<先月の1本>『みみをすます (谷川俊太郎同名詩より)』岩下徹×梅津和時 即興セッション 文:私道かぴ
先月の1本
2022.10.22
良い舞台は終わったあとに始まる。強く長く記憶されることが、その作品を良作に成長させていく。けれども人間の記憶は、記録しないと薄れてしまう。「おもしろかった」や「受け入れられない」の瞬間沸騰を超えた思考と言葉を残すため、多くの舞台と接する書き手達に、前の月に観た中から特に書き残しておきたい1作を選んでもらった。
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ミュージシャンの身体、ダンサーの音 呼吸でつながるセッションの形
「セッション」とは、一体なんだろうか。セッションを見る時、観客はそこに何を期待しているのだろうか。ダンサーの岩下徹さんとミュージシャンの梅津和時さんの即興セッション『みみをすます(谷川俊太郎同名詩より)』を観ながら、その言葉の意味をじっくりと考えた。
豊岡演劇祭2022特別バージョンとして数か所で上演されたうちの、出石永楽館での公演について書く。出石永楽館は明治34年に開館した芝居小屋で、木造の味わい深い雰囲気がある。その舞台の下手から、まずは梅津さんが楽器を吹きながら登場した。やがてそれを追うように、岩下さんも下手から入って来る。観客は登場した順に二人を認識した後、絶えず変わり続ける身体の動きを追うように、岩下さんのダンスへと視線を集中させていった。梅津さんの演奏に反応するように、時に無視するように、岩下さんはゆっくりと動く。その身体を特段意識する素振りもなく、梅津さんは演奏を続ける。二人は、登場してから一度も視線を交わしていなかった。そのせいなのか、私はこの冒頭の一連のシーンにどこか歯がゆい印象を受けた。そこで、自分が「セッション」という言葉の中に、どこか協調の要素を望んでいることに気づく。ある瞬間だけでもいいから、身体が音に乗る瞬間を、音が身体を誘発する姿を、わかりやすく見たいと思っているのだった。しかし、観客のこうした欲望をすり抜けるように「セッション」は続いていく。
ほとんどの観客は、岩下さんを見ていた。そこで私は、二人の間にあるはずの接点を探して、梅津さんの方に目を向けてみた。するとなんということだろう、そこにこそ、ドラマチックな身体があったのだ。音色を奏でるために、己の身体の中の空気を一心に楽器へ送り込む姿。長く吹いた後に、短くも深く「ふうーっ」と息を吸うこと、その際に大きく膨らむ胸。空気を送り込むにつれてぐぐっと丸くなっていく背中。
その姿に、楽器を演奏するということの「真実」が刻まれていた。筒の内にこの人の肺から出た息が吹き込まれているという、その単純にして厳然たる事実を私は実感とともにはっきりと認識した。楽器演奏者が表現しているのは決して楽器の音色だけではない。息継ぎの音、楽器に向き合う身体、苦しそうな表情まで、ダンサーに負けないほどの豊かな「身体表現」がそこにあるのだった。↑↑↑
改めて耳を澄ましてみると、梅津さんから吹き込まれた息が楽器を震わせ、音が発されて、この木造の芝居小屋を伝って自分の身体に響いているのがわかった。それはもちろん、観客である私たちだけではなく、岩下さんの身体にも届いているはずだ。そこで、岩下さんの身体が反応しているのは、単なる楽器の音だけではないのではないかと思った。もしかすると、梅津さんから発された肉体の熱や揺れ動き、共有している空気すべてに反応して動きが生まれているのではないか。そう考えると、今自分の目に映る岩下さんの動作が、楽器の音にわかりやすく調和しない理由がわかる。私たちが「みみをすます」べきなのは、おそらく楽器の音ではなく、ここで生まれている動きのすべてであり、二人の間に漂う、常に揺れ動いている空気の振動なのだった。
ただ、この要素のみでセッションが終わったかというと決してそうではない。
たとえばその後、花道を移動しながら、客席に積極的にコミュニケーションを取ろうとする岩下さんに対し、梅津さんが強い音を出して制止しようとするかのようなシーンがあった。岩下さんの激しい動きに誘発されるように、梅津さんの演奏の速度が上がっていくような、いわゆる「セッション」だと理解しやすい場面も続いた。
そんな中でやはり気になるのが、「どう終わらせるのか」だ。この作品の最後は圧巻だった。
舞台上の二階部分に互いに距離を取りつつ上がった二人は、最終的にその場で向かい合う。上手と下手に立ち、終わりを予感しながらも、それを惜しむようにそれぞれの表現を繊細に重ねていく。岩下さんの手が、胸の前でゆるやかに揺れる。その手にそっと寄り添うように、梅津さんの楽器に送り込まれる空気の量が減っていく。いや、どちらが先だったのかわからない。しかし、終わりの前の最後のセッションは、動きが先か音が先かという考え方を優に超えて、ひとつの美しい情景としてただそこにあった。手がひらひらと揺れ、そこに音が乗った空気が漂っている。
照明は徐々に絞られ、やがて歩いている梅津さんの姿が先に下手に消える。それに続き下手に歩いて行った岩下さんの手がとうとう見えなくなった時、会場がしんと静まり返った。
カーテンコールで二人の姿が現れ拍手が起こった時、はっと息を吐いた。そこでやっと、自分の身体に新たに取り込まれた空気を感じ、客席さえも呼吸が同期していたことに気づく。私たちは二人のやり取りを離れた所から見物していたようでいて、いつの間にか二人のセッションに参加していたのだった。割れんばかりの拍手を送りながら、これもまた、演者と観客とのセッションなのだなと思った。
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しどう・かぴ/1992年生まれ。作家、演出家。「安住の地」所属。人々の生きづらさに焦点を当てた会話劇や身体感覚を扱った作品を発表している。身体の記憶をテーマにした『丁寧なくらし』が第20回AAF戯曲賞最終候補に、動物の生と性を扱った『犬が死んだ、僕は父親になることにした』が令和3年度北海道戯曲賞最終候補に選出された。国際芸術祭あいちプレイベント「アーツチャレンジ2022」において映像作品『父親になったのはいつ? / When did you become a father?』が入選。
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【上演記録】
『みみをすます (谷川俊太郎同名詩より)』岩下徹×梅津和時 即興セッション
photo by bozzo 提供:豊岡演劇祭実行委員会
2022年9月15日(木)~24日(土)
豊岡演劇祭2022にて上演
出石永楽館、氣多神社、大生部兵主神社、但馬漁業協同組合 竹野支所、やぶ市民交流広場 小路・芝生広場
出演:岩下徹、梅津和時
豊岡演劇祭2022作品サイトはこちら