新・演劇放浪記 第1回 ゲスト:岡田利規(チェルフィッチュ)
新・演劇放浪記
2015.07.14
新たな才能を次々と輩出してきた「小劇場演劇」が、たぶん今、何度目かの変革期を迎えている。その変化は現在どのような形で現れているのか。そして未来の演劇はどうなっていくのか?
国内外に散らばる演劇の現場の最前線。その各地で活躍する人たちを藤原ちからが訪ね、インタビューと対話を重ねていくシリーズ「新・演劇放浪記」。
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第1回のゲストは、劇団チェルフィッチュ主宰、作家・演出家の岡田利規。2004年の『三月の5日間』で脚光を浴びて以来、日本演劇界の若きトップランナーとして世界にその名を轟かせてきた。今年は新作として『わかったさんのクッキー』と『God BlessBaseball』を準備中。世界各地を飛びまわる多忙な彼に、この春、横浜で話を聴いた。
(2015.04.09収録)
キーワードは魔法 〜『わかったさんのクッキー』
──岡田さんは特に震災後のこの数年間、『現在地』『地面と床』『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』など、現代の日本社会をフィクションとして描くことによって、観客に覚醒を促すというか、挑発してきたようにも感じられます。言い換えるとそれは、観客を無視しないで、そこに何らかの「効果」を及ぼそうとした、ということになりますよね?
そうですね、自分の作る演劇にはっきりした「働き」を持たせようとしてきました。でもその点は、たとえば今リハーサルしてる子ども向けの芝居の『わかったさんのクッキー』をつくるときも結局同じで、今『わかったさん……』の稽古場では僕、「魔法」というのをキーワードにしてるんですけどね。
──魔法……?
そう、観客に魔法をかけることを目指してやってます、「今は魔法がかかってた」「かかってなかった」なんて言いながらね。でもね、これは『わたしたちは無傷な別人である』(2010年、以下『無傷』)を作る時に標榜していた「コンセプション(受胎)」っていう言葉、あれとほぼ同じ意味です。
──「受胎」というエロティックな言葉が象徴するように、『無傷』はとても官能的に時間を扱った作品だったと思います。『わかったさんのクッキー』は子ども向けの作品のはずですが、『無傷』から繋がるような作品だということですか?
核の部分では。表面的には全然違いますけどね。『無傷』が官能的に時間を扱ったというのは確かにそうで、いわばスローセックスみたいな作品だったと思います。ああいうふうに演劇は、時間を操れるし、引き延ばせる。もっとも、引き延ばされた時間だとか、遅れをともなって訪れる感覚とか、そういうのは『わかったさんのクッキー』ではやるつもりはないです。子どもに通じるとは思わないし(笑)。けれども今目指している「魔法」というのもやっぱり「コンセプション」で、結局舞台上で表象が成立するっていう演劇の超・基本的なことは、奇跡みたいなもんなんですよね。だから魔法なしには成立しない。その点については、ほんとうに何の手加減もなく今やれていると思います。
──KAATからの依頼で上演することに?
はい。子ども向けのプロダクションを、というお誘いをKAATからいただきました。演目は僕に決めさせてくれました。どんなものをやるのがいいか考えていた頃、娘が『わかったさんのクッキー』を図書館から借りてきていて、一緒に読んだんですけど、おもしろくて、そのときぴんと来たんです。現代日本のクリーニング屋さんで働いてる女の子がちょっと不思議な世界に行ってしまう、という「不思議の国のアリス」みたいな物語なんですけど、「アリス」と違っていまの時代のお話だというのがいいなと思って。
──それはつまり「現代日本」というのがポイントなんでしょうか。そういう意味では、やっぱりこの数年間の問題意識に連なるものがあるのかなと思うんですけど?
というよりは、「ピーターパン」とか「赤ずきんちゃん」とかそういった西洋の意匠のはやりたくない、というのが絶対的にあったんですよね。子供のおとぎ話を選ぶと西洋の物語になってしまいがち、っていうその図式自体に抵抗したかった。だから同じ寺村輝夫さんの作品でも、王様っていう西洋のリプレゼンテーションを扱った『ぼくは王さま』シリーズではなくて、『わかったさん』なんです。
真のテーマはアメリカ 〜『God Bless Baseball』
▲韓国、Doosan Art Centerにて
──その後に用意されている新作『God Bless Baseball』は、野球をテーマにするらしいですね。いつ上演されるんですか?
