものが、改めて見直せるので。またそういうことがあったらうれしいし、継続して書けたらいいですね。
 藤原さんに指摘された幅広さは、自分ではまったく特別だとは思っていないので、小劇場も大劇場も、若手もベテランも、今年も遠慮なく触れていくつもりです。幅広く観ないと、気付かないことはたくさんありますし。そういう意味では、逆にもっと観ないといけないのでしょうが、それぞれの状況やその変化に敏感でありたいので、丁寧に観ることも心がけていきたいです。

(2016.12.27 収録)


▽演劇最強論-ing が選ぶ2016年各最優秀賞受賞者一覧とコメント
kei
◎男優賞
徳永選:川島潤哉さん(MCR『逆光、影見えず』)
「俳優は色んな世界に生きなければいけない身ですが、狭い世界でしか活動できてない自分をこうして評して頂けてとても嬉しいです。いつも世界を与えてくれるMCRや櫻井さんにも感謝です。ありがとうございました。」
徳永選:浅井浩介さん(城山羊の会『自己紹介読本』)
「ありがとうございます。意外なところを、と言ったらあれなんですが、まさか評価していただき、驚きました。と共にほんっとに嬉しく思います。
これを励みに、2017年もストロングスタイルで一層精進していきたいと思います。」

藤原選:武谷公雄さん(Q『毛美子不毛話』)
「尊敬すべき多くの演劇人がなくなった2016年。
心がぽっかりと空いてキツかったけれど、僕に素晴らしく強烈な役を与えてくれた市原佐都子さんに心から感謝しています。
2017年、さらに演劇が盛り上がるよう今回の受賞に感謝し、邁進していこうと思います。ありがとうございました。」

kei
◎女優賞
徳永選:安藤聖さん(東京NO.1親子『あぶりしゃくりのブリガンテ』)
「この度は立派な賞をいただき大変光栄に思います。嬉し過ぎて嬉し過ぎて!なので今回いただいたこの賞をプロフィールにでかでかと掲げ、笑、これからも演劇に真摯に取り組んでいきます。芝居をすることのできる場所、そして日々お世話になっている方々への感謝の気持ちを大切に、これからも自分らしく切磋琢磨していきます!ありがとうございます!」
徳永選:町田マリーさん(ロ字ック『荒川、神キラーチューン』)
「徳永京子さん、本当にありがとうございます。がむしゃらにやっていた時期を過ぎ、ここ数年は先の見えない不安の中にいました。そんな時、このお知らせを聞いて本当に嬉しかったです。一緒に作品作りをした大好きな□字ックの皆さんや共演者の方々に感謝です。今後も人の心に残る作品作りを目指します。応援していただけるとありがたいです。」
徳永選:村岡希美さん(『娼年』、『キネマと恋人』)
「自分の最大限の力を絞り出して、与えられた役割を全力で果たす。
その事だけに集中して臨んだ2つの作品でした。
演劇を体感していると、喜ばしい瞬間と、不安に押し潰されそうな瞬間はいつも背中合わせで、時にその不安が勝り、ボー然と立ち尽くしている私の背中をバンッと叩かれ、「あんた、よく頑張ったよ」と、通りすがりの演劇の神様に言われた様な、そんな、嬉しくも、夢みたいな賞です。
振り返ったらもうそこに神様はいませんが、私はまたこれからも、舞台に立とう、という勇気と力をいただきました。
ありがとうございます。」

藤原選:成田亜佑美さん(『ルーツ』)
「ありがとうございます。'賞’と付くモノを頂くのは多分小学生ぶりです、素直にとてもうれしいです。松井さん、邦生さんはじめ、劇場の皆さん、スタッフの皆さん、そして共演者の皆さん、素敵な方々に囲まれた贅沢な時間でした。」
藤原選:川面千晶さん(ハイバイ『ワレワレのモロモロ 東京編』)
「自分の悲惨な体験を書いた演劇でこんなにハッピーな状態になるなんて思いもしなかったです。頑張った話や幸せだった話をやって、いただくより報われた感がすごいです。これからも悲惨な体験をどんどん演劇にして、人に発表したいと思います。ありがとうございます。」
kei
◎美術賞
藤原選:カミイケタクヤさん(東京デスロック『亡国の三人姉妹』ほか)
「今回は美術賞をいただきありがとうございます。
僕は美術家として活動しているものの、2016年は舞台美術のみ作り続けた一年でしたのでその総称として評価していただいたようで大変嬉しいです。
賞を頂けたのは多くの製作を助けていただいた方々のおかげであり、作品を共にした皆様のおかげです。多謝。
また今後とも精進して参りますのどこかで舞台美術も美術作品もご覧いただければ幸いです。」

kei
◎演出家賞
徳永選:矢内原美邦さん(ミクニヤナイハラ『東京ノート』)
「最優秀演出家賞ありがとうございます。『東京ノート』は作・平田オリザさんが『好きにすればいいよ』とおっしゃって下さり、青年団の役者さんをはじめ、私と共に演劇をやってきた女優達やスタッフがいたから思い切って演出できたと思います。
演劇にどう向き合うべきなのか?まだまだ迷ってばかりですが、とりあえず書いていこうかと…2018年には吉祥寺シアターで皆さんにお会いできるかと。
ゆっくりしててごめんなさい、今後も迷いながらやってみます。本当に嬉しいです。」

kei
◎ダンサー賞
徳永選:鈴木美奈子さん(束芋×森下真樹 映像芝居『錆からでた実』)
「カンパニーに所属せず、自作を発表する事もなく、フリーのダンサーとして気儘に活動していると、個人の名前が注目される機会はなかなか無いので、この報せにびっくりしています。
 自分で好きなように踊る事も楽しいですが、今は、演出家がいて、そのやりたい事の先へ向かって共に試行錯誤する、という作業が本当におもしろい。物質としての身体と、これまで出会った、通った、全てが混じったドロっとした中身を含んだ身体とを、いつでも潔く提案できるよう、引き続き自由に我儘に進みながら、一人一人と真摯に向き合っていきたいと思います。
 これまでの全ての出会いがあって、今のこの鈴木美奈子があります。本当にありがとうございます。」

演劇最強論枠+α

演劇最強論枠+αは、『最強論枠』の40劇団以外の公演情報や、枠にとらわれない記事をこちらでご紹介します。