【連載】ひとつだけ 徳永京子編(2016/6)―新国立劇場 演劇『あわれ彼女は娼婦』
ひとつだけ
2016.06.5
あまたある作品の中から「この1ヶ月に観るべき・観たい作品を“ひとつだけ”選ぶなら」
…徳永京子と藤原ちからは何を選ぶ?
2016年6月 徳永京子の“ひとつだけ”新国立劇場 演劇『あわれ彼女は娼婦』
2016/6/8[水]~26[日] 新国立劇場 中劇場
劇場に足を運ぶきっかけになればいいなと願いながら書いている。だから、なるべく手頃なチケット代の公演を紹介しようという気持ちはあるのだけれど、またもや、1番高い席が1万円前後の舞台を選んでしまった。「なんだよ、小劇場の味方じゃないのかよ」と不満に思う人、「自分には関係のない公演だわ」と一気に興味を失う人もいるかもしれない。でもこのサイトは書籍の『演劇最強論』ではカバーできなかった地域や劇場、つくり手もカバーすることが当初からのコンセプトのひとつで、それより何より個人的に、より良く舞台を観るには、また、より良く舞台をつくるには、一定以上の数と幅をもって舞台を観ることが必要だと信じているので、むしろ演劇を分ける仕切りを外して、フラットな気持ちで選ぼうと考えている。そして「自分にとってそそられるポイントが多い」を基準に選んだ結果が、今月の『あわれ彼女は娼婦』になった。
それにしても、タイトルからしてそそられにくい演目だと思う。それも仕方のないことで、この戯曲が書かれたのは、シェイクスピアが活躍したのと同じ、イギリスのエリザベス朝の後期で、作者はジョン・フォード。その代表作にして傑作と言われ、日本でも度々上演されてきた。記憶に新しいところだと、2006年にシアターコクーンで、蜷川幸雄が演出、三上博史と深津絵里主演という顔合わせで実現している。
ストーリーは兄妹の近親相姦と、そこから起きる壮絶な復讐が柱なのだが、せりふがいちいち、どうかと思うほど激しい。10年ぶりに家に帰ってきた途端、美しく成長した妹に恋をしてしまう兄ジョバンニも、兄の子を身ごもっていることを知りながら親の勧める相手と結婚する妹アナベラも、アナベラの裏切りを知って怒り狂う夫ソランゾも、それぞれに大変なのはわかるけれども、かなり自分勝手で大袈裟だ。神職に就いた人物が出てくるのだが、彼が兄弟を心配して言う「人間界においてはいかなる道も平坦ではない」という言葉は、いくらなんでも悲観が過ぎる。そんな具合だから、観客が感情移入できる人物はほとんどいないと言っても過言ではないだろう。
ではこの公演のどこに興味を持つのかと言えば、ジョバンニを演じる浦井健治が大きい。大感動した4月の『アルカディア』で、とりわけ強く印象に残ったのが浦井だったのだ。
ミュージカルをほとんど観ない私は彼の実力を認識したのが遅く、2009年の『ヘンリー六世』だったのだが、気が弱く政治手腕に劣り、家臣にも妻にも馬鹿にされているものの、実は戦わないことをひとりで実践しているという、現代人から見れば正しいけれども、明らかに時代と場所と立場を間違えて生まれてしまった男の身の置きどころのなさを、絶妙なユーモアで演じた姿にすっかり驚いてしまった。歴史的には「無能」とされるヘンリー六世を「孤独」をキーワードに解釈した演出家や俳優はいただろうが、そこに「おかしみ」をブレンドできる人は(少なくとも日本には)滅多にいない。これは勝手な予想だけれども『ヘンリー六世』におけるユーモアは、演出家よりも浦井自身によって導入されたのだと私は思う。
それを機に翌年の劇団☆新感線『薔薇とサムライ』ではシャルル王子というおバカキャラを得、歌えて踊れてコメディができるイケメンという地位を確立するのだが、その後も研鑽を重ね、『アルカディア』ではとんでもなく高度なことをやっていた。
彼は、出番が来たから舞台に出てくるのではなく、セットの屋敷にずっと住んでいて、たまたまそこに通りかかったという気配を、当たり前のようにずっと醸し出していた。物語の世界に巧みにフェイドインするのではない、彼の呼吸や脈、体温が、話の舞台になっている建物のそれだった。おそらく彼は1度も、上演中に顔を正面に向けなかったと思う。『アルカディア』は、正面を切ってせりふを言うタイプの演出ではなかったが、人間の習性として、無数の視線が自分を捉えようとする方向に目をやらないのは、とても難しい。アレルギー持ちでティッシュが手放せない、あまり身なりに気を使わず髪が伸びている、数式を解くためにノートパソコンに向かっているといった、顔をはっきり見せない役としての必然性はあったが、そうした条件の中でせりふをクリアに届けることも両立していたのである。
そんなふうに“演じる”のではなく“いる”ことを実践でき、技術も持っている浦井なら、感情移入ポイントほぼゼロの『あわれ彼女は娼婦』のこれまでとは違う面を気付かせてくれるのではないか。ましてや演出が『アルカディア』と同じ栗山民也だ。栗山もきっと、ここに来ての浦井の伸び代を感じているはずだし、妹にして恋人となるアナベラを演じるのが、舞台女優としてどんどん芯が太くなっている蒼井優であるのも楽しみ。あの凄惨なラストシーンが、運命とか激情といった言葉で片付けられることなく、人間の心理として納得できるものになっていればうれしい。
今、浦井人気は凄まじく、前売りはほぼ完売だが、1620円のZ席は毎日発売されるようなので、もし興味を持ったら挑戦を。
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