9月に韓国・光州で初演です。光州にアジア文化殿堂、英語では Asia Cultural Complex という巨大な施設がオープンするんです。その一部であるアジア芸術劇場 Asia Art Theater のオープニングプログラムのひとつとして初演されます。そのあと、日本の首都圏でも上演を予定してます。この作品は野球がテーマなんですけど、真のテーマはアメリカです。日本と韓国の上にいるアメリカ、背後にいるアメリカ、内にあるアメリカ。例えば韓国は、1997年から98年にかけてIMF通貨危機を経験してますよね。三十代の人だと、そのとき学校のクラスにひとりかふたりは、お父さんが失業してしまった子がいる、という記憶があるんですよ。日本のバブル崩壊よりももっと生々しいなと僕は思ったんですけどね。で、ちょうどその頃、パク・チャンホという韓国人の投手がメジャーリーグで活躍したんです。野茂と同時期に、ですね。つまり韓国がアメリカが主導のIMFによってつらい目に遭わされていた時代に、アメリカのメジャーリーグというフォーマットで活躍するパク・チャンホが、国民的英雄になったんですよね。こういうの、複雑だなあ、と思って……。
──なるほど、野球から、アメリカとの複雑な関係が見えてくるわけですね……。岡田さんは今年はその韓国と、中国、そしてタイを、文化庁文化交流使として訪問されましたよね。どういう体験でしたか?
▲中国、ペンハオ劇場にて
濃密でしたね。とくに中国は初めて行ったのもあって、強烈でした。滞在したのは1週間くらいで、行ったのも上海と北京だけなんですけどね。まず思ったのは、中国は若いなあ、ということでした。ひるがえって日本にはもうこの若さはないなとも思いましたね。でも、若くないからダメ、ってことはないじゃないですか。だから日本はイケてる中年なり年寄りなりになればいいんじゃないかと思うんだけど、たぶん日本って、まだちょっと自分が若いつもりでいますよね、それってちょっとイタイんじゃないかと思う。
──えっと、アンチエイジング的な?
そうね、ドモホルンリンクルというか(笑)、美魔女願望というかね……。中国は、ガチで若さにあふれてる。いいねその若さ、おじさん羨ましいよ、って感じしました。「大気汚染とかいろんな問題があるけど、それは私たちの世代がなんとかする。しなきゃいけないんだ」っていうような考えを持ってる、未来を信じてる若者たちがいっぱいいるんですよ。
──未来への使命感を持ててるんですね。
あとおもしろかったのは、検閲のことですね。中国では演劇を上演するときは事前に台本を提出して検閲を受けなければいけないんですよ。検閲という制度のある中国のことを、日本の未来の姿として見てきた面も、ありました。中国には過去の日本(若さ)も未来の日本(検閲)もあった、ということになりますかね。
──検閲はやっぱり厳しいんですか?
聞いてると、通るか通らないかは結局、担当する検閲官しだい、みたいなところがあるみたいですよ。担当とは別の検閲官が観に来て「いやー、作品良かったよ。でもこんなのがよく通ったな」みたいに言ってるらしい(笑)。なんか、ヨロシクやってる感があるっぽい。だから、検閲があるなんて中国終わってるぜ、みたいなふうには全然思わなかった。むしろ上演のその都度、通るか通らないか、麻雀的にえいやって勝負してる中国の方が、「助成金が止まったらどうしよう……」って戦々恐々してる僕ら日本の作り手のメンタリティよりももしかすると健康かもしれないな、という思いも頭をよぎったりしましたね。
ヨーロッパ、そしてアジア
中国にいたときに、ふと、自分のアイデンティティを「東アジア」っていう枠で規定してみたいな、っていうことを感じたんですよね。「日本」というのではなくて。「日本」っていうナショナルなアイデンティティには僕ちょっと、乗りきれないんで……。あ、でもね、中国の次に韓国に行ったんですけど、そうするとそこでは、自分は日本人というよりは東アジア人だ、みたいなふうに言うことがためらわれるものがあったりもする。とにかく今回思ったのは、中国と韓国と、両方に行くのはすごく貴重で大事だな、っていうことでしたね。
──また視野が変わってきそうですね……。
上海で話した現代美術のキュレーターの人が、「日本のアートはとても優秀なトランスレーターだ」って言ったんですよ。西洋文化を東アジアの文脈に翻訳することがうまい、という意味ですよね。それ聞いて、なるほど、と思ったんだけど、それって単純によろこんでいい話でもないよな、とも思った。たとえば中国とくらべると日本は西洋の文化を吸収する上においてずいぶん優等生なんですよね。でも中国はもっと反抗的で不良っぽい。優等生が不良から学べることもいっぱいありますよね。
──ヨーロッパを訪問する時と、アジアを訪問する時とでは、気持ち的に違いますか?
