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マームとジプシー 『夜、さよなら』『夜が明けないまま、朝』『Kと真夜中のほとりで』 藤田貴大 インタビュー

インタビュー

2016.02.24


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 藤田貴大が構成・演出を手がけた『cocoon』の初演(2013年)を観た蜷川幸雄が、その1本で才能を見抜き、すぐさま自分への書き下ろしを依頼して始まった、50歳違いの共作にして競演『蜷の綿-nina’s cotton-』。蜷川の半生を取材して藤田が書いた戯曲を、蜷川はさいたまネクスト・シアターとさいたまゴールド・シアターの俳優で、藤田はマームとジプシーでお馴染みの俳優で演出し、彩の国さいたま芸術劇場で同時期に上演の予定だった。だが蜷川の入院により延期、蜷川組は『リチャード二世』の再演を、藤田組は過去3作を再構成した『夜三作』を上演することになり、どちらも18日に幕を開けた。
 『夜三作』は、藤田が戯曲を書き始めた頃の作品『夜、さよなら』と、マームの初期作品『夜が明けないまま、朝』、そして出世作と言われた『Kと真夜中のほとりで』の三作品を再構成して1本にするもので、それぞれを書いた20歳、23歳、26歳の自分を、30歳の藤田が振り返る意味を持つ。だがそれ以上に大きな“この3本”を選んだ理由があった。3作に託した藤田の思いとは──。


僕らはここで蜷川さんを待っている。
その気持ちがこの三作になった。

── 延期となった『蜷の綿』の詳細をお聞きするより、具体的に『夜三作』についてお話ししていただこうと思うのですが、代替作を考える時に選択肢がいくつもあった中で、なぜこの選択となったのでしょう?

「それを語るには、やっぱり蜷川さんの話から始めることになります。延期と決まった時に、僕らのほうだけでも『蜷の綿』をやっていいという案もあったんです。蜷川さんが、藤田さんの判断に任せるよと」

── 藤田さんをはじめ、マームの俳優、スタッフの皆さんは、ゆかりの地を歩いたり、参考になる映画をみんなで観たりと、準備を進めていらっしゃいましたね。

「でも僕はこの企画に関して、演出家のひとりというより、劇作家であることの意識のほうが圧倒的に大きくて。自分以外の人に初めて書いた戯曲だし、何度もインタビューして蜷川さんの人生について考えながら書いたもので、その人が演出しないのに自分だけ、ということはまったく考えられませんでした。むしろ、延期してでもやる、と蜷川さんが言ってくれたことのほうがうれしくて。
 じゃあ、『蜷の綿』以外に何をやろうかと考えた時はちょっと悩みました。というのは、この時期は蜷川さんについての演劇をやると2年ぐらい前から照準を合わせてきたわけです。それを簡単に、はい、じゃあそれはやめますとはできなくて。一昨年は野田秀樹さんの『小指の思い出』、去年は寺山修司さんの『書を捨てよ町へ出よう』という自分以外の言葉で書かれた大きな作品に取り組んできて、その流れの先にあったのが『蜷の綿』で、奇しくも蜷川さんと寺山さんは同い年で、60年代や70年代についても少なからず考えてきて、それをすべてゼロにするのは違うなと。
 その時、すごくシンプルに、僕らは蜷川さんを待っているんだなと思ったんですよね。僕も、ネクスト・シアターやゴールド・シアターの皆さんも、彩の国(さいたま芸術劇場)のスタッフさんも、それぞれがこの劇場に今いない人を待っている。それについて考える作業を自分はしたいんだなと思って、最初に頭に浮かんだのが『Kと真夜中のほとりで』なんです。ある町の夜の湖のほとりで、いなくなった人のことをみんなで待っている話ですけど、これが今の僕らのトーンかもしれないと思ったんですよ。それも、真っ昼間に待っているんじゃなくて、夜のメンタルで」

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『K~』は当時の集大成。
これで岸田戯曲賞を獲ると思っていた。

── 『K〜』の初演(11年)を私は拝見しているので、そのニュアンスはわかる気がします。たとえ同じ場所で同じ人物を待っていても、中に抱えている思い出や思い入れはひとりひとり違って、それぞれが自分とその人の関係で待つしかない。

「そうなんです。『K〜』には、いなくなった人の家族という直接的な関係の人物もいるし、1回だけ一緒に学校から帰ったことがあるだけの人とか、いろんな距離がある。『蜷の綿』は彩の国の制作ですが、一昨年のさいたまゴールド・シアターの香港公演(『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』。藤田は同行していたが、この公演の初日朝に蜷川氏が入院した)の頃からずっと関わってきてわかったのは、いろんなスタッフさんと蜷川さんの関係が、みんな違って、でもそれぞれに切実で。人によって蜷川さんへのイメージは違うけど、どれも真実だということでした。『K〜』でやりたかったのも、10人いたとして、10人の主観を合わせてくとひとりの人物像ができあがっていくみたいなことだったので。夜のメンタルって、そういうことを人と話すというより、自分の中でどう処理するかじゃないですか。それがすごく『K〜』っぽいと思いました」

