<先月の1本>舞台【国際芸術祭あいち2022『クローラー』百瀬文】 文:私道かぴ
先月の1本
2022.11.24
良い舞台は終わったあとに始まる。強く長く記憶されることが、その作品を良作に成長させていく。けれども人間の記憶は、記録しないと薄れてしまう。「おもしろかった」や「受け入れられない」の瞬間沸騰を超えた思考と言葉を残すため、多くの舞台と接する書き手達に、前の月に観た中から特に書き残しておきたい1作を選んでもらった。
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「ケア」としてのパフォーミングアーツ 隣り合う演者と観客がともに見つめたもの
劇場を出た瞬間、「今すぐ静かな場所で一人になりたい」と思った。そして今しがた自分の身に起こったことを、解きほぐしたいと思った。一人きりで。誰の声も届かない場所で。
開演前、劇場の入り口に着いてまず驚いたのは、集まった観客が私を含めてたったの二人だったことだ。この演目は、通常のように大人数で着席して観るものではないらしい。
注意事項として、車いすの運転方法を読むように促された後、スタッフにネックスピーカーを装着してもらい、劇場内へ足を踏み入れた。通路より舞台側が暗幕で区切られており、その中央部分でさらに二つの空間に分かれている。二人の観客はそこからそれぞれ別の空間に入るよう案内されるので、そこでやっと「これは自分一人だけで体験するパフォーミングアーツなのだ」と気付く。
入口の幕が閉じられ、そのまま立っているとネックスピーカーから音声が流れ始めた。女性の声だ。「あなたの身体の一番好きなところはどこですか?」「私は胸です」。「胸」という単語が聞こえた時に、その声がまさに自分の胸辺りで発されていることに自覚的になる。彼女の声が、こちらの身体に振動を与えていることを感じる。咄嗟に「近い」と思った。パーソナルスペースの内側に突然入られたかのような感覚だ。聴いていると、どうやら声の主は障がい者で、普段は車いすに乗っており、これから自分の性についての話を展開していくようだ。個人的な自慰の様子が、ぽつりぽつりと紡がれていく。
あるタイミングで、ふっと斜め前に照明が差した。光の先には一脚の車いすがあった。声は、車いすに座ってほしいという(冒頭の注意事項はこのためだったのだ)。腰をかける。車輪を握る。タイヤは冷たくて、開演前に消毒でもしたのだろうかと思う。目の前にぽっと光が灯った。宙づりになった電球が見え、そこに車いすで近づくよう指示される。周りが暗いので距離感がうまく掴めないが、おそらく誰かが近くで見ているのだろう。えいやと腕に力を込め車輪を回すと、想像よりもずっと速く前に進んでいく。床が、電球の方に向かって下がっていた。本来自分でコントロールできたはずの速度より早く進んでいくことに不安を感じる。手で車輪を動かし続けていると、いつの間にか手のひらが濡れていることがわかった。気付かぬうちに、車いすごと水が張られた床の上に入っていたようだ。
その間もずっと声はこちらに語り続けている。耳を傾けながら電球の光を見ていると、向こうからぼうっと白い服を着た女性らしき人が現れた。この時、バカみたいだけれど人生で感じたことのない種の恐怖を感じた。背中にぞわっと鳥肌が立つ。目が、その存在を本当にあるものとしてなかなか認識できなかった。影が見えないからだろうか。そこに人が、いるのかいないのか定かでない。距離感がつかめない。でも、確かにこちらに向かってきているように見える。なんだか夢を見ているみたいで、まったく現実味がないのだ。
その女性が電球の横まで来て、やっと「そこにいる」と実感できる距離にしゃがんだ。白い手が、足元の水をちゃぷちゃぷと鳴らす。女性が立ち上がり、円を描くようにゆったりとこちらに向かって来る。「あ、来る」と覚悟していたよりもずっと自然な形で、彼女が背後にまわり、そっと車いすを押した。「あっ…」。
その時の感覚は、予想した何とも違っていた。とても心地が良かったのだ。彼女は空気を運ぶような手つきで、そっと車いすを押した。車いすに乗った私の身体と、押す彼女の身体が、ゆっくり、ゆっくりと電球の周辺をまわっていく。胸の上では語りが続いている。全身の力が抜けるような心地よい感覚の中で、声の主がこれまで口にした様々な言葉を思い起こす。自慰行為の話、障がい者専門の性風俗店で働いた時の話、性を介助すること…その経験がいつの間にか、車いすに乗った自分の身体に重なっていくような感覚を覚える。