自然と違ってくるし、また、違っていようと意識的になるところもあります。ヨーロッパに最初に乗り込んだのはなんせもう8年前のことで(2007年、舞台芸術祭クンステン・フェスティバル・デザールに招聘)、最初は「呼んでもらえた、すごいな、わーい」という感じで行ったんですけど、そしたら海外のフェスティバルや劇場のディレクターからたくさん話が来くようになった。チェルフィッチュの新作のコプロダクション(共同製作)に名乗りを上げてくれるフェスティバルも出てきた。やがて新作の初演が国外でやるということも、しばしば起こるようになってきた。そんななか、ヨーロッパで認められていくこのプロセスはプロセスとして、でも僕はアジアの人間だしな……、という気持ちも素朴に芽生えてきたんですよね。
──批判的な意識も生まれたと?
僕らのような演劇をやって食べていく、その基盤となる(作品を売買する)マーケットが、ヨーロッパにある。それは僕らにとってとても大事なことなんですけれども、その一方で、ヨーロッパではこうしてかなり頻繁に上演機会を持てているのにアジアでなかなかそれができない、そのことに対して、なんとも思わない、というわけにはやっぱりいかないじゃないですか。だから今回『God Bless Baseball』を、アジア芸術劇場の委嘱作品として作るということには、特別な気持ちはあります。
──アジアというのは、演劇にとっても大きなテーマになりつつありますね。
そうですね。ただそこには日本の国家のディレクションとしてアジア、特にASEANの国々にフォーカスが向けられている、というのもありますからね。それに乗っかるにしても、少なくともそれをちゃんと自覚して乗っからないとね。僕はね、たとえば『God Bless Baseball』のようなプロジェクトを通してアーティストとしての、個人としての関係を、この演目で言えば韓国の人たちとつくっていこうと思います。国家レベルの関係がいくら悪くなってもだいじょうぶにしておくための、リスクヘッジ(笑)。
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2020年の東京オリンピック開催を見すえて、特に「アジア」をテーマとした様々な文化的プログラムが立ち上げられている。演劇のアーティストたちは、この5年で何をするのか、しないのか。いずれにしても岡田利規の活動は、2020年の「その先」へと続いていくに違いない。
その動きはすでに「小劇場演劇」の範囲をはるかに越えてしまっている。とはいえ小劇場の最良の産物であった実験的・挑戦的なスピリッツは、今もなお彼の中に生き続けている。そして観客がまだ幼い子どもであれ、上演する場所がヨーロッパやアジアであれ、彼は同じくひとりのアーティストとしてその現場に対峙しつづけることだろう。
つまりはこういうことではないだろうか? もはや、劇場の規模だけで何かを測れるような時代は終わった。「小劇場演劇」という枠組みはすでに融解し、変貌を遂げつつある。
岡田利規(おかだ・としき)
1973年 横浜生まれ、熊本在住。演劇作家/小説家/チェルフィッチュ主宰。活動は従来の演劇の概念を覆すとみなされ国内外で注 目される。2005年『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。同年7月『クーラー』で「TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2005 .F N/次代を担う振付家の発掘―」最終選考会に出場。07年デビュー小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を新潮社よ り発表し、翌年第二回大江健三郎賞受賞。12年より、岸田國士戯曲賞の審査員を務める。初の演劇論集『遡行 変形していくための演劇論』(13年)と戯曲集『現在地』(14年)を河出書房新社より刊行。