── でも以前、『K〜』は再演したくないとおっしゃっていましたよね。俳優にかけるフィジカルの負荷がマックスだった時期でもあって、あの時のキャストそのままだと体力的に難しいし、他にも理由があると。

「これまでの作品の中で1番再演したくないのが『K〜』でした。これで岸田(國士戯曲賞)を獲ると思っていたぐらい、本命だったんです。フィジカルとエモーショナルを分けずに、フィジカルな部分にエモーショナルなものを凝縮していくことを僕はずっとやってきたんですけど、その濃さとか。それと、2011年という年に“当事者と、当事者ではない自分達がどういう距離でいるべきか”みたいなことを『〜しおふる世界。』(岸田受賞作となった『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』)で描いた後にもう1回、ノスタルジーではない、ある意味、不穏な空気の中で再構築したのがこの作品でした。閉塞感のある田舎町の、しかも湖という、川や海と違って抜けのない場所を念頭に置いてつくって、集客的にも伸びたし、結果もうまく行ったと思えたんですよね、
 『〜しおふる世界。』では(一気に高くなった藤田のフィジカル面での要求に)ケガ人続出だったのに、『K〜』ではひとりも出さなかったことも、僕らとしては達成感があって、いろんな意味で集大成と言える作品になったので、再演はしなくていいよねという話をしていたんです。
 今回の演出で言えば、『K〜』をどこまでフィジカルで構築するかは最後までせめぎ合いだったんですけど、他の2本と合わせていく中で折り合いはつけられたと思います」

じゃんけんに負けて書いた『夜、さよなら』と、
暗い時代が詰まった『夜が明けないまま、朝』。

── 『K〜』そのままではなく、マームの前身である荒縄ジャガー時代の『夜、さよなら』と、マーム初期の『夜が明けないまま、朝』と合わせてひとつにしたのはなぜですか? そもそも、荒縄ジャガーの頃の作品に関してとてもナーバスでしたよね?

「今もめちゃめちゃナーバスです(笑)。でも、ちょうど10年経ったんですよ、最初の戯曲を書いてから。しかも『夜、さよなら』を上演したのは、まさに20歳の2月でした。石井亮介と成田亜佑美と尾野島慎太朗は出ていたんです。“あ、この人たちと10年やっているんだ”って──丸くなったみたいな話になってますけど(笑)──そういうことを思い出すタイミングになってきたというのもありますね。
 『夜、さよなら』は、僕のおじいちゃんが亡くなって初めて書いた作品だったんですよ。荒縄ジャガーは書く人をじゃんけんで決めて、たまたま負けた僕が書くことになったんですけど、18歳で上京して20歳の夏にじいちゃんが死んで、その冬に『夜、さよなら』をやった。きっかけは父親で、僕が里帰りして、じいちゃんのお見舞いに行った帰りに“このことを書いてみたらどうだ?”と親父から言われたんです。僕を役者として東京に送り出したのに書くことを薦めるってなんだろうと思いますけど、でも石井くんや尾野島さんたちが言うには、帰ってきてから“書きたいことができた”と言っていたらしいです。自分では覚えていないんですけど。
 うちのじいちゃんは油絵描きで、夜の絵とかすごくたくさん描いてたんです。それを観て、夜を描くってなんだろうと思っていたこともあって、15人とか20人ぐらいしか入らないギャラリーで上演したんですけど、書道の半紙を紺色に染めてそれを壁一面に貼るというすごく恥ずかしい舞台美術でやったんですけど、初めて自分からものを書きたいと思った作品が『夜、さよなら』でした。
 内容は、いなくなった人を海が見える駅のベンチで待っている話です。『蜷の綿』が延期になった時にみんなで話をしていて『K〜』は湖のほとりで人を待っているけど、そういえば『夜、〜』は駅で待っている話で、あの駅のモデルは、僕の地元の伊達駅だったと言ったら、成田さんや石井くんが“当時はそんなに伊達のことを話していなかったよね”と思い出して話してくれて。やっぱりその頃は東京に出てきてそんなに経っていないから、実家について振り返るのが客観的になれなかったと思うんです。だから僕が作品について“これは実家の話”“これは地元の話”と言うようになったのは大学を卒業してしばらくしてからなんですけど。そのことを“意識していなくても、ずっとやっていたよね。『蜷の綿』に代わる作品として考えるから悩むかもしれないけど、昔から書いていたよね”と尾野島さんからも言われたりして、久々に役者さん達に励まされて(笑)、やってみようという気持ちになれました」

―― 『夜が明けないまま、朝』はどういう話ですか?