なんだこれは、と思った。それは、これまで鑑賞したどんなパフォーミングアーツとも違っていた。私は語りを聞く鑑賞者でありながら、全く客観的な存在でいられなかった。物語を披露してもらい、「へえ、大変なんだな」「考えさせられるな」などと距離を置いて考えることができない。ゆっくりと運ばれているこの身体に、語り手が話す物語が浸透してくる。ただ、そこに押しつけがましさは微塵もない。身体にやさしく触れるような繊細さで、彼女の身体や、その奥にある寂しさに思いを馳せることになるのだ。
その感覚には間違いなく、演者の存在が必要不可欠だった。
終盤、おそらく今後忘れられないだろう場面があった。それは、車いすを押してもらいながら電球のまわりを一周し、元の位置に戻ってきた直後のことだった。車いすを押していた演者がそっと、鑑賞者の隣に移動する。彼女はそのまま体勢を低くし、目の前に下がっている電球をじっと見つめた。私も黙って、その光を見た。
演者と、鑑賞者が、一言もしゃべらないまま、ただ同じ光を見ている。
そう認識した瞬間、大げさでなく、心が震えた。涙が溢れそうになった。本当は、もうずっと長い間この光景を観たかったのだと思った。
演者が、観客と対峙して何かのテーマを投げかけるのではない。演者と観客が隣に座って、同じ問題を、どこかで誰かが抱えた出来事を、ただ一緒に見つめる。考える。そのことがどれだけ稀有で、尊いことか。そして、演劇を作りながら私がどこかで感じていた違和感の正体が、わかった気がした。本当は、一緒に考えたかったのだ。舞台上から何かを一方的に投げかけるのではなく、観客と並んで、出来事を一緒に見つめたかったのだ。
物語の終わりに、演者はスピーカーからの声に合わせて、指であるポーズを取る。それは性に対する後ろめたさや偏見などは一切ない、祈りの姿勢に見えた。
演者が、出口の近くまで車いすを押していく。鑑賞者は暗幕の近くで車いすを下り、久しぶりに自分の二本足で立つ。自らの足で歩き、暗幕の向こう側へ出て、物語は終わった。
静かな場所でひとり、今しがた体験したことを思い返す。ものすごいものを観た、いや、経験した。そして「あれは、ケアだったのではないか」と思った。自分の身体のすぐそばで他人に語りかけられる経験は、たとえば介護施設で車椅子に乗る利用者と、そのサポートをする介助者の距離感に近いとも言えるかもしれない。また、張り巡らされた水はどこか性的な印象を残しながら、普段手を使って移動する車いす利用者の手の感覚をそのまま追体験させていた。
そして、作品の中で演者は物語の、観客の介助者だった。私は確かにあの時、ケアを受けたのだ。車いすの押し方で、足の進め方で、大切にされていることを感じた。それは、おそらく作中で語り手の女性が最も求めていたことでもあったのだ。
二本足で歩く身体に戻った私は、しばらくの感動の後、心の底からむくむくと新しい感情が湧き上がってくるのを感じた。こんなに幸福な観客と演者の関係を経験した後で、一体私になにが作れるのか?それは、パフォーミングアーツの新たな可能性を知った後の、希望に満ちた闘志のようなものだった。
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しどう・かぴ/1992年生まれ。作家、演出家。「安住の地」所属。人々の生きづらさに焦点を当てた会話劇や身体感覚を扱った作品を発表している。身体の記憶をテーマにした『丁寧なくらし』が第20回AAF戯曲賞最終候補に、動物の生と性を扱った『犬が死んだ、僕は父親になることにした』が令和3年度北海道戯曲賞最終候補に選出された。国際芸術祭あいちプレイベント「アーツチャレンジ2022」において映像作品『父親になったのはいつ? / When did you become a father?』が入選。
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【上演記録】
国際芸術祭あいち2022『クローラー』百瀬文
Photo: Takayuki Imai
©国際芸術祭「あいち」組織委員会
2022年10月6日(木)~10日(月・祝)
愛知県芸術劇場 小ホール
構成・演出・脚本: 百瀬文
ナレーション: Mayumi
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