【特集2】『岸田戯曲賞と私』(山本卓卓・範宙遊泳)
第67回岸田國士戯曲賞
2023.03.15
私が私らしくいられない人生ほど苦しいことはないはずです。そういう意味で日本は他者に対して「私らしくいさせない」圧力の強い社会だと思います。例をあげずとも、実感はないですか? 社会的な障害や他者の圧力なにひとつなく私らしく生きられていますか? 迷うことなく「はい」の方は別にこの文章を読む必要はないかもしれません。あるいは「何言ってるんだそうやってみんな私を犠牲にして生きてきたんだ。自分だけが特別みたいな言い方しないで」はいわかりました。。。。。結論。移住せよ。おしまい。
となるわけにはやっぱりいかないと思うんです。ひとりひとりの個が自分の尊厳を損なわれることなく「私らしいビジョン」と「私らしい誠実さ」の中で幸せに生きていくべきです。楽しく幸せに生きようとすることを冷笑する必要はないはずです。他人に蹂躙される必要はないはずです。
私が岸田戯曲賞にノミネートされ落選しを繰り返すことで感じていた感覚は上記の意味での蹂躙に近いものでした。つまり私自身の尊厳がこの場所では損われ、私の幸せが嘲笑され、私らしさを認めてもらえなかったという気持ちが確かにあったということです。だから選考委員や白水社を訴えてやる!みたいなことではありません。自分にとってそれだけの重みを持った「私のビジョン」の達成の条件でもあったわけです。というかノミネートされ落選されを繰り返すことで「私のビジョン」に刷り込まれてしまったという言い方の方が正しいのですが。
ですから昨年度の受賞者としての実感としては、それだけの想いがあれば誰にでも手の届く賞だ、とは思います。「私が私たり得るためのビジョン」の中に岸田賞があればの話です。この賞がどうでもいい人はたぶん受賞しないし、その辺のことは選考委員の選評を読めばわかります。僕も最初のノミネートの時はけっこう「どうでもいい」と思っていました。
やっぱり一発でバチッと受賞したほうがなんかかっこいいですよね? そしてこういう媒体でも飄々と淡々と受賞に関するコメントを残したほうがイケてることもわかっているんです。「受賞の報の時は忘れてソリティアしてました」とかクールなことも言いたいのですが、実際ソリティアなんかしてなかったしただただ電話前待機だったし嬉しかったし安心したんです。ほんとに。
ところで、想いという抽象的なものとは別に、受賞するためのコツみたいなものを自分の経験からせっかくなのでここに書いておこうと思います。はじめに戯曲の文量としては上演時間にして90分以上のボリュームが必要だと推測します。それは受賞作が出版されることを見越している賞だからこそ、それだけの紙面を確保できるボリュームが求められるだろうからです。私の代表作のひとつと言われる「幼女X」も「なぜあれが岸田獲れなかったの?」と言われることもあったのですが、それは60分の芝居だったからです。出版されるからには短編集であってはならないわけです。
で、次に「ちゃんと書き込む」ことで す。これは自分でもついやってしまうことですが「どうせ後で自分で演出するし口頭で説明すればいいか」という気持ち、を一切排除してト書きなり台詞なりを書き込み「読んだ人がわかる」状態にしておくことです。この他にももっといろいろとコツはあるのですが、この2つをまずは意識することが重要です。これ以外のコツは、依頼の文字数もオーバーしてるしこのくらいにしておきます。冗談です。3つ目は「選評を読む」ことです。いや冗談じゃないかも、つづきは戯曲ワークショップで。
撮影:雨宮透貴
やまもと・すぐる/劇作家・演出家。範宙遊泳代表。1987年山梨県生まれ。オンラインをも創作の場とする「むこう側の演劇」や、子どもと一緒に楽しめる「シリーズ おとなもこどもも」、青少年や福祉施設に向けたワークショップ事業など、幅広いレパートリーを持つ。アジア諸国や北米で公演や国際共同制作、戯曲提供なども行い、活動の場を海外にも広げている。ACC2018グランティアーティストとして、19年9月〜20年2月にニューヨーク留学。『幼女X』でBangkok Theatre Festival 2014 最優秀脚本賞と最優秀作品賞を受賞。『バナナの花は食べられる』で第66回岸田國士戯曲賞を受賞。公益財団法人セゾン文化財団フェロー。
『バナナの花は食べられる』にて第66回岸田國士戯曲賞を受賞。選評はこちら