「これこそ、マーム史上1番の失敗作という呼び声高いもので(笑)。書いた当時、僕は本当に演劇をやめて、ヴィレヴァン(ヴィレッジ・ヴァンガード。藤田は長くここでアルバイトをしていた)に勤めようかなと思っていたんですよ。
 というのは、大学卒業もあって1度みんなと離れたんですよね。石井くんは実家に帰って公務員になったし、演劇を続けている仲間は逆に大活躍で、(俳優であり、近年はマームの舞台の映像も担当する)召田実子が岡崎藝術座に出て、成田亜佑美はハイバイ、五反田団、サンプルと現代口語演劇に軒並み出演して、青柳いづみはチェルフィッチュに呼ばれてずっと海外で。制作の林も会社勤めを始めたので、制作も自分でやって、下北沢のギャラリーを借りて公演をしましたね」

── ということは、内容は当時の心境を反映して暗かった?

「ですね。同期の劇団はみんな受かっているのに、アゴラ劇場の審査に落ちまくって、ステイタスなんてまったくない。ずっとイライラしていて、唯一出ると言ってくれた女優に泣きながら“イライラしてるタカちゃんは見たくない、こんなことならもう出ない”と言われたり……。バイト先から帰ってきて、疲れ果ててドアノブ握ったまま寝てたりして、それがそのままタイトルになった感じです(笑)。真面目な話、睡眠障害も始まって、変な夢だか幻覚だかを見るようになって、その中のひとつをこの芝居に入れたりしました。今回そのエピソードは出てきませんけど。いわば、1番闇の時代ですね」

―― 『K~』が岸田戯曲賞受賞前の集大成で、『明けない』は闇の時代の集大成ということですね(笑)。でもかなり書き換えていますよね。

「書き換えています。『夜が明けない〜』は、ひどいところはあるけれども、『夜、~』に比べたら多少は骨があるとも言えるんですけど、結局、ほぼ『K〜』に集約されるように持っていっています」

── 使用する『K~』の戯曲はまったく手を入れずに?

「いえ、短くしますし、書き換えたところもあります。Kという女の子がいなくなってから、初演では3年経っているんですが、今回は10年後という設定にしています。役者がそれなりに年を取ったことと、さっきも言ったように、僕が最初の戯曲を書き、今一緒にやっている大半のメンバーと芝居をやり始めてからちょうど10年ということもあって、そこを思い切って変更しました。
 Kちゃんのお兄さんであるかえでくんが眠れなくて、ずっと町の中をグルグルしながら妹の痕跡を探しているのは変えず、彼の眠れなさとか心の整理のつかなさに引っかかるような言葉を抽出しました。それを描いてくから、順番も『夜、さよなら』『夜が明けないまま、朝』『Kと真夜中のほとりで』という上演年順で、短編集みたいな感じになったと思います」

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久々に「マームっておもしろい」と
思いながら稽古をした

── おおもとのところに戻って、この3作を連作にしようと思われたのは、誰かを待っている人々が描かれているのと、やはり「夜」という言葉がタイトルに入っていることが大きい?

「今回のことで過去作品を振り返るまで、まったく意識していなかったんですよ、夜という言葉をタイトルに何回も入れていることに。なぜなんだろうと自分でも改めて考えましたけど、正確にはわからない。もしかしたら20代前半の男子特有のメンタルみたいな、ちょっとイタい黒歴史みたいな感じなのかもしれませんけど」

―― 第二次中二病みたいな?(笑)

「そうそう(笑)。でも意外なことに、振り返ったり、連ねていったりする作業がすごく楽しかったんです。
 それは、10年前に芝居をつくった人と今も一緒に芝居をつくっているという感覚がすごく新鮮なのと、今回の出演者の長谷川洋子が21歳で、川崎ゆり子が24歳で、吉田聡子が28歳という、自分よりも若い世代の人達について考えることもおもしろくなってきたのが大きいかもしれません。作品を通して、20歳の時の自分、23歳の時の自分と向き合ったわけですけど、その頃の自分と年の変わらない今の長谷川洋子や川崎ゆり子は、すごく大人だなって感心したり。
 それと「夜」「待つ」をテーマにして3本をひとつにしたことで、『K〜』を再演したくないという気持ちが解消されそうな気がしてきたんです。この三作がしっかりしたセットになったら、ツアーでまわることもできるんじゃないかと」

── そこまで積極的な気持ちに切り替わってきたのは、もしかしたら俳優さんのスキルが上がってきたことが影響していますか? 今回、ひとりひとりの立ち姿、歩き姿が美しかったり、役への集中力も余裕があるように感じられて、いいですよね。

「僕も久々に、稽古しながら“マームって本当におもしろいな”と感じたんですよ。アングルの切り替え、展開の速さ、それとテイストも、一気にバリエーションが増えたなと」

── ミュージシャンでいうと、レコーディング・エンジニアっぽい、いわば職人気質の俳優さんがマームには多い気がしていたんですが、いつの間にかライブアーティストとしても花開いていたというか、ステージの隅にいてもお客さんの目がつい行ってしまう華みたいなものが備わってきたと思います。

「僕もここに来て、男子を描くのが楽しくなってきたりもしていますし。でも僕のモチベーションとしては、役者も含めたチーム全体の成長がありますね。一昨年の『小指〜』から連続して──途中で自作の『カタチノチガウ』や『ヒダリメノヒダ』もやりましたけど──『書を捨てよ〜』とか、自分以外の人の言葉に向き合ったことで、僕の引き出しも増えたんですけど、役者やスタッフみんなと一緒に成長できた気がするんです。
 特に『小指〜』は初めての大きな空間だったこともあって、課題がたくさん見えて、そこは絶対にリベンジしなきゃいけないと考えました。それで、演出助手との組み方をそれまで以上に考えたり、稽古場付きの制作をマーム側でも付けようとか、舞台スタッフを増やそうとか、団体として強化していって、『書を捨てよ〜』はそのまま再演してもいいんじゃないかというところまで持っていけた。そういったことが影響しているのかもしれません」

── いつの間にか、組織として強化していたんですね。

「そのことについては話したいことがいろいろあります。近いうちに、マームを内部から改革して、インターンシップ制みたいなことをやっていきたいと考えているんです。衣裳を担当してくれているsuzukitakayukiさんに言われたんですけど、35歳になって若い子を育てようとしても、準備に5年ぐらいかかるから、スタートできるのは40歳過ぎるから遅いよと。僕自身、今30歳で自分をおっさんだと思っていて、20代前半の若い子達のエネルギーやエキスを吸収したいと欲しているし、それはきっといいことなんです。だからそのためのシステムをつくっていきたい。
 この数年、僕は年上のクリエイターの方とコラボレーションして、それがお互いに作品に循環していたと思うんです。それを年下の人にも広げたいし、無名であってもいい。その人達の中から、役者をやりたい人が出てきてもいいし、衣裳をやりたい人、舞台美術をやるという人が育ってもいい。学校じゃないですけど、そういう場を先々つくりたいんですよね」

── それ、すごい画期的なお話ですね。ぜひ機会を改めて詳しく取材させてください。そして最後にひとつ。インスタレーションの『nina’s cotton zero』について教えてください。

「劇場の隣に四角い稽古場があって、そこがちょうど部屋みたいなんです。そこを使って、最初は蜷川さんの人生を展示する場所をつくろうかと話していたんですけど、彩の国の制作さんとも話をして、それは違うねと。部屋そのものがずっと考え続けているという空間にしました。それは最初に言った“待っている”ということなんですけど、これで作業が終わったわけではなくて、みんな蜷川さんのことを考えながら仕事をしている、その作業場みたいな雰囲気にしました。
 具体的には、蜷川さんが生まれ育った川口に取材に行った時に会った90歳のおばあちゃんの映像がスローモーションでテレビに映っていたり、『蜷の綿』執筆中から集めてきた資料や小道具を使っています」

―― 実際に藤田さんはそこにいらっしゃるんですか?

「はい、来たお客さんと話してもいいと思っていますから、僕がいたら話しかけてください(笑)」


【取材・文】徳永京子

【公演情報】
マームとジプシー 『夜、さよなら』『夜が明けないまま、朝』『Kと真夜中のほとりで』
作・演出:藤田貴大
出演:
石井亮介、尾野島慎太朗、川崎ゆり子、斎藤章子、中島広隆、成田亜佑美、波佐谷 聡、長谷川洋子、船津健太、吉田聡子

■日程:2016/2/18[木]~28日[日]
■会場:彩の国さいたま芸術劇場 小ホール
■料金:一般 3,800円
*全席自由席(整理番号付)
*開場時間よりチケットに記載されている整理番号順のご入場となります。
*開場時間を過ぎますと整理番号は無効になります。予めご了承ください。


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マームとジプシー

藤田貴大が全作品の脚本と演出を務める演劇団体として2007年設立。同年の『スープも枯れた』にて旗揚げ。作品ごとに出演者とスタッフを集め創作を行っている。同じシーンを高速でくり返すことで変移させていく「リフレイン」の手法を用いた抒情的な世界で作品ごとに注目を集めている。2011年6月〜8月にかけて発表した三連作「かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。」で第56回岸田國士戯曲賞を受賞。また、2012年より様々なジャンルの作家との共作を発表。2013年沖縄戦に着想を得た漫画家・今日マチ子の傑作「cocoon」の舞台化に成功。2015年「cocoon」の再演にて沖縄含む全6都市にて巡演。 ★公式サイトはこちら★